「平和問題ゼミナール」
旧ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2003/04/01

第66回配信 イラク危機関連緊急特集
国家への召集令状


 

イラク反戦運動は世界的な盛り上がりを見せ、日本各地でもデモ・集会が組織された(写真は1月18日、日比谷公園から銀座を行進したピースパレード。 写真提供:東長崎機関)
   北大西洋条約機構(NATO)加盟国である米英の暴走によって、イラク危機が新たな局面を迎えています。読者の皆さんもよくご存知のように、去る2月15日には世界60か国の400都市で参加者計1000万に上るとみられる(先進国各メディア推計)史上空前の大規模反戦デモが行われました。17日の欧州連合(EU)緊急首脳会議は国連による査察継続支持を決め、米英が主張する武力介入には若干の猶予期間が与えられました。また国連安保理での公開討論でも参加国の大半が即時介入には反対の姿勢を明らかにしています。しかし18日も米は湾岸地域への米軍増派方針を明らかにし、「外交努力は長くは続かない」(ライス米大統領補佐官=国家安全保障担当)と強硬姿勢を崩さない構えです。週内には武力行使を前面に打ち出した米英主導の新安保理決議案が提出されると見られていますし、米は最終的には「国連の新決議がなくても、必要とあらば武力によってイラクを武装解除する決意が揺らぐことはない」(ブッシュ大統領=18日)ので、イラクの暑さが始まる4月前にも介入か、という見通しは現在も有力、予断を許さない状況が続いています。
   こうして世界的な問題となっているイラク危機の対応を巡り、旧ユーゴ各国も何らかの態度を示さざるを得ない状況が発生しています。今回の配信は執筆・更新予定を変更してイラク問題関連の緊急特集です。
 

   召集令状が届いたら、銃を手に取るか脱走兵になるしかない。60年前の戦争をテーマにした映画ではなく、私の住んでいるベオグラードで91年にそういう状況が起こっていますし、ユーゴ連邦全土が戦争状態を宣言した99年のユーゴ空爆ではさらに切迫した形でこれを見聞きしています。  
濃い青は現NATO加盟国、青緑は次期加盟国(スロヴェニアなど)、薄い緑色は加盟候補第2陣3カ国(クロアチア、マケドニア、アルバニア)
   「お前は態度を明らかにしろ」―――個人のそれと全てを並行して考えるわけには行きませんが、今回のイラク問題のような世界的な危機に際しては、国家に対してもある種の「召集令状」が突きつけられているということは言えるのではないかと思います。
   より豊かで安全な国へ。冷戦体制崩壊後の中東欧・南東欧諸国は、民主化と市場経済発展の論理的帰結として、EU・NATO加盟へ向けた「西へ向かうレース」の真っ最中にあります。各国の事情により速度に違いはあるものの、どの国の政府も大筋において、この西向きの方向で努力を続けてきたことは間違いありません。99年にポーランドなど旧共産主義圏東欧3カ国が加わったことにより、NATO加盟は各国の最大目標であるEU加盟の前提とみなされるようになっていました。無論全てのEU加盟国がNATOに加盟しているわけではなく(例:オーストリア、アイルランド)、また逆もしかり(例:ノルウェー、トルコ)。しかしキレイゴトを言うのは止めましょう。東欧では、NATO加盟はEU加盟の前段階として、少なくとも昨日までは考えられていたのです。  
   イラク危機は、好むと好まざるとに関わらず、「西へ向かう」これら各国の論理の見直しを迫る機会を与えています。既に昨年NATO・EU加盟が「内定」したスロヴェニア、第2陣候補国に名を連ねようとしているクロアチア、99年に大規模なNATOの空爆を経験したセルビア=モンテネグロそれぞれの状況を報告します。

