「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
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(Since 98/05/31)

ユーゴ政変特集」最終回(第3弾)!
最終更新 2000/11/04 0:00

第38回配信 <ユーゴ政変特集・3>
猫も杓子もDOS一色


 

政変翌日、6日の連邦議会前「祝勝」集会。前日の殺気立った雰囲気はなく、人々の表情は明るかった。「中国人問題」(前回配信参照)ももう心配ない
   前々回前回配信とユーゴ政変前後の出来事を中心にお伝えしてきました。特に前回配信では敢えて客観的な視点を取るのを避け、自分の「10・5体験」を中心に書きました。しかし私がまだ起こったことの意味を実感する前に世の中はフルスピードで動き出してしまったようです。その後約1ヶ月が経ち、政治的にはまだ流動的な状態が続いていますが、情勢は落ち着きベオグラードも普段の姿を取り戻しつつあります。書きたいことはいろいろありますが、筆者には11月中旬にまた出張の予定が入っていますので、政変の検証とその後の動き、コシュトゥニツァ大統領とセルビア民主野党連合(DOS)政権の今後への展望などを今回でまとめて「政変特集」を打ち止めとさせて頂こうと思います。

   イリッチ市長が統率する「チャチャク愚連隊」を先頭に市民が連邦議会に突入したのが15時半、催涙ガスの刺激臭と無政府状態が一応静まったように思えたのは17時半頃でしたから、私は前回の配信のタイトルを「2時間『革命』(?)」としたわけです。ところが世の中にはもっと上手いことを言う人がいるもので、「180分で世の中が180度変わってしまった」というコメントを週刊「ヴレーメ」誌で発見しました。2時間か、180分かを議論するつもりはありませんが、ともかく私がリリヤナさん宅で外に出られないまま大人しくしている間に(?)、世界がガラッと変わってしまったことは確かです。
   翌日付のイギリスの新聞に「革命」という字が躍り、日本のマスコミも「民衆革命」と名付けました。連邦議会と並ぶ「震源地」の国営セルビアテレビに野党シンパの率いるパワーショベルが突入したことから、地元では「パワーショベル革命」とも言われています。しかしこの政変は「革命」と名付けられるものではなかったように思います。少なくとも、5日の夜までは革命のようにも見えたそれは、「しばらく休んだ後社会党の党首として政治活動を続ける」というミロシェヴィッチの退陣宣言(6日)、「平和的な政権交代」というコシュトゥニツァの大統領就任式(7日)での自己評価を経て、むしろ軟着陸とでも呼ぶべき状態に至ったのです。
   5日の集会で司会を務めたタディッチ新議員は筆者に対して7日「あの突入は予想外な流れだったが結果はいい方向に向かった」と、予めシナリオがあったことを否定していましたが、イリッチ・チャチャク市長は日本の新聞を含む内外のメディアに「突入劇」の周到な準備があったことを認めています。
イリッチ・チャチャク市長。「親分」と彼の「愚連隊」が5日政変の蔭の主役になるための準備は周到になされていた(写真は「ニン」誌の選挙宣伝から)
   彼によれば、8月頃から既に突入の準備が始められ、警察、秘密警察、軍の一部などとコンタクト、騒乱状態に陥った際は同市長側に「寝返る」約束を取りつけていました。また地元のスポーツ選手や屈強な警察官などを突撃要員として編成、5日を「Dデー」として連邦議会前に乗り込みました。12時の突入が失敗した時点で警察内部の「味方」と連絡、15時半再突入の際、警察の大半はすぐ投降するという合意が出来ていました。
   イリッチはジンジッチらDOS内部穏健派は信用できないので、単独で突入準備を進めたとしていますが、DOS内部でもある程度はコーディネートがあったと私は思っています。前回配信で書いたように、連邦議会前での集会は必ず正面入り口前にステージが出来、報道関係者のスペースも設定されます。実際6日の同じ連邦議会前での「祝勝集会」がそうでした。ところが5日に限って演壇と入り口の間に何百人もの集会参加者(大半はチャチャクからの「突撃要員」)が立つスペースが出来ていましたし、予定の3時よりはるかに早く(これも例外的)集会が自然発生的に始まってしまいました。演壇のすぐ前のポジションを取れた幸運(不運?)な報道関係者は私たちを含む一部で、結果的に催涙弾による混乱が始まってからテレビカメラは連邦議会、国営テレビなどを様々なアングルから撮影することになりました。
   混乱の中で死者は2名、1人は国営テレビに突入した野党側のパワーショベルに轢かれた女性、もう1人はデモに参加していたかどうか不明の男性(心筋梗塞が死因)で、警察側は実弾をほとんど使用していなかったことが明らかになりました。もっとはるかに大きな混乱が数日にわたって続いてもおかしくない状況だったと私は思いますが、2時間ないし180分で次々に警察署が「陥落」し、軍のその後の「逆襲」も全くなかったことは驚きに値すると言っていいでしょう。9日に辞任したストイリコヴィッチ・セルビア共和国内相は警察内部で機動隊、テロ対策部隊などが部隊ぐるみ「不服従」を宣言し集会制圧に動かなかったことを認めています。ミロシェヴィッチの私兵と言われていた警察の上層部がそれほどまでに前政権に愛想をつかしていたのか、イリッチだけではなくDOS幹部と連絡がどの程度取れていたのか。昨年の空爆以降のオイダニッチ国防相、パフコヴィッチ参謀総長ら軍上層部人事異動は親ミロシェヴィッチ色を深めたと言われていたにも関わらずなぜ軍は全くと言っていいほど動かなかったのか。別の言葉で言えば、あの自然発生にも一瞬見えた政変はどの程度まで「出来レース(演出)」だったのか。これから様々な「暴露」が出てくると思いますが、今のところもう一つはっきりしない謎の部分です。

