招待〜4〜

 

デュナン軍の朝は青騎士団の訓練から始まると言っても過言ではない。
団長の生来の生真面目な性格のせいか、訓練はかかさず行われ、昨夜遅くまでデュナン軍の若き軍主、シェイの誕生パーティで大騒ぎしていたとしても決して遅れることはない。きっちりびっしりと騎士団の服を着込んだ団長以下、青騎士団が一通りの訓練を終える頃にそのほかの者達の時間が動き出す。
昨夜のバカ騒ぎのせいで、若干他の者達の動き出す時間がいつもより遅かったが、それでもいつものシーアン城の朝の風景がそこにはあった。
「おはよう。」
定刻になるとサロンには次々と幹部連中が朝食を取りに集まってくる。
デュナン軍には見張りなどの事情がない限り必ず、朝は城にいる幹部全員が顔を揃えることというルールがあるからだった。
それは互いの顔を見てコミュニケーションを取ると言う目的もさることながら、そのまま朝食を兼ねた軍議になることもあるし、連絡事項の伝達になることもある。そういった全体の会議を最も設け易いのは朝で、それ以外の時間となるとそれぞれの仕事があり、なかなか全員が集まる時間を設けるのが難しいからだった。
これは正軍師であるシュウにより決められたルールで、ほとんどの人間はきちんと守っている。
しかし。
約1名、いつもそれに遅れてくるものがいた。
「…今日もシェイは寝坊かな?」
くすくすと、おかしそうに笑ってるのは義姉のナナミ。
そう、軍主である彼がいつもそれに遅刻をするのだった。
「…昨日は随分遅くまで起きていらっしゃいましたから、まだお休みになっているのではないでしょうか?」
クラウスがそう言うとナナミが椅子から元気良く立ち上がる。
「私、起こしてくるね。」
そう言ってサロンから跳ねるように出ていった。
それと入れ替わるようにして少女が一人サロンの中に入ってくる。
「おはようございます。」
入り口できちんと挨拶をしたのは夕べのパーティーの来賓、ファロンであった。
「おはようございます。」
すでに来ていた幹部連中が挨拶をし、ついでファロンにシェイの隣の席をすすめ、係りが朝食の配膳にかかる。
「よう、ファロン。」
にやにやと不気味な笑みを浮かべてファロンに声をかけたのは隣の席に座っているビクトール。
「おはよう、ビクトール。」
「早いな。…よく眠れたか?」
そのにやにやという笑いに、ファロンは最初彼の言わんとしていることが理解できないでいたが、すぐに思い当たって苦笑する。
「…ほとんど寝ていない。もっとも、期待に添えるようなことはなかったけど。」
皮肉交じりに言って、配膳してくれた食事に礼を言って、礼儀正しく「戴きます」の挨拶をしてから手をつける。
「…マジかよ…。」
呆れたように呟くのはビクトールだけではなく、シーナや赤騎士なども呆れた顔でまだ空席のままのファロンのもう片方の隣を見る。
声に出して言わないまでも、クラウスもアップルも驚いた顔をしていたし、他のものも信じられないような顔をしている。
「…何やってんだ。…アイツ。」
「だから青い、青いって言われるんだよ。」
古い付き合いゆえの気安さからくるビクトールとシーナの遠慮のない揶揄に、クラウスが気の毒そうに柳眉を寄せる。
「…で。…何やってたんだ?」
ビクトールが尋ねるとファロンは少し上を向いて夕べのことを思い出すようにして答えを返した。
「ずっと積もる話をしてた。…3年の間、何をしていたとか、どこへ行っていたかとか。どんなことがあったかとか、何を考えたとか、そういったことを一晩中。」
そうファロンが答えたあとに、あ、と思い出したようにファロンはビクトールに尋ねる。
「それよりも、グレミオ見なかった?一晩中部屋に帰ってこなかったんだ。どこへ行ったか心配で。」
「グレミオなら俺と下の酒場で一緒に朝まで飲んで、そのあと厨房に向かったよ。なんでも、料理人のハイ・ヨーとえらくウマがあうらしくてな、今日は一日厨房のお手伝いをするんだと。」
「グレミオらしいや。」
くすくすとファロンが笑っているとドアが開いて青のマントを羽織った寝不足気味の青年が現れる。
「おはよう。」
そこにいる全員にそう挨拶をしてから即座にいつも自分が座っている席につく。周囲が自分をどんな風に見ているのかは全く気にならない様子で、それよりもすぐに隣に座っている少女を見つけて嬉しそうに微笑んでから挨拶をする。
