デュナン軍リーダーの誕生日というだけあって豪勢なパーティーが行われ、テーブルの上には乗り切れないほどの料理、サロンには山と積まれたプレゼント。
それらの全部が、シェイがどれほどみんなに慕われているかをあらわしている。
『だから、大変なんだけどね。』とファロンにだけ見える角度で困った顔をして呟いたシェイは、次の瞬間にはもう明るい顔で笑っていて。
ファロンは自分のトラン解放軍と違った明るい賑やかな雰囲気の中で、それはそれで大変なんだなとぼんやりと考えていた。
夜も更けて満月が上りきる前に、朝から厨房で料理を作り続けていたナナミが部屋に戻り、昇りきる頃にテレーズが部屋へと引き上げるのを合図にほとんどの女性陣が引き上げた。
「それでは、私もそろそろ失礼いたします。」
ファロンがそう言うとシェイがにっこりと笑ってうなづく。
「うん。また明日の朝。ここで朝食だからねー。」
ファロンは微笑んで頷いてからサロンから出て行った。
木製の重いドアを閉めると廊下に出て、昼間、シェイに案内してもらった通りに道を辿る。シーアン城内は広いのでサロンから少し離れたところに用意された部屋まではちょっと歩くことになる。
「ファロン。」
急に後ろからかけられた声に、ファロンは振り向かないでもそれが誰であるかをわかっていた。同時に、だからこそばくばくと心臓がフル活動をし始める。
「…ファロン。…部屋まで送ろう。」
早足の足音が後ろまで接近してきたのを聞きながら、ファロンは再び無言でゆっくりと歩き出す。
何かを話したほうがいいと分かっているが、何を話していいか分からない。
すぐ側にフリックがいるというだけで頭の中がパニックを起こしている。
パーティーの間中もフリックはずっとこちらを見ていた。自分の隣にはずっとシェイがいたし、マチルダ騎士団の二人がサブエスコートとしてついていたために、直接会話することはほとんどできなかったけれど、それでも視線がずっとこちらを向いていたのは知っていたし、自分だってシェイや他の人との会話の合間にフリックのことを何度も見て、だから何度も目が合った。
おそらく、何をか言いたいだろうことは簡単に予想できたし、何を言いたいのかも少しは分かっていた。
「…いつ、戻ってきたんだ?」
少し後ろからフリックが尋ねてくる。その声は昔と全く変わりない。
「…少し前。」
声が震えているのがばれないように早口でそう答えながらも足はどんどん動いていく。
「ファロン、待ってくれ。」
ファロンは無意識のうちに早足になっているのをフリックの制止の言葉で気づいたが、今さら歩調を緩めるのもはばかられ、そのまま進む。
そうして少し二人の間が開いた頃、曲がり角の壁にもたれた誰かの影がすっと目に入った。
「……ニナ…さん?」
ファロンが壁にもたれて立っていた人影の正体を口にすると、名前を呼ばれた彼女は不機嫌そうにちらりとファロンを一瞥する。壁から身を起こして離れると一歩、ファロンの方に歩みだす。
「…あなた…トランの英雄なんですってね。」
その言葉にファロンの顔が凍りつく。そう呼ばれるときに人はおおよそ二つの感情のどちらかを自分に向けてくることを知っていたからだった。
ひとつは深い同情または深い同情から来る賞賛、ひとつは…忌避。
ファロンはそのどちらの感情を向けられるのも嫌だし、しかも、この少女の表情からはより自分が避けたい忌避の感情を持っていることは間違いない。
丁度後から追いついてきたフリックをニナはちらりと見るともう一度ファロンに視線を戻した。
「…私、知ってるわ…。…トランの英雄はソウルイーターを持っている。」
低い、怒気を篭めたニナの言葉にぴく、とファロンが反応する。
「ソウルイーターって側にいる人の魂を食べるんでしょう?…だったら。」
ニナはもう一歩ファロンの方に踏み出した。
「…フリックさんから離れて!…あなたが側にいてフリックさんに何かあったら…!!」
「ニナ!!!」
二ナの言葉に慌ててフリックが二人の間に割って入り、ファロンをかばうようにして立ってからニナに向かって怒鳴りつけた。
「なんてことを言うんだっ!」
「だって、本当のことじゃないっっ!フリックさんだって知ってるんでしょうっ!?」
「違う!」
