「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2002/05/17 19:50

第56回配信
53試合目の価千金


クーチャン大統領(中央)、ドゥルノウシェク首相(右)の歓迎を受けるルドニャ。普段は愛嬌のある表情だが今日はちょっと緊張気味(写真:首相ホームページより 提供:ス共和国政府情報局)
   ムラデン・ルドニャ30才、サッカー・スロヴェニア代表フォワード。日韓W杯に出場する32カ国のレギュラー級FWの中で、数字からすると一番ダメな選手は彼ということになるのではないかと思います。昨秋まで代表として52試合に出場し何と得点ゼロ。スロヴェニアとグループリーグを戦うパラグアイの名物GKチラヴェルトは、FKやPKなど代表67試合で8得点を挙げているといいますから、ルドニャの成績はFWとしては惨憺たるものだと言っていいでしょう。それでもS・カタネツ監督はよく辛抱して使ったものです。「スロヴェニアがW杯に出られなかったら監督を辞任するか」という意地悪な報道陣の質問を、同監督は「私が辞めるのはルドニャがゴールを挙げた時さ」と半分ジョーク、半分は本人へのハッパでかわしていました。そんなルドニャが、スロヴェニアのサッカーにとって一番大事な試合で価千金のゴールを決めてしまったのですからスポーツは面白いものです。
   昨年11月14日のW杯欧州地区予選プレーオフ、ルーマニアとの第2戦。スロヴェニアの首都リュブリャーナで行われた緒戦は2対1で勝ったものの、ルーマニアの猛攻を必死で耐える印象が強い試合でした。相手のルーマニアは90年イタリア、94年米両大会で旋風を起こした頃のメンバーが引退し力はやや落ちていますが、ついこの間までサッカーでは全く無名だったスロヴェニアから見ればやはり格上。目前まで近づいたW杯ですが、敵地ブカレストで何としても1点は取りたいところです。晩秋の強風と雨、そしてスタンドを埋める3万を越すルーマニア応援のサポーター。スロヴェニアはまた攻守の主軸ザホヴィッチとクナウスをケガで欠いた布陣、しかも「2人は表向きはケガと言っているが、W杯出場が実現した時の褒賞金の額が協会側と折り合わずサボっている」という噂も立つ実にイヤなムードでした。しかし後半10分、一旦攻め込まれたスロヴェニアがカウンターに転じ、4対3から左サイドをノヴァクが駆け上がってセンタリング、絶妙のタイミングでルドニャが合わせて相手ゴールを割りました。
サッカー小国の「おとなしい観客」という評判だったスロヴェニアサポーターだが、W杯出場の快挙に国を挙げての大騒ぎ(写真提供:長束恭行氏)
   ダメFWのはずのルドニャが代表53試合目にして挙げた初得点が、事実上W杯初出場を決めるゴールになりました。試合はルーマニアが追いつきましたが1−1のまま終了、2試合通算3−2でスロヴェニアがW杯へ。カタネツ監督は「監督を辞めなきゃいけないかも知れないが、ルドニャに決めてもらってくれよ」と顔をほころばせながらの凱旋帰国になりました。
   山国スロヴェニアも11月はルーマニア同様寒い日が続いていましたが、首都リュブリャーナ中心部のツァンカル広場に設けられたビデオビームの前で1万人を越す人々が応援していました。W杯出場が決定した瞬間、広場は熱狂に包まれたそうです。筆者の住むユーゴでは水球や男子バレーが欧州選手権などで優勝するたびに首都ベオグラードの広場が大騒ぎになりますし、隣国クロアチアでも金3、銀1のメダルを獲得してソルトレークシティから凱旋したJ・コステリッチの歓迎集会はザグレブの広場を埋め尽くすほどの人で満たされました。一方スロヴェニアはスポーツの実績からも、物静かな、と言われるスロヴェニア人の国民性からもこうした喜び方には無縁と見られていました。ところが今回ばかりは「進めスロヴェニア」(サッカー代表応援歌)、「スロヴェニアっ子なら跳ばなくちゃ」(応援エール)などの大合唱、ビンは飛び交うわ、裸になる人は現れるわ、国家が独立した91年当時もなかったような大変な騒ぎが明け方まで続きました。翌日リュブリャーナ・ブルニック空港に到着した代表チームはもちろん大歓迎を受けました。「カタネツを大統領に」という横断幕もあったとか。
   チームはクーチャン大統領、ドゥルノウシェク首相の合同祝勝会に招かれましたが、このニュースは地元政治系メディアに驚きをもって迎えられました。中道左派の大統領と中道の首相は政策的には近いのですが、最近はこの二人の犬猿の仲が伝えられ、政治的イベントで同席することがほとんどなかったからです。サッカーは政治の不可能も可能にしてしまいました。「スロヴェニア国民とともにこの喜びを分かち合いたいと思う。短期間で本当に進歩した代表の皆さんの成功は、国家の成功でもある。今後の活躍を祈る」と首相が祝辞を述べました。
丘と森と村、そしてぶどう畑。のどかで美しい風景が広がる国スロヴェニア(中東部セウニッツァ市近郊にて)
   カタネツ監督は「サポーターの声援から国全体の応援を受けているように感じて、選手は持っている以上の力を出せた。スロヴェニアに今までなかったものをもたらせて本当に嬉しい」と言います。2年前の欧州選手権(EURO2000)本選出場に続く快挙に、国を挙げての祝勝ムードが続きました。
   アルプスの東南端に位置するスロヴェニアは、今回のW杯出場32カ国中、面積と人口では最小の国です。セネガル、エクアドル、中国とともに本選初出場を果たしました。91年にユーゴスラヴィアから独立(国際的な承認は92年)。経済的には旧ユーゴ最先進地域として知られ、国民所得では東欧圏ダントツのトップで次期欧州連合(EU)加盟の有力候補です。しかし瀟洒な首都リュブリャーナを少し外れれば、最先進地域のレッテルが嘘とも思えるようなのどかな農村と森林の風景が続きます(本HPバックナンバー、第42回配信第49回配信などをご参照下さい)。旧ユーゴ時代からスポーツと言えばウインタースポーツ(ジャンプ、アルペン)、夏はカヌー、ボートなどで知られていましたが、サッカーは数年前まで実績も人気も「マイナースポーツ」の域にとどまっていました。

