招待〜3〜

 

シェイの誕生日パーティが賑やかに行われた。
ナナミの作ったケーキは見てくれはかなり酷かった、ハイ・ヨーが手伝ってくれたこともあり、食用にしても平気な味で、普段の彼女の料理を知っている人はどれだけ彼女ががんばったのかすぐに分かる品だった。
それからグレミオが振舞ったシチューはかなり好評で、今後もそれを食べたいとの要望でそのレシピはそのままシーアン城の料理人であるハイ・ヨーが受け取った。ハイ・ヨーはどういうわけかグレミオと気が合うらしく、上に来て挨拶ぐらいするだろうと思われたグレミオはとうとう厨房から出てこなかった。
供された料理はすべてなくなり、満腹になった一同は酒やジュースを飲みながら談笑している。
少し時間が遅くなり、最初にナナミが部屋に戻り、続いてテレーズが御付きを連れて消え、そして来賓であるファロンが座を辞してサロンから出て行くと、適当な理由をつけて追いかけるようにしてフリックと、そして続いて物見高いシーナが出て行き、最後に幹部連中もかなりの人数が部屋へと引きあげていく。
「全く…シーナには…。」
ビクトールが苦笑しながら空になったグラスにワインを継ぎ足しながら言う。
「ねぇ…ビクトールさん。…本当にあの二人、まだ…?」
まだその場に残って片付けものの手伝いをしていたアップルが手を止めて不思議そうに尋ねると、ビクトールがワインを煽って頷いた。
「まぁな。」
「ねぇ、ビクトールさん。ビクトールさんって、確か、ファロンさんと一番長く一緒にいたんですよね?ファロンさんって、そもそもマクドール家の後取りなんでしょう?なんで解放戦線なんかに?」
「解放戦線なんかとは酷い言い草だな。」
アップルの言葉にビクトールは再び苦笑した。
そういえば先の戦いの時にはアップルはまだ子供で、その辺の事情などを全く知らなかったのだ。
「あれから3年か。…いろいろあったよなぁ。」
そういいながらビクトールが懐かしげに目を細めたところに、シーナが荒々しくドアを開けて入ってきた。
「こら、入れ!」
そういって無理に引っ張って連れてこられたのはふくれっつらをしているニナである。
「どうしました?何かあったのですか?」
クラウスが勤めて穏やかに声をかけるとシーナがふんと鼻を鳴らす。
「こいつ、ファロンを待ち伏せしてとんでもないことを言ったんだよ。」
「だって、本当のことじゃないっ!あんな不吉な紋章を持つ人がいたらフリックさんが死んじゃう!!!」
激昂したニナの言葉にさぁっとアップルもビクトールも青ざめ、顔だけでなく、体まで一瞬にして強張った。
「ファロンは?」
それでもビクトールが落ち着いた口調でシーナに尋ねると、少し表情を曇らせる。
「…フリックさんがついている。だけど…。」
その後を言いよどんだことから、ファロンが酷いショックを受けていることが察せられ、大きなため息をひとつ、ビクトールは吐くと新たにワインをグラスに注ぐ。
「フリックがついているなら…大丈夫だろう。」
いつだってそうだったから。
ビクトールはその言葉を飲み込んだ。
ファロンがどんなに辛い思いをしていてもフリックがいつも側にいて支えになってやっていた。だから今度も。半分そうであってほしいという願いも入っているが。
そんな3人の様子を、シェイが不思議そうに小首を傾げて聞いている。
「ねぇ、ビクトール。…フリックとファロン、二人の間に何があったの?…それに、ファロンは解放軍のリーダーだったのにどうしてトランの大統領にならなかったの?」
シェイの問いにビクトールの顔が困惑の表情を浮かべる。
「そ、それは…。」
「ファロンの選んだ道は僕にとっては人事じゃない。…何か知ってるなら、教えてよ。」
強い意思を含んだ瞳でシェイはまっすぐにビクトールをみつめ、それは暗に話せと命令しているのと同じだった。たとえビクトールが拒否しても、おそらく彼はいろんな手段を使って知ろうとするだろう。
