招待〜8〜

 

 

「それでは、お気をつけて。」
「うん、行って来る。戻りはおそらく夜になると思うから。」
「わかりました。」
昼過ぎ、ビッキーの前でデュナン軍の正軍師であるシュウとシェイがそんな会話を交わしている。シェイと一緒にいるのはフリック、ビクトールと、リドリー、ジェス、それからクラウスという面々だった。
これから彼らはティント市との正式な同盟の調印に向かうのである。これが成ればデュナン軍は元の都市同盟に匹敵する力を持つようになり、兵の数も格段に増えてハイランドとも対等に戦うことも可能になる。デュナン軍にとって大きな一歩ともなる同盟だ。
ファロンはシェイだけでなくフリックやビクトールなどの見送りも兼ねてホールにやってきていた。
「それから、ファロン。」
急にシェイから声をかけられてファロンが真ん丸い目で顔を上げ、シェイを見る。
「僕のいない間に帰ったりしないでね。…そうだ、誰かファロンについていて。」
「子供じゃないんだから…。」
そう言いかけた彼女の後ろで、はい、と声がする。
「俺でよろしければ…お供いたします。」
そう申し出たのは、元マチルダ騎士団青騎士団長マイクロトフだった。
彼の申し出はファロンだけでなく、他の人間も驚かせるのに充分だったらしくて、彼の相棒なんて普段の涼やかな王子様然とした笑顔はどこへやら、目をかっきりと見開いて相棒の言葉を信じられないような顔で見つめていた。
「よろしいでしょうか、ファロン殿。」
真面目な彼の真剣な視線に釣られてつい、こくこくと頷くと、その様子にシェイも少し安心したようで、にこ、と笑顔を浮かべた。シェイの後ろではフリックも安心したような表情でいる。
その様子からこのマイクロトフという少々無骨な人間がかなり信頼されてることが推測できる。
「じゃあ、マイクロトフ、頼んだよ。」
シェイの言葉にマイクロトフは堅苦しく彼らしく真面目に即答した。
「はい、命に代えても。」
「そんな大げさな。」
シェイはそう言って笑いながらビッキーに声をかける。ほどなく彼らはティントに向けて旅立っていった…と思われた。ビッキーはたまに失敗するから不安が残るが、あ、と失敗したような声もあげていなかったから向こうについたのだろう。
シェイ達が行った事でそこらに集まっていた者達がそれぞれに散っていく。正軍師殿はファロンの横を通り過ぎるときに、ふ、と短い笑いを浮かべ、自分の居室に戻るべくエレベータに乗り込んだ。
それらの人々を見送って、ホールにほとんど人気がなくなった頃、堅苦しい声が降って来た。
「ファロン殿、それではどこへ参りましょうか。どこへなりともお供いたします!」
真面目な顔でそう言った彼、マイクロトフに多少面食らいながらも午後をどうするか考え始めた。
時間を潰すのは嫌いじゃないが、誰かが一緒というのは至極辛い。自分が好きなことが相手もそうだとは限らないからである。
「…別に…一人でも構わないのですが。」
「そういうわけには参りません。シェイ殿からお預かりしたのですから。」
そういう彼は意地でも側にいるぞといっているようなもので、ファロンは彼に知られぬようにため息をつきながらシェイに案内してもらった城の中の施設を思い出し始めた。
生真面目なマイクロトフのことだから道場とか言うと喜んで稽古を始めるのだろう。体を動かすのは悪くはないが、今日も朝の稽古をしたばかりでもう充分、あとはのんびりとしていたい。劇場も悪くはないが昨日、クライブと一緒にコボルトダンスを見てしまったから、他の演目に交代するまで待ちたいところであるし、ヤム・クーの釣りも昨日堪能したばかりである。そういえば崖のぼりでいい商品があると聞いたのでチャレンジしてみたいが、間違っても彼がそういうことをするようには見えない。言えば付き合うだろうが、そのようなことをさせるには立場上も性格上も少々気の毒である。
その他の施設で時間が一番潰せそうなところを考え付いて口にする。
「では図書室へ。」
「はい。」
マイクロトフは元気良く返事をすると従者よろしく、ファロンのあとをついてくる。
「読書はお好きですか?」
楽しそうに尋ねられて昔を思い出すように少し上を見ながら答える。
「しばらく旅に出ていたので読んでいなかったけれど、好きです。」
「そうですか。俺も本は好きです。」
嬉しそうに返事をする彼はまさに犬、そのもので、主人に忠実な大型犬を想像させる。なんとなく微笑ましくてファロンが小さく笑うと、今度は興味深々といった顔でさらに尋ねてくる。
「どんな本を読むのですか?」
「何でも。昔は兵法書なども読まされたけれど、普通の小説の方が好きですね。」
「兵法書なんて…勉強家なんですね。」
「読まされてた、んです。あんまり頭には入ってません。」
すると、マイクロトフもおかしそうに笑って頷く。
「実は俺も、です。…ちゃんと勉強をしなければと思ったのですが…なかなか難しいです。」
