招待〜7〜

 

 

早朝にファロンを含めた一行はビッキーのテレポートでラダトまでいき、水門を通ってビクトールが本拠地としていた砦へ向かって歩き始めた。
それは昨日の朝稽古を見たハイランド方のスパイが伝令を飛ばしていて、デュナン軍に加勢するといったファロン・マクドールが実際に本物であるか確認の部隊が出るころだろうと予想しての行動だった。
ファロン・マクドールといえばトラン共和国建国の立役者。近隣諸国では既に伝説となりつつある戦いの女神。その鬼神さながらの強さと、並みの軍師よりも遥かに回る頭脳、そして仲間どころか敵将にも礼を尽くして遇する態度は一般庶民の喝采を得るには充分で、その彼女がデュナン側に回ったとなればハイランド国民の不安は一層煽られる。
ただでさえ皇王が続けて亡くなり、戦局も予断を許さない状況であるから、これ以上の不安は世情の混乱を招き、ひいてはハイランド王国の自滅にも繋がりかねない話なのだ。だからハイランド側は多少の危険を冒してでも本物かどうか確認しなければならないというのを見越したシュウの指示である。
そのためにラダトではわざとトランの英雄であることを隠さずに、むしろ見ない顔だと町の人に言われたら、あのトランの英雄だというふうにビクトールが触れて回る。そばにビクトールとフリックという、門の紋章戦争で一番ファロンの信頼を受けていた二人が同行し、またデュナン軍の軍主であるシェイと、元マチルダの両騎士団長が恭しく同行していることもその話が本物であることを示すには充分のメンバーである。
これから昔の砦の辺りまで偵察に行くということも隠さずに、ラダトの水門を渡り今はハイランド占領下にある土地に足を伸ばす。
ファロンにとってはつい先日、ここを通ったばかりで、あの時、砦のあまりにも酷い惨状にフリックが本当に無事でいるか心配になったほどだったのを思い出す。
だけど、当の本人はさすがに名の知れた戦士だけあり、大した傷ひとつ負わず、今、こうして一緒に元の砦に向かって歩いている。
「どんな人が偵察にくるんだろう。」
ファロンの呟きにクラウスが小首を傾げ、次いで予想ですがと前置きをしてから指揮官の名前をあげる。
「実際に確認に出るのは一兵卒でしょうが、それを率いてくる将となれば、おそらくクルガンとシードあたりでしょう。」
落ち着いた口調で、クラウスは返事をする。シュウがパーティーにクラウスをつけたのはかつてハイランド軍に在籍していたから派遣された偵察隊の実力を見極めることができることと、予想外の展開になってもうまく切り抜ける策を弄することができるからだった。
このことからシュウがいかにクラウスを買っているかがよくわかる。
「クルガンとシードっていうと、ジョウイの腹心の部下だな。」
フリックの言葉にファロンはふうんと曖昧な返事をしてからもう一度クラウスを見る。
「どんな人?」
「クルガンは冷静沈着、剣もなかなかの使い手で、なおかつ雷系の魔法の使い手でもあります。なかなかの知将ですよ。」
「なるほど。…もう一人は?」
「シードの剣技はかなりのものです。クルガンが知将ならシードは猛将といったところでしょうか。炎系の魔法が得意でクルガン同様、侮れない人物です。」
「ふぅん。…アレンとグレンシールみたいなものか…。」
ファロンの呟きにマイクロトフ、カミュー、クラウスは首を傾げ、シェイは宮殿で聞いた噂話を思い出し、ビクトールとフリックはなるほどとうなづいた。
「そういわれれば、そうだな。ちょうどそんな感じだ。」
ビクトールの返事にマイクロトフが眉を寄せながら尋ねてきた。
「どなたですか?」
「トラン共和国の首都警備隊の右将軍と左将軍だよ。アレンは直情タイプで炎の魔法を使うし、グレンシールは冷静で雷の魔法を使う。似ているだろう?」
ファロンの答えにマイクロトフはなるほどと納得する。
「で、その二人、どうなの?誰か手合わせしたことは?」