「おはよう、ファロン。」
「おはよう。」
答える少女も僅かに微笑んでかえす。
周囲が半分期待に満ちた眼差しで二人のやり取りを見つめていると、またドアが開いて間延びした緊張感の全くない挨拶がその雰囲気をぶち壊した。
「…ふぁーあ。…おはようー。」
最後の空席を埋めるべく現れたのは軍主シェイであった。
冷やかすいいチャンスだったのに、と小さく呟いたのはシーナだったが、それは寝ぼけ眼の軍主の耳には届いていない。
「おはよう、シェイ。」
「おはよう、ファロン。」
とん、と椅子に座った軍主はにこにこと微笑みながらファロンに挨拶をし、そのあとで思い出したように付け加えた。
「昨日はよく眠れた?ごめんね、うちの人間が嫌な思いをさせちゃったみたいで。」
その言葉に朝食をともにしていたテレーズの顔も曇る。
「あの…ファロンさん…。ニナが迷惑をかけてしまったようで申し訳ありません…。」
二人から急に謝られて慌ててファロンは首をふる。
「大したことはありません。…気になさらずに。」
ファロンの答えにテレーズはほっとしたように微笑んで朝食を再開するが、シェイはまだ納得していないようで、不安そうな表情を浮かべてファロンにさらに尋ねた。
「帰るなんて言わないよね?」
それには答えずにファロンはにこ、とシェイに向かって微笑んでから、一転シーナの方を厳しい視線で睨みつけ、だけどその表情にそぐわないようなきれいな優しい声で言う。
「シーナ。」
目は笑っていず、声だけはひどく優しいのがかえってこわい。シーナが身を竦ませるのを見てファロンはわかればよろしいとばかりに視線を戻し、それから隣に座るシェイの方を向き直って申し訳ないような顔をする。
「…ごめんなさい、シェイ。…かえって迷惑をかけてしまったみたいね。」
「そんなことはないよ。…それよりも、まだここにいてくれるよね?」
大きな瞳で、まるで飼い主に捨てられそうな子犬よろしくファロンを見つめるシェイに苦笑を浮かべる。
「わかったわ。」
「よかったぁ…。」
ほっとして、安堵の息を漏らす少年にファロンは叶わないなぁと零しながらも食事を再開する。
無論、ほっとしたのはシェイだけではなく、二人の間に座っている男もほっとした顔を浮かべて食事をしていたのはそこにいる全員が見逃さなかった。
「ファロン。今日は一緒に遊んでくれる?」
嬉しそうに言うシェイにファロンは静かにうなづく。
「えーとねぇ、じゃあ、まずはヤム・クーのところで釣りをしようか…それとも崖のぼり、やる?それから風の洞窟っていうところの探検…。」
シェイがうきうきと今日の予定を考えているが、それらのどれもがどう考えても女の子を誘うような遊びではないことに全く気付いていないあたり、まだまだシェイはお子様、ということなのだろう。
シェイが今日の予定を決めかねている間に食事を終えて、そのまま食後のお茶を楽しんでると、ドアがノックされ、一人の少女が中に入ってくる。
「失礼します。」
赤い忍び服を纏った少女は中に入るが早いか、サロン中をぐるりと見回してすぐに自分の目当ての人間を見つけると、忍び特有の素早さで駆け寄りその人物に抱きついた。
「ファロン様ぁっ!!お会いしたかったですっ!!!」
さっきまでの礼儀正しい行動はどこへやら、カスミはぎゅうっとファロンに抱きついたまま声をあげた。びっくりした顔のファロンはそれがカスミだと判別すると苦笑しながらぽんぽんとカスミの肩をなだめるように優しく2、3回叩いた。
「…カスミちゃん…。久しぶり。」
「久しぶり、じゃないですよ…。ホントに心配したんですから。…急に旅に出ちゃうから…。」
ファロンはその言葉に気まずそうにぽりぽりと頬をかく。
3年前の解放戦争で一緒に戦った彼女は、ファロンを実の姉のように慕っており、いつも行動をともにしているフリックやビクトールをさんざんうらやましがったし、特にフリックについてはファロンが彼を好きだと知っていたので、ファロンが彼に知られぬように掃除や洗濯をする手伝いを時折していたぐらいだ。
「心配かけて悪かった。」
「昨日、ファロン様がおいでになると伺って、一番に会いたかったのですが、どうしても仕事があって…。」
「ご苦労だったね。…カスミちゃん…立派になったねぇ。」
「そ、そんなことないです。私なんてまだまだで…。」