それならばおかしな憶測や噂が入らないうちに、今話しておいたほうがいいのかもしれない。きっと彼らは怒るだろうが、確かにシェイにとってはファロンの選んだ道は人事ではないのだから、そうビクトールは判断してあの、門の紋章戦争の話をすることにした。
ビクトールはワイングラスを煽って、瓶のワインを継ぎ足した。
「そうだな、たまには思い出話もいいか。…ニナ。おまえも聞いて行くといい。」
そう言ってビクトールは静かに口を開いた。
「…ファロンの右手にある紋章。ソウルイーター。あれがそもそもの発端だ。」
ふぅっとビクトールは辛そうにため息をつく。
「ソウルイーターはもともとはファロンの親友、テッドが持っていたものだった。無限の邪悪な力を持つ紋章を悪用しようと赤月帝国の宮廷魔術師ウィンディは画策し、前の持ち主のテッドは襲われ、瀕死の状態であとをファロンに託したんだそうだ。無論、そんときのファロンはソウルイーターがとても大事なもんだってのは分かったが、どういうもんだっていうのはさっぱりわかんなかったから、簡単に請け負ってしまったんだと。」
そのあたりの話は俺も聞いた話なんだがとビクトールはつけたしてワインをこくりと飲む。
「丁度その頃、俺は解放軍で戦力となるような人間を探していたところで、ウィンディ、ひいては帝国から追われる立場になったファロン達と知り合って、解放軍に誘って、行動をともにするようになったんだ。」
初めて会った時のファロンは連れ去られた友人の行方と容態を酷く心配していた。考えて見れば、良家の、世間知らずのお嬢ちゃんが立て続けに起こった災難の中で、我を失うことなく、友人を心配できるなど、やはり只者ではなかったと今になって思う。それともそれが育ちの良さというものなんだろうか。
「そのさなか解放軍のアジトが襲撃され、フリックの元彼女、オデッサはファロンに悲願を託して逝った。つまり、ファロンは2人分の遺言を聞いたことになるな。」
命の際の頼みを、しかも常人ではとても成し得ないような大きな頼みを断れない、その強さと優しさが彼女自身を傷つける。ビクトールはいつもそう思っていた。
「オデッサが死んだというショックを、頭では分かっていても、なかなか受け入れられなかったフリックは、最初はことあるごとにファロンにつっかかっていた。あいつはファロンが苦労知らずのお嬢ちゃんであることをバカにしていたし、オデッサを守ってやれなかったことを後悔していたし、おそらく、オデッサがあとを託した人間が自分でなかったことも気に入らなかったんだろう。」
ビクトールは当時のことを思い出し、思わず笑いがこぼれてきた。ファロンに対して八つ当たりとも言える悪口雑言を吐くフリック。だけど唇を噛んで全部受け止めたファロン。
「だけどな、ファロンの方は、そんなフリックの態度に愚痴ひとつこぼさずに、一生懸命、そりゃあ真面目にオデッサの遺言に従ってたわけだ。…辛くねぇはずはないんだけどな、それどころか、辛いのはフリックの方だからって、どうにかフリックが少しでも快くすごせるようにって、いろいろ気遣ったりしてな。」
その頃のファロンはよく思いつめた表情をしていた。
心配で、ファロンに声をかけてもただ大丈夫と繰り返すだけで。仲間探しや作戦で疲れて帰ってきても、フリックを気遣うことだけは忘れずにいた。たとえば、フリックがお風呂に行っている間に、そっとベッドのシーツを取り替えて見たり、掃除したり、疲れているときにはワインを用意し、花を飾り、そういったこまごまとした、いわゆる雑用を自らやっていたのだった。
そんなファロンの行動にフリックは全然気付かずにいて随分と歯がゆいおもいをしたんだったとビクトールは話しながら思い出した。
「そのうちに努力の甲斐があってフリックもファロンを認め、ちゃんとリーダーとして…いや、その頃にはもうそれだけじゃなかったかも知れねぇが、ともかく、さぁ、これからって言うときに、とある事件があってな。」
「事件…?」
門の紋章戦争を題材にした戯曲や小説ではそれはあまりにも有名な話であるが、そういった戦記にはてんで疎そうなナナミが首を傾げた。