元青騎士団の団長だけあってかなり真面目で責任感もあるのだろう。部下の命を預かる以上、戦術に長けていなければ実際の戦いでは大事な部下を失ってしまう局面も出てくるに違いない。そういったことを踏まえて自ら勉強するなど見上げたものである。
おそらく普段の言動どおり、真面目な人間なのであろう。
「他には、何か?」
今度はファロンが尋ねると、彼は少し考えながら有名な文学作品をいくつか上げた。そのどれもが真面目な、堅いテーマであることが彼の人間性をよく物語っている。
図書館に着くと、ここのところ本から離れた生活を送っていたために何を読んでいいか分からず、ファロンは何かオススメを聞こうとそのまま司書を務めるエミリアの所へ向かう。
図書館の一番奥の、テンプルトンが作業所にしているところに彼女の姿を見つけた。
「こんにちは。」
挨拶をすると彼女はすぐにファロンに気づいて、嬉しそうに歩み寄ってくる。
「ファロンさん、まぁ、早速おいでくださって嬉しいですわ。」
「えーと、何かオススメの本があれば教えてもらいたいなと思って。」
その言葉に彼女は嬉々とした様子で、すぐ側のデスクにあった本を手にとって見せる。
「恋愛小説はお好き?」
不意に尋ねられてファロンはしばし考え込む。
「嫌いじゃないですが…。」
「それなら、これを。」
嬉々として彼女が出したのは麗しい美女と雄雄しい騎士の表紙の本だった。
「帝国の愛〜その光と影〜という本で、ミルイヒ・オッペンハイマーという方が書いたんですの。」
その名前にファロンは驚愕した。
「あら。そういえば、ミルイヒさんは元赤月帝国の将軍でしたわね。ご存知ですのね?」
「ご存知どころか…いやというほど…知ってる。」
小さい頃から家が近かったせいもあり、父の同僚だったせいもあってしょっちゅう会っていた。グレミオの一件で一時は彼のほうがファロンの前に姿を見せないようにしていた節もあったが、グレミオが復活してからというもの、カシム将軍達同様、勝手に父代わりを買って出て、ああでもない、こうでもないとお節介を焼こうとしている。
そういえば、ミルイヒ将軍は共和国建国後、将軍職を辞し、亡きバルバロッサ皇帝とウィンディの墓所を護っているという話をつい先日ソニアから聞かされたのだった。
その彼が小説を書くなんて思いもしなかった。
もっとも彼は小難しい話が好きだったし、教養もあったから、そうだとしても不思議はない。
「まあ!ミルイヒさんと親しいのですか!?」
嬉しそうに尋ねられ、ファロンはこくんとうなづいた。
「解放戦争で力になってもらったし…もともと私の父の同僚でもあるので。」
その言葉に彼女の顔がぱっと輝く。
「ファロンさんっ!ミルイヒさんと会うことがありますかっ!?」
「…たぶん…そのうちに…。」
少し腰がひけているファロンの様子には一向に構わずに、エミリアはずずいとファロンに詰め寄った。
「まぁ、なんて羨ましい…。ファロンさん、無理にとはいいません、もし次に会うとき、よろしければミルイヒさんのサインを貰ってくださいませんか?」
「サイン…?」
「お願いします!!!」
熱の篭もった口調で迫られて否とはいえない状況になる。
「ええ、わかりました。」
「ありがとうございますっ!…これ、持って行かれますか?」
そういって嬉々として差し出した彼女のオススメの本はおそらく、バルバロッサ皇帝とウィンディの話に違いなく、さすがに自分が倒した人間の話を読む気にもなれず、ファロンは申し訳なさそうに遠慮し、他の本を諦めてまた今度といって大人しく図書室から出て行った。
彼女はどうやらミルイヒのファンらしく、彼女のオススメというとおそらくミルイヒの本しか出てこないような気がしたからだった。
埃くさい図書室から外に出ると日が少しだけ傾いている。
そろそろ小腹も空いてきた。
「そろそろ、お茶にしませんか?」
「は、お供いたします、ファロン殿。」
畏まって答える彼にファロンはゆっくりと首を振る。
「ファロン、でいいです。年下だし。」
「しかし、ファロン殿…。」
困惑した表情のマイクロトフに、ファロンは悪戯っぽく笑ってさらに畳み掛ける。
「ファロン。…そう呼べないのなら帰ります。」
「そ、それは…。」
生真面目なマイクロトフはさらに困惑を深くして、まるで冷や汗でも流しそうだ。
「新しいお友達ができて嬉しいんです。だから、敬称をつけず、呼んで下さい。」
ね?とばかりに、小首を傾げて上目遣いで見れば、マイクロトフの顔が一瞬にして朱に染まる。返事もできなくなった彼に、もう一度、ね?とお願いすれば、マイクロトフにはすでに抗う術はなく。
「では、ファロンど…いや、ファロンも、俺のことはマイクと呼んで下さい。」
「マイク、ね?わかった。」
にこ、と微笑むと彼も嬉しそうに笑う。そういえば彼が笑ったのは初めてかもしれない。元青騎士団長という立場上、普段、いかつい顔をしていることが多いのは仕方がないが、笑うと割に可愛くなるんだとファロンはぼんやり考えながら歩いていた。


