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フリックがファロンに想いを伝えてから実に5日後。ようやくファロンと二人だけの時間を過ごせることになったフリックは、恨みがましい視線を投げてくるシェイから早く逃れようとファロンの手を引いてサロンから連れ出した。シェイだって本当は午後もファロンと遊びたかったのに、シュウに捕まって先日遣り残した書類整理の続きと相成ったのである。そこをついたのはようやく時間の取れたフリックで、また誰かにさらわれたら大変とばかりに慌てての退出である。
 といっても城内、ファロンと二人だけになることなんてできにくい。
 どうしたものかと思案していると、ファロンが笑いながらフリックの手を引っ張る。
 「いいところがあるんだ。」
 そう言ってファロンがフリックを連れてきたのは城の裏手、湖に面したところで木立が何本かある。誰もいない、城内に近いにも関わらず喧騒が嘘のように静かなところ。
 「…よくこんなところ知ってるな。」
 幹部であるフリックよりも客人であるはずのファロンのほうが詳しいのに苦笑してから、二人木陰に腰を下ろす。
 「こんなところでいいのか?どこか、他の街とか行きたくないか?」
 「ううん、ここでいいよ。」
 ファロンの答えにそうかとフリックが頷いてようやく落ち着いて、久しぶりの休日を楽しもうとファロンが持ち出してきたお茶を飲む。一緒に用意されたお菓子はグレミオからの差し入れで、まるでちょっとしたピクニックのような感じになった。
 何をするでもなく、ただ隣に座っているだけなのに二人の間にはゆったりとした心地よい時間が流れている。
 「…デュナン湖の色は青が濃いよね。トラン湖も青いけど、もっと明るい色じゃない?」
 「ああ、そうだな。俺も最初そう思ったよ。」
 フリックはそのままごろりと横になって頭上にある木に視線を向けた。樫なのだろうか、緑のさほど大きくない葉がざわざわと風に揺られて鳴っている。
 「…悪いな。…ずっと放りっぱなしで。」
 「構わないよ。結構みんな遊んでくれるもの。…幹部だから忙しいんでしょ?」
 「ビクトールが書類嫌いだからな。」
 「フリックは昔からそういうのマメだったものね。」
 「性分なんだな、きっと。」
 フリックがははは、と笑うのに、ファロンも小さく声を上げて笑う。
 「ティントとも正式に同盟を結んだから、これで少しは楽になる。…ファロンとももう少し時間が持てるようになるかな。」
 「無理しないでいいよ。休めるときには休まなきゃ。戦時中の常識でしょ。」
 「まぁ、そうだけど。…でも俺がそうしたいんだ。」
 だめか、と急に真剣な瞳で問われたら、ファロンだって首を振ることなんかできない。
 「差し障りのない範囲でね。」
 ファロンの返事に安心したかのように微笑んだ瞳は少し眠たげで。
 「…天気いいね。少し寝ていいよ?ここのところ、ずっと休みなしだったでしょう?」
 「いや、平気だよ。それにせっかく二人でいるのに。」
 「また、時間作ってくれるんでしょ?…夕べだって徹夜で歩哨だったのに。」
 ファロンの少し非難するような口調に、自分の体を心配してくれているんだと分かって苦笑して頷く。
 「わかった。…じゃあ少しだけ、な。…何かあったらすぐに起こしていいから。」
 そう言ってから、フリックは何か言いたげにファロンを見つめて、それから諦めたような表情をしてファロンに手を伸ばす。
 「なに?」
 伸ばされた手の意味がわからずにきょとんとして、小首を傾げたファロンの手を少し強引に取って握り締めた。こうして握ってみると、あの棍での力強い攻撃を出せるのが嘘のような華奢な作りをしている。貴婦人の手、とまではいかないまでもすべらかな肌はやはり上流階級の出身に相応しい。そのことがフリックの胸に、微かな棘となって刺さる。
 それに気付かない振りをするように、少し自分の側にファロンを引き寄せた。
 「本当は、膝枕でも頼みたいところだけど、今のところはこれで我慢しておく。」
 そう言って、そのまま青い瞳をゆっくりと閉じた。
 解けないほどに堅く手を握られてしまい、ファロンは真っ赤になりながらフリックの傍らに座っているしかない。
 フリックが寝付くまでそう時間はかからず、ファロンの赤く染まった顔が普通に戻る前に寝付いていた。それがどんなに彼が疲れていたかを物語っている。
