「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 2001/06/12 0:00

第47回配信・第1部
クロアチアの歩き方      


「クロアチアに行こう!!」&「(旧)ユーゴ便り」 相互乗り入れ企画第1弾

まずはベオグラードのレストランで大塚夫妻と1次会
   「クロアチアに行こう!!」というHP(ホームページ)があることを知ったのは、「便り」執筆開始から半年くらいが経った98年末のことでした。このHPの主宰者、長束恭行さんと初めてお会いしたのが、何と99年3月24日のユーゴ空爆開始の日。日本のTVチームとベオグラードの高級ホテルに泊まり込み状態だった時に、旅をしてきた長束さんと騒然とした雰囲気の中ながらお話をすることが出来ました。空爆終了直前に日本に帰省した時に名古屋でもお会いしたのですが、それ以来「共通の内容も読者もある両HPの合同企画を何かやりたいですね」とメールで話をしていました。今春、長束さんが再びクロアチア・旧ユーゴ圏の旅へ。ベオグラードで再会した私たちは、「安直かも知れないけれど、旧ユーゴ圏、特にクロアチアを旅してのいろいろな経験、それからサッカーについて、まずは対談をやって『企画第1弾』としてみよう、第2弾のアイディアはまた近い将来出し合って」ということで意気投合しました。私も聞き手に徹してはいられず、どんどん対談は「放談」の様相を呈して行きました・・・(このページは「クロアチアに行こう!!」からも直接アクセス可能です。「便り」「行こう!!」双方の共通ページだとお考え下さい。このページから「行こう!!」へ飛ぶにはタイトル脇のバナーをクリックして下さい)。

フレンドリーな国との出会い


大塚:この前お会いしてから1年半以上になるんですよね。
長束:あの時は名古屋駅の山本屋でしたっけ。
大塚:味噌煮込みがとても美味しくって、ウチのイェレナもファンになってしまいました。さて、この企画の第1部ではクロアチア、そして旧ユーゴ圏を旅して、面白かったことや美味いモノなどいろいろ語り合い、第2部では少しディープに旧ユーゴサッカーの話をしてみようと思います。まあクロアチアの話が中心になるのは仕方ないでしょうけど(笑)。まず長束さんにお聞きしたかったのは、最初にクロアチアと出会ったきっかけ、そしてHPを立ち上げる事情についてです。
1クムロヴェッツ 2ブラーチ島 3フヴァール島 4コルチュラ島 5ヴィス島 6ヴィンコフツィ 7ビゾヴァッツ
長束:96年にサッカー欧州選手権で活躍したクロアチアが97年にキリンカップで日本に来ましたよね。その時に国立競技場まで観戦に行きまして。千駄ヶ谷駅前でバッタもののクロアチア代表のユニフォームを買って、「出来心」でクロアチアの応援をしたんですよ。その後夏に初めて海外への個人旅行に出る時に、最初に考えていたのはオーストリアとハンガリー、チェコという、まあ中欧では定番の観光コースだったんですが、地図で見るとクロアチアも近い。じゃあ予定に入れて下さい、って旅行代理店に頼んだんです。もともと「マイナー志向」なところはあるんですけど。で最初はザグレブだけでした。でもザグレブに行ってみると早速いろいろな人たちから気さくに話し掛けられる。これは面白い国だな、と。
大塚:フランスやドイツを日本人が旅行していても、なかなか普通のフランス人やドイツ人と話す機会には恵まれないですよね。
長束:そうなんです。それがちょうど勤めていた会社を辞めようかな、と思っていた頃です。秋には会社を辞めていましたから、今度はもっと大旅行をしようと思って、アテネを出発点にリスボンまで、ヨーロッパを突っ切ったわけです。途中マケドニア、ユーゴ、ボスニアそしてクロアチアの海岸までずっと回りました。
大塚:ユーゴがW杯行きを決めた秋のベオグラードでのハンガリー戦、僕も実はジェキッチ美穂さん(ボスニア・デルヴェンタ市在住。HP「ありきちのボスニア発」主宰)と一緒に見に行っていたんですが、長束さんもスタジアムにいたんですね。
長束:そうです。本当に偶然でしたね。でクロアチアもユーゴもめでたくW杯フランス大会出場を決めました。12月には帰国して、1月には今のHPが立ち上がっていました。大学でクイズ同好会をやっていたもので、最初はクイズ番組出演のウラ話とかが主でした。「クイズをやめてクロアチアに行こう」というタイトルだったんです。ただクロアチアに関する情報はとても少ないですよね、だからそれを整理して紹介したい、というのと、旅行記を発表しようという気持ちがあって、だんだんクロアチアのサイトになっていきました。W杯で日本と同じグループになったことから、春から夏にかけてアクセス数が爆発的に伸びました。

