招待〜20〜

 

 

日が沈んだあとのシーアン城は急にひっそりとする。
ファロンは夕食を終えるとそのまま自分の部屋には戻らずに、シェイの1階下にあるシュウの部屋にと向かう。
「失礼します。」
こんこん、と中指の関節で重い木のドアをノックするとすぐに返事がある。
それは部屋の主、シュウの返事ではない。年若い彼の右腕、クラウスの声であった。
「あいていますよ、どうぞ。」
特段驚いた様子もないことから、この時間にファロンがここを訪れることを予想していたらしい。ファロンはそれに苦笑しながらドアを開けて中に入る。
そこには部屋の主らしく重厚なテーブルについたシュウと、その傍らに立つクラウス、そしてただ一人だけ、本棚の側で驚いた顔をしているアップルがいた。
「いらっしゃい。お待ちしておりましたよ。」
にこ、といつもの穏やかな笑みでクラウスは言うとシュウの前にある椅子を勧める。シュウはなにやらペンを走らせていてファロンのほうには目もくれない。
「もうすぐで終わりますからお待ちいただけますか?」
「ああ、じゃあ、やっぱり用事があったんだね。」
そう、ファロンがここを訪れたのは別に呼ばれたわけでもなんでもなく、ただ、おそらくシュウが自分に用件ができるであろうことを予想したのだ。
そして、シュウもクラウスも何も言わなくともファロンがここにくるであろうことを予想して別段呼びに行くようなこともしなかった。
「紅茶でよろしいですか?」
「あ、おかまいなく。」
本棚に使い終わった本を片付けているアップルだけがその3人の無言のやり取りを知らず、不思議そうな顔をしている。
「長い間、逗留してしまって申し訳なかったね。」
ファロンが紅茶を出してくれたクラウスに言うと、彼は穏やかな微笑を崩さずにゆっくりと首を振る。
「なかなか楽しかったですよ。それに、兵士たちも活気付いて感謝しております。」
「それならいいんだけど。」
「また、ぜひおいでください。私どもはいつでも歓迎いたしますよ。そうですね、舞踏会の翌日にナナミ殿と一緒に戻ってくださったら嬉しいのですが。」
「や、そういうわけにはいかないでしょう?デュナン軍の正式なメンバーでもないのに。」
「正式なメンバーになってくださったほうがわれわれとしてはありがたいのですが、ね。」
ファロンが苦笑するとクラウスも微笑を浮かべる。
「ファロン殿、クラウスはキバ将軍にファロン殿を口説くように言われているようだから、用心したほうがいい。」
最後にさらさらと書類にサインを済ませたシュウが笑いながらクラウスに手紙を渡す。クラウスはそれを受け取ると綺麗な封筒に入れ蝋で封をする。
「口説く…?」
言われていることの意味が分からず小首を傾げているファロンに、シュウは口の端だけで笑うとペンと机の上に置かれていた便箋を片付ける。
「シュウ殿。ファロン殿が本気にするじゃありませんか。…なんでもないのですよ、ファロン殿。」
封の終わった封筒をもういちどクラウスはシュウに戻すと再び穏やかな笑顔を浮かべる。
「…さて、本題に入ろう。…ファロン殿、あなたには詳しい説明は必要ないかもしれませんが念のため。…これをトラン共和国レパント大統領に届けていただきたい。」
「メール屋ってことか。」
ふふ、とファロンが笑うとシュウも口元だけを緩ませて頷く。
「内容は、正式な和平条約の調印のお願い、でいいのかな?」
ファロンの言葉にアップルは驚き、クラウスとシュウはゆっくりと頷いた。
「それだったら私ではなく、アレンとグレンシールに渡すといいだろう?彼らは正式なトラン共和国からの使者なのだから。」
まるで試すように言うファロンにクラウスは小さく笑い、シュウはあまり表情を変えないままでいる。
「正式な使者に渡す段階のものではない、ということですよ。」
「根回し、ということか。」
「ええ、端的に言えば、です。」
ふぅん、とファロンは頷いて、その封書を受け取った。
「この私が持っていくことの意味が、重要なのだな。」
「ええ、そうです。」
クラウスが頷くとファロンは苦笑して封書をポケットにしまいこんだ。
「ということは、近くデュナン軍は乾坤一擲の勝負に出ると、そういうことだね。」
それに対してはクラウスもシュウも何も言わずに微笑んでいるだけで、ファロンはそれが帰って肯定しているかのように思える。
「ま、ただ飯を1週間も食ったんだ。…お礼はしなくちゃだろうな。」
「そうおっしゃっていただけるとありがたいですよ。」
そういいながらクラウスはもう1杯、ファロンに紅茶を継ぎ足した。
本棚に図書をしまいながら傍らでやり取りされている会話にアップルは驚くを通り越して少し怖いような気もしていた。
ここへくるようにとは言われていないのに用事があるだろうと予測してここへきたファロンに、その行動を予測して手紙を書いていたシュウとクラウス。
さらにファロンはその手紙の内容をしっかりと予測していた。
この人たちは凡庸な人間ではない。
これが一流の軍師というものなのだと改めて実感する。
そして、副軍師とは名ばかりで実際に何もできないし、凡策しか打ち出せない自分にも少々あせりを感じていた。