   ルドニャがW杯初出場を事実上決めるゴールを奪った時、カタネツ監督が思い浮かべていたのは、もしかしたら12年前の自分のゴールだったかも知れません。
   1989年9月6日、ユーゴの副都ザグレブで行われたW杯イタリア大会欧州予選、ユーゴ対スコットランド戦。
スレチコ・カタネツ代表監督。因みにスレチコの名は「幸(せな)男」くらいの意味だが、弱冠38才で選手、監督としてW杯本選を経験することになった彼はまさに幸運児だ
グループでは前回メキシコ大会3位でプラティニを擁するフランスが予想外の不振で、ここまでのグループ1位はスコットランド、これをユーゴが勝ち点1の差で追い、この直接対決に勝てば事実上W杯行きが決まる試合です。前半はスコットランドがデュリーのゴールで先制。今一つ動きの冴えなかったユーゴイレブンですが、ハーフタイムに若き闘将D・ストイコヴィッチ(当時24才)が「死に物狂いで勝ちに行こう」とゲキを飛ばすと、ベテラン陣が奮起し後半はユーゴの動きが俄然良くなります。後半7分、バリッチの右からのセンタリングにドンピシャリのタイミングで中央やや左側から飛び込んでヘッドを合わせ同点ゴールを突き刺したのは、ストイコヴィッチとは対照的な長身のMF、カタネツ(当時26才)でした。ユーゴイレブン歓喜の同点。それまで静かだったマクシミル・スタジアムが一気に湧き上がりました。
   勢いに乗ったユーゴはその5分後と7分後にスコットランドゴールに迫り、自殺点まがいの2点を追加して一気に勝負を決め、欧州で最初のW杯切符を手にしたのです。
   世界のスターダムにのし上がる前夜のピクシーことストイコヴィッチは縦横無尽に動き回ってチャンスを作り、ゴールはなかったものの、ベオグラードの日刊紙ポリティカからこの試合のベストプレーヤーに選ばれています。しかし彼が動き回ることで空いたスペースを後方でカバーし、チャンスがあればゴール前に飛び込んで来る献身的な攻守を見せたのは、ピクシーと同じく代表25試合目というカタネツでした。小柄な「柔」の主役を支える武骨な「剛」の脇役。この日はそのカタネツが渋く光っていました。
   ユーゴ国家解体の前年に輝いた90年イタリアW杯ベスト8のメンバーについては、ストイコヴィッチや98仏大会クロアチア代表関連で多くのことが書かれましたので、ここでは詳しくは触れませんが、ストイコヴィッチ、サヴィチェヴィッチ(ユーゴ連邦共和国)、パンチェフ(マケドニア)、プロシネチュキ、ヤルニ、シュケル(クロアチア)ら、旧ユーゴ解体後の各国のサッカーを支えることになったスターと並ぶ22人の中、カタネツは唯一のスロヴェニア人(ユーゴサッカー史上でもW杯に出場した3人目のスロヴェニア人)としてレギュラーを務めています。
現在クロアチア代表を引っ張るベテランのボクシッチ(左端11)は20才で90年伊大会ユーゴの最年少メンバー、シュケル(9)も22才の若手としてベンチ入り。カタネツらのプレーを見守っていた(写真提供:長束恭行氏)

