最近、城の中が前にも増して騒がしい。
およそ城とは思えないような、いや、実際にここは以前町だったのだから当たり前なのかもしれないが、城内には普通に生活をする人々がいて、それに伴う喧騒が絶えず城内に満ちていて活気のあるところだったのだが、ここ数日、それがさらにエスカレートしている。
それは祭りの前の騒がしさにも似た、浮かれたような熱を孕んでいる。
それがただ事でないと確信したのは、昨夜、あろうことか酒場に敵軍であるハイランド王国軍の将、クルガンとシードの二人がやってきたという報告を聞いてから。
こんな前代未聞の出来事がおこるほど浮かれているのはひとえに、数日前から軍主であるシェイ殿が大切な客人として隣国トランから招いた一人の人物が原因であることに違いなかった。
3年、いやもう4年になる、当時赤月帝国という名前でトラン地方一帯を治めていた帝国が革命によって倒れた。
その革命軍、トラン解放軍を率いていたのは当時弱冠16歳の少女。
もはや伝説となりつつあったトランの英雄殿が何を隠そうその原因である。
第一印象では、遠い目をしたただの少女にしか写らなかった。
門の紋章戦争が終了したあとに、今まで戦争で滞っていたトランとの交易ルートが一気に動くようになり、人手が欲しくて新しくトランの人間を雇い入れた。
戦争のどさくさでジョウストン都市同盟が占領していたトランの都市に物資を届けるためにはいろいろと危険もあって、少しでも損害を減らすためにトランの内情に詳しい人間を、と思ってのことだったが、彼は思ったよりも情報通でいろいろな情報をもたらし、結果的にはトラン共和国が占領された都市を奪還すべく起こした戦いにでさえ損害をこうむることを免れた。
さまざまな情報の中にはあの戦争のことについての、一般的には知られていないことさえもあった。
そのひとつはトラン解放軍内部のこと。
以前、彼自身も解放軍にいて、中枢部に近いところにいたことから、かなり詳しい話をたくさん知っている。
その情報の中には以前、俺が師事していたマッシュ・シルバーバーグの話も含まれていた。
トラン解放軍の活動は随分と前から行われていたが、初代リーダーであるオデッサ・シルバーバーグが存命の頃にはマッシュは一切その活動に手を貸さなかったらしい。当然、何度かは協力を要請したようだが、悉く跳ね除けられ、最後にはオデッサも誘うことをしなくなったという。そのことについては俺にも記憶がある。
何度も何度も彼女は尋ねてきたのだが、一向に首を縦には振らず、むしろ戦争を起こそうという彼女を冷たく遇していた。マッシュ・シルバーバーグは軍師として最高の頭脳を持ちながら、その能力を発揮する戦争が一番嫌いだったからだ。
それほどまでに頑なに戦を拒んでいたものを、なぜリーダーが変わっただけで簡単に協力をするようになったのか。
リーダーが妹であったから嫌だったとか、御しやすい人物がリーダーになったからだとか、何も知らない連中はそういった下衆な勘繰りをしていた。
しかし。
マッシュという男はそういったことで動くような人間ではなかった。少なくとも、俺の知っているマッシュはそういったことを最も嫌う人間だったから、世間の口さがない人間がする噂話などまったくデタラメであることはわかっている。
もう二度と戦にはかかわらないと公言していたマッシュがなぜ己の信念を曲げて、解放軍に尽力することになったのか、俺は大層興味をそそられ、尋ねてみると、2代目リーダーのファロン・マクドールが原因と聞いて、少なからず驚いたのだった。
話に聞くとリーダー就任は15歳の時。年端も行かないような少女の何に動かされたのだろうか。
情報では、マッシュだけでなく、副リーダーのフリック、そしてハンフリー、ビクトール、そして孤高の軍団であった竜騎士団の団長でさえリーダーであるファロンを深く敬愛していて、彼女のためならば何を投げ出してもかまわないといった風情であったという。
たかが16の女のドコにそんな魅力があるかと、尋ねてみれば彼は困ったように笑う。
ありふれた表現で申し訳ないのですが、と前置きしてから彼が語るには、彼女は優しく、聡明で、強いから、だということだ。
そんな表現は彼が前置きするまでもなく、日常のそこここにあふれていて、だからこそそんな風に形容されるファロンという人物が、実はそうたいした者でもないと踏んだのは当時の自分にしてみれば仕方がないことだったろう。
だが。
やはり、実際の人物は彼のいうとおり、優しく、聡明で、強かったのだ。
ラダトで商売を始めて、それが成功してから随分多くの女が言い寄ってきた。
