「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 99/08/28 21:18

第24回配信
セルビア、秋の陣へ


ベオグラード連邦議会前で開かれた大集会に終結した野党党首たち
   「この10年間、私たちはセルビア人であることを恥ずかしいと思わなければならなかった。しかし今こそセルビアを救う時が来た。ミロシェヴィッチを退陣に追い込もう。今日私たちがやらなければ、いつ、誰が出来るだろう?セルビアを再び世界に輝く星にしよう!」  
   8月19日夕方、ベオグラード中心部、ユーゴ連邦議会前の広場を埋め尽くした15万人(AP、ロイター)とも言われる人々の前で、セルビア都市部で高い人気を誇る民主党のジンジッチ党首がこのように訴え喝采をさらいました。
   空爆が終わって2ヶ月。復興に動くどころか破壊された建物の解体さえもままならない状態が続き、西側からも「ミロシェヴィッチ現政権が続くうちは人道援助のみ」で、経済援助も復興景気も期待できない中、一気に現政権の打倒へ向けて野党各党が動き出そうとしたのが今回の大集会です。主催は特定の政党ではなく野党系の経済学者・専門家グループ「G17」。そして先に野党各党の大同団結を呼びかけ、自らもミロシェヴィッチ政権批判を今までになくはっきりと打ち出したセルビア正教会が後援の役割を果たしましたが、実際の主役は民主党を中心とする政党連合「変革のための連合」でした。野党のリーダーたちはこぞって公正な選挙の早期実施、専門家による臨時政府の樹立とともにミロシェヴィッチ社会党を政権から追い出そう、と訴えました。  
ミロシェヴィッチの写真、焼いちまえ!酒の方はもうだいぶ出来あがっている感だったが、集会開始前さらに気勢を上げる民主党のシンパ
   教会の団結呼びかけにも関わらず、「変革のための連合」と一線を画したい数政党が直前で不参加を表明、民主党と並び人気政党の一つであるセルビア再生運動のドラシュコヴィッチ党首も代理を立てるなど、野党どうしの対立ははっきりと感じられ、当日までこの集会も失敗に終わるのではないかという危惧がありました。夏の盛りは過ぎたものの相当の蒸し暑さが残り、燃料不足で帰りのバスも間引き運転が続いていては一般聴衆の出足が鈍るのではないか。しかし現政権に不満を抱く人々は夕方から次々に連邦議会前に押しかけてきました。集会の開始30分前にはもうすし詰めの状態です。
   15万人の熱気に押されたか、本人は不参加のはずだった「日和見の王者」ドラシュコヴィッチ(当初野党のリーダー格と目されながら昨秋翼賛政府に同調、連邦副首相を務めていたが空爆の続く中再び野に下る、など変わり身が激しい)も急遽登壇、「国際社会と協調しながら年内選挙実施へ向けて政府へ圧力を掛けよう」、と再び野党側についたことを強調しました。
   主催の経済学者グループ「G17」の一員、ディンキッチ・ベオグラード大学経済学部助教授は熱を込めます。「GDPは10年前以下、生産は5分の1まで落ちた。10年前のレベルに戻すのにこのままでは何十年も掛かると言われている。こんな状態を許す権力にまだ何十年も従っているのか?待っている時間はあるか?みんながまとまってミロシェヴィッチを追い出そう。制度を変えよう。自由なセルビアに生きよう、前進しよう!」
   群小政党が乱立し、反ミロシェヴィッチでは何とか一致してもそこから先がまとまらないという「セルビア野党病」。今回の集会でも最大公約数的な「選挙実施、政権交代」以外は各党がバラバラに言いたいことを言っていた、という印象があります。しかし辛うじてではあるものの複数の勢力が同じ場所に集まることは出来ました。反ミロシェヴィッチ勢力にとって、選挙をにらんだ暑い秋の戦いは始まったばかりです。

 

   ミロシェヴィッチ社会党側も、この15万人集会の動きは無視できなかったようです。集会と前後してダチッチ社会党広報担当が「11月上旬に地方選挙実施」の可能性を示唆、まず地方選、その後セルビア共和国、ユーゴ連邦レベルでの選挙へ秋以降一気に向かうシナリオが浮上しつつあります。果たして空爆後のセルビアに政変は起こり得るのでしょうか?
ついにヨーロッパ最貧国に