クロアツィア(現ディナモ)のユニフォームを着た当時の三浦知良。彼の「活躍」(?)についてはノーコメント(写真提供:NK Croatia/RoSoft d.o.o.)
大塚:クロアチア、そして旧ユーゴ圏の良さは、一言で言うとどんなところでしょう?
長束:客好き気質、って言うんでしょうか。珍しいのもあるでしょうけど、日本人に親切じゃないですか。「何だお前日本から来たのか、まあ一緒に一杯飲もうや」みたいなところ。
大塚:同感です。人間と人間の距離が先進国に比べてずっと近い感じですよね。でも最近は旧ユーゴどこへ行ってもまず「キネズ(中国人)!」でしょう。知り合い、友達になる人との出会いも、最初は「冷やかしの声」から、ってことはよくありますけれど。
長束:そうなんですよ。それと前回はザグレブの、特にサッカー関係の場所へ行くと「ミウラ!」ですからね。でも「オレは中国人じゃない」「オレはカズなんか嫌いだ」って言ってやると、それがきっかけでまた冷やかしの声を掛けて来た当人と友達になっちゃったり。
大塚:女性はどうですか?こちらでもクロアチアは美人が多い、ってよく言いますけど。
長束:よくクロアチア男性はクロアチア女性の美しさを自慢しますが、クロアチアの若い女性達はツンとしていて非常に冷たく感じます。日本でも天狗って言うじゃないですか。フヴァールでは12歳の男の子さえ「彼女たちはピノキオさ」と皮肉ってましたし、スプリットの友人からは「ごめんね、母さん。あなたも女性だが、クロアチアの女性は概して悪いんだよ」なんてジョークがあると聞いています。僕にはセルビア女性の方が優しくてチャーミングという印象があるのですが、セルビア出身の奥さんがいる大塚さんの意見は?
大塚:長束さんを冷やかすつもりが、こっちに矛先が向いてしまいましたね(笑)。セルビアの女性はクロアチアほどツンツンしてはいないという印象です。チャーミングならベオグラード、優しいのは田舎、かな。ただやっぱり日本人よりたくましくて強い、という感じはしますよ。義父の言うジョークで、「確かに夫は家庭のカシラ(頭)だが、妻は首なんだ。首が向きたい方に頭は向かなきゃならないだろう」っていうのがありました。ところで今回も大旅行だったそうですが、クロアチアはかなり回ったんですか?
長束:ええ、掲示板で突っ込んだ質問に困らないようにと思って(笑)、海岸のヴィスやフヴァールも行って来ました。コルチュラが良かったですね。
大塚:うわあ、僕も12年いるけどヴィスやフヴァールには行ったことがまだありません。コルチュラはあのマルコ=ポーロが生まれた島だという「伝説」があって、「生家」と称する家があるんですよね。89年、こちらに住み始めた年ですが、ドゥブロヴニクから高速船で行って、まずそれを見に行ったのを覚えています。
長束:僕も「生家」を見に行こうとしたんですが、まだシーズンではないのか閉まっていてラチが空きませんでした。