「集団戦闘で手合わせしたことはあるけどな。なかなか手ごわい。」
ビクトールの言葉にふぅんとファロンが返事をする。
「ビクトールがそういうんだったら、かなりな手練なんだろうね。」
ビクトール自身、かなりの使い手であるのに、その彼がそう評価するのなら随分のものなのだろう。
そんな話をしながらさらに歩を進め、砦の手前の草原までやってきた。
斥候隊、といいながらフリックとビクトールが林に分け入り、かつて自分たちの居住していた砦へ様子を見に行くと、丁度そこから6人編成のパーティーがひとつ出てきたところで、その中には確かにクラウスの言うとおり、あのクルガンとシードの姿も見て取れた。
林の中の近道を駆け、二人は慌ててファロンたちのところに戻り、やはりあの二人であったことを報告するとシェイはクラウスに出方を仰ぐ。
「おそらく、斥候兵をデュナン軍に潜伏させるつもりでしょうが…まぁ、丁度いい機会です。ここで派手にやっておきましょうか。」
にこ、と温和な笑顔を崩さずにクラウスは物騒なことを言ってのける。
虫も殺さないような優男に見えるのに、こういうところがさすがにシュウの片腕だけあるとひっそりと元マチルダの二人組みは嘆息した。
「やり方は、そうですね、ファロン殿にお任せしましょう。」
微笑むクラウスにファロンも微笑して頷いた。
「あ。見えた、あれだ!」
シェイが先の方に見える林の出口に6人ほどの男たちが歩いてくるのを見つけて声をあげる。その集団は少しづつ近づいて、やがてお互いの顔がはっきり見えるところまで来て立ち止まった。
「誰かと思えば、クラウスじゃないか。」
にやにやと赤毛の男が笑う。
「久しぶりですね、シードにクルガン。」
クラウスはそれでも平静さを失わず、いつもと同様に微笑んで答える。
「ああ、久しぶりだ。…元気そうで何よりだな。」
銀髪の男も少しも表情を崩さない。
「ええ。おかげさまで、無事にやっています。」
クラウスの答えにクルガンは少しだけ眉を動かした。
「今日は一体何の用だ?…ミューズの傭兵隊長と青雷、マチルダの騎士団長…それに、わざわざデュナン軍の軍主殿まで…。……?もう一人は見ない顔だな?」
シードの言葉にクラウスは微笑んだまま小さく頷く。
「二人に紹介しようと思ってわざわざここまで足を運んだのですよ。…こちらは、トラン共和国からいらしたファロン・マクドール殿。訳あってデュナン軍にお力添えいただくことになりました。」
クラウスの言葉にシードの表情が一瞬強張る。
「ファロン・マクドールです。以後、お見知りおきを。」
ファロンも微笑んだまま軽く会釈をすると、クルガンのみがそれに答える。
「…なるほど。噂には聞いておりましたが。本当にお若い。」
クルガンは落ち着いたまま、そう切り返す。
「紋章を継いだのは15歳のときでしたから。…それ以来、肉体的には加齢することがないのです。」
「しかし、本当にあなたがファロン殿である、という証拠もここにはありません。デュナン軍が勝手にファロン殿の名前を利用している、とも考えられる。」
クルガンの言葉にファロンはくす、と小さく笑う。
「それでは、試してみますか?」
そう言って棍を構えると、それに呼応するようにシードも剣を構えた。
「面白い。やってやろうじゃないか。」
そういうシードの表情はとても嬉しそうで、昔と全然変わっていないのだとクラウスは密かに苦笑した。もっとも自分がデュナン軍に下ってからそうそう長い時間も経ってないので当たり前ではあるが。
「では、どうぞ。お一人でもお二人でも、そちら全員でも私は一向に構いません。」
ファロンの言葉にシードがむっとした表情になる。
「ふん。おまえごとき、俺一人で充分だ。」
「それは大変失礼を。…では。」
ファロンは丁度二つのパーティーの真ん中にある草原へと進み出る。同じようにして向こうからもシードが進み出た。
確かに、その剣の構えといい、込められた殺気といい、かなりの使い手であることは間違いない。それでも。