ここまでやる必要があったのか。良識派ぶるつもりはないが、7日無残に破壊された国営セルビアテレビの前を車で通りがかった時は暗い気持ちになった
   国営セルビアテレビのミラノヴィッチ総裁は火事になった建物から逃げ出したところをDOSシンパに発見され暴行されました(この現場はロイター他のメディアが撮影しています)。空爆中にもこのページで触れたことのある同テレビのナンバー2、コムラコフ制作主幹兼プロデューサー兼デスク兼アナウンサー兼レポーターもリンチされる寸前のところを救い出され、かつてミロシェヴィッチの愛人ではないかと噂されたことのあるヨーヴィッチ・アナウンサーは唾を吐きかけられながら避難したとのことです。
   火炎ビンで炎上した連邦議会は、突入した市民によってじゅうたん、絵画などが略奪され、火事の影響で残った絵画や彫刻ほか調度品が黒焦げになってしまったと言います。また国営テレビでもコンピューターなどの備品が大量に略奪されました。前回配信でも書いたように、私たちの車が無事だったのは駐車した位置から考えると奇跡に近く、議会やテレビ近くに停まっていた大量の自動車が燃やされたり叩き壊されています。
   そんな様子が放送されるテレビ画像を見ながら、私と妻は沈黙せざるを得ませんでした。もちろん私たちもヘンに良識派ぶるつもりはありません。ミロシェヴィッチの御用放送の主役たちは間違っても好きになれませんでしたし、あの催涙弾をパカスカ撃たれればこちらもパワーショベルや火炎ビンで「突撃」したくなるのが人間というものでしょう。でも、ちょっと違うんじゃないか。