   91年、スロヴェニアの独立強行は、10日で終結したとは言えこれを阻止するために動いたユーゴ軍との武力衝突にまで発展しました。それから11年が経ち「ユーゴと名の付くものは全てバツ」というムードは消えかけていますが、まだ有名人が旧連邦に関して肯定的な発言をするのは勇気が要ることも確か。しかしカタネツは誠実です。
   「ユーゴ代表でやるのはもちろん嬉しかった。ユーゴのユニフォームを着て五輪に2回、欧州選手権とW杯にも出ているんだから。代表で心をこめて思いきりプレーした、それが本当のところだったんだ。いろいろないい経験をユーゴ代表として得たし、その気持ちは今も変わっていない」。
   ユーゴスラヴィアが5つの国に分裂することがスロヴェニアサッカーにとっては絶望を意味することを、90年W杯に出た唯一のスロヴェニア人は一番よく知っていました。旧連邦一部リーグの常連はオリンピヤ・リュブリャーナだけ。お世辞にも強いとは言えない成績でしたが、レッドスター・ベオグラードやディナモ・ザグレブといった強豪ともまれることで何とかレベルを、そしてオリンピヤがあることでスロヴェニア全体のレベルを維持して来られたのです。「戦争が落ち着いたら、せめてスポーツだけでも合同リーグが開催できないだろうか」。クロアチア内戦が泥沼化していた91年の秋、ベオグラードの日刊紙ボルバでカタネツはそんな発言をしています。しかし彼の声は政治と戦争の荒波の中でかき消されて行きました。カタネツが代表としてプレーをした国は消滅しました。
   ケガもあり、96年に現役を退いていたカタネツは、2年近く「テニスなどをしてのんびりしていた」と言います。その彼のところに代表監督の話が舞い込んだのは前回98W杯仏大会本選の直前でした。大会ではカタネツのかつての同僚ストイコヴィッチ、サヴィチェヴィッチらを擁するユーゴが国際制裁を解かれ再び世界の注目を集めます。イタリア大会では若手としてベンチを温めていたヤルニ、シュケルらが中心となったクロアチアは独立後初出場で準決勝へ進むセンセーションを起こしました。しかしカタネツが引き受けたチーム、自分の国スロヴェニアはW杯予選を0勝7敗1分で終え、得点5、失点20でグループ最下位。当時の世界サッカー連盟(FIFA)ランキング128位という状況では、次の本選出場を望む方が酷というものでした。「それでも旧ユーゴ諸国やオーストリアのクラブでプレーするなど、ほどほどの実力がある選手は15人以上いた。まず彼らのレベルは決して低くない、という自信を持たせることから私の仕事は始まった」とカタネツ監督は振り返ります。
   
