事例7

士課程から入学し、新しいテーマについたのだが、指導者がつかず、完全に自力のみで研究をつづけざるをえなくなる。また、アルバイトで生活費を賄うという考え方に教授が反対し、育英会の奨学金をとることになる。論文も出来たのだが、学位取得後に理研の研究員に申請するということに教授が妙な嫌悪感を示し、おもむろに学位などとらせない、育英会の600万の借金なんざ20年かけてかえせばいい、仕事がないまま研究するのがサイエンスの姿だ等と言い出し、しかも「サインエスのよろこびにくらべたら、借金なんかどうということもないはず」、「生活に苦しみながらサイエンスする若者の姿は美しい」などと言う。学生は、生活の危険を感じたが、これではだめだと考えて大学をやめた。(やめる、と聞いた教授は「学位をださなくていいのなら面倒な手間がはぶける」とのたまったそうだ)


解決:
 その学生は定職につけず、現在はアルバイトの研究助手などで生活している。自分の残した研究の結果は後輩の役に立つように、と整理してきたら、すべて教授がそれを処分してしまった。学生本人は一時は自殺まで思い悩みながら、現在は法的な手段によって教授の態度が学生に与えた苦痛をあきらかにしていく決意をしている。

 fj.sci.bioにて「博士号について」というスレッドにいくつか記事を書いたところ、「こういう経験をした。悩んでいる学生がほかにもいるのなら伝えて欲しい」と、長いメイルをもらった。それがこの問題であり、被害者の学生はまさに「いま」生活に苦しみ、借金に苦しみながら「自分のような悲惨な学生をこの世から減らす」ために渾身の力をこめて社会にアピールしている。このメイルこそ、今回のこのコーナーを作成する直接のきっかけとなった、いわば作者の背中を押す最後のひと押しとなったものであった。ちなみに、この「教授」は関連分野の人間ならば知らぬ人はいない程名の通った人である。

 事例の11もあわせてご覧いただきたい。いまだに、「就職活動」や「就職」になにがしか奇妙な見下すような感覚を持つ教員や、この例のように、「生活できないのが正しい若手研究者」という妄想をいだいている教員はかなりの数にのぼるようだ。それは、彼ら教員自身の世代が、就職にはたいして困らなかったからであり、さらに、彼らの時代はただ研究をしているだけで世の中からはちょっとした尊敬のまなざしでみてもらえたからでもある。その世代が社会に出ずにそのまま大学に残ると、こういう無責任なオコチャマ教授ができあがる。彼らは、自分が学生の人生を左右できる権力に酔いしれてこういう醜態をさらすが、学生に対してはいささかの責任もとろうとはしない。このあたりもまた大学の自治や人事問題とからんでくる、いわゆる構造の問題なのである。