ファロンはひらり、と前に躍り出てまずは小手調べにと突きを繰り出すと、剣でそれは弾かれた。弾いたその力があまりにも強いのでファロンはこの細身のどこからそんな力が出るのかと一瞬驚く。ビクトールみたいに筋骨隆々と言うタイプではないのに、出る力はかなりもの。
今度はシードがその力でファロンに切りかかってくるが、ファロンはそれをくるりと回って避けて、傷ひとつ負うこともない。
互いに打ち込みあいながらも決定打をあびせられない状況に先に焦れたのはシードのほうで、直接攻撃がダメだとわかると、次に紋章攻撃をしようとする。
そのあいだに、とファロンはしたたかにシードを打ち据えたが、詠唱を終えたシードの炎の攻撃を受ける。
「…熱い。」
もともとのレベルが高いファロンは当然のことながら魔法防御も高く、酷い怪我は負わずに、そのままもう一度シードに襲い掛かった。
紋章攻撃がさほど効かなかったと言う事に一瞬呆然としてしまったシードは避けるのが遅れ、再びしたたかに打ち付けられる。
「さて。そろそろ本気で行きましょうか?」
ファロンはに、と笑って棍を構えなおすと打たれたところを抑えて痛みをこらえているシードに再び襲い掛かった。
「ぐっ…!!」
棍がシードの避ける先を予測しているように、動く先に振り下ろされ、そのたびに鈍い音が響く。
防戦一方になったシードはそれでもなんとか反撃の機会を得ようと打ち据えられながらもファロンを動きをしっかりとみていたが、やがて。
ばちばちっという電気の弾ける音にファロンが包まれる。
見ると、シードの一方的な防御を見るに見かねたらしいクルガンが雷の紋章を使ったのだった。
「効かない。」
くくっとファロンが喉の奥で笑う。昨日の朝の訓練のときから雷のアミュレットを装備したままだったので傷はわずかで済んでしまい、今度はクルガンの前にざ、と立ちはだかった。
「二人いっぺんでも構わなかったのに。」
ちゃ、とファロンは棍を構えなおし、クルガンに向かって即攻撃に入れるように身構えた。
「まだやりますか?…ハイランドでも有数の使い手の彼が、防戦一方になるほどの腕の女がそうそういるとは思えないでしょう?」
汗ひとつさえかいていないファロン、対するシードはぜいぜいと息をしながらまだ片膝を地面についたままで。
「シード、もういい。…なるほど、充分にあなたの強さ、見せていただきました。」
クルガンの言葉にファロンは構えていた棍をおろす。
「いずれ、またどこかでお会いするかもしれません。…そのときには今日の借りは必ずお返しいたします。」
「最近どうも忘れっぽくて。…覚えてるかどうか保証できません。」
そういいながらファロンはにこ、と笑う。
「とりあえず、今日はご挨拶まで。レオンにも、よろしく伝えておいてください。」
ファロンの言葉にクルガンが苦笑して頷いた。
「…それから。」
そう言葉を繋げて、おそらく立つ気力さえなかったであろうシードの前にファロンがつ、と進み出た。
「なんの…ようだ…。」
荒い息の下から睨みつけるシードに、ファロンはにっこりと微笑んでそのまま流水の紋章を使って彼のダメージを全回復させる。
「シード…さんでしたっけ?…これで大丈夫ですか…?」
ファロンの言葉に思わずシードはこくこくとうなづいた。まさか敵方の人間に回復されるとは思っても見なかったようで、呆けた顔で目の前に立つファロンを見つめている。
「良かった。…すいません、少々自制がきかなかったみたいです。」
にこ、と笑った顔にシードは驚いて、口ごもった。
自分は今までいくつもの戦場を戦いぬけ、名だたる勇猛なものたちと剣をあわせてきた。それなのに、その相手が自分に笑いかけてきたのは本当にはじめての経験だったのだ。
「…それでは、失礼します。」
そう言ってファロンは一礼をすると、踵を返してみんなの待つところまで戻っていく。その後姿にさえスキはまったくない。
