「平和問題ゼミナール」
旧ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2005/10/01
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第85回配信
貧しきウラノスの子II


 

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ヴラーニェ市を眼下に見下ろすプリャチュコヴィッツァ山。急峻で岩盤も固く、劣化ウラン撤去作業は困難をきわめたが、地元自治体が特別予算で道路を整備して可能になった(画像提供:セ共和国科学・環境省)
    筆者を含む日本のテレビ取材班を乗せたおんぼろジープは急坂の悪路を登っていましたが、突然ボンネットから白煙を噴き出して止まってしまいました。日本ではほとんど経験しなくなったオーバーヒートです。まだ丘の頂上にある目的地までは百メートル以上の急な上りが続きます。幸い、同行していたセルビア共和国科学・環境保護省のチームに携帯電話で連絡が付き、彼らのジープで取材班と撮影機材も頂上までたどり着けました。 
    季節外れの暑い日々が続いた6月、セルビア南部のヴラーニェ市を見下ろすプリャチュコヴィッツァ山のテレビ中継塔に、劣化ウラン弾関係の番組取材に行った時の経験です。筆者にとって劣化ウラン関係の仕事は2001年、03年に続いてこれが三度目です。テレビの仕事では、見えない放射能という敵を映像で表現しなくてはならないわけですから、取材者はいつも大なり小なりの困難に出会うことになります。クライアントの記者氏、カメラマン氏に比べれば通訳・コーディネーターはまだ気楽なほうかも知れませんけれども。
    第41回配信では「貧しきウラノスの子」と題して01年初頭、ボスニアで劣化ウラン取材に世界のマスコミが殺到した時期の報告をしています(劣化ウラン問題の基本的情報、ボスニア・ハジッチの帰属変更とブラトゥナッツへの国内避難民流入などについては、今回配信では紙幅の都合上繰り返しませんので、第41回も参考にして頂けると幸いです。なお、このページを「(旧)ユーゴ通信」の「悲しきウラノスの子」としてご自分のHPに紹介して頂いた方もありました。有難いのですが、「悲しき」ではありません。「貧しき」である理由は当の配信をお読み頂ければ分かります)。それから4年半、三たび劣化ウランとの接点を持った筆者ですが、上に書いた取材者の困難などは生易しいほうで、劣化ウラン問題を巡る様々な困難を意識せざるを得ませんでした。筆者が同行した今回の取材は8月6日、全国系ネットでの劣化ウラン関係の番組として無事結実しました。まだ筆者は放送をチェックしていませんが、
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2年前ブラトセルツェ地区で着手された世界で初の組織的劣化ウラン撤去作業と発見された弾芯(画像提供両葉とも:セ共和国科学・環境省)
このページが放送内容と重複する部分は大きいと思います。また逆に番組の示したものとは別の方向に読者の皆さんの印象、結論を導く可能性もあります。このページの文章の責任は筆者・大塚真彦のみに存し、またその掲載に当たっては取材関係者の承諾を得ていることをお断りしておきます。

