「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2002/09/30 10:02

第61回配信
動員力ナンバー1は?


 

瀟洒なブティックや喫茶店が並ぶニシュ市の歩行者天国は2年前に較べかなり垢抜けた感じになった
   9月中旬にセルビア南東部のニシュ市に滞在する機会がありました。筆者にとっては2000年9月にユーゴ政変直前の同市を見て以来のことです。セルビアも「南北格差」がかなり顕著な地域ですが、人口だけならセルビア第2の都市であるはずのニシュは「南」の代表。空爆被害とミロシェヴィッチ政権末期の経済苦境にくたびれていた当時の町から、2年でかなり変わったことが分かりました。もちろん如何にも社会主義然とした灰色の建物が急に美しくなったわけではありませんが、中心部の歩行者天国には少しお洒落なブティックが登場し、トルココーヒーがなくエスプレッソしか出さないような若者好みの「オシャレ系」喫茶店も増えていました。政変による民主化から2年、疲弊しきっていたセルビアの町も少しずつ新しい顔を見せ始めています。
   ベオグラード中心部では8月中旬から目抜き通りで大工事が始まりました。そのうちの一つ、ミラン王大通り(旧ティトー元帥通り、その後「セルビアの諸領主大通り」の時期を経て現在名に改称)でも、「首都のヘソ」テラジエ地区からスラヴィア広場まで車両全面通行止め、各種配管工事が行われており交通が混乱しています。しかし11月末には少し新しくなった首都の姿が見られることになると思います。
   また高速ブダペスト〜ベオグラード〜ニシュ〜スコピエ線(E−75、通称第10回廊)も各地で再舗装工事が始まりました。このルートはオーストリア、ハンガリー、クロアチアなど中欧方面とマケドニア、ギリシア、トルコ方面を結ぶ東西の、あるいは南北の重要な交通路に当たりますが、経済制裁とミロシェヴィッチ前政権の「無策」のためにセルビアを通る主要道の舗装は92年以後ほとんど整備されることがなく、相当ひどい状態でした。2年後に迫ったアテネ五輪でE−75の交通量が急増することを見込んでユーゴ・セルビア政府が公社を設立して再整備するというもので、
高速ベオグラード〜ニシュ線上に待機する道路舗装用機材
単に舗装作業だけで終わるのではなく、インターチェンジ6、ガソリンスタンド70、モーテル45などの新設、高速と並行する鉄道や通信の整備、ノヴィサド市など沿線都市の再開発などを視野に入れています。まだ財源は確定していませんが、欧州復興開発銀行(EBRD)などの国際機関、内外の民間投資をテコ入れとして「アテネ五輪景気」を周辺国と共に一気に盛り上げようという欲張りな計画です。第57回配信で触れたクロアチアの高速ザグレブ〜スプリット線建設計画同様、ニューディール的な短期雇用創出はマクロ経済ではあまり意味がない「付け焼刃」であると私は思いますが、それでも本当に「10万の取りあえずの働き口が作れる」(連邦政府高官)とすれば軽視は出来ません。
   社会主義政権が倒れ、市場経済の波が入って来る。その中でインフラ整備は最初の最初に進めるべき作業で、まだユーゴ民主化は始まったばかりと言っていい段階です。しかし前政権時代には考えられなかった発展への「方向」ははっきり目に見えて来ました。問題はその「速度」ではないでしょうか。



