トラン義勇軍の朝稽古が終わって、ファロンはホールを通ってサロンに朝食をとりに行くことにした。
ファロンがシーアン城に招待されてから6日目、カスミの請願もあってファロンが稽古をつけるようになってから義勇軍の腕もだんだんと上達し始めて、今日などは全部を倒しきるのに少々の時間がかかるようになってしまった。
これならデュナン軍の足手まといにならずに済むだろう。
これはデュナン軍だけでなく、トランのためにもなる。
出征してきた兵士の損失はできるだけ少ないほうがいい。また、現在のトランは内戦や国境争いはなく、実戦経験を積む貴重な機会でもあるので、兵士たちには怪我なく無事にトランに戻って欲しいとも思う。
やはり自分はデュナン軍の人間ではなく、トランの人間なのだ。
ファロンはひっそりと苦笑しながらホールを進んでいくと、突き当たり、約束の石板の前に憮然とした表情で佇んでいる少年を見つけた。
「…おはよう、ルック。」
名前を呼ぶと、彼は不機嫌そうにファロンを一瞥する。
「朝から随分元気のいいことだね。…またソウルイーターでも疼きだしたのかい?」
どうやらムシの居所は悪いらしい。
ファロンは肩を竦めて、ルックの様子を見る。
先の門の紋章戦争で、一番最初からファロンと関わっていた人物、であると同時に真の紋章持ちである彼は、ファロンとの繋がりもそれなりに深い。いつも生意気な口は聞くけれど決してファロンを嫌っているわけではないのは、時折見せる屈折した優しさにも現れている。
「ようやく少しづつ、コントロールできるようになってきたんだ。…ここにいる間はみんなに迷惑をかけずに済みそうだよ。」
「それは願ったりだね。こんなところでソレを開放されちゃたまらないよ。このあいだみたいにね。」
「あれは…、仕方がなくって…。」
「仕方なく、でそんな物騒なものを簡単に開放するのはやめてくれないか。」
「…うん…ごめんね。」
少しだけファロンが声のトーンを落として言うと、今度は逆にルックが心配そうに眉を顰める。
「わかってればいいよ。…君は少し無茶をするから。」
「…心配?」
「そういうわけじゃない。」
上目遣いにファロンが尋ねるとルックは照れたように、少しだけ頬を赤らめてふいっと横を向いてしまう。
「…無茶をするな、と言っている。…ファロンはそれで自分自身を追い込むんだ。…もし君が倒れでもしたらいろいろと面倒が増えてわずらわしくなる。」
「…大丈夫だよ。…今回は私の戦いではないからね。…心配してくれてありがとう。」
にこ、と微笑んでルックに礼を言うと、彼はまだ照れているのかそっぽを向いたまま、慌てて他の話題を切り出した。
「…ファロン、トランにはいつ戻ってくるつもりなんだい?」
「…もう戻ってるよ?」
急に何を言い出すんだとばかりにファロンが首を傾げて考えると。
「そういう意味じゃない。いつ君がトランの指導者になるか、ってことだよ。」
ルックが少々あきれた様子で不思議そうな顔をしているファロンに言うと、彼の真意を理解したファロンは少し眉を顰め、明らかに嫌そうな表情を浮かべた。
「…ルック。…私は…。」
ルックはいいにくそうに切り出すファロンの言葉を聴きたくないとばかりにさえぎって、少しだけいらいらしたような口調で返す。
「…君がトラン解放軍のリーダーなんだ。本来は君がトランを治めるべきなのにどうしてそうしない?君は何のために戦ったんだ?宿星たちはレパントの元に集ったのではない、君の元に集ったんだ。それなのに、君がいつまでもふらふらしているのは…。」
「ストップ。」
ファロンは言い募るルックに軽く右手を上げて冷たく言い、言葉が切れたのを確認してから口を開く。
「私は別に政治家になりたいわけじゃない。…レパントの統治はさほど不満も出ずに、うまく行っている。それなら私がでる幕じゃないだろう。」
「…でも君は…。」
「確かに、リーダーだった。でも戦いのリーダーが政治に向くとは限らない。私の持つこのソウルイーターが国にとってどのような作用を及ぼすか、ルックにだってわかるだろう?」
そういわれてルックは黙るしかなく。
「まだ、ダメなんだ。…完全には制御できない。…でもね、そのうちになんとかするよ。」
不満の残る彼をなだめるように、ファロンはそう言ってルックの顔を覗きこむ。
「制御できたら、トランに戻るのか?」
「…それはわからない。…でも、戻ったとしても政治家にはならないよ。向いていない。」
「あれだけ苦しんで戦ったのに、それでも?」
ルックの問いにファロンは力強くうなづいて。
「それでも。…あのときの苦しみなんて、生きているからこそ、だ。」
ファロンの答えにルックは呆れた顔をする。
「…それってさ、あのオデッサとかいう、死んだ人のことを言ってる?…っていうかさ、そこまで、あの青いのが大事?」
ルックの問いには返事をせず、ただ苦笑しているだけで。
「さぁ、そろそろ朝食にしようっと。…ルックも行かない?」
不自然なほどに明るい声が、言外にそうだと物語っていて、ルックは酷く悔しい気分になる。
「行かない。」
「じゃあ、また、ね?」
そう言ってファロンは跳ねるように階段を登り、サロンへと向かっていく。
その後姿を見送ったルックはため息をひとつ吐いて。
「やっぱり…だめか…。」
呟いてから、また顔を上げ、石板の前に立った。
|