スロヴェニア
 
   旧東欧の優等生スロヴェニアは、昨秋立て続けにNATO、EU加盟の「内定」を取り付けました(いずれも正式加盟は2004年メド)。この間11月には旧ユーゴ社会主義連邦時代から最長不倒の元首の座にあったクーチャン大統領の任期満了に伴う大統領選が行われ、ドゥルノウシェク首相が大統領に当選。新大統領が率いる与党・自由民主党のロップ蔵相が首相に、ルペル外相ら要職が留任するなど最小限の異動だけで、中道・中道左派連立政権は従来路線の継続を打ち出した新政府を樹立しました。現与党連合(2000年10月〜)は閣外協力8議席を含めると議会定数98のうち66議席、つまり3分の2以上を押える安定政権で、これによりドゥルノウシェク路線は安心してEU、NATOへの接近政策を進めて来たわけです。
スロヴェニアの首都リュブリャーナ
   EU加盟に関しては12月の世論調査でも「賛成」が増加し初めて60%台を越え(反対は9%強)ています。しかしNATO加盟に関しては米アフガン介入などを受けた昨春以降「反対」がジリジリと増加、ついに1月のTVアンケートでは54%を記録する勢いになってしまいました。11月のプラハ・サミットでスロヴェニアのNATO次期加盟が決定された時は、スロヴァキア、ブルガリアなど他の「内定」国と異なり首都リュブリャーナに祝賀ムードはなし。直後に同市を訪れたラムズフェルド米国防長官が「NATO帰れ」「不歓迎」などのプラカードを掲げた反NATOデモ隊に迎えられ、スロヴェニア当局が冷や汗をかいたほどでした。
   野党と世論は「NATO・EU加盟を問う国民投票の実施」を要求、3月23日にスロヴェニア全土で実施されることになりました。NATO加盟反対を主張する野党側は憲法施行法などを変更してこの国民投票の結果に法的拘束力を持たせようとしていますが、結果には拘束力のない「参照型」国民投票になる見通しです。しかしたとえ拘束力がなくとも、加盟反対の結論が出た場合には内政・外交両面に重大な影響が出る可能性があります。このためこれから1ヶ月強にわたり、国を二分する議論が白熱することは必至です。
   反対派の議論には堅実なスロヴェニア人らしい国民性が見えます。代表的日刊紙デーロの論説は「スロヴェニアの国民総生産は推計2億ドルだから、もしアメリカに軍事拠出を0・5%か1%増加させるよう要求された場合、国家全体の失業対策費が吹っ飛んでしまう」と警告。また国内では知名度の高い経済学者のメンツィンゲル・リュブリャーナ大学学長も反対の立場からこう言います。「ルペル外相は『西に向かいたいからNATOへ』と言っているが、今やNATOに入ることはむしろ東(の論理)にとどまることを意味するようになっていないか。ロシアを隣国に控えているエストニアのような国ならいざ知らず、スロヴェニアの地理的位置ではロシアの脅威はあり得ない。99年に新規加盟したチェコ、ハンガリー、ポーランドの経済はいずれも後退しており、この10年経済力が伸びているのはアイルランドとフィンランドで、ともにNATO非加盟国だ」。
ロバートソンNATO長官(左)と会談するロップ首相(写真:首相ホームページ 提供:ス共和国情報局)
   ポータルサイト「24Ur.com」の会議室(掲示板)を覗いて、一般の人々の声を探ってみるとやはりNATO加盟反対の意見が優勢でした。  
   「スロヴェニア軍の演習だけで徴兵の若者が何人も事故で命を落としている。NATOの大規模演習などに加わらない軍の方がいいだろう。加盟反対」(「リヒトホーフェン伯」さん)  
   「イラクの戦争には反対、アメリカはバツだがNATO加盟には賛成。クロアチアがNATOに入って、スロヴェニアが非加盟国というのは現実的だと思うか?」(アンドレイさん)  