   ちょっと違うんじゃないか、の思いは、状況が沈静化し、舞台が再び政治レベルに収束したその後も続いています。
   7日夜、新議員による第1回の連邦議会が開かれました。連邦議会の建物は火災の影響で停電中、代わって社会党大会など、どちらかと言えばミロシェヴィッチ体制系の拠点というイメージがあった新ベオグラード地区のサヴァ・センターが会場になりました。上下院双方で「ナニ党が何人」という定数確定の作業を行うだけで、あとはコシュトゥニツァ大統領の就任宣言を両院総会の枠内で行うという段取りです。地元メディアはともかく、外国報道陣は就任宣言を待っているだけなのですが、なかなか定数確定が終わりません。「社会党の議席数が確定せず紛糾している」という情報が入り、最初は社会党が少しでも議席を増やそうとしていると思ったのですが、実は前日のミロシェヴィッチ敗北宣言で斜陽の社会党などに対し、DOSが「勝者の論理」で議席を増やそうとしてゴネていたのです。
連邦議会(市民院=下院)確定分(定数=138)
セ社会党+ユーゴ左翼親ミロシェヴィッチ44
モンテネグロ社会民族党親ミロシェヴィッチ28
セルビア民主野党連合野党58
セルビア急進党極右
諸派-----
「コソヴォを含むセルビア南部については、大統領選のレベルでは連邦最高裁も不正があったことを4日深夜に認めている。それなのに議会レベルでは同地域の社会党ほか19議席分がそのまま確定するのは変ではないか」というのです。まあDOSにしても早く大統領を就任させたいわけですから議会を空転させるまでは進まず、結局上院1議席、下院19議席が未確定のままで審議を終了し(最終確定結果は表参照)、コシュトゥニツァの就任式に移りましたが、前々日に勝ったばかりのDOSがさっそく強権を発動しているなあ、という印象は免れ得ませんでした。
   勝ったと言ってもまだ連邦政府は成立せず、共和国政府では旧政権が多数を占めている状態ですが、DOSは社会党の息がかかっている国営主要企業の人事大異動に着手しました。公共事業体、マスコミ、銀行など各分野でDOSが「緊急対策本部」を設け、これが各企業のDOS派に呼びかけて「臨時運営委員会」を組織。同委員会が「労働者の大半の要請による」という理由で社会党派の上層部を更迭しDOS派の社長、総裁、責任者らを任命するという仕組みです。セルビアテレビは本来セルビア共和国営であって、連邦レベルが人事に口を出せないはずなのですが、上記ミラノヴィッチ、コムラコフらはあえなく解任、誰も文句を言えないDOSの独走が始まりました。
   私が通訳を務めていた日本のテレビB社の取材も終わりかけていた頃、衛星伝送でいつも世話になっている国営テレビ国際部のD女史から私たち夫婦に電話が掛かってきました。「あなたもよく知っているウチのチーフのTさんがねえ、緊急対策本部の指令でクビになりそうなのよ。だけど私たちの部署は全員Tさんと上手くいっていて、こんないいチーフはいないと思っているからあなたに相談なんだけど」。確かに私の知っているTさんは感じのいい人物だし、別にミロシェヴィッチ寄りという匂いもしない人です。マスコミの緊急対策本部長はスヴィラノヴィッチ・セルビア市民連合党首で、DOS18党首の中でもどちらかと言えば好感度の高い人物だという印象でしたが、ちょっとひどいことをするなあ、と私たちも思いました。まあ誰がチーフになってもそれで今後の衛星伝送がトラブるとも思えませんが、Tさんを助けてもマイナスにはならないだろうと思い、D女史の言う通りに「B社のこれまでの取材ではTさんにいろいろ助けて頂き感謝しております」という旨のファックスを私がサインして、また私の妻は同じようによく私たちが通訳を務める日本のAテレビ名で同じような内容のファックスにサインしてセルビアテレビに送りました。これがどのくらい役に立ったかは不明ですが、少なくともTさんはクビは免れて他の部署に異動になったようです。
ベオグラード中心部でもひときわ目立つ右の高層ビルが「ポリティカ」本社。強引な人事異動を続けるDOS内部での対立が話題になった
   DOS「強権」人事も全て順調に進んでいるわけではありません。一番の騒動になったのは、5日朝までミロシェヴィッチ御用報道を続けていたバルカン最古の日刊紙「ポリティカ」の社長人事でした。スヴィラノヴィッチの緊急対策本部と社内の臨時運営委員会は体制に対しても野党に対しても毒舌で有名だったジャーナリストのティヤニッチ氏を推薦、一方株主総会と「臨時管理委員会」はポリティカ社創設者の子孫リブニカル現ワシントン特派員を推薦し対立。結局後者が社長に選ばれスヴィラノヴィッチは緊急対策本部長を辞任することで決着しました。なおスヴィラノヴィッチは本稿執筆時点で新連邦外相の有力候補に挙げられています。
   ユーゴ最大の商社ゲネックスのボジョヴィッチ社長(元セルビア首相)は無理矢理辞表にサインさせられ、社会党幹部のカネづると言われたベオグラツカ銀行のヴチッチ総裁は解任直前に多くの書類を持ち逃げしたとも言われていますが現在は行方不明。この1ヶ月の国営企業人事はまさに大荒れです。DOSに同調せず議席を大幅に減らしたセルビア再生運動のドラシュコヴィッチ党首は「45年のパルティザンのようだ」とティトー=パルティザンが政権を奪取した途端に対独協力者だけでなく、反共主義者全員を社会的に抹殺しようとした第2次大戦後の混乱期になぞらえています。
   私はマスコミがリンチ、略奪、強権人事など政変のネガティヴな側面を書くことに極めて消極的になっていることに幻滅を覚えています。表はベオグラード・メディアセンターの分析を基に筆者が作成したもので、14日から20日までの7日間にセルビアを代表する日刊紙がコシュトゥニツァ新大統領、DOS、セ社会党についてそれぞれ肯定的、中立、否定的、の各文脈でどれほど記事を発表しているかを示しています。例えばポリティカはこの7日間で新大統領について32本の記事にポジティヴな彩りを添え、8本は中立(カッコ内の数字)、否定的な書き方の記事はゼロだったことになります。
新聞名旧体制時代の色コ大統領DOS社会党
ポリティカ体制系高級紙32-(8)-022-(15)-00-(4)-12
V・ノーヴォスティ体制系大衆紙7-(0)-07-(5)-00-(4)-17
ブリッツ中立系大衆紙9-(9)-04-(12)-10-(8)-11
G・ヤヴノスティ中立系6-(4)-012-(18)-00-(5)-19
ダナス野党系高級紙7-(0)-113-(10)-10-(5)-19
数字はそれぞれ 肯定的-(中立)-否定的 文脈での記事数を示す
もともとミロシェヴィッチ体制に批判的なトーンだった中立、野党系の新聞はもちろんですが、むしろ5日朝まで社会党の御用報道を続けていたポリティカやヴェチェルニエ・ノーヴォスティの方が極端なほど「コシュトゥニツァ・DOS寄り、反社会党」に走っていることが分かります。週刊誌では旧野党系の代表「ヴレーメ」がDOS応援を続け否定的論説は極めて貧弱、中立系の「ニン」がまずまず、というところ。
   Jednoumlje(イェドノウムリェ)という、英語に訳しにくいセルビア語があります。考え方(um)が一つだけ(jedno)になってしまっている状態、日本語で言えば「猫も杓子もDOS一色」というところ。それが今のセルビアのムードを表しているように思えます。もちろんベオグラードの都会的な洗練されたやり方では旧体制を変えることが出来ず、チャチャク突撃隊とパワーショベルがあって初めて起こった政変だったことは確かです。しかしその後のDOS一色、という成り行きに、少なくともベオグラードでは筆者の妻を始め、ミロシェヴィッチ政権に反感を持っていた人の中にも「これはちょっと違うんじゃないか」という空気が微妙に漂い始めてきたことは間違いありません。

