齋 藤 正 明 |
17期・関西支部 |
馬場島にて(昭和39年11月) (向かって右、左は戸田吉彦君) |
新雪の剣岳早月尾根 早月尾根の2100mの避難小屋を出発する朝は雨だった。天気概況では、前線は前夜のうちに通過し天候は回復に向かうととのことだったので、停滞を決める他パーティをしり目に、私たち三人は出発した。 その日の早月尾根はたしかに私たちだけのものとなったが、2600mから上部は急峻な雪稜と化し、ザイル確保に思いのほか時間を費やし、這々の体で夕暮れ迫る剣岳の頂上を踏んだ。 カニの横這いから下のルートを間違えて平蔵コルの避難小屋の真上に出てしまい、ハーケンを打って暗闇の中を懸垂で小屋に降り立った。 小屋の中にテントを張っていた先着の神戸のパーティのラディウスの音を耳にしながら、火の気のないツエルトにくるまり、チーズ、ビスケットやレーズンを囓った後は、寒く長い夜が待っていた。 翌朝快晴の中を前日登ってきたルートを下る。新雪を纏い荒々しい岩峰を連ねる小窓尾根、剣尾根が登高欲をかき立てる。馬場島まで一気に駆け下ったが、午後には早や天気が崩れ始めていた。 当時苦しかった山行も三十数年を経た今では楽しい山の思い出の一つとなった。 その後会を離れたパートナー、戸田吉彦、廣瀬弘一の両君は、今はどこでどうしているだろうか。 |
「六十年をふりかえって」 |
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「追悼鈴木鉄雄君」 | |
「父君の号泣」 |
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