「平和問題ゼミナール」
旧ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2003/04/13

第68回配信 イラク戦争関連特集
世界の周縁バルカンで


3月24日、ユーゴ空爆開始から4年の慰霊礼拝がベオグラードで行われた。この町に巡航ミサイル・トマホークが降ってきたのはまだそんなに昔の話ではない(画像提供:吉田正則氏)
   予想通りと言うべきか、予定通りと言うべきか、読者の皆さんもよくご存知の通り、3月20日米英軍は無謀にも国連安保理決議をジャンプする形でイラク攻撃を開始。大量破壊兵器や生物化学兵器といった当初の大義名分はどこかへ行ってしまい、ただの「フセイン降ろし」のための戦争に堕しながら暴力が行使されました。本稿出稿直前の段階では既にバグダットが陥落しフセイン政権は事実上崩壊。親フセイン勢力の反撃もなく、「フセイン探し」と戦後体制作りにまだ時間が掛かる可能性はあるものの、「九回裏」に入ったことは間違いなさそうです。状況を取りまく国際政治の動きは「戦後復興」が焦点となっています。介入に反対していた独仏からは「早期終結を期待」(独シュレーダー首相)、「戦後経済支援では一枚岩を」(仏ドヴィルパン外相)とこれ以上の米英との対立を避けようという発言も出ていますが、一方では独仏(プラス露)で国連主導での復興が主張され「米国主導」にこだわる米英と少し形を変えながらも戦前の対立は続いているように思われます。第66回配信で取り上げた旧ユーゴ諸国は、自らが「全体の状況に影響を与えることはない」(マロヴィッチ・セルビア=モンテネグロ大統領)ものの、やはり戦前同様、この国際政治の混乱の影響を受け続けています。前々回の第66回配信に続き、その後の旧ユーゴ各国の関連状況を報告します。