   とは言うものの、コシュトゥニツァ政権(まだ政府も成立していないのに政権と言っていいんですかねえ?)は対外的には順調なスタートを切りました。就任直後の10日には欧州連合(EU)議長国ヴェドリヌ仏外相がベオグラードを訪問、EUの原油制裁解除を伝えた他、昨年の空爆で船舶の交通が止まっているドナウ川の浚渫と橋の建設など具体的な援助を提示しました。14日に仏ビアリッツで行われたEUサミットでは異例のゲストとして招かれたコシュトゥニツァ大統領が最大の注目を集め、対ユーゴ180億円規模の緊急援助の約束が発表されました。日本政府も19日、食料、医薬品など1000万ドル相当の緊急援助を決定しユーゴ政府に伝えています。事実上92年から続いている国際制裁解除、同年からステータスが凍結されている国連、全欧安保協力機構(OSCE)など国際機関への復帰へ向かって、政府も外相もいないまま外交活動が急速に進んでいます。
10日のコシュトゥニツァ(右手前)・ヴェドリヌEU議長国外相(左手前)会談
   新政権は対外的に2つのネックを抱えるとみられていました。一つはコシュトゥニツァが「民族主義者」として知られている点、もう一つはハーグの国際戦犯法廷から訴追されているミロシェヴィッチ前大統領の処遇問題です。
   コシュトゥニツァは「自分は(極端な国粋主義や全体主義ではないが)民族主義者である」と事あるごとに認めています。独立が取り沙汰されるコソヴォに関しては「歴史的にセルビアの一部」として譲る構えは今のところ見せていません。またハーグ戦犯法廷に関しても消極論を展開しています。しかし、10日のヴェドリヌ仏外相との会談後の記者会見では、「(仏外相には)セルビア人、非アルバニア人難民が大きな問題であることを理解してもらった。国連安保理決議1244を遵守実行していくことが大事だという認識で一致した」と述べ、対内的に「援助の話ですぐに外国にコビを売ったわけではない」とアピールする一方で、14日のビアリッツでは「私は確かに民族主義者だが、かなり守勢に回っている」と上手に「民族主義者問題」でカドを立てずに乗り切りました。ミロシェヴィッチの処遇に関しては、彼の敗北宣言の前にイワノフ露外相がプーチン大統領の特使としてベオグラードで新旧両大統領と会談しており、取りあえずミ前大統領の政治生命を断たずにおくというのはロシアの大岡裁きであったように思われます。コシュトゥニツァは、今後とも対内外の発言を微妙に使い分け、またコソヴォ、ハーグ問題で積極論のアメリカには距離を置きながらより近い西欧への接近を図り、なおかつロシアとも従来通りの友好関係を保つという、器用で無難なやり方が出来る政治家だと言っては過大評価でしょうか(新政権の今後の最大の課題は、間違いなく経済の立て直しにありますが、セルビアの経済に関しては遠からずまとめる機会を作ろうと思います)。