「…クラウス。」
その間にクルガンが旧友であるクラウスに声をかけた。
「…なんでしょう?」
穏やかな微笑を湛えたまま、小首を傾げてクルガンの言葉の続きを待つ。
「後悔は…していないのか?」
その言葉にくすりとクラウスは笑ってから口を開く。
「あなたも私も、選んだ道は同じです。…あなただって後悔はしていないでしょう?」
穏やかな口調にクルガンはふむ、と頷いてそうして笑う。
「そうだな。………今度会うのは…戦場だな。」
「そうですね。そのときには、存分に戦わせていただきます。」
「ああ。」
そうしてクルガンはパーティーを引き連れてもとの砦のほうに戻っていく。
その後姿を林の木立が隠すまで見送ったあと、シェイたちは瞬きの手鏡でシーアン城へと帰還した。


その晩、ファロンは一人で少し遅い夕食をとっていた。
あの後、シェイはフリックたちを連れたままトゥーリバーへマカイ全権大使と会見に出向いてしまい、ファロン一人、暇になったために昔馴染みのヤム・クーの釣堀でのんびり日没まで釣りを楽しんでいたのだ。おかげでサロンは人も少なく、しかも時間が少し遅いせいもあってファロンが夕食をとる時刻には独りになってしまっていた。
「おや。ファロン殿、今頃夕食ですか?」
不意に頭上から声をかけられてファロンが驚いて仰ぎ見ると、そこには美貌の軍師シュウと副軍師で彼の片腕であるクラウスが揃っている。
「さっきまでヤム・クーと釣りしていて…。」
「釣り、ですか。そういえば、バナーでも釣りを楽しんでいらっしゃったとか。」
クラウスの答えにファロンが笑いながら頷く。
「それぐらいしかすることがないところだったので。…もともと嫌いじゃないほうだし。」
「で、本日の釣果の方は?」
「ぼちぼち。…これとか、これ。」
そう言ってファロンが指差した彼女の前におかれた皿にはえびチリソースと焼き魚が乗っている。ファロンが本日の収穫を携えて厨房を訪れるとすっかりとアシスタントシェフとなっていたグレミオがそれを使って料理してくれたのだ。
「なかなかの腕前ですね。」
二人はファロンの向かいに座って夕食を注文する。
その様子をファロンは不思議そうに見つめていた。
「何か?」
自分たちをじっと見ているのに気がついたシュウがファロンに尋ねる。
「いや…えーと。」
ファロンが言ってよいものかどうか逡巡の色を浮かべたのをシュウはわずかな頷きで先を促した。
「…クラウスさんがこんな時間にキバ将軍ではなくあなたと一緒に揃って食事、というのは二人で何かを策定していた…しかもアップルはいない、となると、結構重要な案件があったんだなぁって思って。」
その言葉にクラウスは一瞬だけ目を見張り、ついで苦笑する。シュウといえば、いつもの表情を崩さない。
「さすがはトランの英雄、といったところだな。」
シュウの言葉にファロンは少しだけ肩を竦めてみせる。
「トランの英雄は比類なき才能の持ち主で、そこらの軍師などは足元にも及ばない頭脳を持ち、戦闘能力は一人で百人、千人の部隊にも匹敵すると。それでいて芸術を解し、作法も良くし、情も厚く、リーダーとしてこの上もなくすばらしい人間だった…。」
「マッシュの宣伝効果でしょ。建国がスムーズに行くようにって、誇大広告とも言えるような私の風評を流していたし。」
ファロンは困ったような顔をしてシュウに言う。
「いや。…案外本当のことなのかも知れぬ。未だ、門の紋章戦争を戦ったもの達はファロン殿に厚い忠誠を誓っているようだからな。」
「シェイにだって、そうでしょう?」
それ以上を継げない様にファロンが先回りしていうとシュウがにやりと笑う。
「なかなか食えない人だ。」
「お互い様。で、人のこと持ち上げて何が望み?」
「ふ。…わかっていましたか。」
シュウの言葉にファロンが頷くと同時に二人に夕食が運ばれてくる。配膳係の下がるのを待ってシュウはその内容をファロンに話し出した。