   問題の本質は、社会主義体制と民族対立の影響を根強く残すバルカン各国が、過去へのこだわりに一応けじめを付けて改革に取り組み、「西側先進国への接近を加速させたまさにその時に当の先進国が二つの陣営に割れてしまったこと」(D・ランチッチ氏、後述)にあります。もう5年ほど前に第3回配信「豊かになるって何だろう」で、西へ向かうレースについては書きました。しかしその頃とは比較にならないくらいペースは上がっています。チェコなど中東欧三カ国が現在では北大西洋条約機構(NATO)加盟国となり、中東欧より遅れていると言われていた南東欧ではルーマニア、ブルガリアがNATO次期加盟を決めました。
4月9日ベオグラードで行われた南東欧協力プロセス首脳会談では、やはりイラク問題が長時間討議の対象になった
旧ユーゴ圏ではスロヴェニアが欧州連合(EU)、NATOの次期加盟を決定。クロアチアは今春EU加盟を正式申請、マケドニアは年内申請を目標としています。遅ればせながらセルビア=モンテネグロも当面の外交目標であった欧州評議会入りを4月3日に果たし、EU入りレースに積極参加の姿勢です。EU、NATOという先進国ニ大組織の大型東方拡大は昨秋の次期加盟国発表以来既成事実として動き出し、さらに今年上半期はギリシアがEU議長国。バルカン各国の要人がEUとNATOの首都ブリュッセルを訪れない月はないほど外交活動は活発になっています。
   隣接国との問題を解決し地域協力を進めることはEU入りへの前提条件とされており、その文脈で続けられている南東欧協力プロセス(SEECP、ギリシア、トルコなど計8カ国が正式加盟。旧ユーゴではスロヴェニアを除き3カ国が正式加盟、クロアチアがオブザーバー参加。外相級会談については第58回配信参照)の首脳会談が4月9日ベオグラードで開かれました。このバルカン・サミットでもイラク問題は不可避、それも対立の場になり得ると見られました。「イラク戦争でEU、NATOのバルカンに対する関心が低くなるのは問題だ」(パルヴァノフ大統領)と言うブルガリアや、ルーマニアなど参加国の多くは東欧の新・親米国。一方でEU議長国として欧州の地位低下を食い止めたいギリシアは「議長国として危機の平和的解決に注いできた努力が不成功に終わったのが残念」(シミティス首相)とし、やはりこのテーマに最も多くの時間が割かれたことが後に外交筋から明らかにされています。
   ここで頑張ったのは、ギリシアと並ぶNATO現加盟国として他参加国より「格上」のトルコだったと推測されます。従来親米国でありながら、隣接するイラクへの介入では国内世論の逆風が強いこの国の立場は微妙かと思っていましたが、エルドアン首相は明快でした。「(1)当局の失政でイラクの一般市民が罰せられるべきではない。大量破壊兵器問題も含め、トルコは平和的手段での問題解決が必要と繰り返してきた。
所詮マスコミはゴミか虫けらか? 首脳会談会場のホテルに到着したエルドアン・トルコ首相を取り囲む報道陣 (撮影した筆者もその一人です)
(2)クルド勢力が北イラクを本拠地として増長する懸念がある。また湾岸戦争でトルコは経済的に多大な損失をこうむった。(3)国民と議会が国の態度を決めるものだが、その大半は戦争に反対している」(報道陣に公表された声明文から)。エルドアン声明の文言の多くが首脳会議で最終採択されたベオグラード宣言に反映され、米英の武力介入に甘い顔をするような字句は全く入りませんでした。
   「国際システムとしての国連の根本的役割と、平和・安全保障に対する安保理の基本的責任が明らかであることを強調する。人道援助、イラク復興を含め、危機解決に中心的・本質的な役割を果たすのは国連であると信ずる。」
   この会談が行われた9日は、折りしもバクダッド中心部で外国報道陣の詰めているホテル・パレスティナが前日に米軍の攻撃を受け、ロイターTVのカメラマンなど報道関係者少なくとも3名が死亡、多くが負傷したことがニュースになりました。仁義がないのが戦争というものかも知れませんが、そりゃあマスコミなんて所詮は虫けらかゴミのようなものかも知れませんが、それはあんまりではないでしょうか?  ユーゴ空爆開始当初、200メートル離れた旧社会党本部ビルがやられることはあっても、日本のTV局取材班と一緒に泊まり込み状態になったホテルだけは大丈夫だろうという安心感はありました(隣の部屋が米CNNだったのは、ユーゴ当局側から介入されやすいという別の意味でいい気分ではありませんでしたが)。当のそのホテルで今バルカン・サミットが行われ、イラクの平和についても議論されていると思うと複雑な気持ちになりました。

セルビア=モンテネグロ(セルビア)