   「EU加盟賛成、NATO反対。経済同盟(EU)と軍事同盟(NATO)の2つには何のつながりもない」(アレシュさん)  
   「アメリカの不況がNATOの政治危機を生み出しているとしたらけしからん話だ。長期的に見れば軍にカネを掛けない方が経済にとってはプラスに決まっている。EU加盟賛成、NATO反対」(マティッチさん)  
   NATO加盟を巡る揺れ動きが続いていた中で、スロヴェニアは今回のイラク危機の高まりを迎えました。  
   2月5日、スロヴェニアなど次期NATO加盟7か国とクロアチア、マケドニア、アルバニアの第2陣候補国の10カ国(通称「ヴィルニュス10」)は「アメリカはイラクが禁止されている兵器を隠し、査察を欺き、国際テロ組織とつながっている実態を明らかにした。大量破壊兵器を持つ独裁者は民主主義の脅威であるから、ともに立ち上がらねばならない」という趣旨の共同声明(以下、ヴィルニュス声明)を発表しました。
NATO加盟政策を成功させつつあったルペル外相だが、最近は失点続きで加盟反対派が大喜び(写真:政府ホームページ 提供:ス共和国情報局)
これに対しスロヴェニア国内の加盟反対派が一斉に反発し撤回を求めるなどしたため、ルペル外相は「アメリカの武力介入は国連安保理決議に基づくことを前提としていると認識してこの声明が発表された」と苦しい言い訳。さらに声明から3日しか経たないうちに「スロヴェニア外務省は、安保理決議を通せと主張するドイツの政策に賛同している」とまで言い出しました。しかしアメリカ側からルペル外相の言う「認識」に対する否定的見解が発表され、ますます外相は苦しい立場に追い込まれました。  
   NATO加盟強硬論者として知られるルペル外相は、これ以前にも同外相を揶揄する内容の記事が掲載された報道機関や記者のブラックリストを発表し、マスコミと冷戦状態に突入し掛けるなど失点を重ねています。TVのイラク危機特番放送中に行ったアンケートでは、介入反対の声が80%を超えましたが、この結果について外相は「どうしてこんなに独裁者フセインの支持があるのか分からない」と発言し、また加盟反対派・反戦派を怒らせています。
   政府は先頃、「NATO加盟への努力をより広く理解してもらうため」、NATO加盟無料電話案内を開設しましたが、ネット先進国らしくすぐにインターネット上で加盟反対派がそのインチキぶりを暴露。「私がまず加盟のプラス面を3つ挙げてくれ、と電話で聞くと、オペレーターはキーボードを打って『10のメリット』を列挙しました。次にデメリットを3つ挙げるよう言うと、『そのような点はコンピューターには出ていません』という回答だったんです!」。
   加盟反対派は2月15日の世界一斉反戦運動で勢いをさらに加速させたいところです。首都リュブリャーナの参加者2000、副都マリボルでは500。数は確かに今ひとつでしたが、シムシッチ・リュブリャーナ市長ら各界の有名人も数多く参加。「戦争は悪だ、アメリカよ目覚めよ」などのプラカードを掲げて市内を行進し、政府に対し国連・EU決議の遵守、イラク軍事介入の際にはNATO軍の領空・領土・領海通過禁止などを要求しました。  
   現在のところ、マスコミの理解を得てNATO加盟反対派が押し気味に国民投票キャンペーンを進めていることは疑いなさそうです。国民の支持を裏付けにNATO接近政策を進めてきたはずだった政府にとっては、イラクが、というより米英の暴走がとんだ躓きの石になってしまいました。国民投票は政府が渡る大変危険な橋であることは間違いありません。