「シェイ殿のことなのだが、頂点に立つ人間としての自覚がいまひとつ足りないと思われるときがある。こればかりは私どもがどんなに諫めても本人の自覚の問題であるし、同じ立場になったことのある人間でなくてはわからないこともある。」
少々辛辣とも思える評価はおそらくシュウだからこそ。ファロンは苦笑しながらそれを聞いている。
「だから、私にシェイの相談相手になって欲しい、そういうところですか?」
「ありていにいえばそうだが、もっと突っ込んで、できれば先達として彼に苦言を呈していただく、といったこともお願いすることもある。」
「なるほどね。」
ファロンはくす、と笑ってからテーブルにあった冷めたお茶を飲む。
「その辺は、おそらくさほど遠くない未来に改善されると思うよ。…今日だって、ちゃんと軍主としてトゥーリバーへ会見なんて面倒な用件なのに大人しくお出かけしているでしょう?……彼にはちゃんと目標ができたから。」
「目標?」
不思議そうに首を傾げるクラウスを見てファロンは失礼ながらもなかなかに美々しい姿だと感心してしまう。
「ええ。今まではただみんなが自分を持ち上げているだけで、自分がどうして軍主なのか、どうして戦っているのかさえわかっていなかった。ただ、義父の名前だけで自分が軍主に選ばれただけだと、そう思っていた。だけど、彼にはある目標ができて、そのために自分のできる最大限をしようと努力している。それであなた方の言う不安が払拭されると私は見ているのだけど…どう?」
シュウは唇の端をわずかに上げて微笑んで、それで充分だと言外に返事をし、隣に座っているクラウスもほっとしたような表情を浮かべた。
この二人、案外いいコンビなのかもしれないとファロンはその二人の様子を見ながらちらりと頭の片隅で考えた。
「失礼ですが、その目標をファロン殿はご存知で?」
「ええ。でも、私が言うわけにはいかない。」
ファロンの厳しい返事が予想通りだったようで、シュウが眉を上げて苦笑する。
「だからシェイのことは心配しなくてもいい。…それよりも、もう少し心を砕くべきことがあると私には思えるのですが。」
ファロンは先ほどよりも真剣な表情でシュウに言うと、心当たりがないようで、シュウは少し難しい顔になる。
「それは?」
「…自分でお考え下さいな。…あ、と。コボルトダンスが始まっちゃう。」
ファロンは慌てて食器をまとめ始めた。
「クライブと約束してるの。…じゃあ。」
そう言ってファロンはサロンから急いで出て行った。


その日の深夜。
ファロンは酒場にいた。
コボルトダンスをクライブと一緒に楽しんだあと、部屋に帰ろうと歩いているところをキバ将軍に捕まり、酒場へと連れてこられすでに数時間。
キバ将軍はシュウの片腕として多忙な日々を送っている息子を案じつつも、ちょっとだけ暇で、その暇つぶしにファロンが選ばれたのだ。
無論、キバ将軍は昨日の朝の稽古を見てファロンを深く尊敬をしていたし、またファロンの父であるテオ・マクドールに関しても並々ならぬ尊敬の念を抱いていた。だからつい廊下を暇そうに歩いているファロンを見つけ、半ば強引に酒場に連れてきて話をするにいたったのだ。
「最後まで忠誠を貫いたテオ殿の態度、真に立派です。」
酒が入ってかなり大げさになっているものの、その評価には嘘がないらしいところはファロンにもよくわかる。
「自分の命をかけて主に忠誠を誓い、その主に死をもって提言をするなど武将の鏡です。」
そしてその父を死に追いやったのが自分である、とファロンは心の中でそっと呟いた。
「何よりもテオ殿のすばらしいところは、ファロン殿のような立派な跡継ぎに恵まれたことですな。」
はっはっはっ、と大きな声で笑ってぐびりと酒を煽る。
「それは…どうなんでしょうね。今頃、不肖の娘と思っているかもしれません。」
「いやいや、そんなことはないでしょう。」
キバ将軍のはっきりとした否定にファロンは不思議そうに首を傾げる。