   さすがに中欧時間の2時や3時までテレビに噛り付いているほどの切迫感はなかったことは認めますが、3月19日の夜は私にとって気分のいいものではありませんでした。一発目のトマホークが飛んでくる数時間前の気分を、幸か不幸か4年前の3月に自分の住んでいる町で経験していますから(幸、と書いたのは、イラクの市民の不安と高揚が経験していないよりも少しだけよく分かるような気がするからです。僥倖、と言うべきでしょうか)。それでも心のどこかではナイーヴ(間抜け)に、「明日の朝何も起こっていない奇跡」を期待しているところがありました。翌朝出勤する妻を送り出した後にテレビを付けて「あーあ、やっぱり始まってしまったか」という無力感にとらわれたことはもちろんです。
ナイーヴかも知れないが、正直に言ってシラク仏大統領にはもう少し頑張りを期待していた
英語が比較的苦手なのと、米英(特に前者)のテレビのひどい内容は分かっていましたからすぐに仏TV5に切り替えました。シラク大統領の「始まってしまったからには早期停戦を期待」という発言に、無力感は増長されました。いま「衝撃と恐怖」を感じているのは、平和と対話を望む世界の各勢力や運動家ではないでしょうか。これは彼らの屈辱的な敗退ではないでしょうか。安保理をジャンプした攻撃の開始ではユーゴ空爆が悪しき先例を作ってしまったわけですが、今度はブッシュ・ドクトリンなどとオコガマシクも呼ばれている予防手段としての先制攻撃が許される先例が作られてしまいました。イラクの次はイラン、シリア、あるいはわれわれ日本人にとって対岸の火事とは言い難い北朝鮮でも起こらないと言えるでしょうか。
   セルビアの反戦運動は、前々回配信でも報告したように全く低調でした。さらにジンジッチ共和国首相暗殺により発令された非常事態で市民の政治集会は事実上禁止(前回配信参照)。ユーゴ空爆開始から4年を記す3月24日、首都中心部の聖マルコ教会でセルビア正教パヴレ総主教らが慰霊礼拝を行いましたが、参加者は300人程度で小規模な行事にとどまりました。
   イラクに関しては開戦直後にマロヴィッチ・セルビア=モンテネグロ大統領が「米英とも独仏とも関係を良好に保ちたい」とやや玉虫色の発言、一方外務省は「国連の枠組みで解決されなかったことを遺憾」としながらも「平和を脅かしているのはイラク当局であり、それによって生じる結果に対する責任は大きい。市民を無責任な政治の犠牲としている」と明瞭なイラク批判の声明を発表、またウィーン協定に違反しているとの理由でイラク大使館の外交官2人に国外退去を通達しました。
   モンテネグロに関してはジュカノヴィッチ首相が「米寄り」の態度をかなり鮮明に打ち出していますが、セルビアでは故ジンジッチ前首相が「イラク問題に関しては中立」と発言した経緯があります。ですからジンジッチ派のセ市民連合党首であるG・スヴィラノヴィッチが正大臣を務める共同国家外務省がこのような動きを見せたことは私にとっては意外でした。一方前々回配信でも引用したベテランフリージャーナリストのドラゴスラフ・ランチッチ氏は、欧・米ならまず欧、それも国連の枠組みと平和を重視するヨーロッパと関係を強めるべきだと改めて強調し、空爆された経験のある国が空爆する側ではなくされる側を叩くのはどうか、とこの声明に対する批判を発表しました(日刊ポリティカ紙3月27日付、週刊ニン誌同日付など)。米英の介入は不当だという立場を貫くランチッチ氏と、これは一回会ってみる価値がありそうに思えました。
   同氏はポリティカ・ニンなどの元北京・ベルリン特派員。89年にはベルリンの壁崩壊を伝え、帰国後の92年にはチョーシッチ・ユーゴ連邦初代大統領顧問官を務め4年前からフリーになりました。ジャーナリスト歴40年の大先輩です。
ランチッチ氏とは互いの自宅が近いことが分かり、近所を散歩しながらお話を伺うことに