 連日の遠征、戦闘、そしてトドメが徹夜の歩哨ではさすがにフリックでもきつかったと見える。デュナン軍の創立以来のメンバーという立場だけではなく、面倒見がいい性格も災いしているのだろう。そういえば、もともとシェイを川から助けあげたのだってビクトールとフリックの二人だったってシェイ本人から聞いた。よっぽど、こういうことに縁があるのだろう。ファロンは自分の時のことも思い出してひっそりと苦笑した。
 デュナン湖の風がフリックの前髪を揺らす。
 ファロンはすっかりと安心しきったような、多少幼さの残る寝顔のフリックを見つめながらいつか、こんなときがあったことを思い出した。
 あの時は、確か、テッドが死んだとき。
 泣くこともできず、酷く憔悴しているのを心配したフリックが城の裏手にある島へ連れて行ってくれた。フリックの暖かさにほっとして、ようやく泣けてきて。寝たふりをして泣き終わるのを待っていたフリックが本当に寝てしまったのだった。
 その時も、寝入ってしまっているフリックの顔を見ていたんだった。
 最初は怖かったけど、本当は泣きたくなるくらいに優しくて。大事な人を亡くしてしまったのに、その原因を作った自分を恨まず、逆に盛り立ててくれて、いつでも守ってくれていたから、だから戦えた。
 そのお礼をしたくって、ここに来たけれど相変わらずなにもできないでいる。
 戦うしか脳がないからな、などと一人ごちてファロンは考え込む。
 グレミオが思い切り甘やかして育ててくれたから、たいしたことはできなくって。
 フリックも元来マメな性格なのか、一人で何不自由なく生活できる。むしろ、男の人としては非常にきちんとしている方。多少なら料理だってできるんだって、昔、聞いた事がある。
 やっぱり、デュナン軍に力を貸して、一緒に戦うのが一番のお礼になるかもしれないなんて考えていたところに、ファロンのところからは死角になっている城壁づたいの方から誰かが走ってくる足音が聞こえた。
 「フリックさぁーん!」
 ニナの声である。
 ファロンの顔が一瞬強張り、フリックを起こそうかと体に手をかけるが、フリックはううんと唸ってファロンの方に寝返りを打つ。体にまるで毛布のようにまとわりついたマントがフリックの幼い寝顔の口元を隠してしまってファロンは少し残念な気がする。
 この分じゃ、起こしても起きないかもしれない。剣士の性なのか、いつもは他人の気配に敏感で、よほど親しくしている人間以外が近づいただけでおきるのに今はぐっすりと眠っていて。
 「フリックさぁ……あ…。」
 寝ているフリックに近づいて、一人きりだと思って喜んできたのに、すぐ傍らにファロンの姿を認めてニナの表情が曇る。
 「…ごめんね、寝てるんだ、今。」
 ファロンが申し訳なさそうにいうと、ニナがびっくりしたような顔をして少し近寄ってきてフリックの顔を覗きこむ。
 「…ほんとだ。…フリックさんの寝顔なんて、初めて見た。」
 珍しいものでもみるように、マントで半分隠れた寝顔をしばらくの間しげしげと見つめる。
 「…あなたの側だったら…寝るんだ…。」
 面白くなさそうにつぶやいたニナの言葉が聞き取れなくって、首をかしげながら聞き返すと彼女はううんと、首をふる。
 フリックはまだ眠っているようで、長いまつげは閉じられたまま。
 ニナはしばらくそのフリックの寝顔を堪能したあとファロンに視線を戻し、ついで少し俯いて何をか言いにくそうにもごもごと口の中で呟いてから、意を決したように顔をもう一度あげた。
 「あの…この間は…ごめんなさいっ!」
 そう言って彼女はぺこりと頭を下げた。ファロンはというと、急に謝られて、きょとんとしてニナを見つめるだけで。
 ニナがファロンの返答がないことに恐る恐る顔を上げて不思議そうな表情でファロンを伺い見るのを見て、ファロンはようやく先日の、あの廊下でのことを言っているのだと思い当たり、2、3度小さく頷いてから口を開く。
 「…気にしてない。」
 その言葉が決して嘘ではないと言う証拠に、気にしていたら今もこうしてフリックと過ごすことはないだろうと瞬間にニナは判断して、ようやくにっと笑った。
 「……でも、諦めないから。」
 挑戦的とも言えるような表情でいるのがあの日、自分につっかかってきた彼女の勝気さをよく現していて、ファロンはおかしくなって笑いながらうなづいた。その様子に安心したのかさらにニナは続ける。