「親は常に子供には自分を乗り越えて行って貰いたいもの。自分を倒すのが自分の子供であることは親にとっては望外の喜び。なんと言っても子供が自分を超える瞬間を知ることができる。特に我々のような戦の中に身をおくものとしては、なおさらです。」
予想外のキバ将軍の言葉にファロンは目を見張る。
「そう…でしょうか…?」
「そうですとも。」
にこにことキバ将軍は酒で赤くなった頭を何度も上下させる。
「だからテオ殿をたいへんに羨ましいと思っております。」
ファロンはキバの言葉に少しだけくすぐったい気持ちになる。
いままで父を殺してしまったという後悔の念が絶えずファロンを苛んでいたのに、少しだけ心が軽くなったような気がしたのだ。
「キバ将軍だって立派なご子息をお持ちでしょう?今日もご一緒させていただきましたが、なかなかどうして、切れ者で。」
「いやいや、まだまだ若輩者でして、シュウ殿に鍛えていただいている最中なのです。」
「私のような未熟者がこう申しては失礼ですが、なかなかに才があると思います。あのシュウ殿のお考えになったことを大した説明もなくすぐに読めるのですから。おそらく、このデュナン軍の中では唯一の存在でしょう?」
息子を褒められてキバ将軍はいよいよ上機嫌になり、真っ赤な顔のまま息子の自慢話を少しずつ始める。
「あれは小さい頃から体が弱くて、家で本ばかりを読んでおりました。その甲斐あってか、軍師としてはなかなかの才があるということがわかり、そういった学校に通わせたんですが…。」
そこからキバ将軍の息子自慢は留まることを知らず、延々と続き、やがて、キバ将軍は嬉しそうな寝顔を浮かべたまま眠りについてしまった。
「ふふふ、よっぽど嬉しかったんだねぇ。」
そう言って笑ったのは酒場の主人、レオナである。
「あんた、結構いい所あるじゃないか。…オヤジの自慢話に何時間も付き合うなんざさ。」
「暇だったし。」
「ふふふふ。」
レオナが意味深長な笑いを浮かべたところにクラウスがやってきた。
「父上。…ああ、また寝てしまったのですね?」
「ごめんね、ちょっと飲ませすぎたみたい。」
ファロンが謝るとクラウスはゆっくりと首を振って答える。
「いいえ。…きっと楽しかったんだと思います。…このような嬉しそうな寝顔、久しぶりに見ました。」
「それならいいんだけど。…部屋まで運ぶ?手伝います。」
その場で外せる防具を外してファロンが持ち、クラウスが他の人にお願いして父親を運んでもらう。さすがに細身のクラウスにはあの立派な体躯の父親を負ぶえるほどの力はない。
恥ずかしい話なんですがと、クラウスが本当に恥ずかしそうに言うのをファロンは首を振って答える。キバ将軍の体躯ならばビクトールよりも重そうだから無理はないだろう。
部屋まで二人がかりで半ば引きずるようにして運び込み、クラウスは手伝いの男に丁重な礼をして、彼が照れながら部屋を退出するのを見送ってから防具を片付けていたファロンを振り返る。
「…ファロン殿。」
「はい?」
「シュウ殿にもう少し心を砕くべきことがあるといったのは…私のことですか?」
「正解です。」
にこ、とファロンは笑顔を浮かべてベッド脇から立ち上がる。
「まだ少しだけ迷いがあるでしょう?」
「…鋭いですね。」
「私も、そうだったから。」
苦笑、ではなく、どちらかといえば寂しそうな笑顔にクラウスはああ、と納得する。
ファロンも自国に弓を引いたのだ。
「…自分の母国に弓を引くのはかなりの決意が必要です。…ましてや、ルカ・ブライトはもういない。それならばこの戦を止めてすぐにでもハイランドに戻りたい、そんな気持ちはありませんか?」
「ないといえば嘘になりますが…。しかし、私たち親子は切り捨てられたのですよ。」
穏やかに微笑んだままクラウスが告げる。その言葉の意味がわからずに、ファロンが首を傾げるのを見て、彼は部屋の中をゆっくりとベッドとは反対側においてあるサイドボードへと近寄る。