「…ソニエール監獄っていうところに潜り込んだ時のことだ。俺たちは閉じ込められ細菌兵器をばら撒かれた。人食いの細菌で、そいつが付着すると人間を生きたまま蝕んで食い尽くしてしまうと言う恐ろしいもんだった。…そのとき、ファロンの教育係っつか、まぁ、ありゃほとんど母親みたいなもんだが…そいつが自ら犠牲になって人食い細菌の餌食になって俺たちを逃がしてくれたんだよ。」
ビクトールはもちろん、フリックもそこにいた。ドア1枚隔てたところで死んでいく自分の身内を助けられずに、ファロンは狂ったようにドアを叩き続けた。泣き叫びながら、手は血が滲み、赤黒く腫れていた。
「その事件直後のファロンと言えば、細い糸一本でかろうじて正気を保っているような、そんな状況だった。それでも、泣くこともせず、ただ前を向いて、黙々とリーダーとしての勤めを果たしていた。…人間、悲しいのが度を越しちまうと泣くこともできなくなるんだって、分かっていたつもりだったけど、本当の意味でそうなっちまった人間を目の当たりにして、心底恐ろしかったよ。いつファロンの糸が切れちまって狂いだすかと怖くてびくびくしていた。」
微笑みさえしなくなったファロンの青白い顔を思い出すと今でも寒気がする。思いつめたような表情に、いつ暴走してしまうのかと、みんな恐れていた。
「右手のソウルイーター。…そのせいかもしれないって、密かにみんな噂してた。」
「ソウルイーターのせい?」
その紋章の意味を知らないシェイは不思議そうに尋ねる。
「ソウルイーターは生と死を司る紋章でな。別名、呪われた紋章って言われるんだよ。その紋章の保持者の近しい人間は全部アレに食われて死んでしまうってな。紋章自体が無限で邪悪な力を持っている、ルックや、他の紋章持ちもそう言っていた。」
「つまり、ファロンさんのソウルイーターがその事件を引き起こしたってこと?」
「…まぁ、そうは断定できないが、な。ファロンの前の保持者、テッドは300年前、住んでいた村を皆殺しにされたっていうぐらいだからな。偶然と言えば偶然だが。」
ビクトールはそういってワインをあおった。
「そんな酷い状況でもファロンはフリックを気遣うことは忘れてなかったよ。…自分がオデッサを殺してしまったって、ずっと責めていたんだろうな。だけど、そんなファロンに一番声をかけていたのもフリックだった。…あいつは大事な人を亡くす悲しみを一番知っているから、だから、ファロンがおかしくなってしまわないように、力になろうと、一生懸命にファロンを支えようとしていた。…まぁ、ヤツがファロンに惚れていたってのが大きな理由だったろうけどな。」
ぐいとグラスの中のワインを飲み干すと、静かにシェイが瓶からワインを注いでやる。
「しばらくして、フリックの努力が実を結んで、ようやくファロンが少しだけ笑うようになったんだ。だけど、ほっとしたのもつかの間。今度はファロンは父親と戦う羽目になっちまった。」
ビクトールはそのときのことを今でもありありと思い出す。
「他の将軍たちのように、仲間に引き入れられればどんなに良かっただろう。…だけど、テオ将軍だからこそ、それができなかった。真面目で、バルバロッサに忠誠を誓ったことを破れない人だった。それに、自分の息子がリーダーをやっていて、自分がその軍に下ったとなれば口さがない人は最初から帝国のっとりのために全て計画済みであったというふうに言うだろう。それでは皇帝だって自分の言葉を受け入れてくれるはずがない。自分のプライドと忠誠心にかけて二心のないことを証明するためには、解放軍と戦う、それ以外になかったんだよ。」
できればあの戦いをどんなに避けたかったことか。
「マッシュほどの軍師でもその作戦をファロンに言うのに躊躇したし、実際に幹部連中も反対するものも多かった。…避けて通れぬと分かっていても、な。」
だけど、あの親子は。
ビクトールはその作戦をファロンに伝えた時のことを思い出す。