キック力に定評のあるスーパーサブ・アチモヴィッチの50メートル級ゴールは今でも語り草になっている(写真提供:長束恭行氏)
EURO2000予選でもカモ視されていましたが、組み合わせに恵まれ混戦の中でグループ2位を確保しました。本選出場がかかったウクライナとのプレーオフ第1戦。相手ゴールキックをグラウンド中央付近で受けたスーパーサブのアチモヴィッチは、GKがキック後もゴールより大きく左に外れているのを見てすぐに50メートル級の大ロブを飛ばすとこれがゴール隅に入り、「伝説の」決勝ゴールとなりました。本選ではベスト8進出はなりませんでしたが、格上と見られたユーゴに試合途中まで3−0とリード(結局3−3の引き分け)、スペインには1−2の大善戦で、ヨーロッパサッカー界の新星誕生を印象付けました。
   今回W杯予選では、スピードには欠けるもののソツのない試合展開でロシアがグループをリード。スロヴェニアは、エースのストイコヴィッチに代わるパサーが育たないユーゴ、シャプイザを擁し侮り難いスイスと激しい2位争いを繰り広げましたが、昨年9月5日ベオグラードでのユーゴとの雨中の決戦で、市原で活躍するミリノヴィッチがCKからヘッドで先制ゴールを奪い(結果は1−1)、2位を事実上確保しました。ルーマニアとのプレーオフを含め12試合で6勝6分。無敗での予選通過もさることながら、攻撃力不足の評とは裏腹に0−0の引き分けがないことも立派です。旧ユーゴでは実績で勝るはずのユーゴ、クロアチアも出来なかったEURO2000と今回W杯双方の予選突破を果たしたのですから、もうスロヴェニアが「サッカー小国」として失笑を買うことはないでしょう。