    コソヴォ(多数)とモンテネグロ(1箇所)を除く、すなわちセルビア本国で99年のユーゴ空爆中に劣化ウラン弾が使われたのは、セルビア南部のヴラーニェからマケドニア国境に近いプレシェヴォ近郊の5箇所ということが現在ではほぼ判明しています。第41回配信にも書いたように表層部の弾丸撤去は既に空爆直後の段階で終了していますが、2002年9月から延べ4ヶ月を掛けて、世界で初めての周辺土壌を含む組織的な劣化ウラン弾撤去消毒作業がプレシェヴォ市ブラトセルツェ地区で行われました。ここには空爆期間中ユーゴ軍戦車のダミーが置かれていて空爆されたものです。土壌が比較的柔らかいため、それほど着弾時の散乱はありませんでしたが、その分深くまで掘らなければ弾丸回収が不可能でした。着弾が確認されている地点周辺0・54ヘクタールを鉄条網で囲って立ち入り禁止とし、表層から1・5メートルの深さまでブルドーザーで掘削しました。
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劣化ウラン弾弾芯部(右上)の黄色い粉状の物質は酸化ウラン(ヴィンチャ原研にて筆者撮影)。地図の1プリャチュコヴィッツァだけはヴラーニェ市至近。2ボロヴァッツ、3ブラトセルツェ、4レリャンは住宅から比較的遠い。コソヴォ州の劣化ウラン使用推定地は記入していない
劣化ウランが使われている弾丸の弾芯部分が324点、周囲部分が314点(いずれも弾丸の数ではなく破片の総数)、土壌2800キロ分が回収され、ベオグラード近郊にある旧ユーゴ随一の研究機関、ヴィンチャ原子物理研(以下、原研)に運ばれました。監督機関に指定された共和国科学・環境保護省のコーディネートに従い、ヴィンチャ原研とセルビア=モンテネグロ軍の専門家らが作業に当たりましたが、その人員の安全を確保するため上の写真の通りの厳重装備です。もちろん多数の計数管の他、空気モニターが設置されるなど、放射能管理は徹底されました。
    プリャチュコヴィッツァ山は標高こそ1225メートルに過ぎませんが、冒頭に書いたように大変急峻です。ここにあったテレビ放送塔が99年に空爆されましたが、空爆した北大西洋条約機構(NATO)軍側の報告書には劣化ウラン弾使用箇所として挙げられておらず、セルビア当局側が放射能の存在を発見確認したものです。ヴラーニェ市を見下ろす地点にあり、5箇所のうち人口の集中している地区に唯一接近した地点なので、予行演習的な意味合いのブラトセルツェ地区の作業が終わった昨年7月から11月にかけて撤去が行われました。表面積は0・24ヘクタールに過ぎませんが、この地点までのアクセスが大変なため、ヴラーニェ市が特別予算を組んで道路を(悪路とは言うものの)整備しました。ブラトセルツェと異なり岩盤も固く、作業は困難をきわめましたが、予定通り4ヶ月で終了。回収土壌1500キロ、弾芯部49点、周囲部36点が発見されています(以上は共和国科学・環境保護省環境保護課S・シミッチ課長の談話と資料提供による)。

    撤去作業の中心となった専門家、ヴィンチャ原研のJ・ライチェヴィッチ放射線保護・環境保護ラボ局長は、「時間が経つと地中の劣化ウラン弾は酸化して水に溶けやすくなる。幸い他の4箇所は住宅が遠く住民への影響が少なくて済むが、プリャチュコヴィッツァはヴラーニェ市民の水に影響し得る場所なので一番心配だった。
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「憤慨を国として国際的にアピールしてもいい、だが相手が米英では・・・」政治的困難を語るポポヴィッチ共和国科学・環境相
今後も撤去箇所周辺の水質モニタリングを続けていく」と言います。
   ブラトセルツェ、プリャチュコヴィッツァの撤去にかかった費用は計5360万ディナール(約8570万円)でした。セルビア共和国政府の財政は、以前に比べれば確かに風通しが良くなっています(第82回配信参照)が、それでも決して小さな額ではありません。今年計画されているボロヴァッツ地区2箇所と来年のレリャン地区の撤去は予定通り行えるのでしょうか。科学・環境保護省のM・ニクチェヴィッチ環境保護局長は「将来のモニタリングも含め、すべてきちんとやって行きたいという気持ちはいっぱいだが、予定したスピードで作業が出来るかどうかは予算次第というところがある」と認めています。劣化ウランが使われている国は、大掛かりな撤去作業にそれほどフトコロをいためない先進国ではないことを私たちは覚えておかなければならないでしょう。
   A・ポポヴィッチ共和国科学・環境相は言います。「プリャチュコヴィッツァのテレビ放送塔のように、99年の空爆は多くの民間施設を破壊し、しかも劣化ウラン弾を使ったという事実に憤懣を感じている。対人地雷の使用禁止がこれだけ言われているのに、学術的に健康との因果関係が確認されていないというだけで劣化ウランの使用が黙認されているのはやはりおかしい。国際的にアピール出来るチャンスがあればセルビアまたはセルビア=モンテネグロが積極的に劣化ウラン禁止に動くべきだと思うが、相手はアメリカ、イギリスという大国なので効果のほどは『?』印かも知れない」。