  冒頭の政治集会を主催した経済学者グループ「G17」は、空爆で工場が破壊され、就労人口の半数が失業、生産が昨年比マイナス40%と激減した99年ユーゴの一人当たり国民所得を900ドル/年と見積もっています(宣伝の意味合いが大きい体制側の公式発表よりは信頼できそうです)。これを他のヨーロッパ諸国と比較すると、アルバニアを抜いてヨーロッパ最貧国ということになります。因みに25日付日刊紙「ブリッツ」によれば旧ユーゴ諸国ではダントツのスロヴェニアの平均月収が1071マルク、クロアチアが810マルク。セルビアは85マルクでスロヴェニアの13分の1とか。
   体制側は「磐石」を強調し続けています。8月7日にミロシェヴィッチ連邦大統領はセルビア系外国移民代表の集いで次のように述べました。「私たちセルビア人は一体化することが伝統的に少なかった。しかし空爆の続いたこの2ヶ月半ほど一致団結が見られたことはなかった。NATOの侵略によって新しい統一が生まれたのだ」。こうしてセルビア人の団結連帯と愛国心に訴えることで、また野党勢力を「国賊」「非国民」扱いすることで、(今は必ずしも選挙をする必要は感じていないが仮にやったとしても)選挙を有利に戦って行ける、という与党側の計算が感じられます。確かに私も空爆の最中は「反NATOで『団結』」(第16回配信)という文章を書いた通り、「現政権という悪よりもっとひどい空爆という巨悪に対抗する」雰囲気で強い連帯感があったと思います。しかし空爆が終わって、今度はその国内責任を精算する時期に入っています。野党が今後団結を強めれば、社会党にとっても「磐石」と落ち着いていられなくなる可能性はありそうです。
   8月12日、ブラトヴィッチ連邦首相はユーゴ連邦政府の改造を発表、野に下ったセルビア再生運動に代わり極右のシェシェリ党首率いるセルビア急進党(セルビア共和国政府では既に副首相などのポストを押さえている)が入閣し、昨秋以来の「大政翼賛体制」から以前の「社会党ほか左翼連合+急進党」対「再生運動+民主党ほか」野党との対決構図に戻ったことが鮮明になりました。

   8月5日、Jと私はブダペスト経由の陸路で再びベオグラードに戻りました(ベオグラード空港に乗り入れている民間機国際線は8月下旬現在ロシアのアエロフロートのみ、モンテネグロからはモンテネグロ航空がスロヴェニア、トルコなどに飛ばしていますが、EUの経済制裁が解除されないと西欧各社のセルビア乗り入れ復活は難しいようです)。何しろ5月末には第21回配信で書いたような事情で、周囲に挨拶もろくにしないで日本へ「逃げ出して」しまったわけで、友人知人のところへお詫び半分に顔を出すのですが、もっぱらの話題は「この冬をどうやって越すか」ということです。
ベオグラード中心部、ユーゴ軍参謀本部。主要な建物は空爆されてから3ヶ月経った今も解体さえ殆ど手がついていない(7月下旬 山本邦光氏撮影)
   時々数分間の停電があるものの、現在電気(と水)は何とか安定しています。日本と異なりクーラーの普及率が低く、あまり夏に発電システムの心配をしなくていいのです。問題はただでも停電の多い冬です。集合住宅の多いノヴィベオグラード地区では暖房用の空気を送るための熱供給プラントが破壊されてしまいましたし、私たちが日本に脱出していた空爆最後の2週間は発電・変電施設に攻撃が集中していました。従来の熱供給が期待できない集合住宅でこの冬電気ストーブが多用されるでしょうし、それに十分耐えられるような給電システムになっていないことは誰もが承知しています。ベオグラードの冬はマイナス一ケタは当たり前、厳しい日にはマイナス15度もあり得ますから、そんな中で皆の心配が暖房というのは当然です。暖房設備、給電システムの復旧が急ぎ望まれていますが、軍需関連産業に務めるA氏は、「たとえ財政的に十分な余裕があったとしても発電・変電設備の復旧に5ヶ月は掛かる」と言います。もちろんそんな財政的余裕は政府には、ナシ。欧米諸国の援助の見込みも、ミロシェヴィッチ政権が続く限り、ナシ。一戸建ての家なら薪ストーブに切り替えることが理論的には出来ますが、集合住宅では不可能。そんな中現在テレビで盛んに宣伝しているのは「我が家を発電所に」がコピーの自家発電機と、電圧が不安定になって家電製品を傷めないようにする整圧機です。
交通渋滞ではありませんので念のため。路上の闇ガソリンよりは安く配給券も使えるため、国営公社系スタンドにガソリンが(珍しく)入った、という知らせが口コミで伝わり大行列になる
   空爆期間中は政府により価格が凍結され、不当値上げや出し惜しみに対する罰則が強化されたため、主に輸入頼りのガソリンとタバコ以外ではそれほど深刻なモノ不足が起こらなかったことを書きました(またセルビアは農業国で基本食料品にはあまり困らないという事情も考える必要があります)。空爆後のベオグラードに帰ってみるとやはり深刻なのはガソリン不足のようです。空爆中の配給券(第18回配信参照)も、「券を出してもガソリンがない」状態が続いたためダブついてしまい、一部には「基本食料と兌換できるようにしろ」という要求も出たりして混乱しています。警察の取り締まりも戦時体制の頃に比べて緩やかになったためか、包括経済制裁(92〜95年)当時のように路上で売る闇ガソリン売りがたくさん見られるようになってきました。
   友人で薬局の営業に携わっているBは「南部レスコヴァッツの工場が空爆でやられたんで医薬品の供給に障害が出ている。でもそれ以上に困るのは、まだ薬品に関しては戦時体制による価格凍結が続いていて、原価が安すぎるから工場が出し惜しんでることだ。ウチら薬局の方は価格は自由に設定できるはずなんだけど、薬局どうしで不足した薬をやりくりし合うのが精一杯で商売にならないよ」と嘆きます。
寒がりの私に冬は不安だ。でも夏の陽射しを一杯に受けてぶどうの実が輝いているのを見るとやっぱり「住めば都だな・・・」
   凍結体制は段階的に解除、また空爆前のように業者の値上げを政府が許認可する体制に戻りつつあるのですが、インフレ圧力がかかって業者が大幅値上げを申請するのに認可されず、結果的に出し惜しみが起こり、国内で生産している一次産品まで店から消えてしまうというこの国特有のモノ不足が起こり始めています。政治集会後の8月下旬には肉や牛乳が国営系スーパーマーケットから姿を消してしまいました。生産も輸入も大幅に落ち込む中、セルビアの中で単純再生産のような形を続けていればインフレは(理論的には)抑えられるはずですが、もちろんそうも言っていられません。それに秋口は獲り入れの季節で、農産物の政府買上げをめぐって農民や食品産業工場の出し惜しみ(買上げ価格吊り上げ要求)と紙幣増刷(インフレ)のイタチごっこが始まるでしょう。状況はインフレ年率116兆パーセント(!)を記録した包括制裁時代の93年を少し思い出させるところがあり、政府にとってはこれからが試練だと言えますが、まだ新連邦政府もセルビア政府も有効な経済政策を打ち出しているとは言えません。
8月11日、世界の終わり?