   さて、昔話はこのくらいで切り上げて、現在の代表の紹介に移ります。
   基本フォーメーションは3−4−1−2で、右ウインガーのラゼティッチが武器のユーゴに対しては左サイドでカーリッチがこれをマーク、逆に左に俊足ヤルニを擁するクロアチアには右でノヴァクが引き気味に構えるなど、列と左右のバランスを非常に強く意識したサッカーを展開します。確かに個人の力では一流国には劣るかも知れませんが、昨秋のW杯予選ユーゴ戦と今春のクロアチアとの親善試合で先発11人中10人までが同じ、というようにメンバーがほぼ固定されているのが強みで、3月末の時点ではチームの完成度は相手クロアチアよりも上回っている印象でした。「相手の欠点を突くサッカーが出来る。強豪相手の本番でゲームを支配するのは難しいだろうが、対戦相手にとって『勝ちにくい、イヤな』チームだろう」とクロアチアの関係者も異口同音に評しています。
スロヴェニアの全てはエース、ザホヴィッチにかかっている(写真提供:www.sloveniansoccer.com)
   ドイツなどゲルマン諸国のサッカーを連想させる整然としたフォーメーション重視のサッカーに独特のアクセントを付けるのがトップ下のエース、ザホヴィッチです。ボールを受けるとワンタッチ、ツータッチですぐにFWにキレのいいパスを飛ばすかと思えば、(俊足という印象はないものの)ゴール前にいつの間にか現れて得点を狙います。FK、CKも積極的に蹴るザホヴィッチは、何かカタネツのかつての相棒だったストイコヴィッチを彷彿とさせる動きを見せます。いやピクシーだけでなく、ハジ(ルーマニア)、ストイチコフ(ブルガリア)などバルカンサッカー特有の「一人で何でもやりたがるお山の大将」の系譜に属すると言うべきでしょうか。
   2トップはやや決定力に欠けますが、53試合目の初得点で悪評ナンバー1(「100試合出てもあいつのゴールは見られないだろう」)から転じて人気者になった(「あのゴールは100試合分の価値があった。もう52試合無得点でも許すよ」)ルドニャが快速を飛ばします。相方のオステルツは逆にクール過ぎてサポーターからの評判は今一つですが、欧州サッカー界では無名のハポエル・テルアヴィヴ(イスラエル)で先日UEFAカップを戦い、イタリアの強豪ACミランを苦しめるなど調子を上げています。ザホヴィッチまたはオステルツに代わって出てくるスーパーサブ、アチモヴィッチは柔らかいパスはありませんが、50mゴールで伝説になったキック力が武器です。
   中盤ではパウリンと主将チェフが相手の攻撃の芽を早めに摘み取ります。前へつなぐ組み立ての力に欠けるという評もありますが、交替で攻撃を助けます。サイドはベテランのノヴァク、そしてG大阪時代「浪速の板前」の異名を取ったカーリッチ。ノヴァクは若い頃のスピードはなくなりましたが、位置取りは堅実です。カーリッチの角刈り頭も健在です。W杯で中盤からゴール前に鋭いクロスを飛ばし、相手DFを驚かせるかも知れません。
   しかし最大の強みは安定した3バックです。右に市原でも安定した活躍を見せるミリノヴィッチ、左にクナウスと長身選手が揃う中、センターバックのガリッチは小柄ですが堅実な守備を見せてやや動きに不安のあるGKシメウノヴィッチを楽にしています。リードされた時にアセりからか攻撃的になり過ぎて墓穴を掘る失敗が今までも何度かありましたが、昨秋以降は中盤がプレスを強めた分、3バックは突破を警戒しながら素早く相手の攻撃スペースを封じる意識が高まったように思えます。
ガリッチ(5)を中心とした堅守が強み。クロアチアを相手に空中戦にも強いところを見せた(写真提供:長束恭行氏)
筆者が観戦したクロアチア戦では、相手パサーのプロシネチュキがもたつく間にヤルニ、ボクシッチ、シュケルら攻撃の展開を早めにつぶすディフェンスがかなり徹底していました。
   スロヴェニアにはスロヴェニア人以外の民族が少ないことは、独立紛争が早期に終結した理由として挙げられていますが、現在の代表は実は旧ユーゴ一の「多民族イレブン」です。カーリッチや控えDFのヴグダリッチはボスニア人ですし、ルドニャとガリッチはクロアチア人、シメウノヴィッチ、アチモヴィッチはセルビア人で、後者はレッドスター・ベオグラードに現在も所属してユーゴとスロヴェニアの間を行き来しています(本稿執筆中の5月上旬に英トットナムへの移籍契約がほぼ完了、来季からはプレミアリーグで戦います)。ただし彼らは殆どがスロヴェニア生まれのスロヴェニア国籍。決して「他国の優秀選手」を帰化政策で集めたのではありません(「(旧)ユーゴ便り」では「ナニナニ人」という場合は国籍に関わらず民族出自を示しています)。むしろガリッチはディナモ・ザグレブ、ルドニャはNKザグレブと、それぞれクロアチアのクラブに所属していた時代にあまり活躍できなかった選手です。実はカタネツ監督の両親もクロアチア北部メジムーリエ地方の出身で、監督自身は選手時代オリンピヤ(スロヴェニア)、ディナモ(クロアチア)、パルティザン(ユーゴ)と旧ユーゴ3つの共和国でプレーしています。勤勉な国民性が作る整然としたサッカーと、やはりパルティザン・ベオグラードに在籍していたことのあるザホヴィッチが見せるバルカン型奔放サッカーの両方の良さが、本番でも出せると面白いのですが。
グループB、スロヴェニア
6月2日対スペイン光州
6月8日対パラグアイ済州
6月12日対南アフリカ大邱
   グループBの相手は楽ではありません。欧州の雄スペイン、南米で今や本選出場の常連となったパラグアイ。さらにチーム力低下が囁かれるものの侮り難い南アフリカです。カタネツ監督は「実力も経験も相手3カ国から見れば劣るのは承知の上。でも全力で戦えるように調整して行きたい」と控え目なコメントです。4月18日のチュニジアとの試合は1−0で辛勝、やや後半の動きが悪くトップコンディションには遠い感を残したようですが、クナウスは「W杯まではまだ時間がある。韓国入りする時にピークに持って行くことが大事だ」と落ち着いています。
   5月17日予定のガーナとの親善試合後、岡山県英田郡美作町での調整キャンプを経て、スロヴェニアは6月2日、光州での緒戦に臨みます。相手は言わずと知れた強豪スペインです。しかしこの国も大きな大会では毎回上位進出の有力候補に挙げられながら期待を裏切り続けています。もしかしたら大波乱があるかも知れませんよ。思えば90年のイタリア大会決勝トーナメント1回戦でユーゴがスペインに2−1で勝っています。この試合はストイコヴィッチが2ゴールを挙げ、「世界のピクシー」に成長した日として記憶されていますが、ヴヨヴィッチのフィードをヘッドで受けてピクシーの足元に落とし先制ゴールをアシストすることになったのは、かの幸運児スレチコ・カタネツだったのです。

(2002年5月中旬)


本文、画像とも無断転載はかたくお断り致します。煩雑さを避けるため逐一出典は示しませんでしたが、この配信は新聞・インターネットなど多くの資料を基に構成しました。特に資料・画像を提供して頂いた下記各位に謝意を表します:スロヴェニア共和国政府情報局www.sloveniansoccer.comポリティカ紙スポーツ部、長束恭行氏(「クロアチアに行こう!!」)
Zahvaljujem se za sodelovanje: Urad RS za informiranje, www.sloveniansoccer.com, Sportska redakcija "Politike", g.Y.Nagatsuka. -Prepovedna je vsaka uporaba slik in teksta brez dovoljenja.

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