ウニは美味いんだぞ


大塚:クロアチアのベストタウンは?
クロアチアが世界に誇る町、ドゥブロヴニク旧市街(写真:クロアチアに行こう!!)
長束:まずドゥブロヴニクですね。あとはスプリット、コルチュラがベスト3ですか。ドゥブロヴニクはやはり海と旧市街の美しさで、ユネスコの世界遺産だから、というだけでなく、本当に世界に誇れる町だと思います。僕が好きなのは、あれだけの観光地なのに、人々の間に人懐っこさが残っているところですね。民泊で世話になったおばさんとは「クロアチアの母と日本人の息子」の関係なんですよ。前回の旅で知り合った、8才ぐらいの子ども達と、今回同じ場所で出会ったので声を掛けたんです。東洋人の観光客だって珍しくないでしょうから、この子達、どうせ僕のことなんか覚えていないだろうと思ったんですが、みんなが僕に向かって両手でマルを作って目に当てるポーズで何か言っているんです。「日本人はみんなメガネ掛けていると思ってるな、チクショウ」。でも違いました。前回の旅で見せたら大人気だった双眼鏡を「また見せて」という意味だったんですね。ああ、僕のこと覚えていてくれたんだ、と思ったらすごく嬉しくて。僕はよく旅先で子どもと仲良くなっちゃうんですが、今回はドゥブロヴニクでこの子たちとサッカーに興じました。ただしその前に僕が15クーナのボールを買わされましたけど。
大塚:僕は89年に最初に行ったあと、戦争を挟んで96年にユネスコ世界遺産を紹介するTV番組の仕事まで行っていなかったんですね。それで 久し振りにあの海を見たら、不謹慎かも知れないけど「ああ戦争があった間もこの海はこんな色をしていたんだろうなあ」なんてヘンな感慨にふけってしまいました。後で旧市街が攻撃される映像を見て本当に心が痛みました。あの町では岩場にロープを張って、町の青年たちが水球をやっているんですよ。でクラブチームかと思ったら、若者たちが自発的にやっているだけだ、と言うんですね。僕は「草水球」と名付けましたが、あまり日本人に言っても分かってもらえない(笑)。でもアトランタ五輪で金メダルを取る国は違うと思いました。スプリットも僕の好きな町ですね。ディオクレティアヌス宮、そして東の町外れの海辺を散歩しているだけで何かウキウキしてしまいます。
海岸地方の中心都市、スプリットも旧市街はユネスコ世界遺産に指定されている
長束:ただ物価は高いですね。クロアチアはおしなべて物価高ですが、特にドゥブロヴニクのレストランは、味が飛び切り上等というわけではない、むしろ観光地だけに外れもあるんですが、その割に値段がちょっと・・・。ただどこへ行ってもビールが安くて、ジュース類と値段が変わらないのは驚きます。ついつい午前中から酒が入っちゃいますよね。
大塚:クロアチアだと、カルロヴァチュコ・ピーヴォ(カルロヴァッツ・ビール)が美味いでしょう?あとスロヴェニアのラシュコ、ボスニアではトゥズラ、バニャルーカ、モンテネグロのニクシッチ、セルビアではアパティンのピルスと、どこもビールは美味いのがあります。
長束:僕もカルロヴァッツが一番好きですね。ピルスはサッカーでレッドスター・ベオグラードがスポンサーにしていますね。あと話は変わりますが、海へ行くと岩場が多いんですが、ウニがごろごろ転がってますよね。
大塚:はあ?
長束:あれはもったいないですよ。ウニの味をクロアチアや旧ユーゴの人にも教えてあげたい(笑)。
大塚:ところで今回はちょっと恥をかく経験があったとか?
長束:いや実は、ヴィス島からフヴァール島経由でスプリットに帰るフェリーに乗ってフヴァールで降りようと思っていたんです。ところが僕の乗った日はフヴァールに寄らずにスプリット直行だったらしいんですね。それなら切符を売らなきゃいいのに、船が出てから僕だけがフヴァール行き、ということが発覚したわけです。それでも船員さんが僕だけのためにフヴァールに寄ってくれることに決めたらしいんですね。周囲のヴィスからの客はみんなスプリットに直行するつもりで、「何でフヴァールに寄るんじゃ?」と。バスの停留所と違って、フヴァールにいったん寄港したらスプリット着は1時間以上遅れますからね、フヴァールに行きたい気持ちはあるが、他のお客さんの気持ちもよく分かる。そんなわけで降りた時の後ろめたさが恥ずかしくて、岸のベンチで30分ほどヘコンでいました。。