城内を移動してサロンにつくと、そこには何人かの人がいる。
「おーい。こっち、オーダーを頼む。チーズケーキ3個と紅茶だ。」
席について何にするかメニューを覗き込んでいると、奥の方の席から聞こえた声にはっとして、後ろを振り返る。やはりそこには少し老けたものの、見知った顔があった。
「おじさま!!」
叫ぶようにして呼ぶと、彼はこちらを見て、すぐに驚いたように目を見開き、こっちの席に移ってくる。
「ファロン!?ファロンじゃないか!!…なんだってここに…!?」
「…ちょっとした縁で。…3日前からここに招待されてるんだ。…おじさまは?」
「俺もちょっとした縁で力を貸しているんだが…。そうか、昨日までティントにいたから知らなかったな。」
赤月帝国の六将軍として彼が名を馳せたのは継承戦争のとき。
それが終わると、いずこともなく去ってしまったのだが、またこの地方に戻ってきて、しかもデュナン軍に加わっているなど思いもしなかった。
そう言ってからふと思い出したようにゲオルグはファロンに質問をする。
「おまえ…行方不明だったんじゃあ…?」
「久しぶりにこの地方に戻ってきたんだ。…しばらく旅をしていてね。」
旅、という言葉でゲオルグはああ、と納得したようにうなづく。
「そうか。…で、少しは気持ちの整理ができたのか?」
尋ねられて、ファロンは苦笑して首を振る。
「なかなか、ね。」
「まだ若いからな。仕方あるまい。」
そう言ってから笑って運ばれてきたチーズケーキに手をつける。
その姿を見ながら、そういえば昔から甘いものが好きだったことを思い出した。今もそれは変わってないのを微笑ましく思いながら今度は彼の話を聞くことにした。
「おじさまは?あれから?」
「ああ、相変わらずの気ままな旅暮らしだ。」
にこ、と笑う顔にファロンも嬉しそうに破顔する。
後ろではマイクロトフが交わされる会話の意味を図りかねたようで、首を傾げ、二人の会話を聞いているだけで、その様子をみたゲオルグはさも可笑しそうに笑って尋ねる。
「今日はどうした?でかいのを引き連れて。」
「でかいのって…。」
ファロンは苦笑してからマイクロトフを見て肩を竦める。
「シェイが、私がいなくならないように見張りと話相手を頼んだんだ。」
「なるほど。」
「ゲオルグ殿は…確かファロンの父上の戦友でしたね?」
尋ねるマイクロトフにゲオルグはにぃっと笑って答える。
「それだけじゃないぞ。俺はファロンの旦那になるって約束だったな。」
その言葉にマイクロトフは目を丸くした。
「あ、なってくれるんだ?」
「俺はかまわんがな。」
「ファロン殿…。」
困惑しきったマイクロトフの声にファロンが苦笑して頷いて、それからマイクロトフに説明を始める。
「「また『殿』ついてるよ。……昔の話なんだ。よくうちに遊びに来ていて、私、おじさまにお嫁さんになるって言ったことがあったのよ。」
そこまで聞いてようやく安心したのか、強張ったマイクロトフの顔も少しだけ戻る。
「で、お守りは元気か?」
「今頃厨房で料理している。」
「ははははは、相変わらずだな。」
「でしょう?もう、普段は側を離れませんなんて平気で言う癖に。」
ファロンの笑顔にゲオルグも安心したように顔を綻ばせた。
「まぁ、元気そうで何よりだ。…ところで、冗談抜きで旦那はみつかったかい?」
「難しいよ。だってこの外見だし。」
そう言ってファロンは自分の頬をちょんちょんと指差した。
ソウルイーターを宿したときからファロンの外見年齢は止まってしまっている。15歳の女の子を娶ろうとする人間がいったい何人いるものだろう。
「ははは。まぁ、それは仕方がないな。」
「それに跡取りなんて、必要ないのかもしれないし。」
急に沈んだ声になったファロンにゲオルグはおや、とばかりに首をかしげた。
この先、嫌になるほど長い生がファロンを待っている。テッドは300年を生き、昨日、シェイとの一騎打ちを止めに入ったシエラにいたっては800年もの長きを生きている。跡取りのほうが先に死ぬことだって当たり前のようにあるだろう。