 「私のは運命だから。だから、あなたには負けない。」
 堂々と、まるで宣言するようにファロンに言い放った彼女は、噂で聞いていた彼女の人柄がよく出ていて、本当に遠慮もなにもないけれど、心の中にあるのは純粋なフリックへの好意だけということがわかってファロンは却って好感さえもてる。
 それだけ彼女は本気なのだ。
 傍らで寝ている彼は、真面目で、優しくて、ちょっとだけおせっかいな人。ついでに言えば、自分で美青年攻撃に加わっちゃうナニな部分もある人だけど、それも城内に彼のファンがたくさんいることを考えても本当のことだから、こうして誰かが真剣に好きになるのは当たり前のこと。自分が好きになった人はそういう人だから。
 怒りもせず、笑うファロンにニナもある種の仲間意識がでてきたらしい。ニナは腰に手を当て、少し胸をそらせて得意そうにファロンに宣下する。
 「でもまぁ、せっかく来たんだから…あなたがここにいる間、少しだけ貸してあげてもいいわ。…でもね、覚えていて。少しだけ貸してあげるだけだから。」
 それは彼女なりの移譲なのだとファロンは解釈し、こくりと頷いて見せると彼女は満足そうに笑う。
 「分かればいいわ。…あ、と。…テレーズさんにお茶、頼まれていたんだったっけ。…フリックさんが起きたら、今度デートしてねって伝えておいて。」
 「わかった。」
 「じゃ、ね。」
 そういってニナはひらひらと手を振り、踵を返してパタパタと走っていく。
 スカートの裾を翻し、遠ざかっていく後姿を見つめてひとつため息をつくと視線を目の前に眠るフリックに落とした。
 「…だそうだよ、フリック。」
 ファロンの声にフリックが苦い顔をしてぱちりと目を開ける。
 「…いつから気付いていた?」
 「寝返りを打った直後くらいかな。」
 「…なんだ、ばれてたのか。」
 フリックはふぁーあともっともらしい欠伸をしながら起き上がる。
 「彼女、ほんとにフリックのことが好きなんだね。」
 そういったファロンの瞳に羨望の影がちらりと見えたような気がしたのはフリックの気のせいだったか。
 「どうだかな。…あの年頃だ。恋に恋してるってやつだろ?」
 「冷たいね。」
 「俺の直前はシンを追っかけまわしてたらしいぜ。」
 あのターバンを巻いた、無口な剣士の姿をファロンはすぐに思い浮かべる。あまりフリックとはタイプが同じだとは思えない。強いて言えば剣士であるというところだろうか。
 「…でも、年頃は関係ないよ。今度は本気なのかもしれないし。」
 「いや、本気じゃないだろ?」
 フリックの言葉に、ファロンは反論しかけて途中で止めてしまう。
 そして悲しそうに俯いた。その様子がいかにも悲しそうで、フリックからしてみれば誰にでも気遣いをしてしまうファロンがおそらくニナにもそうしているのだと判断して声をかける。
 「あいつに気なんか使う必要なんてないぞ。」
 「…そういうんじゃない…。」
 酷く悲しげな瞳でファロンが呟くと、フリックがぽんぽんとファロンの頭をなでた。
 「…ファロンは、自分のことだけを考えていればいい。…もう、ここではおまえはリーダーじゃないんだから。…ゆっくりとして、好きなことをしてればいいから。な?」
 そう優しく言われてしまえばもうファロンは反論することもできなくて、うん、と小さく頷いてそれきり黙りこんでしまった。
 「わかったら、少し眠ろう。…ファロン、毎朝、トラン義勇軍の稽古してるんだろ。」
 「あ、うん。」
 「朝っぱらからあの数をこなしているんだ。…少し休んだほうがいい。」
 そういうと、フリックはにこにこと嬉しそうに笑い、ファロンの体を抱き寄せてそのまま横になる。
 「なっ…!ちょっと!」
 「いいじゃん。お昼寝。…前にもこうして寝たことあっただろ?」
 じたばたともがくファロンにそう言い放つと、今度こそ本気で寝に入る。しっかりとファロンを抱きしめている腕の力は強くてそうそう簡単には解けなかった。
 そのうちに冗談ではなしに、本当にフリックが寝てしまったのに気づいたファロンはとうとう腕の中から脱出するのをあきらめ、ふぅと小さなため息をひとつ吐く。
 間近にある子供っぽい寝顔を見ながらファロンはぽつりとつぶやいた。
 「…私だって…15才だったけど…本気だったんだ…。」
 
 
 
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