真っ赤になって謙遜するカスミにファロンは微笑ましく思いながら、先ほどから気になっていたことを尋ねて見た。
「……で、何か用があったんじゃなかったの?」
それでようやくカスミは本来の用件を思い出したようで、威儀を正す。
「ファロン様、トランの義勇軍兵士がどうしてもファロン様に閲兵していただきたいと申しております。…それで…できましたら…ファロン様じきじきに稽古をつけてもらいたいと希望しているのですが…。」
言い憎そうに部下の希望を口にするカスミはそういいながらもちらりとシェイとシュウの二人に視線をやる。
ファロンも目の端でシュウの反応を見るが、彼が済ました顔でコーヒーを飲んでいるのを確認してカスミに言う。
「閲兵…っていうのは…パス。…私、もう一般人だし。」
「では、稽古だけでも。」
「それならいいだろう。…もう、揃ってる?」
「はい!」
「シェイ。済まないが、義勇軍を城外の平原に連れ出したいのだけど、いいだろうか?」
ファロンの申し出にシェイはきょとんとする。
「城外…?なんで…?」
「それなら、広場を使うといい。」
急にシュウが口を開いたのに、その場にいる全員が驚いて一斉にシュウの顔を見た。
「…そのぐらいなら別に迷惑ではない。それに稽古をつける、と言っていただろう。…どうせなら手の空いている者は見学でもするといい。カミュー。赤騎士団が広場で訓練を行う予定は?」
「いいえ、ありません。」
カミューの言葉にシュウの口元がわずかに上がる。
「それなら、空いているはずだ。遠慮なく使うといい。」
「ありがとうございます。お言葉に甘えることにいたします。」
ファロンはシュウの微笑に、同様に口元だけで笑って返すと傍らにいるカスミに向き直る。
「…カスミちゃん、おくすり用意しておいて。一応、手加減はするけど…。」
「はい。それでは先に広場に参ります。支度ができたらお願いいたします。」
苦笑しながらカスミが了解し、おくすりなどの手配をしにサロンから出て行った。
残ったファロンはやれやれと苦笑を漏らすと残ったお茶を飲み干し、手を合わせてごちそうさまの挨拶をして椅子から立ち上がる。
「それでは、皆様、お先に失礼いたします。」
ファロンはそう挨拶してから広場に向かうべくサロンをあとにした。


ファロンは訓練に行く前に道具屋に寄って特効薬を仕入れて行く。それは無論、自分のためではなく、相手のためにである。ファロン自身、水の紋章を宿しているのだが、万が一に備えて、なのだ。
「…ん…?」
ファロンはそう言えば、と何かを思いついてその準備をするために一度道具屋を出て、すぐには広場に向かわずに寄り道をする。
それから少し後、ファロンが昨日の記憶を頼りに広場に向かうと、そこにはトランからの義勇軍はもちろんのこと、シュウが言った様にデュナン軍の主だったチームリーダーや物見高い一般の兵士も集まっていた。
なんといっても伝説のトランの英雄が戦うのである。
先のトラン解放戦争でファロンと共に戦ったものや、ファロンを迎えに同道したマチルダの両騎士団長、フリード、それにナナミとシェイはその戦いぶりは知ってはいるが、知らないものも多くいる。
「戦場の舞姫」と仇名され、多くの戯曲や吟遊詩人が称え、もはや伝説となったその戦姿を一目見たいと広場の回りは無数の人で埋め尽くされたのだった。
こうして多くの兵士に囲まれているファロンはまるで3年前に戻ったようで、フリックはその姿をみながら懐かしく、悲しい気持ちになる。
きっとトランの英雄という呼び名はしばらくの間は彼女から離れることはない。そのたびにこうしてファロンはその役を演じるのだろう。彼女にとっては早くその役を降りたいであろうことが簡単にわかるから、それがなおさら気の毒でしかたがない。
そうしているうちにも話が終わったようで、ファロンが兵士たちに稽古をつけることになった。
まずは20人ほどのグループが前に進み出る。
「いくらなんでも、それは無茶では…。」
その人数を見て呟いたのはキバ将軍。
「はじめっ!」
カスミの掛け声とともにファロンが棍を手に、前列の兵のまん前にひらりと、文字通り躍り出て素早く棍を一旋させるとそれだけで5,6人がばたばたと倒れて行く。
それに気にも止めず、横から迫る兵士をなんなくかわし、踊りのターンを決めるように元の体勢に戻ると再び兵士達の間に切り込んで行く。