「なるほどな。…では、おまえは何のために生きる?」
「わかんないよ。…まだコレをついでから3年。実際の年齢だってまだ20年だ。そんな人生の深い問題なんかわかるわけがない。」
ファロンはそう言ってから肩を竦める。
「まぁいいさ。答えはゆっくり出すといい。…ただ、ファロン、コレだけは忘れるな。」
ゲオルグは急に真剣な顔をする。
「…テオはおまえの幸せを願っていた。どんな形でもいい、ファロンが自信をもって幸せだと言えるようになって欲しいと、そう願っていた。だから、おまえは幸せにならなければいけない。」
見つめるファロンにゲオルグは先ほどまでの真剣な表情とは打って変わって、に、と笑ってぽんぽんとファロンの頭を叩く。
「ま、時間はたっぷりあるんだ。ゆっくりと答えを探せばいいさ。」
そうしてあっという間にチーズケーキを平らげてサロンから出て行ってしまった。
「…ゲオルグ殿は…本当に心配なさっているんですね。」
マイクロトフはゲオルグの後ろ姿を見送ったあと、感心したように頷いた。
ティント奪還後に仲間に加わったゲオルグは、デュナン軍の中では新参者の部類に入るけれど、その腕の確かさと気取らない人格から皆に一目置かれている。無論、マイクロトフだって彼を尊敬している一人であるから、そのゲオルグがファロンに対して特別に気にかけているということがさらにファロンの存在感を際立たせる。
「まぁね。…あれでも父とは一番仲が良かったから。」
「テオ将軍…ですね。」
「父のことを褒めるなどと身内びいきで可笑しいだろうけど、…父は将軍たち全員と仲が良くってね。今でもみんな父の子供である私を心配しているんだ。」
遠い昔を懐かしむようなファロンの表情に、マイクロトフは少しだけ胸に痛みを覚えた。
「それはファロン殿がトランの英雄だから、でしょう?」
「また、『殿』ついてる。」
再度の注意にマイクロトフはあ、と声をあげ謝るとファロンは苦笑しながら話を続ける。
「それもあるかもしれないけれど…。どちらかというと将軍たちはみんなテオの娘だから、という気持ちの方が大きいみたい。…トランに戻ってからというもの、父の友人や部下たちが毎日押しかけて、人のことを子ども扱いして、本当に閉口したよ。」
肩を竦めるファロンに、マイクロトフは苦笑して、それでもやはり彼女はそれが嬉しくもあり、悲しくもあるのだということが、人の気持ちに少々疎い彼にしては珍しく感じ取れた。
「…ま、でもそっちのほうが等身大の自分なのかもしれないな。みんなに比べれば確かにまだ若いから。」
紅茶で喉を潤してそう呟いたファロンにマイクロトフは首を傾げる。
「英雄は、性に合いませんか?」
「ただの子供だし。」
「子供、ですか。」
マイクロトフはファロンの言葉を反芻するように呟いて、それからちょっとだけ考え込んで、何かを思いついたように明るい笑顔を見せる。
「わかりました。じゃあ、おれはこれからファロンど…いや、ファロンを普通の子供のつもりで接します。」
真剣な瞳で突如としてそんな宣言をした彼にファロンは少し驚いたように目を見開いて、それからゆっくりと微笑んで嬉しそうに頷いた。
「ありがとう。マイク。」
「い、いえ、お礼なんて。」
照れくさそうに頭を掻くマイクロトフに、ファロンは少しだけ可笑しくてつい小さな声をたてて笑った。
「じゃあさ、悪いけど崖のぼり、つきあってよ。…欲しいものがあるんだ。」
「が、崖のぼり…ですか?」
たじろぐマイクロトフにファロンは笑いかけて。
「うん。あ、マイクは見てるだけでいいからさ。普通の子供だからさー、そういうこと好きなんだ。…ほら、行くよ。」
ファロンはそういうと洗濯場へと嬉々として足を向けた。

                                                

END

 

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