「ファロンには戦わなくてはならない父の立場が分かっていたんだ。そして、父親は皇帝を諌める仕事を敢えてファロンに託した。結果としてファロンが勝ったが、もし、テオ将軍が勝てば、ファロンの首を持ってでも皇帝を諌めに行ったことだろう。…あの二人にはそれしか道が残されていなかったんだよ。」
「…大きな代償だね…。」
呟いたのはシェイだった。
「ああ。とてつもない、大きな、な。テオ将軍との戦いに勝ってからのファロンは…また元の通りになっちまって。…そんなとき、さらに追い討ちをかけるような出来事が起こった。…ウィンディに囚われていたテッドがファロンの目の前で殺されたんだよ。」
あまりのことにニナは口を押さえてしまった。
「今、思えば、あれでよくファロンが壊れてしまわなかったと思うよ。…いや半分壊れてしまっていたのかもしれないな。それでもファロンはひどい精神状態の中でいつもと変わらず、前を向いて戦っていた。ただ、ずっとフリックだけが相変わらずファロンを心配し、壊れてしまいそうで怖くて手を出せなかった俺たちとは違って、いつでもファロンを支えていた。…ファロンの心が壊れてしまわないように。」
ビクトールはふぅっとため息をつく。
「最後のグレッグミンスターの城でバルバロッサを倒し、みんなのところへ帰る最中。もうすぐ出られるって言うところでファロンを狙って放たれた矢からかばおうとしてフリックは傷を負った。消耗の激しいファロンを先に逃がし、フリックは追っ手を食い止めた。…もうバルバロッサを倒したから、ファロンが戦う必要がない。…フリックは自分の命をかけてオデッサの意思と、それをついだファロンを守りきった。それだけでフリックは充分だったんだよ。…平和になったグレッグミンスターでファロンはトランの大統領として新しい人生を歩む。…戦いのないところでは俺達みたいな人間はファロンを守れない。フリックは、だからファロンの元から離れた。…そうして3年間。…途中で俺たちはファロンがトランを出て行方不明になったことを聞いて心底びっくりしたもんさ。…ファロンがどうして大統領にならなかったのか、それはグレッグミンスターにいたシーナのほうが詳しいんじゃないのか?」
そう言ってシーナを見るとシーナはぶんぶんと首を振る。
「ファロンは何も言わないまま、突然旅に出たんだよ。…クレオにもなんにも言付けないまま。」
「…どうして、だろう。」
シェイがファロンの行動を理解できないといったふうに首を傾げる。
「それは私がお話しますよ。」
不意に聞こえた声に、一同が驚いて声のした出入り口に向くと、そこには金髪の長身の男が立っていた。
「グレミオ!」
「グレミオさん!」
知っている者は驚いた顔でその名を呼ぶ。
「幹部クラス専用のサロンにしては無用心ですねぇ。開けっ放しでしたよ。」
にこにこと、人のよさそうな笑みを浮かべてばたんとドアを閉める。
「久しぶりですね。ビクトール。…それからシーナもアップルも。」
そう言ってにこ、と微笑む。
「だれ?」
突然に現れた男を不審そうにニナが一瞥する。
「グレミオだよ。…ファロンの教育係。」
「ええっ?さっき、死んだって言ったじゃない。」
嘘をついたのね、とシーナに詰め寄るニナにグレミオが苦笑する。
「皆様、はじめまして。グレミオと申します。ファロン様の付き人をしております。」
ぺこりと頭を下げると、一同会釈をする。
「…ルックの持ってきた石板に全員の名前が入った時、グレミオだけがいなかった。集まった107人の仲間とソウルイーターとレックナートの力で、グレミオを復活させたんだ。」
「世に言うグレミオの奇跡、ですね。」
静かに言うクラウスにニナがふぅんと曖昧に返事をし、しげしげとそこに立つグレミオを眺めた。
「…ま、ワインでも飲みな。…今日のシチュー、懐かしかったぜ。」
「ええ。レストランのハイ・ヨーさんにレシピを渡して置きましたから、今度からきっとメニューに加わっていますよ。」
「そりゃ、楽しみだ。」