香水の匂いを振りまいているものもあれば、まだ垢抜けないもの、利口なものから頭の回らないものまで、それこそいろんなタイプがいたのだ。
だが、ファロン・マクドールという人間はそのどれにもあてはまらない。いやあてはまらないのではない、彼女の持つ個性が、俺が今までに知っているどの女よりも遥かに突出しているのだ。
頭がよさそうに見えるのに酷く鈍感で、強そうに見えるのに脆くて、父親をその手にかけた非情さとは裏腹な優しさがおそらく彼女の本当で。しかし、聡明なのも、強いのも、冷静なのも事実である。そして、そのどれもが常人の範疇を遥かに超えるのだ。
そういった意味で、どこにでもいる少女であり、どこにもいない少女でもあり。大いなるアンビヴァレンスをその身に内包した人なのだ。
そして男は、そのアンビヴァレンスの大きさゆえに吸い寄せられるようにして惚れてしまうものなのだろう。
もし彼女が顕著な強い毒をもっている人間ならばこうも多くの人間は惹かれなかった。彼女の中には毒などあるはずがない、と思わせるほど清浄で、だからこそ万人に好まれる。
その実、本当は恐ろしく強い毒性を持っていて、その毒にかかってしまった人間はそれと気付かされずに、急激にその体内に染み渡り、酷い中毒症状を伴うのだ。崇拝、畏怖、憧憬。そういった感情を伴って、そうして次々と彼女の毒の虜になっていくのだ。
全く、たまらない。
いるだけで、周りを引き寄せてしまう、生まれながらにしての誘引者。しかも、本人は全く無意識でやっているのだからなおさら性質が悪い。
「…じゃあ、誰かが見本、見せないとな。誰が踊れる?」
先ほど、彼女を迎えに隣国からの使者がやってきた。使者はシェイ殿の建国記念の舞踏会への招待を申し入れてきたのだが、戦局が安定しない今、あまりおおっぴらにシェイ殿に他国へ出歩いてほしくない。かといってトランの招待を潰すわけにもいかず、名代としてシェイ殿の姉であるナナミ殿に出席してもらうことにし、使者殿にもそれを伝え、これで一件落着となるはずだったのだが。
困ったことにナナミ殿はワルツを踊れないことが判明した。招待されたのに踊れませんじゃ話にならない。
なんとか付け焼刃でも体裁をととのえようとシーナが踊りを教えるために、見本となるような適当な人材を探すべく、広間に残っている20名弱の人間を見回した。残っているのはほとんどが男で、ナナミ殿の手本となるような人間がいない。
シーナが困ったな、と頭をかいていると今夜の宿泊の部屋を手配中で未だ広間に留まっていたトランの使者であるグレンシール殿が面白そうに提案をした。
「ファロン殿が踊れますよ。」
「あ、そーか、ファロン!」
シーナに名前を呼ばれた瞬間に彼女はあからさまに嫌そうな表情を浮かべたが、それにまったくかまわずシーナが手を引っ張って強引に真ん中に引きずりだす。
「踊るのは見本一組とナナミだな。…じゃあ、まずファロンの相手は…。」
その場を仕切っているシーナが上機嫌で俺が、と言いかけた瞬間に、なぜだか急に悪戯心が夏の入道雲のように突如わいてきた。
「私が勤めよう。」
自分でも驚くほどの速さで広場の真ん中に不満そうな顔でたたずんでいる彼女の横に行き、さっとポジションにつく。広場にいた連中はみな驚いた表情で、おそらく一番冷静だったのはファロン本人ではなかっただろうか。
私がワルツを踊れるのを知っている人間はおそらくこの中ではアップルだけだろうから。
「…シュウさん?」
本気ですか?と彼女が目線で問いかけてくるのに軽く頷くと、まだ驚いた顔をしているシーナに指示を出す。
「おまえが踊れるのならナナミ殿の相手をするがいい。アルバート、ピコ。曲はなんでもいい。始めろ。」
慌てて二人が演奏を始めるのにあわせて、滑るように踊りだす。シーナも慌ててナナミ殿の手をとるとステップの説明をし、こちらのほうを見せながらナナミ殿にコーチをしている。
そして、目の前の彼女は踊りながらもまだ何か問いたげに私を見つめていた。
「何か?」
尋ねれば、不思議そうに、小首を傾げる。その姿がどうにも英雄らしくない。
「…すごく上手。…どこで?」
「…ずいぶん昔に。」
作り笑いで答えれば、なおさらわからないといった表情を浮かべる。
「…なんで急に…?」
「…ファロン殿と踊りたかったから、とは思わないのか?」
今まで側に来た女にそんなことを言えば耳まで赤くして喜んだであろうセリフだったはずなのに、彼女はその天然の鈍さからかにっこりと微笑んで納得したように言う。
「わかった。シュウさんって、社交ダンスが好きなんだ?」