「私たち親子がこの軍にくることになった経緯をご存知ですか?」
「大体はシェイから聞いてます。」
「そうですか。」
クラウスはそう言ってサイドボードの中から何かを取り出した。
「よろしければ、少しお付き合い願えませんか?」
そういって振り向いたクラウスが掲げたのはワインのビン。ファロンが頷くとグラスを出してそれを注いだ。部屋の中には馥郁たる香りが漂って、それがかなり高価なものだということがすぐにわかる。
テーブルの反対側の椅子を勧められ、ファロンはそこに腰掛け、グラスを持つとクラウスとチンとグラスを合わせてから一口、ワインを口に含んだ。
口中をすぐに芳醇な香りと極上の味が満たす。
「私たち親子はわざとデュナン軍の真ん中に取り残されたのです。どうしてだと思いますか?」
それは決して難しい問いではなく、ファロンがどのあたりまで知っているかという確認のための問い。
「…おそらく…アガレス皇王への忠誠心が強すぎて使い辛かった。」
「その通りです。…父はアガレス皇王への絶対的な忠誠心を持っておりました。そのとき軍を率いていたルカ皇子に、ではありません。」
「むしろ、ルカ皇子のやり方には不満だった、違いますか?」
「その通りです。…ですから、わざと我々は負けるように仕向けられた。…でも、今になって思うのは、あれはジョウイ殿が我々を殺さないように、わざとああしたのではないかと思うのです。」
「…殺さないように?」
「ルカ皇子というのは恐ろしい人でした。失敗が続いた部下を平気で打ち首にするような。だから、反発していた父も黙っていれば遅かれ早かれ打ち首になるのは間違いなかった。それならば、いっそのこと放逐してしまえと考えたのではと今になって思います。」
「だから、わざと?」
「ええ。デュナン軍が捕虜の扱いに関しては良いほうであることはハイランド軍にはよく知られていることです。兵力が足りないせいもあるのでしょうが、極力殺さないで味方につけるというのはわかっていましたから、私たちを取り囲ませ、捉えさせ、デュナン軍に拾わせる。そういうつもりだったのではないでしょうか。」
「なるほど…レオンの考えそうなことだ。」
ファロンの言葉にクラウスはふ、と短く笑った。
「そうしておけば、あとで私たちが使えるかもしれません。だから、一度放逐しておいた、そう思うのです。」
「そうだろうな。」
「でも唯一の誤算は、ここが存外居心地のいいところだったことです。」
クラウスの言葉にファロンが笑う。
それはファロンも実感していることだった。
暖かい、家庭的な城。とても軍の本拠地には見えないような、子供が走り回り、洗濯物ははためき、喧騒が絶えず聞こえてくる。それはおそらく軍主であるシェイの人柄が反映されてのことだと思う。
あのオデッサ城で解放軍をまとめ、帝国を打ち倒すべく策を練り、兵を集め、日々戦々恐々としていた自分とは違い、あくまで日々の生活を中心に考え、ハイランド軍とのやり取りでさえなるべく城下には近づけないように、城下に住む一般の人々を巻き添えにしないように配慮がなされている。
「できれば、ハイランドに戻りたい。そう思うのも事実。ですが、やはりここの居心地のよさに惹かれているのも事実。」
「クラウスさんは、なんのために戦っているのですか?」
ファロンの質問にクラウスが穏やかに微笑んだ。
「クラウス、で結構ですよ。…そうですね、早く戦いを終わらせるために、です。それは時間的なものもあるし、物資的なものもある。何より、失う人命を最小限にとどめたい。そう思っております。」
「つまり、クラウスはデュナン軍についていたほうが早くかたがつく、そう考えているのですね?」
「ええ。たとえハイランド軍がこの地を占領したとしても人々の反感は根強く残り、反乱はこの先必ず起こるでしょう。…それよりもあるべきところに帰す。それが今後の犠牲者の数を減らすことにつながると思うのです。」
