事例4

究室配属時に先輩から手技的なことを教えられた以外、教員からはきちんとした指導をうけることなく結果を要求された。また、卒業した先輩が論文として出版した仕事をそのまま追試するような確認作業をその場の思い付きで要求されたり、結果がでた分については、すぐに論文にまとめるよういわれた上、先輩と自分のどちらをファーストオーサーにするかを自分で決めるよういわれる等、バランスと配慮にかける待遇が多かった。どれだけ結果を出しても、それが期待されていたものなのか、どれほどの評価を得るものなのかについてすら教員からは説明がなく、常に不安から逃れることができなかった。


解決:
 この状況では教員になにを説明しても無駄、とあきらめ、生物学には未練はあるものの当分はいままでと同じ分野につくことなど考えられない、と、修士課程を中退することを決意した。この学生は研究室に配属された時に、そこで専門の研究にふれる喜びを感じ、また、そこに自分が真剣に追求できるものを探すつもりであった。とくに、憧れていた発生生物学、それも最先端の分野に携わることができる点に期待と喜びを感じていた。しかし、教員が求めたのは自在に手足として動くロボットのような技術者であり、また、技術者としての訓練をつむことがそのまま「科学者としてのよろこびとなる」とその教員は考えていたところが不幸であった。同様に、プロトコルどうりの作業が一定の結果をもたらすことがある程度明白である分子生物学の一分野にはいってしまったのも不幸であった。その学生は、卒業研究の時から「ここは違う、大学をやめたい」と思っていたのだが、親の期待もあったために修士課程に入ってしまった。そして、修士に入ってしまったことを後悔した。次の事例の学生(たまたま同じ研究室の同学年だった)が辞めたのを知って「そういう手もあったのか」と驚いたという。その後、大学の教員でもある親と相談した結果、「自分のよいように生きろ」という言葉をもらい、退学を決意。現在は自分のやりたいことを見つけ、他の学部にはいりなおして勉強をつづけている。

 教員側の意見としては、「あの学生にはとても期待していたのに」ということになる。「学生が何を考えているのかわからなくなった」とこぼしたとも聞く。こぼしたからといって、何かを考えたわけではないことは、その後も他の学生とのトラブルが絶えず、時には差別的な発言まで平気で行うところからもあきらかであった。それぞれ、どのトラブルでも教員が学生に「期待」し、学生と自分は深いところで理解しあっている、と勝手に教員が信じたところから発生している。つまり、大人であるはず、大人であるべき教員があろうことか学生に甘えていたのである。問題は対等な二者間の関係ではなく、教員と学生という一種上下の関係にある。もちろん、ここで問題になったポイントはコミュニケーションギャップであり、いわゆる「すれちがい」であるが、それが「すれちがい」として主張できるとすればお互いが対等な立場にある場合なのであり、この局面でもし教員がそれを主張するのであれば、それは単なる甘えであり、自らの教員としての自覚の欠如といわざるを得ない。しかし、理学系では、こういった甘えた態度をとってわるびれぬ教員が当たり前のように存在しているのもまた情けない現実なのである。

 この事例の教員は、事例2や3の教員と異なり、辞めていった学生について、そして、それまでの自分の対応について、多く悩み、考えた。これは、従って先の事例よりもまだましな事例だったのかもしれない。ただし、悩むことと、その現場において状況を見抜くこととはまったく別である点が悲劇である。現代の日本には大学教員を教育する機関はない。教師として必要な教育も研修もないまま学生と接することになる。大学教員の人事や評価のシステムにこそ、真の問題は潜んでいるのかもしれない。