事例6

授との意見の相違があり、議論や口論をつづけるうち、ある日大学にきてみたら教授の命令によって自分の荷物がすべて廊下にほうりだされていた留学生。


解決:
 その留学生はその後ノイローゼ気味になり、下宿に帰らなかったり、大学の中に泊まり込んだり、学内の掲示板に母国語で「皆殺しにしてやる」といった意味の記述を残したりした上、学外での不法侵入で警察の世話となる。それを機に、入院の上、両親に迎えに来てもらって、母国に帰らされた。

 国際問題寸前の事例である。表沙汰にならぬよう、細心の注意を持って対処にあたったもよう。実際には、指導教授はほとんど無責任をつらぬき、強制退去させようとしたり、無視したり、とすさまじい態度をとりつづけた。指導教授が最初にやろうとしたのはこの学生からの学籍の剥奪であり、そのために国費留学生の資格を取り消そうとした。当然、これについては不審に思った文部省から問い合わせがあったという。自分の名前で国費留学生を申請しておいて翌年に取り消しというのはあまりに不自然だったということだ。このトラブルは教室内のごく一部の教員の尽力によって初めて解決に向かった。ただし、その際に教室の他の教員の多くはまるで三流週刊誌のゴシップを期待するかのような下卑た態度をもってあたり、指導教授と似たり寄ったりの無責任さを発揮したが。

 この件では掲示板に書かれた文字を読むことの出来る他の留学生たちが感じた恐怖は、文字どおり筆舌につくし難い。もちろん、指導教官にしてみれば、学生の態度・能力について一言も二言もあるのだろうが、「廊下に荷物を放り出す」など、それこそ日本人だったらそのまま証拠写真とられて民事にもちこまれて当然の愚行である。留学生が相手だからそういう行きすぎたことが平気で出来た、というのであればこれは事例2、事例3と同じ問題であるといえる。偶然、その留学生の精神状態に問題がある、ということを明らかにできたからこそ解決した問題であり(留学生自身の書類にも不備や偽造があったことが結果的に判明したりもした)、現実には同様の境遇にあってなお精神に問題をきたすこともなく悩んでいる学生が存在していることのほうがこの問題の本質なのだが、そちらについては、結局この事例は何一つ改善をもたらさなかった。この研究室ではその後も志半ばで帰国する留学生がいた。その学生は、ここでは学位は期待できないのでフランスに再留学すると語ったという。

 ひとつだけ、この事件が残した改善がある。それは、留学生と指導教官との間にトラブルが生じたとしても、学部としては、極力その学生の学籍を維持することを前提として対処するようになった。作成された報告書も提出されぬままにみかけの上では消滅したこの出来事は、「しごくあたりまえのこと」を学部に植え付ける役には立ったというべきなのかもしれない。いいかえるならば、学生の基本的な権利は、こういうことでもないと保全されない、ということでもある。