   大塚:非常事態での集会禁止は別として、なぜセルビアでは、空爆がそれほど昔の話ではないのにイラク反戦運動が低調なのでしょうか?
   ランチッチ:空爆、ミロシェヴィッチ政権末期の抑圧、政変劇と続いたのは確かについこの間ですよね。いや、だからこそまだ皆疲れているというのが一つはあると思います。さらに政変後もジンジッチ暗殺に至る政治の不安定が続いていますから、自分の生活には直接の影響がない(と思える)事柄にわざわざデモに出かけるほどの気持ちにはなれないわけです。でも空爆の経験は皆同じですよね。ですから庶民の間にはイラク市民に対する同情論があるのは感じています。
   大塚:セルビアは、まあイラク支持はないにしても、独仏と米英の間ではもっと故ジンジッチの言っていた中立を貫くと思っていたんですが、共同国家外務省声明は「アメリカ寄り」とも取れる内容となっています。その真意についてはどう思いますか?
   ランチッチ:結論から言えば軽率だったと思いますが、私にはそれほど意外ではありませんでした。現在のセルビア与党連合がミロシェヴィッチ政権を倒す際にスポンサーの役割を果たしたのはアメリカであって独仏ではありませんから。結局アメリカにタテを突ける政権ではないということです。私は「ジンジッチらはアメリカの傀儡だから裏切り者だ」という旧政権のような言い方はしたくありません。アメリカという国が持つプラスの価値観はそれなりに認めるべきだと思います。ただ今回のイラク介入はあまりにも不当なやり方で行われている、とは考えます。パウエル国務長官は「米を支持している国が45もある」と言いましたが、それはパラオやソロモン諸島、ミクロネシア連邦なども含めてやっと達した、という数で、国連加盟国全体の中では本当に少数なわけです。
   大塚:それにしてもルーマニア、ブルガリアなどの態度を見ても、旧東欧圏の米英寄り姿勢は極端なほどですね。
   ランチッチ:それがNATOへ(、そしてEUへと)急ぐことだと考えているわけですね。ヨーロッパが独仏対米英プラス東欧、という形に割れた感があります。でもNATOに入った時にも、その中で一番の国とビリの国はやっぱりあるわけですから、加盟を急ぐあまり軽率な政策は取るべきではないと思います。セルビアはEUへの接近はともかくNATO加盟にはまだ市民のアレルギーもあるでしょうし、もっと独自性を出していいとも思うのですが、反戦の態度ではむしろクロアチアの方が元気なほどなのはちょっと困ったことです。
3日急遽ベオグラードを訪問したパウエル米国務長官はマロヴィッチ共同国家大統領と会談(写真提供:吉田正則氏)
   4月3日、米パウエル国務長官はトルコ、ブリュッセル訪問の合間に突然ベオグラードを訪れ、マロヴィッチ共同国家大統領、ジフコヴィッチ・セルビア共和国首相と会談しました。表向きは故ジンジッチ共和国首相への弔意を表し、(1)セルビア当局の軍・警察の改革努力と組織犯罪摘発を支持、(2)オランダ・ハーグの旧ユーゴ戦犯法廷との協力関係強化を要求、(3)その上でハーグ戦犯問題で冷却していた米との通商関係の完全通常化を支持したい、としました。つまり一応「戦犯狩りを続ければアメリカはカネを出すぞ」というアメ・ムチの構造は読み取れます。しかしあまりにも唐突なこの訪問には、公式声明に出ていない何かウラがあるのではないかとウォッチャーは考えています。ランチッチ氏も「共同国家マロヴィッチ大統領(モンテネグロ・ジュカノヴィッチ首相派のナンバー3)と会ったのはともかく、パウエルはモンテネグロに赴かず、ジュカノヴィッチもベオグラードに来なかったわけで、セルビアだけへのメッセージだったことは確かですね。領空通過を認めさせたのかも知れませんし、政変後のセルビア当局の親米ぶりを確認に来たのかも知れません。いずれにしても4年前空爆で叩いた国を現時点で訪問することで、アメリカの力(と「正義」)を内外に誇示したという面は否定できないでしょう」と言います。