その姿は噂どおりの優雅さで、避ける仕草も何もかも本当に舞っている様で、その場にいる全員から思わずため息が漏れる。
戦闘開始から1分もたたないうちに最初のグループ全てが倒されていた。
「次。」
ファロンは息ひとつ乱さず、そのまま次に控えるグループに声をかける。
ざざっとファロンの周りを取り囲むように布陣した兵達は、そのまま一斉にファロンに飛びかかっていくが、棍でその剣をあっさりとなぎ払い、払った棍を返しながらしたたかに兵士達を打ち付けて行く。
「強い…。」
リドリーなどは呆然とそう呟くだけで、そのほかに言葉も出ない。
「…すごい…。」
父親であるキバ将軍の隣で観戦していたクラウスからもつい感嘆の言葉が漏れる。
「次!」
先ほどと同様にわずかな時間で倒しきると次に並ぶグループに声をかけた。
そうして30分ほどで全てをグループを倒しきるとファロンはようやく息をつく。
「カスミ…もう少し兵達を鍛えておいたほうがいい。」
「は…申し訳ありません…。」
兵たちの管理責任者であるカスミはファロンに頭を下げる。
「これではデュナン軍の足手まといになってしまう。…明日からもう少しメニューを厳しくするといい。」
「承知いたしました。」
恭しく頭を下げ、それから兵卒たちの治療にあたる。
「…私も手伝おう。…大丈夫か?」
ファロンも一緒になって手近に倒れている者を集めて全体魔法をかけているとそばにいたナナミも手伝ってくれる。
「…やはり…たいしたものだな。…うちも誰か稽古をつけてもらうといい。」
幹部席でそう告げたのは他でもない、正軍師シュウで、ファロンは彼をちらりと見ると治療を終えてから広場中央に戻る。
「…どなたでも。」
ファロンはそう言ってぐるりと広場を取り囲むようにして立っているデュナン軍のチームリーダー達を見回した。
「それでは、俺が。」
そう言って前に進み出たのは意外なことに、青騎士団長、マイクロトフであった。
マイクロトフは常々、女性を戦闘員にするべきではないとシェイに意見をしているのに、ファロン相手に戦おうなどというのははなはだ矛盾している。
「おい…本気か…?」
マイクロトフの申し出にカミューが驚いた表情で尋ねる。
「ああ。…よろしいですか、ファロン殿?」
「ええ。どうぞ。」
マイクロトフが広場中央に進み出るとざわ、とあたりからざわめきが起こる。
「…ファロン殿のほうが遥かに強いのは分かっておりますが…どうしても。」
「…わかりました。こちらも手加減なしで、いかせて貰います。」
「結構です。」
そう言うと一礼してから対峙する。
マイクロトフは愛剣ダンスニーを構え、ファロンも棍を構えて互いの隙を狙う。
「…それでは。」
ファロンの低い声にマイクロトフははっと剣を構えなおす。
ファロンの棍はいきなりマイクロトフの喉元に伸びてくる。
「くっ…。」
それをダンスニーで払いのけようとした一瞬、切っ先から棍は外れ、振り下ろした剣を構えなおす余裕もなくビシ、と肩にするどい衝撃を感じる。
「ぐっ…。」
女性の手から発する力とは思えぬほどの重さに、マイクロトフは思わず顔をしかめた。
どう見ても華奢な腕で、これほどまでの威力を生み出せるとは思えない。
おそらく女性ならではの柔軟性がこの速さを生み出し、その速さが威力を生み、また、体も武器も常に円運動を行っていることが少ない力でこの棍を振り回す動力となっているのだろう。
ならば、どうすればその円運動を止めることができるだろうか。
マイクロトフはじり、とファロンとの間合いを計りながら考えた。
ならば、突きでいくしかないかと踏み出せば、ファロンはそれをいともたやすく交わして、新たにマイクロトフに打ち込んでくる。
円運動の行きつく先を予想してファロンに切りかかるが、それでもファロンはスムーズに円運動の大きさを変え、服を僅かに切り裂いただけで本人には全くと言っていいほどダメージを与えられない。
「…さすがに…騎士団長…。」
ファロンがにこ、と笑って棍の構えを少し変え、いきなり連続攻撃に転化してするどい攻撃を浴びせかける。
マイクロトフはその速さに受けるだけで精一杯で、余裕もなくじりじりと後退して行く。そしてなんとか挽回しようと目が一瞬だけ泳いだ瞬間に、ファロンにしたたかに打ち付けられていた。