「随分先まで見ているんだね?」
「これでも軍師の端くれですから。」
にこ、と微笑む顔は柔和であるけれど強い意志を宿している。
「…そこまで決意していて迷っている理由は何?」
「…今日も会いましたが…戦友たちのことでしょうか。」
クラウスは物憂げにふ、と短いため息をつく。
「ええと、クルガンさんとシードさん…?」
「ええ。それだけではないのですが、昔ともに戦った仲間をどうにかして助けたい、そう思っているのです。」
クラウスの言葉にファロンがうん、と頷いた。
「私たち親子が無事にこうしてここにいられるのは彼らのおかげなんです。だから彼らもたとえハイランドが負けたとしても無事でいてほしい。だけど、シュウ殿の策には容赦はない。」
「なるほどね…。」
ファロンはうなづいて少し考え込む。戦力がハイランドを上回っているのならともかくも、今の状況では叩けるときに叩いておかないと後々の命取りになりかねない。容赦などしている余裕などあるはずがない。
「…それは…確かに難しいけれど…。」
ファロンは自宅でシェイに言ったことを思い出した。
そう、敵将であるジョウイを救うために戦うがいいと言い、今、シェイはそれを目標に戦うことを決意したのだ。
「でも、大丈夫です。シェイなら、うまくやるはずです。」
ファロンの言葉にクラウスがおや、という表情を見せる。
「気持ちは同じ、でしょう?シェイだってもとはハイランド王国の人間。完膚なきまでに叩きのめしたいわけじゃない。」
「そうであることを祈りますよ。」
クラウスはそう言って微笑んだ。
ファロンも微笑み返すとグラスの中のワインを飲み干して部屋に戻ろうと席を立つ。
「明日はティントとの協力条約の調印式です。またシェイ殿はお出かけで、護衛にフリック殿が選ばれていて退屈でしょうが…どうぞ、御寛ぎ下さい。」
「あー。…そうなんだ?…帰ろうかな…?」
「ダメですよ。シェイ殿が悲しまれます。」
「…それを言われると弱いんだけど…。」
ファロンは笑いながらドアのところまで歩く。
「また、お話させていただいてもよろしいでしょうか?」
クラウスの問いに元気良くファロンが頷いた。
「時間があればいつでも。」
そうしてファロンは自室へ戻る道を歩き始める。長くて暗い廊下には所々衛兵が立っていて侵入者がいないか逐一チェックをしている。それは以前にシェイの暗殺をもくろんだ人物が忍び込んでからより厳しくなったと聞いたことがあった。
「ファロン様ぁ。」
そんな静かな廊下を歩いていると、部屋に戻る直前にグレミオが厨房の方から小走りに名前を呼びながら戻ってきた。
「なんだか久しぶりに会うような気がするね。」
「そうですね。…今までどちらに?」
「いろんなとこ。劇場とか酒場とか。グレミオは?」
「私は厨房です。毎日、ハイ・ヨー殿に新しいレシピを教えてもらっているんですよ。」
「そうか。それは楽しみだね。…それより、グレミオ、何持ってるの?」
「あ、これですか?お夜食にと思って、サンドウィッチを。」
「わー、お腹すいてたんだ。食べていい?」
「ええ、どうぞ。」
部屋に入るが早いか、早速テーブルの上に包みが広げられ、ファロンの好きな卵サンドが中からいくつかでてきた。グレミオが紅茶を入れるあいだに待てなくてかぶりつくと食べなれた、だけどおいしい卵フィリングの味が口いっぱいに広がった。
「おいひい。」
「それはようございました。」
グレミオの笑顔に、ファロンはいつでもグレミオが自分のことを理解してくれたから楽であったことを実感する。
どうか、シェイにもクラウスにも、心安らかな日々が来るように。
ファロンは卵サンドを食べながら密かにそう祈っていた。

                                                

END

 

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