かなり的外れな言葉に『リーダーは国宝級の鈍さなんですよ』と使用人が言っていたのを思い出す。少し眩暈がするのは決して寝不足や気のせいではなかっただろう。
かつてこれほど自分の価値について疎い人間を見たことがない。それが自分の功績や才能と見事な反比例をしているあたり、やはり常人とはスケールが違う。
「いや…そういうわけでは…。」
口ごもると不思議そうな顔をして、それから少し考え込み、何かを思いついたようにまた再び明るい表情になる。
「あっ。そうか。…じゃあ、ナナミちゃんのため、なんですね。」
どこをどうしたらそんなことになるのだか。
呆れる私を尻目に彼女は、自ら手本になんて優しいなぁなどと少々感激したように頬を高潮させながら踊り続けている。そのステップは戦闘時同様、酷く優雅で、全く別のことを考えながら踊っているなんて思えないほど。
やはり育ちがいいのだと密かに感心する。と同時に、広間の隅で複雑な表情を浮かべたまま優雅に踊る彼女を見つめる男にも視線をさっと投げた。
これぐらいで嫉妬していては、到底この鈍い英雄様の相手なんぞ務まらん。さっさと手を引いたほうが身の為だ、と思いながら。
彼に引導を渡すように、曲の終わりに慇懃無礼になりそうなほど深く礼をした後、優雅にファロンの足元に跪き、棍を持つにはあまりに不似合いな華奢な手を取り、白い、血管の透けるような甲にそっと唇をつける。
そんな仰々しいまでの仕草を彼女は頬を染め、戸惑いながらも微笑んでいて。
フリックはそんな二人の姿を見ていることなどできずに、ふいと横を向く。
「…シュウさん!」
じろり、とシェイが一瞥するのをふ、と短く笑って過ごして元の位置に戻るとファロン殿も少々ほっとしたような表情を浮かべた。
「それで。ファロン殿はどなたをパートナーにするおつもりですか?」
とんだ伏兵の登場に不機嫌そうに尋ねたアレンの言葉に、彼女はすぐさま困惑の表情を浮かべる。
「そういえば、まだそれを伺っておりませんでしたね。…ああ、もちろんダンスが踊れなくても結構ですよ?ファロン殿のパートナーとして恥ずかしくない相手であれば、ですが。」
畳み掛けるようなグレンシールの言葉になお一層ファロンの眉間の皺が深くなり。そのグレンシールがちらりと広間の片隅にいる男を見やると、男は真っ向から見返すようにじろりとアレンとグレンシールの二人を睨みつけ、面白くなさそうにカツカツと靴音をならして広間を退出していった。
ファロンはその後姿を見つめてため息をひとつつくと、アレンとグレンシールのほうを向き直る。その顔は先ほどまでのふわふわとしたただの少女の顔ではなく、先日、朝稽古の時に見たような強い意思を宿したリーダーらしい顔だった。
「パートナーはいらない。」
ファロンの口から冷たく言い放たれた言葉にグレンシールはしまったとばかりに唇を噛み、アレンは反論する。
「しかし、ファロン殿…。」
「私が誰か特定の人物のエスコートで公式の場に出て行ったらどうなる?おまえたちの言い様ではまだ私はトラン国の幹部に対して、ひいてはトラン国民に対して少なからず影響を持っている。そんな私が誰かと共に舞踏会なんぞに出たら周囲の人間は余計な期待を抱くに決まっているんだ。特に今回はミルイヒ元将軍の主催でもある。…一番私を結婚させたがっているのは彼だろう?相手がどんな理由からエスコートを勤めたであろうとも、翌日には必ず家に婚約祝いの品が雪崩のように押し寄せるに決まっている。」
ファロンはふん、と鼻を鳴らしてさらに厳しい目で二人を見つめる。
「分かったなら下がれ。」
有無を言わせず、というのはこのことであろう。二人は恭しく礼をしてからクラウスに案内されて広間を出て行った。
それでも彼女の優しいところは、彼らをこのデュナン軍の幹部の前で徹底的にやりこめるようなことはしない。それは彼らがトランからの正式な使者であることを考えてのことだろう。瞬時にそこまで判断し、始末をつけてしまうあたりはやはりトランの英雄にふさわしい振る舞いである。
それにしても、フリックは本当に惜しいことをした。
今の厳しい目を見ればファロンがどんなに自分を大事にしているかわかったものを、と思いながらこの場にいる誰もが彼にそれを知らせることをしないだろうことも簡単に予測でき、内心ひっそりと笑いがこみ上げる。
全く、大変な女に惚れたものだ。
本当に手に負えるのか、ゆっくりと見物させてもらうとするか。
もっとも、ちょっとでも手に余るようならば遠慮せず、さっさと攫ってしまうが、な。
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