「勝者、ファロン。」
気付けば倒れている自分に他人事のようにマイクロトフは驚いていた。
「すいませんでした。つい力が入ってしまいました。」
そう言いながらファロンはマイクロトフの手をとり助け起こす。その小さな体に似合わず、以外に力があり、マイクロトフは引き起こされながらも呆然とファロンの顔を見つめていた。
「お怪我はありませんか?」
女性にしては凛とした顔が心配そうに自分を覗きこむのに、マイクロトフは思わず動揺し、かくかくと首を縦にふった。
「良かった。本当にごめんなさい。」
にこ、と微笑むと、先ほどまでの凛とした表情は崩れ、幾分幼い顔になる。そのギャップに気付いたときにはすでに顔は赤く染まっていた。
「いい勉強になりました。ありがとうございます。」
なんとか立ち上がると礼を交し、マイクロトフは平静を装って元いた場所に戻っていく。
いつもと違う様子に頭をどっかに打ち付けたんじゃないのかと心配する外野を無視してマイクロトフはカミューの隣におさまった。
「次。誰かいないか?」
シュウの声にファロンはぐるりともう一度あたりを見回し、何かを思いついたように嬉しそうに微笑むと、幹部席にいた大男に声をかける。
「…ビクトール。…どう?」
指名をされたビクトールの顔が蒼白になったが、回りは面白がって数人でビクトールのデカい体を広場に蹴り出した。
「じょっ…冗談じゃねぇっ!…俺はまだ死にたくねぇっ!」
「人聞きの悪い…。」
ぼそっとファロンが呟くと、ぎく、と彼は体をすくめる。
「仮にも一部隊を預かるリーダーが、そんなことで…。」
そう言ってファロンが棍を構えると、これ以上を諦めたビクトールも腹をくくったようで剣を構えた。ただ、その手にしている剣を見た時にファロンの顔が曇る。
「星辰剣…辞めた方がいい。」
「コイツが一番威力があんだよ。」
「わからないの?」
ファロンが言うと手元の星辰剣も文句を言う。
「ソウルイーターとなぞやりあいたくはないわ!とっとおまえのナマクラ剣を出せ!」
「うるせぇなぁ…。」
ビクトールはしぶしぶ腰にあるもう一本を出し、星辰剣の方は隣にいたフリックに預け、 用意ができるとファロンはにんまりと満足そうに笑ってから構える。
「手加減しろよ?」
「それは無理。」
にや、とファロンは笑うと速攻でビクトールの下に入り込み、ブンとすごい勢いで棍を振り下ろす。
「…ぐっ!」
一撃で離脱してファロンは身構える。
「……腕が鈍ったんじゃないのか?」
かなりの衝撃を食らった頭を振りながら減らず口を叩くビクトールにファロンは肩をすくめて見せる。
「グレミオがあまり戦わせてくれなかったからね。」
ファロンが答えると同時に今度はビクトールが切りかかるが、ファロンがなんなくそれを避けてしまう。
「相変わらず振りがでかい。」
「悪かったな。」
「それでは。」
ファロンはそういって前に出ると上から振り下ろすと見せかけて鋭い突きを浴びせる。
「うっ!」
「読みが甘い。」
喉元を激しく打ち付けられてビクトールがごほごほとむせる。
「ビクトールこそ、腕が落ちた。…トシのせい?」
「おまえなー…ちったぁ手加減しろよ…。」
「冗談。デュナン軍の中心メンバーともあろう人間が、この程度で。」
「なら、こっちも本気で。」
再度繰り出したビクトールの攻撃もまた読んでファロンはなんなくかわすと鼻で笑う。
「そういえばさー、最終決戦のときもよく攻撃かわされてたよね。」
辛辣な評価にビクトールは顔をしかめた。
「ファロン…性格悪くなったんじゃないのか?」
「悪くもなるよ。」
くす、と笑って棍を持ち直す。
「あとで追いつくといって、そのまま失踪されたんじゃ、人間不信にもなるよ?ねぇ?」
そう言いながらファロンの目がすぅっと細められる。
「…うわ…。待て!あれはフリックが…。」
「問答無用!」
ファロンはそう言うとビクトールの前に進み、本当に問答無用の厳しい連続攻撃を浴びせかけた。
「…ぐ、ふ…。」
もんどりうって倒れたビクトールはぴくりとも動かない。
「うわ、怖ぇ…3年分の恨みだぜ、ありゃ…。」
シーナの言葉にこっそりと逃げ出そうとした人物が一人。
「次は、当然フリックだよねぇ。」
しかし逃げることも叶わず、にこ、と極上の笑みでファロンはフリックの名前を呼ぶ。