   現職ミルティノヴィッチの任期満了に伴い、9月29日にセルビア共和国大統領選の第1回投票が行われます(単独で50%以上を占める候補者がなかった場合は10月13日に上位2名による第2回投票)。セルビア共和国大統領と言えば、かつてあのミロシェヴィッチが強大な権限を振るったポストです。しかし共和国憲法上、大統領が議会の多数勢力と異なる党派に属する場合はそれほど強い立場にはなり得ません。
曲がりなりにも2年間実績を積んできたラブス連邦副首相兼対外経済相は「国際機関との協力で経済をさらに上向きに」と親欧改革路線で選挙戦を進める
ミロシェヴィッチがユーゴ連邦大統領へ横滑りして選ばれたミルティノヴィッチ現大統領は前政権幹部の一人で、一昨年の政変後は全く形式的な大統領職にとどまっていました。99年ユーゴ空爆時にオランダ・ハーグの国際戦犯法廷から訴追されているため、今回選挙後に自発的に同法廷に出頭するものと見られています。
   彼の跡を襲うべく11人が立候補しましたが、今やセルビア一の実力者となったジンジッチ共和国首相が事実上推すラブス連邦副首相兼対外経済相と、ジンジッチの政敵にして「緩速改革論者」コシュトゥニツァ連邦大統領の一騎打ちになるという予想が有力です。従って、政変後2年のセルビアを切り盛りしてきたジンジッチの「一応は急速改革」路線に対する「信任投票」の意味合いが強いものとなりました。
   ラブス候補は上記の高速E−75整備計画の中心人物でもあり、現政権「経済派」の領袖です。ジンジッチ、コシュトゥニツァらが持つ悪い意味での「政治屋」イメージが薄く、今回も形式的には政府の経済ブレイン団体G17推薦による立候補です。しかし、かつてはジンジッチが党首を務める民主党の副党首だった時期もあり、セルビア首相が後ろ盾になっていることは多くの有権者が承知済み。選挙演説では「この調子で発展を続ければ7〜10年でセルビア(セルビア・モンテネグロ)は欧州連合に入ることが出来る」(8月20日立候補宣言に当たっての発言)、「今の改革の波を止めてはならない。ここで止まったら給料も年金も止まってしまうし、新たな職はなくなる」(9月16日ズレニャニン市の集会)と、現政権の改革路線の追認を求めるトーンが目立っています。都市部、知識人階層の支持を得ることは問題ありませんが、小都市・農村部で不安があることからいち早く「120都市選挙宣伝ツアー」を宣言して「ドサ回り」に躍起です。筆者はラブス候補選対本部から9月14日の予定をファックスで送ってもらいましたが、これを見ても「10:30、ウジツェ市教会と市場を周りサイン入り綱領配布。12:45、バイナ=バシュタ市ドリナ河畔に降りて25分間釣り。16:15、バニャ=コヴィリャチャ町孤児院訪問」など、古典的な演説・集会ではなく、有権者への親近感を売る選挙戦を展開しようとしていることが分かります。
   一方、対抗馬のコシュトゥニツァ候補は知る人ぞ知るユーゴ政変の立役者。
コシュトゥニツァ連邦大統領は穏健民族主義、緩速改革を看板に保守票を広く集める作戦
3月の協定(第55回配信参照)によりユーゴがセルビア・モンテネグロに改組されることが決まりましたが、この新国家の大統領は全く形式的なポストに過ぎないことを嫌って、現連邦大統領からの横滑り当選を狙います。ジンジッチの強権発動により彼が党首を務めるセルビア民主党が野に下ってしまったこともあり、ジンジッチ路線に対しては「経済を良くすると言いながら結局利権をかっさらっただけだ。法治国家としての制度・体裁を整えない限り真の改革は不可能だ」(立候補宣言に当たっての党内演説)と手厳しく批判します。 コシュトゥニツァも「改革」という言葉を否定するわけではありませんが、穏健民族派、緩速改革論者の看板通り「東アジアや中南米で起こったことを考えてみると、盲目的に自由化するのが良いとは思えない」「国際社会がとやかく我々の改革に口出しすべきではない」など、保守層の共鳴を求める発言が目立ちます。
   各社の世論調査ではラブス、コシュトゥニツァが10%台後半から20%台前半で競り合っていますが、第1回で50%以上を取る可能性は非常に小さいようです。選挙戦が盛り上がるのはむしろ第1回投票が過ぎてからになることも考えられます。第1回投票後、3位までの民族主義票の多くがコシュトゥニツァに流れるのを恐れ、現在は静観に近い状態で様子を見守っているジンジッチの民主党はラブス積極支持に回るでしょう。ただ全体に有権者の関心は低めで、投票率が50%を割り選挙そのものが不成立になるというシナリオもウォッチャーの間では囁かれ始めています。2強とも1万人を動員出来た集会はほとんどなく、ミロシェヴィッチ・コシュトゥニツァ対決にセルビア各地が熱くなった2年前の秋が嘘のように思えるほどです。
民族主義者の代表格シェシェリ・セ急進党党首は保守票での躍進を狙うが、今のところ支持率は8%台
選挙が不成立になった場合、ジンジッチは態勢を立て直す時間を得られるわけですが、コシュトゥニツァに圧勝し得る人材を新たに擁立出来るとは思えません。
   他の候補者はかなり差を付けられた感ですが、その中でミロシェヴィッチ前大統領のハーグ拘置所発の支持を取り付け、何とか「2着」に食い込もうとしている(現在の支持率は8%台)のが極右・セルビア急進党党首のシェシェリ候補です。14日パンチェヴォ市での集会でも、対立候補への攻撃、低所得階級をくすぐる右翼独特の「分かりやすい」シェシェリ節は健在でした。
   「ラブスに投票するのはジンジッチに投票するのと同じことだ。ラブスが大統領になったらミルティノヴィッチと同じで、いつ自分の任期が切れて選挙をやっているのかも知らない、ハンコを押すだけの職になるだろう」。与党連合の略称DOS(当地読みでドス)をセルビア人の歴史的仇敵になぞらえ「DOSマン=トルコとジンジッチの独裁を許すな!奴らの言う『改革』は、政治マフィアと結託して自分のフトコロを豊かにすることだけだ。あなたたちの給料は上がらず物価が上がっただけじゃないか。ミロシェヴィッチと私が政権にいた経済制裁の時代の方が落ち着いていられたじゃないか!」と保守票、民族主義票を獲得すべく声を大にします。
   ※日本の報道各社の用語使用法に影響力を持つ通信社は、自社配信でセルビアの与党連合DOSの正式名称「セルビア民主野党(連合) Demokratska Opozicija Srbije」の「野党」という訳語を今後使用しない旨各社に通達した模様ですが、特に元の名称が変わったわけではありません。今でも政権に就いている「野党」です。
   前政権時代の不敗神話はどこへやら、哀れな状態なのはセルビア社会党です。ミロシェヴィッチ党首は前述の通りシェシェリ支持を表明しましたが、党多数派は独自候補擁立に動き、党首決定に忠誠な人々が少数派に過ぎないことが明らかになってしまいました。さらにハト派イフコヴィッチ連邦議員は党追放を覚悟で単独立候補。空中分解状態の中で、俳優が本業のジヴォイノヴィッチ共和国議員が党公認候補に選ばれました。映画では旧ユーゴ中で知られた顔ですが、政治家としては単なるタレント議員の域を出ない印象が強く大苦戦。世論調査によっては「4着」どころか「6着」という予想も出ています。