16日DOSとセルビア共和国議会各政党は12月の選挙実施で合意。ガエヴィッチ、シャイノヴィッチら社会党幹部を「後ろに従えて」DOS幹部のジンジッチがこれを発表する光景に新しい時代の到来を感じた人は多かった(翌日付の日刊紙「ダナス」から)
   セルビア内部では社会党が一気に政治的パワーを失ってしまいました。連邦議会では数の上ではモンテネグロの親ミロシェヴィッチ派社会主義者民族党(SNP)と合同すれば過半数を抑えられるのですが、大統領が推薦した首相候補による政府が3ヶ月経っても成立しない場合は議会が解散され議会選だけやり直しになるという憲法上の規定があり、社会党は今の勢いでは再選挙ではもっと議席を減らすことになってしまいますからこれは避けたいところ。またSNPにしても大統領がセルビア人の場合モンテネグロから首相を出す現行規定から、大人しくしていれば首相といくつかの大臣ポストが転がり込んでくるわけで、最初は「社会党と連立政権を」とゴネたもののやはりDOSの言いなりの状態。それに議会空転、再選挙となれば今回ボイコットしたモンテネグロ・ジュカノヴィッチ大統領派が選挙に参加し自分の議席が減ることは確実ですから、DOSの思惑通り11月上旬にはセ社会党抜きでDOS・SNP連立政権、つまり反・親ミロシェヴィッチ派の連合が発足する見込みです。またセルビア共和国議会はDOS参加政党の大半が前回選挙をボイコットしていた関係でDOSの議員はほとんどいない状態ですが、「現在の政治的な事実上の力関係を見直せ」というDOSの要求でマリヤノヴィッチ首相が辞任、12月23日の選挙までの暫定措置としてDOS、社会党、セ再生運動による連立政府(首相はミニッチ社会党執行委員)が成立しました。社会党は今回選挙の敗因を前大統領夫人のマルコヴィッチ率いるユーゴ左翼との連合にあったとしており、共和国議会選ではそれぞれ単独に選挙運動を行うとしていますが、DOS一色の逆風状態の中でプラス効果が現れるかどうかは疑問です。11月末には臨時党大会でミロシェヴィッチ党首の進退が討議される見込みです。再任は間違いないものと思われますが、党内部には前大統領の責任を追及する声も上がっており若干の紛糾が考えられます。