「え…いや、俺…ちょっと寝不足…。」
「私も、よ?」
にこにこと微笑んでファロンが言う。偶然どころか昨晩は一緒に過ごしたんだからそうだろう。
フリックは冷や汗を浮かべたまま、そこに立ちつくす。
「レディのお誘いを断るなど…男としてどうなんでしょうねぇ?」
可笑しそうに横から口を挟むのはカミューで、その相棒マイクロトフは気の毒そうにフリックを見つめるだけで。シュウもわずかに笑って不幸な青年を見ていた。
「…オマエもやられてこい。」
そう言ってフリックを押し出したのはようやくナナミに回復魔法をかけてもらい蘇生したビクトールだった。
回りの観衆が面白そうにみんなそれぞれを応援している。
その中には当然、フリックファンも多く含まれていて、黄色い声援もあがっていたりした。それがなおさらファロンの癪に障ったりもする。
「…仕方ない…行くぞ、ファロン。」
フリックは右手にある雷鳴の紋章の力を解放する。ぱちぱちとフリックが帯電したように青白い電気の筋が幾重も彼を取り巻き、やがてそれらが集まり、烈しい雷撃となってファロンを襲った。生木を裂く様な激しい音が響き、閃光が広場を包む。
「どうだ?」
まばゆい光がゆっくりと消えて、その中心にいた人物が大ダメージを受けただろうと思って見るが、ファロンは平然として立っている。
「…なっ…なんでっ?」
「雷のアミュレット。しかも2コ。」
ファロンはにこ、と笑ってフリックを見る。
「つまり、雷は封じてあるの。…了解?」
「…了解。」
フリックは仕方なくオデッサを構える。
「…じゃあ。今度はこっちから。」
ファロンはす、と棍を振り上げるとフリックに突進してものすごい勢いで打ちつける。
「く…。」
容赦ない連続攻撃をフリックはなんとか受けているが、あまりの速さに一向に反撃ができない。そのまま少しずつ後退していく。
「どれだけ心配したと思ってる。」
そのやり取りの中で低い、うなるような声でファロンが言う。
「…それは…俺達が脱出したあとに部隊がいなかったからで…。」
「私はずっと城下にいた。」
冷たい声で返事をするとさらに打ちつける。
「ぐっ!」
今のはきいたらしく、それと共に女の人の悲鳴も聞こえる。
「…しかし…夜遅く…。」
「次の日に合流すれば良かった。」
キィンとオデッサが弾かれる。
「…腕が鈍ったな…。」
弾かれたオデッサをファロンが拾い上げると棍を背中に背負って、オデッサを構えた。無手のフリックはファロンとの間合いを計りながら反撃を考える。
「…南方を旅した時にさ、剣も少し勉強したんだ。まだまだなんだけど。」
そう言いながらオデッサで切りかかるのをフリックは危うくかわす。
「…なるほど。確かにまだ修行が足りないようだな。」
「うん。師事していた期間はわずかだったからね。」
そう言ってファロンはもう一度フリックに切りかかったが、フリックは足を振り上げてオデッサの刀身をうまく蹴り上げた。
弾かれたオデッサはきらきらと光を反射させながらファロンの後方、広場の石畳の隙間に刺さる。
「…やるね、フリック。」
「あったりまえだ。…どんなに不利でも最後まで気を抜かなければチャンスは生まれる。」
「3年の間に、成長したんだねぇ。」
ファロンは背中の棍をもう一度出すとフリックに向かって構える。
「でも、オデッサはあっちにある。…魔法も封じてある。…どうする?」
「ならばっ!」
フリックはファロンの棍を素早く掴んで動きを封じる。
「…くぅっ!」
棍を抑えられてしまっては力の勝負になってしまう。ファロンは棍を奪われないように必死であがく。
「これでどうだ!ファロン。」
にやにやと笑いながら押さえにかかるフリックにファロンは必死の形相で抗った。
「力では俺の方が上だ。諦めろ、ファロン。」
「く…く…。」
こんなに必死なファロンは見たことがない、といったぐらいな顔で防戦しているのをフリックは見ながら内心、ファロンが早く諦めてくれることを望んでいた。
が。
にや、とファロンが笑うといきなり押し返されていた力が抜けてフリックの体が前につんのめる。
「えっ?あっ?」
フリックの脇をすり抜けたファロンはくるりと身を翻すと前のめりに倒れたフリックの後頭部めがけて懐から素早く取り出したヌンチャクで強打する。
「ぐわっ!」
おそらくフリックは自分に何がおこったかもわからないだろう。