202D計画

   かつてのユーゴスラヴィアと言えば非同盟諸国のエース格。イラクとは80年代半ばまで良好な関係を続けていました。このためイラクの土木工事で最も多く注文を受けていたのが、現スロヴェニアのSCTなど旧ユーゴの企業でした。豊かな産油国の発注は、ティトーの死後(80年)既に不況に入っていたユーゴにとっては「オイシイ」仕事。リュブリャーナ・バグダッド間にはチャーター便が飛んでいましたが、企業関係者で満席のことも多かったといいます。
   最大規模の工事は81年から84年に「202D計画」の名の下に行われたバグダッド近郊の軍事施設建設で、のべ28000人が参加、34平方キロの敷地に空港、道路、軍事・民間各種施設とインフラが建設されました。湾岸戦争でどの程度の破壊を受けているものか、などこれ以上の詳細は軍事機密で、企業側の守秘義務が現在も続いているため公表されていませんが、総額5億ドルのビジネスだったことは明らかになっています。旧ユーゴの他にイラクの土木に関わった国は米、英、スウェーデン、仏、独などで、その大半が現在イラクの「敵サイド」になってしまったことは皮肉です。(24Ur.com による)

クロアチア
 
   旧ユーゴ諸国の中で、週末の世界一斉反戦デモに最も敏感に応じたのはクロアチアでした。
15日首都ザグレブで行われた反戦デモ参加者らは、最中心部イェラチッチ広場から米大使館まで行進(写真提供:反戦市民団体「戦争はもうこりごり」)
私が住むセルビア=モンテネグロの毒舌家の中には「99年のユーゴ空爆の時はもろ手を上げて(隣の旧敵国セルビアを空爆しに向かうNATO軍の)領空通過を歓迎していたのに、今頃になって『戦争を経験したわれわれだからこそ反戦を』もないものだろう」という人もいますが、まあ無粋なことは言いっこなしです。  
   15日は首都ザグレブのほか10都市で集会が開かれました。海岸の主要都市スプリットでは「ブッシュは世界平和への最大の脅威」「血まみれの原油なら要らない」などのプラカードを掲げる参加者がイラク介入反対、NATO加盟反対などの署名を集めました。最大規模となったのはイストラ半島のプーラで参加数千人。武力行使を容認するヴィルニュス声明にサインした政府に閣外から協力するヤコヴチッチ前EU統合担当相は、「閣外協力をしている以上、クロアチアのNATO加盟に反対する署名は出来ないが、国連を無視したイラクへの武力介入には反対なので参加した」と述べました。
   各地の集会で中心になった反戦市民団体の一つ、「戦争はもうこりごり(Dosta je ratova)」は主張します。「アメリカは世界支配の口実として『人権擁護』論を悪用している。彼らの恣意のために今や世界戦争直前の状態になってしまった。われわれは戦争と貧困、政治的抑圧に反対する。イラク軍事介入の支持者には『われわれの名前で介入するな』を叫ぼう。別の形でグローバリズムが可能であることを示そう。別の形の世界が可能であることを示そう」(同団体HPより)。  