モンテネグロ・ジュカノヴィッチ大統領。今回選挙のボイコットで対抗勢力SNPが連邦政府に入閣、自国の連立与党が不安定な状況に
   というわけで国際社会とセルビア内部では「コシュトゥニツァとDOS万々歳」なのですが、周辺地域に思わぬ政治的波紋が生じています。
   ミロシェヴィッチにいち早く反旗を翻したモンテネグロ・ジュカノヴィッチ大統領は、今回の選挙ボイコットを「作戦失敗」と非公式に認めています(信用できる同大統領に近いソースによる)。ミロシェヴィッチ政権あってこそ「独立の可能性」、と言うよりも国際社会の政治的、経済的支援(=利権)が得られたモンテネグロ現政権ですが、コシュトゥニツァ政権の誕生で国際的に独立承認を取り付けることが難しくなり、ユーゴの中で今まで独占的に得ていた経済利権も先細り、という可能性が高くなってしまいました。しかもモンテネグロ現政権は独立に積極的な社民党(ラキチェヴィッチ党首)+消極的な民族党(ショチ党首)+玉虫色の社会主義者民主党(ジュカノヴィッチ大統領)という組合わせです。ユーゴ政変後、明らかにあせった社民党が「独立を問う国民投票の早期実施を」と唱え出し、また独立に反対する政敵SNPがDOSと連合政権を誕生させて揺さ振りを掛ける中で与党連合自体が不安定な状態に陥っています。コシュトゥニツァは「モンテネグロとセルビアの関係についてはきちんと話し合いたい」と、ユーゴ連邦のあり方を問う国民投票実施の可能性も示唆していますが、ウォッチャーは「独立の可能性が小さくなる中、もう一度社会主義者民主党とSNPの2大政党の分裂統合も含め再編成が進むのではないか」と見ています。