そのまま昏倒してしまったフリックをファロンはにこにこと笑ってみているだけだった。
「…ひでぇ…あれも絶対わざとだぜ?」
「ファロンさんの気持ち、わからなくもないですがね…。」
アップルとシーナが広場中央にのびているフリックを気の毒そうに眺めていた。
普段の爽やか振りから想像もつかないような失態をみせたフリックにナナミがバカ笑いしながら回復魔法をかけている。
「…っつー、なんだ、今の…。」
ようやく起き上がったフリックは頭をさすりながらファロンを振り返ると、ファロンは棍を拾い上げながら笑って片手に持っているヌンチャクをフリックに見せた。
「武器はひとつとは限らないよ?」
「きったねぇ…。」
「3年の間に、私も成長してね…。」
笑いをかみ殺しながら言うファロンに、不満そうにフリックは文句を言いながらもどこか嬉しそうで、ファロンに近寄るとオデッサを返してもらう。
「これで、許してくれるんだろうな?」
そう尋ねるフリックにファロンは笑うだけで。
フリックは、まぁいいさといいながらビクトールの隣に戻って行った。
「…シェイ様!次はシェイ様!」
どこかから起こった声におや、とファロンは振り向いた。
最初は一人だった声は、シェイ本人が何も言わないうちに次第に大きくなって、広場の観衆が次々にその声に呼応する。
「シェイ様!」
「シェイ様!」
シェイコールに当の本人は困ったような顔を浮かべている。
これは確かに困るだろう。
ファロンはシェイの挙動を見つめていた。
今のシェイではファロンには勝てない。だけど、勝たなくては民衆は納得しないだろうし、負けでもしたら信頼はガタ落ち、兵たちの間には動揺も走りかねない。
ファロンはシェイがどう出るか見つめていた。
「わかった、やるよ。」
その言葉にうぉーっと観衆が一斉にどよめく。
シェイの傍らにいるシュウはひとつも表情を変えることがない。
本当に噂どおりの切れ物なのだとファロンは納得しながら広場の中央に出てきたシェイを迎えた。
「では。」
ファロンは礼をすると棍を構えた。シェイもファロンに倣ってトンファーを構える。
そうしたまま、ファロンはほんのわずかだけソウルイーターを開放してから棍を構えた。
「…く…。」
シェイといえば、ファロンとの間合いを計りつつ、どう攻め込むか考えあぐねているようで、じりじりと足がわずかに動くだけである。
「こちらから、いかせて貰う。」
ファロンはそう宣言するとふわりとシェイのまん前にでると、棍を思い切りシェイのトンファーに向かって振り下ろした。
ギィン!というすごい音がして、火花が散る。
その二人の気迫に先ほどまで騒がしかった広場は水を打ったように静かになっていた。
棍を跳ね上げ、もう片方の手で反撃してくるシェイをかわして再び少し間合いを取る。そうしたやり取りを3、4度重ねた頃、シェイが一度、盾の紋章で治療をする。
それを見たファロンが紋章による攻撃をするために右手を高く掲げたときだった。
「いい加減にしろ!」「何やってんのさ!」「城を壊す気か!」
3つの怒号が一斉に飛んだ。
その場にいたほとんどの人間が驚いて声の主を見ると、それはひとつはビクトールの腰にある星辰剣、ひとつは約束の石板の前に立つ風使いの少年、ひとつは白皙の美少女だった。
「…おんしら、一体何をする気じゃ。…城が壊れても良いというのか!」
美少女は不機嫌そうにファロンとシェイに言う。
「まったく…自分の力と言うものをどう考えているのだ!」
星辰剣はいきなり怒鳴り始めた相棒にすっかり面食らったビクトールに持たれたまま、ファロン達二人に言う。
「え…?な、なに…?」
意味がわからないらしいシェイはきょとんとしたまま不機嫌そうなものたちに問いかける。
「…真の紋章を持つもの同士が激突したらただではすまない、そういうことじゃ。」
星辰剣は不機嫌そうにシェイに答えてやる。
「本気を出したらこんな城、ふっとんでしまう。…ここにいる者どもがどうにかなってもいいのかえ?」
白皙の美少女はシェイに詰め寄る。
風使いの少年は、ちろりとファロンを見てふっとため息をついた。
「ファロン。…君はもう少し利口な人間だと思ってたけど?」
冷たく言い放つ少年にファロンは苦笑しながら棍を収める。
「…え、と。…僕とファロンが戦うと…どうなるの?」