  学生時代にはハレー彗星も惑星直列もあまり興味なかった文科系の私ですが、帰ってきて早々の11日には自分の住んでいる町で98パーセント日食が見られる(皆既日食はハンガリー国境のごく一部)、というので仕事のない日の私にしては早起き(10時半)をしました。セルロイドの下敷きもないので、観察に使ったのはJの大叔父のレントゲン写真(当地の病院では撮影後患者本人に渡すのが普通です)。細い三日月のような太陽を見ながらちょっと童心に返って天文ショーを楽しみました。
  しかしそれ以上に面白かったのは大衆紙やら女性誌によく出てくる類いの「超科学系」予言者とか占星術師とかの発言です。ノストラダムスと結びつけて世界の終わりを力説する大先生あり、中には「ミロシェヴィッチの命運、この日食に尽きたり」と説く人もあり、でなかなか笑えました。

   ユーゴ軍に行っていた友人知人も動員解除になって帰ってきました。「そりゃ辛かったさ。コネかカネがあれば何とか逃げ出せたのかも知れないけど、そんなもんオレにはないしね」(陸軍)。「休暇で5月に帰ってきた時は言えなかったが、実は小隊が空からやられて全滅に近い状態になったんだ。それで休暇が出たのさ」(防空軍)。また上述の軍需関連産業のA氏からは、「掃除機工場なのに何度も空爆された」と宣伝された中部チャチャクの家電工業工場が武器製造器械も生産していたことを聞きました。あの空爆で何がやられたのか。あの空爆は結局なんだったのか。その検証はまだこれから始まる、と言っていいでしょう。(99年8月下旬)


ユーゴ軍参謀本部の写真は山本邦光氏に提供して頂きました。氏に謝意を表します。また政治集会の写真3葉は、私(大塚)が日本のテレビ局の取材に通訳として同行した際に撮影したものです。本ページへの掲載に当たっては通訳上のクライアントの同意を得ています。これら画像の無断転載をお断りいたします。

プロフィール> <最新レター> <バックナンバー> <(旧)ユーゴ大地図
落書き帳(掲示板)> <関連リンク集> <平和問題ゼミナール> <管理者のページ


当サイトは、リンクフリーです(もしよろしかったら、事後でもいいので連絡ください! →管理者メール )。
必ずカバーページ(http://www.pluto.dti.ne.jp/~katu-jun/yugo/)にリンクをはってください。

CopyRight(C)1999,Masahiko Otsuka. All rights reserved.
Supported by Katsuyoshi Kawano & Kimura Peace Seminar
更新記録 大塚真彦プロフィール 最新のレター レターバックナンバー 旧ユーゴ大地図 落書き帳 関連リンク集 平和問題ゼミナール 管理者のページへ