クロアチア

   開戦に先立つ2月末、米はNATO加盟第2期候補国クロアチア政府に対し領空通過、緊急時の燃料補給などを可能にするよう要求し、これについてはザグレブ側が政治的に青信号を出しました。
3月20日の開戦反対集会は失敗に終わったが、旧ユーゴ諸国ではクロアチアの反戦気運がもっとも高かった(写真提供:反戦市民団体「戦争はもうこりごり」、2月の反戦デモの写真を第66回配信から再掲載)
しかし介入には国連安保理決議が必要という態度は貫き、旧ユーゴ諸国の中で一番元気に「介入反対」を唱え続けました。前々回配信で紹介した「戦争はもうこりごり」が20日夜に計画した在ザグレブ米大使館前での反戦運動こそ失敗に終わりましたが、その後も小規模な集会、デモなどが行われ続け、ザグレブ大学の反戦デモでは逮捕者も出しています。メシッチ大統領は20日の開戦直後に「この行動は国連安保理決議には基づいておらず、その意味で正当性に欠けるものだ」と声明を発表。トゥジュマン前政権時代の与党クロアチア民主連合(サナデル党首)だけが親米、介入支持の態度を明らかにしていますが、他は与党連合から中道右派野党まで「反対」一色という状態です。こうした公式・非公式の反米ムードを警戒してか、在クロアチア・ロッシン米大使が大使レベルとしては異例の「遺憾の意」を表明しラーチャン首相と非公式会談を行いましたが、首相は特に態度を変更しなかった模様です。同首相はメシッチ大統領の米英を挑発するような明言に対しては簡単に批判をしましたが、実際には開戦直前の英ブレア首相との会談のために予定されていたロンドン行きを取り消したのはクロアチア首相自身であったことが明らかになっています。
   「これほど世論が一致団結したのも珍しい(中略)。好戦的な声に疲れ、戦争で様々なストレス、破壊と悲劇を経験したわれわれの態度ははっきりしている。暴力は新たな暴力を生み、内部対立を呼び起こす。世界の安全を保障するシステムが無視すればそのシステム自体が危機に瀕することになる」(D・ラティン氏、週刊ナツィオナル3月25日号)。
東欧が軒並み親米の態度を表明する中、明快な「反対」声明を発表したメシッチ大統領
「戦後アメリカは国際社会に対して、本当にイラクは世界に対する脅威だったのかどうか答えなければならない。またテロリズムはどうなるのだろうか?本当に武力でテロを根絶できるものなのだろうか?戦勝した側が長期的には負け、負けた側が長期的には勝つことになったりはしないだろうか?」(J・ケルブレル氏、日刊ヴィエスニク紙4月7日付)など、主要メディアの論説も介入批判でかなりスジを通していました。
   しかし上記のラティン氏の論説が掲載されたのと同じナツィオナル誌3月25日号で、反米英の態度を批判する記事も出ました(M・プレシェ記者)。NATOへ、EUへと点数を稼ぎたいクロアチアが今米英寄りの態度を示すと独仏のマイナス点を稼ぐことになってしまうとラーチャンが考えているとしたら間違いだ。これはあくまでもEU内部の対立であって、現時点で加盟候補国が明瞭に独仏寄りの態度を示すべきではない。クロアチアのEU入りを助ける国は独仏よりも英、蘭、スペイン、ポルトガルなど武力介入支持国なのかも知れないのだから。またクロアチア・ボスニア紛争、コソヴォ紛争+ユーゴ空爆で、力を使って地域を安定させたのはまず第一にアメリカなのであって、間違ってもヨーロッパではなかったことを忘れてはなるまい、というのが論旨です。「次期選挙で民主党には勝ち目がない以上ブッシュ政権は2008年まで続くだろう。ならば長期的に見ても今アメリカとの関係を冷却させるのは不可解だ」。論の当否はともかく、前述のランチッチ氏がセルビア政府に近いメディア(ニン、ポリティカ)で当局の米英寄りを批判し、こちらクロアチアではやはり野党系とは言えないナツィオナル誌で政府の独仏寄りの態度が批判されているのは興味深い現象です。