   取材班はセルビアを離れ、隣国ボスニアのハジッチ市、旧車両・兵器整備工廠を訪れました。大量の劣化ウラン弾が一箇所にまとめられ、多国籍軍による回収を待っていたのが第41回配信の時。2年前筆者が再訪した時は、同行したジャーナリストが持ってきた計数管はいくつかのポイントで「ピーピー」とまだ高い音を立てていました。
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第41回配信でも紹介したハジッチの整備工廠。写真の建物など大半の劣化ウラン撤去は終了したが、まだ地雷で作業が出来ない箇所が数百平米残っている
プリャチュコヴィッツァ同様、ここも昨年ようやく組織的な撤去消毒作業が行われ、現在の放射能レベルは自然値よりも若干高い程度にまで落ちていました。
   「しかしまだ弾丸が残っている」とZ・ヴチナ・ボスニア連邦公衆衛生局長は説明します。「整備工廠の150ヘクタール近い広大な敷地のうち、数百平方メートルは表面が土だが、この部分にはまだ地雷が残っていて、その撤去が済まないと劣化ウラン弾の撤去消毒は始められない。後者は早くて今秋、恐らく来年になる見通しだ」。
    NATOの空爆によって敵・セルビア人勢力の拠点だったハジッチと整備工廠が奪還できた背景があるので、ボスニア連邦側での劣化ウランに関する意見には政治的バイアスがかかるのではないかと筆者は内心不安だったのですが、Z・ファズラギッチ整備工廠社長は「健康に影響があり得るという点でセルビア人もボスニア人も関係がない、ケシカランものはケシカラン」、ヴチナ局長も「まず健康第一、徹底した撤去に努力したい」という態度だったので安心しました。しかし筆者は取材班に「和平から10年が経ち、少なくともサライェヴォ周辺で安全上の問題はない」と説明していただけに、地雷という思わぬ伏兵の登場には頭を抱えてしまいました(日本国外務省は残存地雷その他の理由でボスニア全土に現在も勧告「十分注意して下さい」〔旧危険度1〕か「渡航の是非を検討して下さい」〔同2〕を発しています)。

    劣化ウランが人体の健康に及ぼす影響については、現在も議論が続いています。91年の湾岸戦争で使われたのが最初という劣化ウランは武器としての歴史が浅いものです。一方、癌との因果関係が明らかになるには10〜15年が掛かるとみられています(チェルノブイリ事故のもたらした広域影響は19年経った現在ようやく具体的な数字になろうとしています)。旧ユーゴ圏での「バルカン症候群」には依然理論的決着が付かず、イラクではまだ徹底した調査が行われぬまま米帰還兵、イラク住民の双方で劣化ウランの悪影響が取り沙汰されています。
    サライェヴォのセルビア人共和国側(セルビア人サライェヴォ市)にあるカシンド総合病院は、
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セルビア人共和国東部の悪性腫瘍罹病者数の年次変化(カシンド総合病院提供の資料を基に筆者作成)
馬蹄形の領土の同共和国の東半分で最高の医療機関と位置づけられており、95年のNATOボスニア空爆で劣化ウランが使用された地域またはそこの出身者が多い地域(ハン=ピエサク市、ブラトゥナッツ市など)の癌患者も多くがここに入院します。
   同病院のS・ジュドラレ院長は「空爆があったのは95年だが、96年以降呼吸器、消火器、泌尿器、血液循環系の悪性腫瘍が明らかに増加している。10万人に対し通常は3〜4人の白血病やホジキンス氏病もこの地域では7〜10人と高い。これは劣化ウランの影響ではないかと思っている」と言い、96年から01年までの悪性腫瘍(癌)罹病者数の伸びを示すデータ(左図)と罹病率を示しました。

    しかしジュドラレ院長が強調するほど、この罹病者数ないし罹病率のグラフだけで「癌が何らかの原因で急増した」とは結論できないのです。これらデータを後述のベイヴァストック博士に見せたところ、博士はすぐにそれを指摘しました。筆者も近年医療機材関連通訳の仕事の経験があるので「あ、そうか」と理解したのですが、早くカシンドでそれに気付いて院長に反問すれば良かった、と悔やみました。読者の皆さんは医療統計特有の落とし穴があることに気付かれましたか?