ビクトールはこぽこぽと赤いワインをグラスに注ぐ。
「グレミオさん。…ファロンが大統領就任を拒否したのってどうしてなんですか?」
ワインの香りを楽しんでから口に含んで味を確かめて、それからゆっくりと飲むグレミオにシェイがビクトールでは知りえなかったことを尋ねる。
「…最終決戦の後、お城の中にいる近衛兵などを説得して無条件降伏させ、おおよそ3日で完全に型がつきました。そのあいだ、ファロン様はどうしていたと思います?」
グレミオはビクトールに聞いて見た。
「さぁ…。先頭にたって掃討作戦にあたっていた、とか?」
その言葉にグレミオは静かに首を振る。
「ファロン様は、マッシュさんを亡くしたショックと、あなたたち二人が帰ってこない心労から、衰弱して床に伏せてしまっていたんですよ。」
ビクトールははっとして目を見開く。
「…マッシュさんとあなたがた二人は解放軍でも特にファロン様と近いところにいた。その人たちまでもなくなったということは、自分の持つソウルイーターのせいかもしれない。ファロン様はそうお思いになって、苦しんでいらっしゃいました。」
グレミオは右手のあの紋章をそう悪い物と思ってはいない。だけど、ファロンにとってはそうは思えなかったから。
「…普通、戦争で軍師がなくなるなんてよっぽどのことでしょう?…それに。あなたがた、軍の中心メンバーのうち二人までもがなくなるなど、普通に考えたら勝ち戦ではありえないことです。…普通じゃないその状況と、今までの疲れがファロン様にそう考えさせたのです。」
グレミオは少し非難するような目をビクトールに向けた。
「屋敷の、クレオの部屋でファロン様に静養してもらいました。クレオの部屋は北向きですが城の出入り口が見えますからね。…ファロン様は毎日、ずうっと、窓の外をみて。…誰ともしゃべらず、何も召し上がらず。ただただ、城の出入り口を見て。そうして、あなた方の行方が分からずじまいになって、ファロン様はその報告をレパントから受けたとき、とうとう気を失ってしまったんです。」
ふぅ、とグレミオはため息をつく。
「それからファロン様の意識は5日の間戻りませんでした。…時折、うわごとでフリックさんの名前を呼んでいらっしゃいましたが。…ファロン様があまりに気の毒で、私も、パーンもクレオも、もう一度くまなくお城の中を探しに行ったほどなんです。なにか、二人の手がかりはないかと、必死で探して、とうとう裏庭の一番すみにある植木の陰で血に染まったフリックさんのバンダナを見つけ…意識を取り戻したファロン様にそれを見せたら…そのとき、ようやく、声をあげて泣いたんですよ。」
グレミオはにっこりと笑った。
「別れたのは出口に近いところでしたから、そこまできっと逃げたのだろうと。…二人が見つからないのもおそらく生きて他のところにいるからだろうと、ようやく希望が見えましてね。…ファロン様は、それでもまだ何もおっしゃりませんでしたけど、ご自分で歩いて王宮の裏庭まで出て行かれて、日が暮れるまでそこへ立っておりました。…その夜。…やっぱり、家出なさろうとしてましたね。」
くすくすっとグレミオが笑う。
家をこっそりと出て、街を出たところで私が待ち伏せていたと知ったときのあのファロンの表情を思い出すと今でもおかしくなる。
「無理やり、ファロン様の後をついてまわって3年。今でも何もおっしゃってはくれませんが、なんとなく私にはわかるんですよ。…ファロン様は、親友のため、父のため、もちろん帝国から虐げられている人々のため、…でも本当はフリックさんのため戦ったんだと思うんです。」
その言葉にビクトールは驚いた顔をする。それはシーナもアップルも、ニナも、それだけでなくそこに居合わせたほとんど全員が目をみはる。
「恋人であるオデッサさんを自分の不注意から死なせてしまったと言う責任感、そしてそのオデッサさんから後を託されたと言うこともあります。…だけど、きっと、フリックさんが心の中でオデッサさんに見合う男になりたいと思っているのを知っていて、オデッサさんの悲願をかなえたがっているのも知っていて、それを実現できるのが自分ならば、どんなに辛くてもフリックさんのために戦おうと。…そう思ってたんだと思います。」