スロヴェニア

   先進国二大組織への次期加盟が既に政治レベルでは決定しているスロヴェニアで3月23日に行われたNATO、EU入りを問う国民投票は、少なくとも国外のウォッチャーにとっては意外な結果になりました。
スロヴェニア国民投票結果
3月23日実施、投票率60・3%
欧州連合(EU)の加盟国となることについて
賛成89・6%
反対10・4%
北大西洋条約機構(NATO)の加盟国となることについて
賛成66・0%
反対34・0%
EU入りに関しては波乱はないと予想されたものの、イラク危機に際して加盟反対派が急伸張、さらに投票の3日前にイラク開戦、という状況では反対多数、あるいは微妙な結果になるのではないかと思われていたからです。
   しかし結果は左表の通り、NATOに関しても意外や意外の66%、有権者全体で見ても、事前予想をやや上回る40%が賛成票を投じました。前々回配信で詳説の通り、ドゥルノウシェク・ロップ中道政権は、選挙で有権者の信を得て西側接近レースを自信を持って進めていました。ところが国民投票直前に来て対イラク反戦気運の中NATO加盟反対派が伸び、内心穏やかではない春を迎えていました。しかしこの結果が出て一応安心というわけです。
   「独立10年のスロヴェニアの方向が間違っていなかったこと、さらに未来へ向けて進めることがはっきりした」とロップ首相が第一声。NATO加盟強硬論者で、第66回配信当時は解任説、さらには失踪説さえも出ていたルペル外相はすっかりご機嫌でマスコミの前に登場、「歴史的なチャンスを活かすことが出来た。これはスロヴェニア国家の大成功だ」とコメントしています。
国民投票はNATO加盟賛成が多数を得てロップ首相(中央)らはひと安心(写真:首相ホームページ 提供:ス共和国政府情報センター)
   「晴天の日曜日にも関わらず投票率が60%までしか伸びなかったことにイラク開戦の影響があるように思う。加盟反対の声は弱くはなかったはずだが、反対のための反対というレベルにとどまり筋道立った政治的立場まで成長していなかったことで投票棄権という消極的な行動に終わったのではないか」と国内ウォッチャーは結果を分析しています。
   ではこれでスロヴェニアははっきりと「米英+東欧」陣営に属したことになるのか。右派野党スロヴェニア民主党のヤンシャ党首は、もっと政府は親米支持の態度を明確にすべきだと主張しています。しかし5日付ポータルサイト24Ur.comのインタビューに対し、ロップ首相はこの見方を否定しています。「政府はずっと平和的解決を支持してきたし、反テロ連合には入っていても反イラク連合国には属していない。既にカナダはわが国のNATO加盟を批准しているし、アメリカからも理解は得られると信じている」とし、特別に親米色を出さなくとも対米関係が心配するほど悪化せずに済むとの考えを明らかにし、野党の批判を退けました。またドゥルノウシェク大統領も1日、イラク戦争に反対する国民9300人の署名を活動家から受理、「安保理を通さない介入に至ったことは残念」とし、世論に一定の理解を示しました。
   スロヴェニアの政権当局は米英にも独仏にも「はっきり賛成(反対)していたわけではない」と言えるスタンスを作り始めているわけです。玉虫色?  恐らくそういう批判は免れ得ないでしょう。しかし大状況に影響力を及ぼし得ない旧ユーゴ圏の小国がEU・NATO加盟に向けて点数稼ぎに走っている現在、玉虫色もまた「賢明な現実主義的政策」と評価されるのかも知れません。私自身はとても心からは賛同出来ませんし、もちろん譜代大名よろしく最初から毅然と(!??)介入を支持していた小泉政権などはもっての他だと思っていますが。

   このページがネット上に出る頃には、イラクは公式に終戦を迎えているかも知れませんね。しかし二つのことが本稿執筆現在でも言えると思います。一つはこれを「正義の勝利」として開放感とともに喜ぶ人の数は、アメリカ人が期待しているほど多くないということです。そしてもう一つは、どんなに「戦後復興」で独仏が取り繕ったような姿勢を見せたとしても、世界の中心がワシントンだと確定した中で、もはや国連、NATO、EUなどの国際組織は今までの一枚岩ではあり得ないということです。国際政治の混乱は今後も続くでしょう。そしてその中で結局振り回されるのはバルカン諸国のような小国だということも、残念ながらかなり確かです。

(2003年4月中旬)


執筆に協力頂いたD・ランチッチ氏、画像を提供して頂いた吉田正則氏、D・リュービッチ氏(反戦団体「戦争はもうこりごり」)、スロヴェニア共和国政府情報センターに謝意を表します。画像・本文の無断転載はかたくお断りいたします。
Zahvaljujem se za saradnju/suradnju/sodelovanje: g.Dragoslav Rancic, g.M.Yoshida, g.Darko Ljubic (Dosta je ratova). Centar vlade RS za informiranje. Zabranjena je svaka upotreba teksta i slika bez ovlascenja./Zabranjena je svaka uporaba teksta i slika bez ovlastenja./Prepovedna je vsaka uporaba teksta in slik brez dovoljenja.


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