    罹病者数とは、その病気にかかっている病人の本当の数ではなく、その病気にかかったとして登録された人数、つまり医療機関が把握している数のことです。風邪が流行っていても、自宅で市販の薬で治ってしまった場合は風邪の罹病者数にはカウントされません。逆に自宅で体調が悪くなって「オレは風邪をひいた」と決定できることはあっても、「オレは癌になった」と決定できることはまずないわけですから、グラフのような悪性腫瘍の罹病者数や罹病率は病院での検査結果が反映されているはずです。
   しかし、ある病院に以前の機材では発見できなかった腫瘍が発見できるような優秀な機材が入れば、癌発見件数は増えるのが普通です。
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セルビア人共和国東部のガン患者が来るのが前提のカシンド総合病院。確かに悪性腫瘍罹病率は急増しているが・・・
また、例えば政府などが「わが国では××癌による死者数が多いことが分かりました。早期発見なら大丈夫です」と検診(スクリーニング)を促し、病院に今まであまり来なかった人、自覚症状がない人まで早期検診に来るようになれば、罹病者数はやはり増加します。
   従ってこのグラフは、
(A)癌患者が増えた
   というネガティヴな結論が出るベースになるかも知れませんが、実は
(B)病院ないし当該地域の検査診断機能が上がった、あるいは
(C)市民が自覚的に早期検診に来るようになった、
(D)病院の信用が上がった、 といった「喜ばしい」結論しか導き出せない可能性もあるわけです。
   先進各国の復興援助、ボスニア自体の経済状態の良化などによって医療機材が増え、カシンド病院も診断機能がアップしたことは確かです。一方、カシンドにはいわゆる第三次医療機関、つまり地域最高レベルの医療を提供する総合病院として、地域の下次レベル(町の診療所、地方病院)では治療が難しい患者がすべて送られて来るのが理論的前提です。しかし実際には現在もカシンドよりベオグラードの医療レベル(か、少なくとも信用)が高いことは残念ながら事実なので、ボスニアのセルビア人患者が隣国セルビア=モンテネグロの病院で治療を受けたり死亡しているケースが少なくありません。この場合はボスニアの統計から漏れている可能性があります。ブラトゥナッツで今回取材に応じてくれたあるハジッチ難民(正確には国内避難民ですが、以下本ページでは難民とします)の青年一家も、かつてハジッチ整備工廠で働いていた母親を昨年癌で失いましたが、この人はベオグラードの病院で息を引き取っています。つまり罹病者数は劣化ウランとは別の、上記(B)〜(D)などの要因によってある時点から増えた可能性もあるし、統計漏れで実際より少ない可能性もあるわけです。
   一方、上には示していない罹病率(morbidity)は、総人口に対する罹病者数のことです。ここで統計の基盤となる総人口ですが、難民化とその帰還など、戦争後のボスニアは人口移動が現在も続いており、病院が把握している数字と実数が大きくズレている可能性があります。
   せっかく取材班にデータを提供して頂いた院長の訴えを無駄にしたくはないのですが、これでは統計としては足りません。こうしたところにも劣化ウランと癌の因果関係を言うことの困難があります。