一段と大きな声で怒鳴るフリックにびくりとニナがすくんだ。普段と違うフリックの様子にニナの瞳に僅かな怯えの影が宿ったのをファロンは見逃さなかった。
「…フリック、構わないよ。」
先ほどのフリックとは正反対のファロンの静かな声がその場に張り詰めた緊張を解くように響く。驚いてフリックが振り返るとファロンははっきりと明言する。
「…彼女の言うことはあっている。…私に近づくな、フリック。」
そう言ったファロンの顔は僅かに微笑んでいて、だけどひどく寂しげであった。
「…俺は…。」
何かをいいかけようと口を開くが、いい言葉が出てこないようでそのままでいると、先にニナの方がファロンを排除するためにさらに追い討ちをかける。
「そうよっ!オデッサさんだって、自分の父親や友達だって、それに、マッシュっていう軍師だって!みんなこの人の持つソウルイーターに食われたんでしょうっ!?そんな呪われた紋章を持つ人が側にいたら、フリックさんだっていつかは殺されちゃうっ!」
ニナの叫びにファロンはきゅっと唇を噛み締めた。
「だまれっ!!!」
激昂したフリックが怒鳴ったのと、後から追いかけてきたシーナがその状況に驚いてニナをファロンから離そうとしたのは同時だった。
「…それ以上を言ってみろ。…俺は何をするかわからないぞ。」
今までとは段違いの殺気を込め、ともすれば腰に佩いているオデッサ++に手を書けそうな勢いで言った言葉に、思わずニナの口から悲鳴があがりかける。
「フリック!止めろ!」
後ろから飛んだ厳しく嗜めるようなファロンの声にフリックは信じられないような顔をする。
「…ファロン。なぜ止める。」
「…謝れ。…フリックが悪い。」
「なによっ!それで私をかばったつもり!?」
ファロンの言葉に逆にニナが烈火のごとく怒りだした。ライバルともいえる人にかばわれたことは屈辱以外の何者でもない。
「そんな格好つけたって、私はさっき言ったこと、撤回しないんだから!」
鼻息も荒くいきまくニナにファロンは厳しい視線で彼女に返す。
「…かばったのはフリックを、だ。…女性に何かしたら、彼の名に傷がつく。それに。」
そう言ってファロンはちらりとフリックを見た。
「…オデッサ++を…そんなことのために使うな…彼女が…悲しむ。」
本当に悲しそうに言うファロンに、みるみるうちにニナの顔が真っ赤になっていった。
「ニナ!こっちに来るんだっ!」
これ以上はさすがにまずいと思ったのか、シーナが機転をきかせてニナを力づくで引っ張っていく。ニナの怒号が遠くから聞こえてきたが、最早怒りで本人も何をわめいているかわからないのだろう、言葉は怒りの感情を込めているという以外ほとんど理解できないものだった。
ファロンはそれを見送りながら、やがて視界から二人が消えると傍らに立っていたフリックに視線を移した。
「…一緒に、行くといい。」
静かに呟いてファロンはまた自室へと向かうために長い廊下を歩き始める。
「ファロン!」
「彼女についていてやったほうがいい。…言いながら、自分が傷ついている。」
「嫌だ。…ニナはシーナがなんとかする。」
ようやく部屋の前に辿り着いたファロンはくるりと振り返って射すような視線でフリックを見る。
「今の彼女にはフリックが必要だ。」
「ニナよりファロンのほうが傷ついてる。」
言い放ったフリックの目は酷く真剣で、ファロンは困ったように眉を寄せるとまたドアの方を向いて中に入っていってしまった。
「ファロン!」
ファロンは部屋の中の澱んだ空気を入れ替えるために窓辺に向かう。
背後ではドアが閉まるのとほぼ同時に素早くドアをあけたフリックが中に入ってきた気配がしたが、振り返りもせずそのまま窓の外に広がる景色を見た。
眼下にはシーアン城の庭が見え、ところどころ篝火が焚かれている。その外側には高い城壁。そしてさらに外側には最近でき始めた城下町らしき家が並び、その向こうには広い平原が続く。
わずかな期間で見事に復興を遂げたシーアン城はいまや昔のノースウインドウよりも活気に満ち溢れ、賑やかで楽しい声がいつも響いているのだろう。
ファロンはそう思いながら背後の気配にも気をとめていた。
厚手のカーテンが湖へと吹く風に煽られて僅かに揺れていた。
「…ファロン…。」
「…用事なら手短に。」
窓から離れようとせず、外を眺めたままファロンは硬い声で言う。