イェレナ: ビアリッツのEUサミットでは制裁解除、対ユーゴ緊急援助は取りつけたけど、ユーゴ人のEU各国ヴィザ免除は先送りになっちゃったわね。
真彦: そう、きみとヴィザなしでフランスでもスペインでも早く行けるようになるといいと思ってるんだけど、まだ何年か先の話になりそうだね。
イェレナ: ロンドンやアイルランドなんか一度行って見たいのに、観光のために大使館に何度も行列することを考えるだけでバカバカしくなっちゃうわ。
真彦: イギリスはEU共通国境管理(シェンゲン)協定にも入っていないし、他のEUの国より遅くなるかもね。でもEUに入っていないノルウェーなんかEUより早いヴィザ免除が期待できるんじゃないかな。
イェレナ: そう言えばノルウェーは外相がコシュトゥニツァが就任式をやる前にもう会いに来てたし、独自の外交活動をしてる感じね。野党勢力へのエネルギー援助にも積極的だったし。
真彦: 第33回配信に書いたモンテネグロの携帯電話もノルウェー資本が少し入っているしね、案外ビジネスで面白い展開があるかも知れないね。寒いところは苦手だけど、フィヨルド観光も悪くないかもよ。
イェレナ: でもスカンジナヴィアは物価が高いところだから、まずしっかり仕事で稼いでおいてよ。
   民族主義をリードしたトゥジュマン前大統領の死去に伴う選挙で、今年初めセルビアより先に政変を経験したクロアチア。民主化で先を行っているんだからセルビアの民主化を喜んでいるだろうと思うと、これがそうでもないのがバルカンの面白いところです(クロアチアがバルカンに属するかどうかは異論があるところだと思いますが、その議論は別の機会にしましょう)。今一番コシュトゥニツァ・DOS政権に辛口の論調が聞こえるのは間違いなくクロアチアです。トゥジュマンの生前から政権批判の論調をリードした週刊「グローブス」誌(10月13日号)はEUの向こう5年間で2000億円規模という対ユーゴ大型援助の方針に対し、「デイトン包括和平後のボスニア戦後復興で過去5年間に使われた額の半分に近いカネが、政権交代したというだけで出ることになった。ムチなしのアメだけ」とコメントしています。他にも、民主化では先を行っていたクロアチアが今になって「EU加盟は他のバルカン諸国と一括して討議するべきだ」(C・ビルト国連バルカン担当特使)と他の国と同じ扱いにされる論調になっているのは変ではないか。ユーゴ援助はハーグへのミロシェヴィッチ引渡しを条件にすべきではないか。コシュトゥニツァはクロアチアでの戦争に関して公式に謝罪すべきではないか、等々。いや確かに正論です。正論ですが同時にクロアチアよりも人口、面積で勝り、潜在的な市場としての魅力も負けていないセルビアに対するヒガミも見え隠れするところが少々ないではない気がします。しかし一番の不安は、一度は選挙で完敗を喫したはずの右派陣営がこれらの対セルビア論調をバックに勢いを取り戻してしまうことです。「グローブス」誌の別の記事でブトゥコヴィッチ論説委員は「ミロシェヴィッチの敗北で旧ユーゴのしがらみの時代は本当に終わったのだ。自分の道を歩み始めているクロアチアはセルビアのことを過度に気にする必要はない」と冷静になることを呼びかけています。

   敢えてシニカルな書き方もしましたが、今後のセルビア、そしてユーゴが口先だけではない民主化と市場経済化に向かい一歩を踏み出したことは、全体の流れとしては間違いないと思います。これからも「各論」としてはいろいろな問題が起こってくるでしょうし、住んでいるわがベオグラードから報告を続けて行きたいと思っています。最後に「ダナス」紙に鋭い論説を展開しているトゥルクリャ氏が、社会学者ダレンドルフを引用して書いている一節(10月17日付)を紹介します。
   「共産主義崩壊後、民主的な憲法が出来るまでには6ヶ月かかる。民主的な制度が成立するまでには6年かかる。だが本当に民主的な社会が定着するには60年かかるのだ」。

   まあ、長い目でこの国を見ていくつもりです。

前々回(第36回)配信=ユーゴ政変特集・1「新・コルバラの戦い」にリンク

前回(第37回)配信=ユーゴ政変特集・2「2時間『革命』(?)」にリンク

(2000年11月上旬)


写真の一部は2000年3、6、10月に日本のテレビ取材に同行した際筆者が撮影したものです。また本文の一部にもこれらの取材の通訳として業務上知り得た内容が含まれています。これらの掲載に当たっては、私の通訳上のクライアントから許諾を得ています。画像・本文の無断転載はかたくお断りいたします。


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