   今後のセルビアはどうなるのか。第59回配信にも書いたように、ジンジッチの強権発動で現在の共和国議会構成はDOSが多数を占めているのかどうか今ひとつ不明の変則状態になっています。
ジンジッチ・セルビア共和国首相は自ら立候補するわけではないが、大統領選は彼への信任投票の意味合いが強い(写真提供:吉田正則氏)
しかもジンジッチの最近の専横とラブス支持を巡って、DOS内部では意見が統一出来ず、今後のDOS分裂解体・政界再編もあり、という動きが見えます。常識的には議会選をやり直して力関係を整理するべき状態に近づいていますが、ラブスが勝てばジンジッチは何とかこれを阻止することが出来、高速E−75整備計画を初めとする政治課題に引き続き取り組んで行くことが出来るでしょう。DOS内部でラブス不支持、コシュトゥニツァ支持などを表明している勢力に対する懲罰人事は最小限にとどめられ、DOSの大枠は何とか保たれる見通しです。
   しかしコシュトゥニツァ(など、ラブス以外の候補者)が当選した場合は、政局混乱は免れ得ないように思われます。まず大統領は共和国議会解散、選挙に向けて動き出すでしょう。憲法上、大統領が議会を解散できるのは政府(つまりジンジッチ)提案を受けた時だけです。ジンジッチは当然抵抗すると思われますが、現在は態度を明らかにしていないDOS内部の中道派(DAN)グループなどがコシュトゥニツァになびいてしまう可能性が高く、この場合はDOS分裂、議会空転で選挙やむなし、となるシナリオが考えられます。政界再編の動きの中で緩速改革路線が定まると、現政権の進めている各企業の民営化、外資導入やインフラ整備などの進行に遅れが出るおそれがあります。確かにコシュトゥニツァが勝っても国際社会を一気に敵にするわけではありませんし、一般庶民の生活にあまり大きな影響は出ないというのが正直な見方なのでしょうけれども、セルビア経済はまだコシュトゥニツァが言うほど、自己流で改革をのんびり進めていく余裕はないように筆者には思えます。