   週明けの17日には、従来必ずしも鋭い体制批判をしていたわけではない日刊紙ヴィエスニクが、ヴィルニュス声明の撤回を明瞭に求める与党連合批判の論説を発表しました。「クロアチアはイラクの罪なき市民への殺戮にも、世界で起こり得る恐ろしい事態にも加担してはならない。イラクへの侵略を支持したヴィルニュス声明の撤回は政府が示すべき倫理である」(F・ノヴァリッチ客員論説委員)。  
   同じ日の別の日刊紙ヴェチェルニー・ノーヴォスティは「ヴィルニュス声明の内容は曖昧でしかも強制力がない。クロアチアが米英ではなく独仏の側に付くチャンスは残されている」という趣旨の記事を発表し、ラーチャン首相ら政府を弁護する形になりました。  
ピツラ外相は米の武力介入を事実上容認するヴィルニュス声明にサインしたが「早まったのではないか」の声が与党内部からも出ている
   問題のヴィルニュス声明はピツラ外相がサインしました。同外相は17日、「安保理でのパウエル発言を控え、スペースシャトル事故で騒然としていた雰囲気もあり、とてもゆっくり本国で協議している余裕はなかった。同じ状況下ならまた単独でサインすることになるだろう」と述べています。しかし同外相やラーチャン首相と同じ社民党内部からは「新聞を読むまでこの件は知らなかった」と同党幹部の発言が出たり、またメシッチ大統領(党籍を離脱しているが中道左派のクロアチア国民党出身)も「安保理決議は絶対必要だと考える」という発言を繰り返しており、政府内部の足並みの乱れが現れた格好です。
   クロアチアは地力の割に「西へ向かうレース」では他の中東欧諸国に大幅な遅れを取り、NATO・EU加盟に関してはブルガリア、ルーマニアなどとともに候補第2陣に名を連ねることが出来たばかりだけに、少々のアセりが早まったアメリカ支持発表につながったと言えるかも知れません。
   またこのHPの第59回配信などでも報告している通り、この国は2000年の政変で成立した連立政権内の協調体制がなかなか整わず、昨夏には有力政党の分裂により内閣改造が行われたばかりです。しかし最近に来てこの第2次ラーチャン内閣も有力企業の民営化など経済政策で不協和音が目立ち始め、そこにイラク危機が拍車を掛けようかという形になっています。連立中核の中道右派・クロアチア農民党と中道左派・社民党が独断で政策を仕切っているとして、左派2つの小政党が合同協議に不参加を続けるなど連立政権は機能麻痺に限りなく近い状態。任期を1年残して前倒し選挙の可能性も再び囁かれています。しかし現政府が倒れた場合には、せっかく3年前に倒した民族主義の難航不落の牙城、クロアチア民主連合が再伸張することは確実です。
   ク民主連合は親米路線を明らかにしているので、反戦気運の盛り上がりは直接野党の支持には結び付きません。しかし内政で手詰まり状態、足元の不確かな政府としては、今市民から出てきている強い声が反政府色を帯びて来ることが一番の恐れです。