フヴァールほかの島々もそれぞれの魅力を秘める。スプリットからフェリーが便利(ブラーチ島にて)
大塚:いや似たような経験は僕もいくらもありますね。ユーゴから経済制裁中、マケドニアを通ってギリシアへ行ったことがありますが、これはショッピングツアーと称して、実際は制裁逃れの小密輸商が使うバスなんです。ところがマケドニアは当時日本人から形式的にはヴィザを要求していて、国境で無料査証をパスポートに貼ったりするわけです。マケドニア国境の仕事がまたトロいんですよ。他のセルビア人はマケドニアにはヴィザが不要ですから、バス一台が僕一人のために15分以上も待ってなくちゃいけない。まあその代わり、帰りにはギリシアで制裁逃れの買い物をした連中が税関吏の目をかすめるために、僕のカバンにいろいろなものを預かったりしてあげましたけど。
  ところでクロアチアの海が素晴らしい、というのはもう異論のないところだと思います。北の内陸部の方はどうですか?
長束:北は北で田舎の良さ、みたいのが感じられますよね。ザグレブから東に向かうと、だんだんユーゴというか、旧ユーゴの東側に近い風景になってきます。大塚さんが「便り」(第40回配信)で書いているザゴリエ地方というのは?
大塚:ザグレブから西、スロヴェニア国境までのことを言います。クムロヴェッツが自家用車でザグレブから1時間強の所ですが、もう相当山が深くなって、スラヴォニア地方の平原とは違う風景です。昔は貧しい田舎だった、というのを想像するのは難しくありませんし、方言もちょっとスロヴェニア語に近くなります。
長束:オシエクでも話を聞いたのですが、「ザグレブに比べてスラヴォニアは給料も年金も安いし、失業率も高い。昔はスロヴァキア辺りから買い出しに来る人々がいたのに、今は物価がどこよりも高くなって、冴えないよ」と言っていました。
大塚:まあ首都と比べたら落ちるでしょうねえ。でもスラヴォニア地域は基本的に農家ですからね。入ってくるカネは少なくても兼業農家が多くて、食うに困る、ということはないんじゃないでしょうか。北部はヴィンコフツィとかジャコヴォとか、可愛らしくてきれいな町はあるんですが、観光ポイントと言うには少し足りないのが残念ですね。
北東クロアチアの中心都市オシエクは残念ながら観光ポイントとしてはやや不足(写真:長束恭行)
長束:オシエクなどのホテルは難民の仮住居として長く使われていたこともあって、整備が遅れています。壁が剥げてベッドに落ちて来たり、トイレの水が出ないようなホテルが200クーナ(約3000円)も取るんですよ。後で話を聞いたら、20キロ西のビゾヴァツ温泉まで行けば安くてきれいな宿がある、とのことでしたが。でも総体的に言ってクロアチアという国は、バス、フェリー、列車と交通手段が発達していて、宿も何とかなるし、旧東欧圏の中では旅行しやすい国だと思います。
大塚:同感です。ホテルはバックパッカー向きの値段ではなくなってしまいましたが、海岸などには民泊もあるし、悪くなったと言われながらもまだまだ治安も悪くありませんよね。この対談は旧ユーゴ圏全般の旅バナシにしようと思っていたんですが、結局クロアチアばかりになってしまいました。でもクロアチアはやはり旧ユーゴ5カ国の中では一番観光ポイントが多い国ですから、読者の皆さんにはお許し頂きましょう。ただ他の旧ユーゴの国も、例えば外務省が危険勧告を出しているような地域を除けば、それなりに旅もしやすいし、最初に話したように地元の人たちと気軽に話せる、そんな所が多いと思います。いい旅と幸運な出会いは誰にもある所ですよね。
長束:そうですね。サイトを立ち上げた頃、そして今でもそうですが、クロアチアはついこの間まで戦争やっていた国、というイメージが強いでしょう。だけど旅をしてみると本当に美しい国だし、それだけじゃなくてフレンドリーな人々との面白い出会いがある所だということを、もっと多くの日本人に知ってほしいと思っています。