グレミオの言葉にシーナが息を呑んだ。
「それだけのために、かよ。」
「ええ。それほど、フリックさんが好きで、だけど自分が側にいたのではいつかソウルイーターがフリックさんを食べてしまう。…だからね、その思いを全て胸のうちにしまうことに決めたんですよ。」
グレミオはあのグレッグミンスター突入前夜のことを思い出した。ファロンの悲しげな歌声は今でも思い出せる。
「ソウルイーターは魂食いの紋章。自分が国を治めるときっとまた内乱が起こるとおもってらっしゃいました。なんといっても、当時ファロン様は16歳になったばかり。国を治めるなんて重責には耐えられませんでしょうし、戦いはできても政治はできないとおっしゃってもおりました。…それにね、自分は父を殺した人間だから人の上に立てるはずもないとも思っていたようなんです。」
その言葉にニナの表情が曇る。
「それに、自分がトランにいたらフリックさんが帰ってきづらいだろうと。ファロン様はフリックさんがいなくなったのは自分を避けているからだと思っていらっしゃいましたから、だから旅に出たんです。その間だって片時もフリックさんのことは忘れていませんでしたよ。…王宮の裏庭で見つかったフリックさんのバンダナは今でもファロン様は大事に肌身離さず身に着けています。」
グレミオの言葉にシェイが不思議そうに首を傾げる。
「だからバナーに?」
「ええ。本当はすぐにでもここに来たかったと思います。…だけどね、怖くて。生きていると分かって嬉しかったのに、またフリックさんがいなくなってしまうのが怖くて。…だから、シェイくんのお誘いにもなかなかいい返事をしなかった。」
「…冷たいなぁ…フリックさん。」
非難の目を今はいないフリックの席に向ける。
「大統領にならなかったのは、だからなんです。お分かりいただけましたか?」
グレミオの言葉にシェイはこくんとうなづいた。
「でもこれは、ファロン様の道。君の道は君が決めるべきです。」
「そうだね。…そうするよ。」
シェイの言葉にグレミオは満足そうに微笑んだ。
「…そういうわけだ、ニナ。」
ビクトールの声にニナが難しい顔をしたまま無言で席を立つ。
「フリックを追っかけまわすのはいい。…だけどファロンに余計なことを言うな。」
「…そんなの…。」
ニナはそういいかけて、その先の言葉を飲み込んでふいとサロンから出て行ってしまった。
「…ちっとばかり…ショックだったか…?」
心配そうなビクトールにシェイが首を振る。
「きっと大丈夫。…ニナはちゃんと乗り越えるよ。」
「そうだといいんだが。」
心配そうなビクトールにシェイがくすっと笑う。
ビクトールはあれでも結構ニナを心配している。フリックのためにここまでやってきてデュナン軍に参加しているから、心細くなったりしないよう、気を使っているのだ。
フリックだって、いやだいやだといいながら、それでも彼女が危ない目にあわないように考えている。
本当にいやだったらとっくに親元に送り返しているだろうに、そうしないのはその証拠。
「…じゃあ、あの二人、本当は両思いなんだ?」
シェイの言葉にビクトールがうなづく。
「…ちゃんと思いが通じるといいんだがな。」
ビクトールの言葉にグレミオも頷く。
辛い思いをしてきた二人だから、ようやくめぐり合った今だから幸せになって欲しい。
これから長いファロンの人生のためにも。
ビクトールは自分とグレミオのグラスに瓶に残ったワインを注ぎ分けると乾杯して二人の幸せを祈りながら杯を干した。




                                                END

 

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