追記(最新の動き):   17日ブリュッセルで行われたEU緊急首脳会議は、最終オプションとしての武力行使は否定しないが、国連査察延長を支持する、という結論で英独両陣営の妥協を引き出しました。シラク仏大統領はこの中で米方針を事実上支持したヴィルニュス声明を強く批判し、「(問題のNATO次期加盟国とEU加盟候補国はほぼ一致するので)東方拡大に反対するEU内部の世論を挑発する」などと調印国に警告しました。ブルガリア、ルーマニアはこれに逆反発し「米英寄り」の態度を改めて明らかにしていますが、スロヴェニア、クロアチアなど大半は19日までに「EUの方針に協調」する方向を明らかにし、ヴィルニュス声明は事実上骨抜き状態になりつつあります。  
   スロヴェニアのルペル外相はロップ首相とともに18日ブリュッセルを訪れる予定でしたが急遽取り止め「休暇を取り」ました。これは同外相がヴィルニュス声明撤回という政府の最新方針に反対するポーズか、あるいは「解任近し」か、地元マスコミの憶測の対象となっています。

セルビア=モンテネグロ(セルビア)

   読者の皆さんは意外に思われるかも知れませんが、旧ユーゴで最もイラク反戦運動の盛り上がりを欠いているのは99年のユーゴ空爆を実際に市民が経験したセルビア=モンテネグロです。
かつて反ミロシェヴィッチの諷刺漫画で大活躍だったコラックス先生(第7回・第8回配信参照)の最近作(画像提供:Predrag Koraksic Corax)
15日には反戦団体「黒衣の女性たち」などの呼びかけにより、首都ベオグラード中心部で集会が開かれましたが応じたのは数百人に過ぎませんでした。外国系人道援助団体などは別として、国内系市民団体、反戦団体などの活動が貧弱であることが改めて明らかになってしまいましたが、運動低調の理由はそれほど単純ではありません。
   ユーゴ政変後のセルビア政府は、ミロシェヴィッチ政権時代とは異なりNATOを敵視することはありません。国際社会への早期復帰をめざし、NATOとの協力機構「平和のためのパートナーシップ」への加盟がやはり外交目標の一つとして挙げられています。しかしスロヴェニア、クロアチアのようにNATO加盟へ積極的に働きかける状態には至っていないこと(ユーゴ空爆の過去がある以上、この国の場合将来的にもEUと異なりNATOへの接近は慎重に進められるでしょう)が一つ。また反NATOに積極的なのはミロシェヴィッチ時代の政権党(セ社会党、セ急進党など)であり、現政府はこうした野党を勢いづかせたくないという思惑もあります。このため現在のところ「イラク危機に関しては中立でありたい」というジンジッチ・セルビア共和国首相の発言以外は政府が「”反”でも”親”でもない」不鮮明な態度を取っており、世論喚起もほとんど感じられません。
   ミロシェヴィッチ政権は確かに悪だったかも知れない。しかしそれに対する「人道的介入」もまた悪であったことは、トマホークが落ちて来(得)る場所で空襲警報と爆音を毎日聞かされていた市民が一番良く知っているはずです。
   沈黙でいいのか?という声は上がり始めています。どちらかと言えば保守基調の論を張る日刊紙ポリティカ、週刊誌ニンなどに寄稿しているベテランのジャーナリスト、D・ランチッチ氏が興味深い論稿を発表しましたので紹介します。
巡航ミサイル・トマホークの恐怖を感じながら78日間を過ごしたセルビアだからこそ、国際社会に言えることもあるとは思うが
   氏によれば、オランダ・ハーグの旧ユーゴ戦犯法廷への協力が不十分(ムラディッチ、カラジッチら大物戦犯の未逮捕はセルビアの責任とみなされている)、などの理由でアメリカ・セルビアの関係は冷え切っている。この関係はイラク危機への「中立」を唱えることで良くなることはないが、だからと言って米の強引な武力介入を支持するわけにはいかない。なぜならばセルビア市民は「安保理を通さない空爆強行はダメだということを、独裁者打倒に数十万もの兵力は不要であることを知っているからだ。また人道的な戦争などというものがあり得ないこと、国民全てを罰する必要はないことを知っているからだ」。
   そうした中で近い将来の開戦が不可避ということならば、領空通過を許す程度にはNATOに寄ることを善しとした上で、セルビア市民のこのような経験をきちんと国際社会に訴えながらEU、特に独仏に対するポイントを稼ぐのが得策ではないか、というのがランチッチ氏の論旨です(ポリティカ紙2月12日付)。論の当否はともかく、盲目的国粋主義とも盲目的親欧主義とも一線を画すセルビア保守論調の基盤となっている日刊紙で、かなり明瞭な口調で「独仏接近」が言及されたことは、今後のセルビアの進む政治的方向を示唆しているかも知れません。
   3月24日で、あのユーゴ空爆開始から4年になります。それまでにセルビアの世論と政治はイラクを巡ってもう少し動くのか、現在の沈黙に近い状態を続けるのか、まだ何とも言えませんが、私もウォッチングを続けましょう。

   「反」か「親」か。「米英」か「独仏」か。「お前は態度を明らかにしろ」―――旧ユーゴ各国の内政はイラクなしでも十分(?)不安定な状態です。そんな中、困ったタイミングで各国への召集令状が突き付けられてしまいました。

(2003年2月19日)


画像を提供して頂いた下記諸氏に謝意を表します。加藤健二郎(東長崎機関)、スロヴェニア共和国政府情報局、D・リュービッチ(戦争はもうこりごり)、P・コラクシッチ
本文執筆には各国のインターネット、新聞等の文献を参照しましたが、煩雑さを避けるため出典の表示は一部省略してあります。画像の一部は2000年9月、2002年11月に日本のテレビ局の取材に通訳として同行した際、私(大塚)が撮影したものを含みます。これらのこのページへの掲載に当たってはクライアントの承諾を得ています。本文・画像とも無断転載をかたくお断りいたします。
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