ハイドゥクは阪神だ


大塚:
サッカーのディープな話は第2部でやろうと思っていますが、長束さんの持論は「スタジアムでお国柄が分かる」とのこととか?昨日はベオグラードのカップ戦決勝、パルティザン対レッドスター戦(ベオグラードダービー)に行ったんですね?
長束:そうです。今回は旧ユーゴの他にドイツでもサッカーを見ています。ドイツも地域主義の国ですから、地元の応援にそれぞれ盛り上がり方に違いがあって面白いんですが、旧ユーゴに比べるとサポーターのお行儀はまだいいですよね。それと外国人の僕が応援していても、「何だこいつは」という排他的な目で見られるような気がします。スロヴェニアもおとなしくて、おじさんの社交場という感じ。牧歌的とでも言うんでしょうか。
ガラの悪さではクロアチアナンバー1?バッドブルーボーイズ(BBB)ことディナモのサポーター(写真:クロアチアに行こう!!)
大塚:そこへ行くとクロアチアとユーゴは・・・
長束:ベオグラード・ダービー(パルティザン対レッドスター)、クロアチア・ダービー(ディナモ対ハイドゥク)は別格ですね。まずディナモ・ザグレブですが、BBBを中心にとにかくガラが悪い。ザグレブには戦争に行って戦死したBBBメンバー300人の慰霊碑というのがあるくらいで、愛国突撃集団、みたいなノリがあったんですが、今は単なる不良少年の集まりというか。ユーゴにしても、クロアチアにしても、サポーターと警官隊との衝突は日常茶飯事ですよね。オシエクでも、ディナモに前半で大差をつけられたのに怒ったオシエク・サポーターがハーフタイム中にスタジアムの外で警官と衝突していました。
大塚:へえ、オシエクなんて、失礼ながら田舎のノンビリしたチームかと思っていましたが、結構すごいんですね。ザグレブに話を戻すと、カズの「活躍」はやっぱり相当評判が悪かったんですか。長束さんがHPにも書いていたと思いましたが?
長束:いやあ、本当に活躍してくれれば話は別だったかも知れませんが、結果を残さなかった上に、日本のマスコミが大挙して押しかけたでしょう。「クロアチア人でいいFWが他にもいるのに、何で無理してあんな日本人を使うんだ」という批判があったと聞きます。 それ以来、BBBをはじめ、ザグレブのサッカーファンの中では日本人を冷やかな眼で見る人が増えたと思いますね。
大塚:ハイドゥク・スプリットのファンはトルツィダと言うんでしたっけ、あれは海岸地域の中心だから、反ザグレブの象徴みたいなところがありませんか?
トルツィダことハイドゥク・スプリットのサポーターたちは海岸=反首都権力の象徴。折りしもこの対談直後の5月9日にスプリットで行われたハイドゥク・ディナモ戦では劣勢だったハイドゥクのサポーターが試合中に警官隊と衝突、100人以上の負傷者を出した(写真:長束恭行)
長束:そうですね。日本の野球で言うと阪神みたいなものです。反首都、反中央権力。ザグレブではBBBが、あまり荒れるんで市民の間でもツマ弾き視されているのに対して、スプリットでは市民みんなが「トルツィダ精神」を持ってハイドゥクを愛している印象があります。ポリュードのスタジアムは今老朽化していて、ちょっと満員に出来ないらしいんですが、ディナモ戦ではもう不安になるくらい騒いでくれますよ。「オレたちはダルマツィア人だ、ザグレブの連中とは違う」という気概があります。オシエクではやっぱり「オレ達はスラヴォニア人だから地元オシエクを応援している」という人が多くて、クロアチアサッカーはまず地域に密着しているんだな、というのを強く感じます。まあミニ民族主義みたいなものでしょうか。でもベオグラード・ダービーはちょっと違いますね。
大塚:ベオグラードを二分、というかヘタをするとユーゴを二分している感じですね。僕はレッドスター党なんですが、イェレナはパルティザン党で、昨日(パルティザンが1−0で勝ち)はケチョンケチョンにやっつけられました。野球で言うと巨人とヤクルトかな。地方へ行ってもこの2チームのどっちかを応援する人が多いです。選手の「出世コース」は、長束さんもよくご存知のように、地方で活躍してベオグラード2強のどちらかに買われ、やがて外国へ、というのが定着しています。
長束:あとクロアチアでもユーゴでも、相手の応援席を下ネタでやっつけるのが笑っちゃいますね。ヴィンコフツィのスタジアムでは隣に座った女の子も、平気で(?)女性器を意味する言葉とか、同性愛者の蔑称とか(大塚注:いずれも「弱虫」「意気地なし」の意味に転用)を連発して、相手を罵倒してました。

クロアチアに住もう!?