「本当に遊ばせておくにはもったいない才だな。」
シュウの言葉にアップルはひっそりとため息をつく。
シュウが人を素直にほめることはめったにない。それがこういった方面の能力ならば特に、だ。それほどファロンという人間は群を抜いているということになる。
先のトラン解放戦争でリーダーを勤めた彼女は確かにマッシュも認める才能の持ち主だった。父親であるテオ・マクドールの方針で幼い頃からさまざまな教育を施されてきたというが決してそれだけではなく、生来から聡い人間だったのだろう。
何もかもに恵まれて、そして人の上に立つ彼女。
たったひとつの軍師という取り柄でさえもはるかに及ばない自分。
どうして同じ人間なのにこうも違うのだろう。
当のファロンはといえば、シュウの言葉にも何も反応せずに紅茶を飲んでいるだけで。
「用事があるなら家に来るといい。いつでも尽力する。」
「常駐、というのはどうだ?あの部屋が否ならどこでも気に入るところを用意するが。」
冗談とも本気ともとれないシュウの言葉にファロンがくくっと喉で笑う。
「そういうわけにはいかないのをわかっていて言うのだから始末が悪いな。」
シュウに対してあっさりと人が悪いと言ってのけるファロンは、わかってはいたけれどタダ者ではない。
自分には決してできないことなのだとアップルは踏み台に乗って本を片付けながら思う。それはファロンとシュウが対等だと互いに認め合っているからできることである。自分など副軍師という立場ではあるが、彼にとってまだまだ単なる妹分でしかないことは十分すぎるほど分かっている。
そういった意味でもファロンが心底うらやましくて仕方がない。
自分が認められたいと思っている人に認められている彼女が。
その彼女はシュウのデスクの前の椅子に座り、ゆったりと紅茶を飲んでいる。
「ここにいるのなど簡単なことだ。デュナン軍の誰かと婚姻すればいい。」
突飛なシュウの言葉にファロンは思わず飲みかけていた紅茶を噴出しそうになる。
それから彼の真意を確かめようとシュウの顔を見るが、相変わらず彼は涼しげな顔をしたまま、デスクの上で手を組んでいて。
「だ、だ、だ、誰がっ…。」
「候補者はたくさんいると思うがな。…ここにも一人。」
そういってシュウは面白そうにクラウスを見ると、クラウスはそういったシュウのからかいにも慣れたようで苦笑しながら書類をかたづけている。
「あのね、そーゆー問題じゃ…。」
「トランの英雄、という肩書きが邪魔なら他の肩書きを作って使えばいい。それだけの話だ。」
言い返そうとするファロンにあっさりとシュウは言ってのける。
確かにシュウのいう通りなのは分かっている。
だけど、それを望みたくても望めないから。
ファロンは喉の奥につかえた塊のように言葉を飲み込むと、ぱっと明るく笑って答える。
「じゃあ、いっそのこと提案者のシュウさんに貰ってもらっちゃおうかな。」
ファロンにしては珍しい弾んだ明るい口調の返事に、本棚のところにいたアップルの目が真ん丸く見開いた。
「来たければ勝手に。」
言われた本人は動じもせず、まるでその位の逆襲は予想どうりとでも言わんばかりに鷹揚にうなづく。
「わ、マジ?じゃあ、式はいつにしようか?」
「式などしなくても書類1通ですむことだ。」
「やっぱり女の子としては、ちゃんと式したいんだけどな。」
「金がかかる。」
「ちぇー、ケチー。ラダト一の富豪のくせに。」
その二人のやり取りにクラウスはくすくすとおかしそうにわらい、アップルは目を見開いたままで。
しばらくの沈黙の後、ファロンも自分で言った後にくすくすとおかしそうに笑った。
「でも、ありがとね、シュウさん。」
おそらくこれはシュウなりの心遣いなのだろうとファロンはそう思うことにした。
少しでもここに来やすいように、フリックのそばにいられるようにとの彼なりの配慮に違いない。
鬼軍師、とデュナン軍では噂され、実際にそうだという人間も少なくはないけれど、決して鬼なんかではなく、ちゃんと考えるところは考えてくれている。
「じゃあ、ま、またくることにするよ。もっと気前のいい婿探しにね。」
そういってファロンが跳ねるようにして椅子から立ち上がると、わずかにだがシュウも頷く。
「クラウス、お茶、ご馳走様。…アップル、またね。」
そういってファロンはひらひらと手を振りながら重厚なドアを開けて出て行った。
バタン、というドアの閉まる音を聞きながらクラウスが可笑しそうに笑って言う。
「振られちゃいましたね、シュウ殿?」
「ふん。…見る目のないやつだ。」
そういいながらもシュウは酷く楽しそうで、アップルはこんな上機嫌の彼を見たのはマッシュにまだ師事していた頃以来だと思い出す。
やっぱり、自分ではかなわない。
アップルは唇を噛み締め、また本棚に本を戻す作業に取り掛かった。



                                                

END

 

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