   新国家セルビア・モンテネグロの憲法については、このHPでも詳説する約束をしました。しかし当初6月末に予定されていた憲法草案が発表されるのは大幅に遅れ、10月20日(当初予定の6日が延期)のモンテネグロ共和国議会選を待ってからになりそうです。両共和国議会、連邦議会での批准を経て新国家が旗揚げすることになります。現在のところジンジッチもコシュトゥニツァもこれについては早期通過を考えている模様で、セルビア大統領選の結果(とその後あり得る議会の混乱)に関わらず、10月末以降新国家旗揚げに向けて何らかの進展がある見通しとなってきました。欧州評議会も11月上旬に予定されている閣僚(加盟国外相級)理事会までに憲法の議会批准があれば新国家として加盟を認める、という決定を9月24日に発表しています。


   8月末から9月上旬まで米インディアナポリスで開かれた男子バスケ世界選手権を前に、
ユーゴの両エース、米サクラメントで活躍するストヤコヴィッチ(左)と欧州MVPのボディロガ(ベオグラード市議会にて 写真提供:吉田正則氏)
ユーゴ代表は不安だらけのスタートを切りました。8月ベオグラードでの親善試合で露、豪、トルコ相手に3戦3敗。その後のドイツでのトーナメントではまずまずだったものの、世界選手権連覇に黄信号か、と言われました。前回優勝した世界選手権は米がMBA選手抜きでの参加。米サクラメントのスター、P・ストヤコヴィッチや昨季欧州MVPのD・ボディロガらを擁するユーゴの目標は「決勝で米ドリームチームを破っての凱旋」以外にありません。しかし予選プールでスペイン、プエルトリコに敗れ、グループ最終戦でトルコに勝ってやっとベスト8進出を確保する有様だったのです。
   
世界選手権優勝の凱旋集会で市議会前を埋めた人々(写真提供両葉とも:吉田正則氏)
もう一つのグループ最終戦ではアメリカがアルゼンチンと全勝対決を控えていましたが、ブラジルがスペインに勝つとユーゴはグループ4位となり、準々決勝での相手は別グループ1位になりますが、これは十中八九アメリカで、まだ不安の残る戦いぶりのユーゴとしてはメダル確保のためには避けておきたい相手です。スペインがブラジルを破ったためユーゴはグループ3位が確定、ホッとした途端に大番狂わせが起こってしまいました。何とアルゼンチンが無敗の米ドリームチームを破ってしまったのです。これでアメリカはグループ2位となり、別グループ3位のユーゴとの対決がベスト8で実現することになりました。
   中欧時間9月7日早朝、スタートの悪いアメリカを相手に前半4点リードで終えたユーゴですが、3Qで突然ディフェンスが乱れ逆に6点のリードを許します。以前より小粒と言われながらもドリームチームを名乗る面々。しかも前日、ドリームチーム史上初の敗戦を記録し汚名挽回に燃えています。A・デーヴィス、P・ピルスらMBAでそれなりの活躍をしている選手たちの壁は厚いように思われました。残り5分で10点差。しかしユーゴはここから奮起し、グロヴィッチの3点シュート2発などで同点、ここまで不調だったヤリッチが2回のフリースローを4本とも決めました。81対78、アメリカはヤリッチと同じLAクリッパーズのミラーが土壇場で同点シュートを狙いますが外れ、ユーゴの勝利が決まりました。
   近年まで男子バスケは「米+欧州」(そして欧州と言えばまずユーゴ)だけの上位争いが常識でしたが、この世界選手権ではプエルトリコ、ブラジルがロシアやドイツなど欧州の強豪を破る波乱が続きました。ユーゴの準決勝NZ戦、決勝アルゼンチン戦も対アメリカ戦に劣らぬ大接戦。決勝では残り1分53秒で64対72の8点差。アメリカを破り予想以上に質の高いバスケットを見せるアルゼンチンにコレでは、さすがのユーゴももう駄目だろうとTV観戦の私も観念したのですが、滅多にロングシュートをしないボディロガが3点シュートを決めるなど土壇場で同点。延長に持ち込んでついに優勝を決めました。
   9月10日、ベオグラード市議会での凱旋集会に駆け付けた市民の数は5、6万では済まないでしょう(吉田正則氏撮影による写真参照)。その誰もに輝く喜びの表情。この日ちょっとシケた顔をしていたのは、数千人を動員するのがやっと、という大統領候補たちだけだったかも知れません。

(2002年9月下旬)


画像を提供して頂いた吉田正則氏に謝意を表します。写真は筆者が通訳業務の前後に撮影したものを含みますが、その掲載に当たっては、各クライアントから許諾を得ています。画像・本文の無断転載はかたくお断りいたします。


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