もし、ここでフリックの方を向いてしまったら、せっかく固めた決意が揺らぎそうだった。彼には迷惑をかけたくない。紋章の餌食にはしてはならない。だから何も余計なことは言ってはいけない。
ここを訪れることになった時に密かに自分の中で固めた決意。
「…ファロン。…何も言わないで勝手に旅に出て…すまなかった。」
フリックは開口一番にそういった。
それは3年前、あの王宮でのことをさしているのだろう。そして、必ずそのことに触れるだろうこともファロンは予想していた。
旅に出てから、ファロンなりにどうしてフリックは何も言わずに消えたのだろうと、ずっと考えていた。だけど、考えれば考えるほど、やはり自分たちはリーダーとサブリーダーという間柄だけであったという答えにしか行きつかず、悲しい思いばかりをしていた。
所詮自分はオデッサさんの代わりにはなれないから。
最初から分かっていたはずなのに、フリックの生来の優しさを勝手に誤解して、期待した分落胆も大きくて、それを現実として目の前に突きつけられてファロンはひどく悲しかったことを覚えている。
でも、それはフリックが悪いのではない。全て勝手に誤解していた自分が悪いのだ。
浮かびかけた涙をこぼれないようにするためにファロンは少し上を向いて中天にある月を眺めていた。
「俺は…戦いしかできないから…戦争が終わったら、おまえに何もしてやれなくなる。…それに…おまえは大統領になり…そのうちに…家柄も財産もある男と結婚して…家を継ぐんだと思った。…俺は…おまえに何もやれないから…だから…。」
ファロンはそこまで聞いて、まるで他人事のようにあの時自分が置かれていた立場を思い出した。そういえば、自分は大統領に押されていたのだった。
もし、あのときにグレッグミンスターを出奔しなければ、フリックの言う通り、大統領になり、マクドールの家の跡継ぎとして誰かと結婚していたのだろうか。
だけど、おそらく自分は誰とも結婚しなかっただろう。
自分の胸の中にはフリックがいて、その人と結ばれることがないのなら、他の誰とも結婚しても仕方がないから。
何もなくてもいいから、フリックの気持ちだけが欲しかったのに。
それ以外は何もいらなかった、それだけあれば充分だったのに。
だけどソウルイーターを持っているがゆえにその気持ちさえも受けることができない自分には到底幸せには縁遠いことも分かっていた。
「別れを言うと…辛くなるから。…だから勝手に旅に出た。…でも…いつもファロンのことばかり考えていた。…自分から勝手に旅に出ておいて虫がいい話だが…会いたかった。…一目だけでもいいから…遠目でもいいから…ファロンに会いたかった。」
ファロンは少し掠れているようなフリックの言葉に少し動揺をしていた。そう思ってくれていたのは昼間の行動からも分かったけれど、それが仲間意識からであるのか、好意からであるのか分からない。期待するとその分後悔すると前に学習したことも忘れてはいないから。
でも。
好意からであって欲しいとどうしても願わずにはいられない。自分がどれだけ浅はかな望みを抱いているか分かっているつもりだが、それでも心が勝手に願ってしまう。
まるで判決を待つ被告のような心境でファロンはその先に続く言葉を待っていた。
若干の沈黙の後、わずかにフリックが唾液を嚥下する音が聞こえて次の言葉が響く。
「…会って………おまえが…好きだと………愛していると…言いたかった…。」
こみあげる切ない胸の痛みと共に涙が溢れてくる。
もうこれ以上、望むものは何もなかった。
たった一つの願いは叶ったのだから。
「俺が勝手にそう思っているだけだから。…別にファロンは気にしなくていい。…ただ…どうしても…知っててほしかった…。」
フリックは照れ隠しなのか、明るくそう言うと次に気持ちを落ち着かせるためにふぅっと息をつく。
「…用事は…それだけだ。…遅くに…すまなかったな。」
いけない、とファロンが気付いて顔をあげる。
自分にはフリックに伝えたかった言葉があったのに。
「おやすみ…ファロン…。」
背後で優しい声がするのと同時に足音が聞こえた。
行ってしまう。
慌てて振り向くと、フリックの青のマントが一面に見えて。それがあの王宮での最後の姿と一瞬オーバーラップし、胸が思い切り絞られたように痛くなる。