ブラトゥナッツ

  劣化ウランを使った空爆当時の整備工廠に勤めていた人も多いハジッチ難民の町、ブラトゥナッツを再訪しましたが、ここでも取材者の困難に行き当たってしまいました。
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なかなかハジッチ難民が取材できないのです。「ヨーヴォはセルビア人共和国の別の町に引っ越しちまったな、ボバンもカナダに移民したとか聞いてるよ」。「ジャーナリストのゼレノヴィッチは?」「あいつはサライェヴォかハジッチに戻ったという噂だね」。そして取材拒否。第41回配信で実名を挙げた医師は、ブラトゥナッツ一般市民とハジッチ難民の死亡統計を取っていました。今回本文のカシンド・ジュドラレ院長よりも有効な数字が出てくるとしたら彼女のところしかないはずです。しかし同医師は筆者に対し電話で「もう02年以降、統計を取るのを止めましたし、マスコミさんにお話することはないと思います」。彼女は取材班に対して少ない言葉を選んでいましたが、その本音は、やはり01年に取材させてもらったことのあるハジッチ難民のGさんが代弁しているかも知れません。「4年前ブン屋さんが集中して来たときに何十人にも話をしたんだぜ、でも何になった?オレの取材謝礼のことを言っているんじゃないよ。相変わらずハジッチ難民は死に続け、ブラトゥナッツのセルビア人は貧しく、セルビアは政治的に弱く、イラクでは劣化ウランがまた使われ続けている。ブン屋さんに協力したってしなくったって何にも変わっていないじゃないか」。市郊外の墓地の、ハジッチ難民ブロック(写真)は4年半経って大幅に「拡大」していました。


    筆者はコーディネーターとして取材班のフィンランド、スイス取材に同行しました。
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文字通り森と湖に囲まれたフィンランドの美しい小都市クオピオ
フィンランドの首都ヘルシンキから北東に330キロ、クオピオ市は森と湖に囲まれた町で、殺伐とした旧ユーゴ圏の劣化ウラン使用箇所を見慣れた後の筆者は、ヨーロッパにもまだこんな美しい所が残っていたのか、と驚きました。フィンランドは環境、バイオ研究の中心地をそんな町に置いているのです。クオピオ大学環境科学部助教授のK・ベイヴァストック博士は、一昨年まで世界保健機構(WHO)で劣化ウランの人体に与える影響を調査する担当科学官でしたが、彼をチーフとする専門家チームが2001年にまとめた劣化ウランの発癌性を警告する内容の報告書が、WHO内部で発表差し止めになっています。

    劣化ウラン弾が戦車などに着弾した際には、爆発によって酸化ウランの微粒子を発生します。この酸化ウランには人体に吸入されると肺にとどまる大きさのものだけでなく、リンパ系を通って骨髄、腎臓に達し得る大きさの超微粒子も多く含まれることが知られています。しかしこのような体内の超微粒ウランが、非放射性物質であるニッケルのように重金属/化学物質として遺伝子を損傷する(=癌を発生させる)のか、放射能が影響を及ぼして遺伝子損傷に至るのか、詳しいメカニズムは完全には解明されていません。
   国際放射線防護委員会(ICRP)の現在のテーゼは、
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「従来のリスク評価法とは異なる地平で劣化ウランの危険性を確信する」クオピオ大学のベイヴァストック博士
「肺にとどまるならば放射能として発癌の危険性がある。腎臓などに入った微粒子は腎機能障害を引き起こす可能性がある」というものです。ウラン鉱山労働者の危険性などに関する従来の研究は、(肺にとどまった)ウランの放射能がどのくらいの強さで細胞に当たった時に遺伝子損傷=発癌が起こり得るかをポイントとしてきました。
   「ところが肺より『奥』に劣化ウランが残った際の質量から考えると、ウラン238の崩壊によって発生される放射能は、一年にアルファ粒子2個程度の弱い線量だ。90年代に入り、こうした弱線量での体内被曝に関する研究は急速に進み、新しい発見が相次いだ」と博士は説明します。
   放射線生物学や放射線基礎医学の分野では、細胞一個のみに放射線を照射するマイクロビーム技術が発展しました。細胞が死なない、あるいは増殖機能を失わない程度の弱い放射能が照射された際、その細胞ではなく照射されていないはずの周辺細胞に遺伝子損傷が起こる現象(バイスタンダー[=傍観者]効果)や、何世代も経って、すなわち分裂を何回か繰り返した後に遺伝子損傷が伝えられる現象(ゲノム不安定性)が知られるようになってきました。
   「これらの新発見を汲み入れると、ウランの持つ重金属/化学毒性と(高線量での)放射能毒性だけでなく、弱線量の場合はその相互作用も可能性として考えられるようになる。つまり3つものルートでの危険性があるのだから劣化ウランはクロと考えるべきだ、というのが01年のWHO報告書のポイントだった」。この報告書(本文末注記参照)は、劣化ウランの発癌性を考える際に、ある細胞に照射された線量だけをベースに構築した従来のリスク評価は不適当であるとして、これを採用し続ける英王立協会、WHO、国連環境計画(UNEP)を半ば批判的に扱っています。