まだちゃんと理解できていないらしい少年の質問に3人、いや2人と1本は情けないため息をつく。
「…真の紋章同士の戦いは回りに多大な影響を及ぼす。…ことによっては城などは簡単に消し飛んでしまうんじゃ。」
星辰剣の説明にシェイは驚いた顔をしてファロンと自分の右手とを交互に見た。
「どこの誰がけしかけたんだか知らぬが、よしておいたほうがデュナン軍のためじゃ。ハイランドと戦う前に全滅じゃ洒落にもならんわい。」
シエラの言葉にファロンは悪戯っぽく肩を竦めた。
「…そうだったんだ…。」
「そのようだね。」
そう言いながらファロンはシェイの前に進み出る。
「…少しだけだけど、シェイとやりあえて楽しかったよ。久しぶりに手ごたえのある人とやったって気がした。」
にこにこと微笑むファロンにシェイも嬉しそうにうなづいた。
「シェイ。…及ばずながらこの私、ファロンは、君の、いやデュナン軍の助けになるように持てる力を全て尽くして協力するよ。」
そういってシェイの手をとってしっかりと握手をする。
「ありがとう、ファロン。…伝説のトランの英雄が一緒に戦ってくれるなんて心強いや。」
嬉しそうに握手をするシェイにどこからか拍手が沸き起こる。
それにつられるように観衆はそれぞれに拍手をし、その音はみるみるうちに大きくなって、シーアン城一杯にこだました。


「全く、アレも人が悪い。」
皆が解散し、したたかにファロンに打ちすえられたビクトールがホウアンの元を訪れて、治療の順番を待っている間にそう呟いたのは彼の腰にいる星辰剣。
「なんだぁ?」
不思議そうに尋ねるビクトールに星辰剣は彼をバカにしたようにふふんと笑う。
「気付いていないか。…これだから、おぬしは…。」
「わーった、わぁーったから。なんだって言うんだ?」
長くなりそうな文句を早々に切り上げ、ビクトールはその先を促す。
「あの女、ファロン・マクドール。」
星辰剣の言葉に何のことか全く分からずに首を傾げる。
「あやつ、最初っから真剣にシェイと戦う気はなかったようだ。」
「ええ?」
一体どういうことだとビクトールは星辰剣に聞き返す。
「おぬしと戦う時に、あやつは自分から剣を変えろと言っただろう?真の紋章同士の戦いがどういう影響をおよぼすのかわかっておったのに、あえてシェイと戦いおった。」
「そういえば…。」
「…しかも、ご丁寧にソウルイーターの力をほんの少しだけ、周りに影響を与えない程度に解放して、あの風使いか、シエラか、この私か、誰かが文句を言うのを待っておった。」
「一体なんのために…?」
「…わからんか?」
今度の今度こそ星辰剣はビクトールをバカにしたように鼻で笑った。
「あそこでシェイが民衆に答えねば信用が失墜する。しかし、戦って勝つか引き分ければあのトランの英雄に匹敵する、もしくはそれ以上の実力を持っているとみなして民衆や兵たちの士気はあがる。まぁ、この場合、ファロンが負けたとしたらトラン義勇軍の士気は下がるな。」
「なるほど。」
「一番いいのは引き分けだが、今のシェイの実力では到底ファロンにはおよばない。ファロンが演技して引き分けたとしてもばれる可能性もある。もともと引き分けと言うのは一番難しい、ならばどうするか。」
「それでソウルイーターを?」
「そういうことだ。真の紋章の気配に敏感な我らの誰かが気づく程度、ほんの少しだけ開放した。真の紋章持ちの誰かが文句を言えば、戦わなくてすむようになる。それで両者引き分け、トランの兵は士気衰えることなく、デュナンの兵も士気はあがる。…あやつ、3年もの間流浪しておっても才覚は全く衰えておらんということだ。」
「ファロンは、ファロン、ということか。」
ビクトールはそう言いながらうーんと唸る。
「……青いの、これからも苦労しそうだな。」
星辰剣が言うのにビクトールは最初ぽかんとして、次にくくくっとおかしそうに笑い声をあげる。
そう。ファロンはどこにいてもファロンだから。
自分のものになったと彼が安心するのはまだ早い。これからもおそらく争奪戦は激しくなるのだろうから。
ひとしきり笑ったビクトールは気の毒な彼のために酒場に寄ってカナカン産のいいワインを用意してやるかと考えていた。




                                                END

 

 home