「待って。」
からからになった喉の奥からようやく掠れた声を絞り出した。
まだ伝えていないことがある、ずうっと言えなくて後悔して来たことが。
すると部屋を出て行こうとしていたフリックが足を止めてこちらを振り向いた。
「私も…フリックにいわなくちゃいけないことがある…。」
驚いているフリックに喉の奥から声を絞り出すようにして言う。フリックがドアノブにかけようとしていた手を戻し、ファロンのほうに向き直ってから、思っていたことをゆっくりと話し始めた。
「…解放戦争の時…何度もくじけそうになった。…だけどフリックがいてくれたから…頑張れた。…悲しいときも…寂しいときも…いつも側にいてくれたから…とても心強かった。…本当にありがとうって、ずっと言いたかった。」
それを伝えるために来たといっても過言ではなかったけれど、それが結果的に騒動を引き起こしている。
先ほどのニナの顔がちらりと脳裏を掠めて行った。
「…ごめん…。…迷惑かけるつもりはなかったの…。…ただ、一目だけ会いたかったの…。」
会って無事を確認したかった。
どんな姿になっていても生きていてくれればよかった。
ほんの一瞬でもいいから姿を見たかった。
その願いも、胸の中にしまってあった唯一の願いも、もう全ての願いは叶ったから。
「明日には帰るから。…だから…許して…。」
フリックが気を使わないように努めて明るく言ったのに、滂沱として流れる涙は一向に収まらず、自分でも収集がつかない。
その間にフリックは大きい歩幅でこちらまで歩み寄り、いきなりまた昼間のようにその腕の中にファロンを収めて強く抱きしめた。
「…迷惑なんかじゃない…。」
搾り出すような声。
そう言ってくれることが単純に嬉しかった。本当に好きでいてくれると、そう思えて嬉しかった。それだからこそなおさら紋章の餌食にすることはできないから。ファロンは腕の中から逃れようと身じろぎをするが、しっかりと抱きしめられていて逃れることは叶わない。
「…彼女の言うとおり…側にいるといつかは…食われるよ…。」
「食われないさ。…もしソレが俺を食うというのなら、もうとっくにあの時、王宮の中で命を落としていた。…でも、俺は生きている。」
そう言って綺麗な青の真剣な瞳がファロンの瞳を覗きこんで、次に右手を取ってその紋章を覆い隠しているグローブを外した。
手にはくっきりと紋章が浮かんでいて、それは受け継いだあのときから全く変わっていない。
「…この紋章。…確かに呪いの紋章と呼ばれているが…。」
フリックはそう言って一度ファロンの瞳を見て、それから紋章に視線を戻す。
「…ファロンが持つものならば呪われていても構わない。愛している。」
そういって、フリックは紋章にそっと口付けた。
そういうフリックの一連の行動に、紋章は何の変化も起こさない。先日のバナーの村で紋章が怪しく蠢いた様に、標的を得た紋章は怪しく光を放つのに、今日に限っては大人しくしている。
フリックはじっと紋章を見つめるファロンの右手を愛しそうに取り、もう一度その掌にキスをする。
「なぁ、ファロン。…コイツは生と死を司る紋章って言われてんだろ?…だったらさ、こいつ、生をもその力にしているんだから…不幸ばかりを起こすとは限らないぜ?」
にこにことフリックは笑顔を見せる。
「確かにさ、テッドは住んでいた村を全滅させられた。…それはこいつが間接的原因だったとしてもやったのはあのウィンディっていう魔術師だ。コイツの力じゃない。」
フリックの言葉に過去の洞窟でテッドの住んでいた村を訪れた時のことを思い出した。別にソウルイーターがあの村を全滅させたわけではない。この紋章を狙ったウィンディがあの村を全滅させたのだ。
「…それからさ、おまえの父親も親友も。…確かにこの紋章の中に入ったよ。…名前の示すとおり、コイツは確かに魂を食う。…だけどさ、みんなそうしてファロンのそばにいる。それは幸せなことだと思わないか?」
ファロンはフリックの言う意味がわからずにわずかに首をかしげて真剣な瞳を見つめ返す。
「…俺だったら、たとえばオデッサがここにいて常に自分を見守ってくれているんだったら、それはとても励みになるし、幸せなことだと思う。」