    ではなぜこのベイヴァストック報告書がWHOの公式文書として採用されなかったのでしょうか。ジュネーヴのWHOで環境保護局(放射線・環境衛生課)のM・レパチョリ局長代理に尋ねることになりました。
    「ベイヴァストック報告書は、バイスタンダー効果やゲノム不安定性など、まだ完全に科学的に市民権を得ていない最新の研究を取り入れている。低線量体内被曝に関しては他の専門家も注目し出しているが、まだ実証が足りないのが実情だ。
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「危険勧告を出すにはまだ実証が足りない」とするスイス・ジュネーヴのWHO本部とレパチョリ環境保護局長代理(左上)
一方WHOは紛争抑止が主任務ではないが、『劣化ウランは危険だ』と勧告を発すれば使用を抑止し得る力を持っている立場だ。明確な学術的証拠がまだないのに、ベイヴァストック博士一人の研究だけを基盤にしたあやふやな勧告を出すべきではない。博士はWHO名で発表は出来なかったが、個人での出版や発表に圧力を掛けているわけではない。WHOの専門科学官たちは研究調査を続けているし、放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の優れた専門家グループが今秋以降劣化ウランの調査をまとめる予定だ。ここで危険との結論があれば、WHOとしても勧告を出すことは十分あるだろう」。

    なるほど、お役所的発想ではありますが、筋は通っているようにも聞こえます。しかしベイヴァストック博士は政治的なウラがあるのではないかとも疑っています。「同じ国連機関でも、WHOより放射能の有効利用を宣伝する立場の国際原子力機関(IAEA)が政治的に強いし、ここが劣化ウランを使っている英国の王立協会、放射線防護庁などと劣化ウラン・ロビーを形成し、WHO、ICRPなど本来放射能のマイナスを言うべき機関を抑え込んでいる可能性がないとは言えない」(筆者注:ベイヴァストック博士はイギリス人です)。  
    これに対してレパチョリ局長代理は「WHOがIAEAなどから独立していなければならないことはよく承知している。だからこそ上記UNSCEARの調査報告を待つべきだ」と答えただけでした。

    因果関係を(少なくとも現時点で)明確にさせることの困難はベイヴァストック博士も認めています。「ヨーロッパ人の4〜5人に一人は癌で死ぬ。それほど『ポピュラーな』疾病だし、ストレスからタバコまで様々な要因が考えられる中で、劣化ウランの悪影響がはっきり現れるには最低10年かかる」。しかしグレーなものは使わないという予防原則は機能しないのでしょうか?それが米英の力の政治なのでしょうか?  

(2005年9月下旬)


このHPは理科系専門サイトではありませんので、専門的には「DNA」「ゲノム」「染色体」の術語を使い分けるべき箇所を「遺伝子」の語で統一しています。また「悪性腫瘍」と「癌」を同義で使用しています。
ベイヴァストック博士のWHO未発表報告書は、博士自身の言によれば「本人に無許可で」インターネット上に公開されています。博士の最近の動向に関しては以下のサイトをご参照下さい。博士とWHOの問題に関する英サンデー・ヘラルド紙04年2月22日付、またはその邦語訳。本年6月の国際ウラン兵器追放連合(ICBUW)本会議での博士の発言、またはその邦語訳
画像・資料を提供して頂いたセルビア共和国科学・環境省、セルビア人共和国カシンド総合病院スラフコ・ジュドラレ院長に謝意を表します。この他執筆に当たっては放射能一般と劣化ウラン、低線量被爆、分子生物学、放射線生物学、劣化ウラン反対運動などの分野でいくつかのサイトを参考にしています。画像の一部は筆者が2005年6月に日本のテレビ取材に同行した際撮影したものです。また本文にもこの取材及び2001年1月の別の取材の通訳として業務上知り得た内容が含まれています。これらの本ページへの掲載に当たっては、各取材関係者の許諾を得ています。
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