大塚:
似たテーマを扱っているHP主宰者が実際に会って話す、というのは、なかなかありそうでないことだと思うんです。そこで第1部の最後のテーマとして、HPをやっていてこれが良かった、ここを直したい、みたいなことを・・・。
長束:まずHPを立ち上げた時、クロアチアについての情報の絶対量が不足していましたし、その少ない情報を交換する場としてうまく機能したと思いますね。マスコミ関係者から連絡があって、お互いに情報を提供し合ったこともありました。
大塚:長束さんの掲示板(BBS)は活発ですよね。それに質問に丁寧にレスポンスを出しているのに敬服しています。僕なんか忙しいのにかまけて「配信」を書きっぱなしで掲示板を長いこと放ってしまう、これはいけないかな。
長束:うん、ただ掲示板への質問や、メールで問い合わせをして来た人にきちんと調べて答えても、その後一言もお礼の返事がなかったりすることがあるのは不満ですね。
長束さんが最初に訪れたクロアチアの首都ザグレブ。今度は留学生として住むことになる(バーン・イェラチッチ広場)
大塚:え、それは長束さんが律儀な性格じゃないですか?僕なんか逆に筆不精だから、返事をくれない人の「うっかり」も分かると言うか、あまり礼状をもらうことにはこだわりはないですね。もちろん来れば嬉しいですけど。僕の方の不満を言うと、「配信」本文を結構チカラ入れて書いている割には読者の方の反応がイマイチないことかな。
長束:それは僕もありますね。僕は作文が子どもの頃から苦手で、旅行記の長いヤツだけじゃなくて、ちょっとした短いページでも苦労して書く方なんですよ。だからそれに感想が来ると嬉しいし、逆にないと淋しいですね。
大塚:掲示板の「バトル状態」についてはどうですか?ウチもバトルまでは行かないけど、硬派なサイトだけに硬派な議論が白熱してしまうことはあるわけです。そういう時僕は一歩引いて傍観を決め込んでいますが、中には「大塚さんの掲示板はちょっと近寄りにくくって」という人もありました。
長束:ウチは最初サッカー関連と、サッカー以外のクロアチア一般の話題を一緒の掲示板で扱っていたんですが、サッカーの話題が多すぎて「一般」派の読者の方からやはり「近寄りにくい」という声が出てきました。それで今は2つの掲示板に分けているんです。
大塚:まあ掲示板は読者の方との貴重な情報・意見交換の場ですし、空爆中に面識のある方、ない方から「頑張れ」って書き込んで頂いたことが励ましになりました。幸い長束さんの掲示板も僕のもメチャメチャにされるようなことは今までありませんでしたよね。
長束:多少はバトル状態になるのはいいんですが、読者の方にも限度は守って頂きたいですよね。
大塚:ところで長束さんは一大決心をして、この秋からザグレブへ留学されるんですね。
長束:そうなんです。この際かじりかけたクロアチア語をしっかり勉強して、いずれはクロアチアに関わる仕事をしてみたいと考えています。最大の野望はJリーグにクロアチアリーグの選手を斡旋して、その通訳も自分でやっちゃうことですけど(笑)。今までは「片思い」していたクロアチアという国へHPという形でラブレターを送り続け、ようやく5年越しの愛が実って、今度は「嫁入り」するみたいなものかも知れません。あ、でも本当に大変なのは結婚してからか(一同大爆笑)。
大塚:「クロアチアに行こう!!」じゃなくて「クロアチアに住もう!!」だったりして。ボスニアのジェキッチ美穂さんと「現地三羽ガラス」でHPを続けられたら面白いですよね。
長束:まだ住む所のインターネット環境がどうなるかよく分からないんですが、今度は現地発の視点を交えて、HPを続けたいと思っています。
大塚:いやあ今日は結構長いこと話し込んでしまいましたね。本当に有難うございました。では第2部は場所をノヴィサドに変えて、旧ユーゴサッカー論議に移りましょう。

第2部 旧ユーゴサッカー讃 へリンク

(対談:2001年5月上旬、出稿:2001年6月中旬)


NK CROATIA(現ディナモ)のサイトから三浦知良の写真を提供して頂いたRoSoft d.o.o.に謝意を表します。画像の一部は2000年に「(旧)ユーゴ便り」の筆者が日本のテレビの取材に通訳として同行した際撮影したものですが、本ページへの掲載に当たっては、取材関係者から許諾を得ています。無断転載はかたくお断り致します。

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