そう言ってフリックは雷鳴の紋章の宿る自分の右手を残念そうに眺めた。
「それからさ…コイツはファロンの近しい人間の魂を食うたびにひとつずつ力を解放してきた。こいつだけに限らず、紋章は普通4つの力を持つよな?ところがこいつはもう4つの力を持っている。…だからもうこれ以上贄はいらないはずだぜ?」
どうだ、とばかりに得意げに言ったフリックに、どうしてそんな簡単な理論が展開できるのだかと苦笑しそうになるけれど、言っている彼の顔はひどく真剣で、だからこそ浮かびかけた笑いも自然に消える。
「…生あるものはいつか果てる。…全部が全部、コイツのせいじゃない。…な?」
そう尋ねてきた顔がまるで少年のようで。
3年間、あわなかったうちに随分と大人びて格好良くなったフリックだったが、まだまだ笑うと子供っぽい顔になる。
そういえばいつもこの笑顔に助けられていたんだったと昔のことを思い出した。この笑顔はなんでも信じられる気になる。どんなに辛くても、それがある限り、耐えていける気にさせてくれる。
「…脳天気。」
ぼそ、と呟くと、フリックがむぅっと眉をしかめる。その顔も覚えている。ビクトールにからかわれたりするときによくそういう顔をしていた。年齢の割に純粋で真面目なフリックはよくからかわれていたんだった。そしてこの人のそういうところがとても羨ましく、同時にとても好きだった。
「そんなんだから、ソウルイーターだって食べるのやめちゃうんだよ。」
ファロンの憎まれ口に、フリックは少しほっとしたような安堵の表情を浮かべた。
「つーことは、俺なら一緒にいても食われない、そーいうコトだろ?」
嬉しそうに言うフリックにファロンは苦笑をもらす。
「…どうだろうね。」
はぐらかして横を向いたファロンの顔をまっすぐに自分の方に向けながらフリックは真剣な瞳で食い下がる。
「絶対大丈夫だ。…食われたりなんかしないから。…だから、俺の側にいてくれ。…もう…離さない…離れたくない。」
熱っぽく耳元でささやかれた言葉にファロンの頬がかぁっと火照る。
あんなにフリックに関わらないようにしようと決めてきたのに、全てが無駄になる。
フリックだけは紋章の餌食にしたくはないのに。
「…なぁ、ファロン。…ダメ…か?」
美青年、なのに、そんな頼りなげな縋るような顔をされたらファロンだって言葉につまる。詰まるどころか、恥ずかしくて顔もまともに見られなくなる。
いい加減、自分の容貌に自覚を持って欲しいとファロンは心の中で呟いた。…自覚がないのもいいところのひとつであることは分かってはいるのだけれど。
「…バカ。」
「…そうかもな。…このトシにもなって…ホント、バカだよなぁ。」
自分でも分かってると言いたそうにうなづいて。
「でもさ。…バカだってわかってても…これだけは譲れない。」
自嘲的に笑いながらも、目は真剣で、切なそうな色を帯びている。
こんな顔をさせたいわけじゃない、いつもあの笑顔を浮かべていてほしいから。
少しだけなら紋章の力を抑え込むことができる今、フリックを護ることができるかもしれない。いや、何があっても、たとえ紋章にこの身を食われてもフリックだけは護ろう。そう決意して目の前の彼を見つめる。
返事をしないファロンを悲しそうな表情で見つめるフリックの襟をぐいとつかんで少し下に引っ張った。
「…絶対に…食われたら…ダメなんだからね。」
ファロンの言葉にぱっとフリックの顔が輝く。
「ああ。もちろんさ。」
「…それから…何も…できないけど…がんばるから。…フリックのために…何かできるように…。だから…。」
「側にいてくれればいい。それが一番嬉しい。」
「…うん…。」
くしゃ、っとフリックがファロンの頭を撫でる。
暖かい手の感触は昔と変らない。どんなに不安なときも、悲しいときもこうしてくれれば耐えていけた。前へすすむことができた。
「…ずっと…好きだよ…、フリック。」
耳元で囁いた言葉にフリックは破顔し、そうしてもう一度ファロンを力強く抱きしめた。
3年間、さまよい続けてきた思いはようやく行き所を見つけることができた。
たとえ、フリックがファロンの言葉に込められた長い長い時に気がつくことがなくても。
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