事例2


士号なんて、特に結果がなくてもいいんだ、ネガティブデータで十分とれるもんなんだ、が口癖の教員だが、実際に学生にテーマを出すとなると案の定、満足な研究テーマを用意できなかった。かろうじて用意できたテーマの内容にも独創性はなく、たまたま購入した実験テキストに掲載されていた内容を材料をかえてためすだけのものだったり、ただ単に大量の試薬を材料にあてがってみるだけのビジョンのかけらもないものだったりしたため、学生も自分の研究方針と学業に強い疑義を抱かざるをえない事態となっていた。ある学生(女性)は、研究とは直接関係のないささいなことで毎回えんえんと小言をいわれるのだが、それも研究室の他の人間のいない深夜2時などにひとり大学によびだされてのことであった。この教員は一旦自宅に帰ったあと、この時間にもう一度研究室に顔をだし、毎日のように小言と嫌味を繰り返していた。学生に対しては「おまえは能力が人にくらべて低いのだから、深夜2時まで勉強しろ。朝は4時に学校にきて勉強しろ」などといってのけていた。当然、これをそのまま実行すると睡眠時間等に残されるのは一日につきたかだか2時間しかないのだが、それを実行しないとさらにひどい嫌味いじめにあうため、学生の心身の状態は最悪のものとなっていた。このようなことがたびかさなる上、これらの問題行動が常に誰もいないところでの周到に行われていた上、相手が教員なのでしばらくだれにも相談できず、学生は一人恐怖にうちふるえていた。


解決:
 同じ研究室の、当該問題教員の上司にあたる他の教員に指導教官を変更した。この学生個人はこれによって救済されたが、問題が学生側ではなく教員自身の能力と人間性にあるため、実際には単なる対症療法にとどまっている。事実、彼女以外の学生もいたのだが、そちらの指導の具合も似たり寄ったりである。こちらの場合は学生が自力で就職先を探し出すことに成功したため、まだ最悪の事態ではないが、修士号をとれなかった場合には問題となるだろう。

 これらの場合、その教員が過去それまできちんと学生を指導した経験が無く、はっきりいって一般的な指導の経験が皆無だった(にもかかわらずどうやら当人は根拠も無く自分にはできると信じていた)ことが一方的に学生に強気に出る理由となった点が不幸の源であったいえる。根拠もなくできると信じ込む、という性癖は一種病的であり、他の学内委員会に関連した言動でも無責任な失言、暴言、奇行、虚言が多い。そもそも、「修士論文など結果がなくてもネガティブデータだけでも大丈夫だ」などということをいってのける時点で、この教員が大学院教育についてまったくの無知であり、かつやる気も皆無であることを端的に示していたのだ。学生実習を受け持っても満足に用意・指導もできていないようで、出席をとることもせずに、あとから他の担当教員から出席状況を尋ねられると「頭数はそろっていた」などといういいかげんなごまかしかたをするくらいである。野外実習においても、きちんとした実習内容の説明もせず、実習中はぼうっと海をみていたり、週刊誌を読み耽っていたり、という状態であり、たまに学生のそばに行く時も、特定の女子学生の後ろに立って実習とは無関係な話題、コンパでおまえは酔っ払っていた、とかそういう類の下世話な話題しかしていなかった。学会にいっても、後ででてくるはなしも「誰某さん(女性)とふたりっきりでドライブしてきたんだぞいいだろう」といった類のものばかりで、端的にいって「オヤジ」なのだ。

 さらにいうならば、慣例化しているとはいえ、教育経験の皆無な助手に大学院生を二人ももたせたこと自体にも問題があったといえるかもしれない。これは、当該講座の問題というよりも、「助手本人が欲しがった」場合には責任は教授会メンバーがかたがわりして指導させる、という「麗しい教員の自治」の弊害といえよう。自治は、正しく己を律することができてはじめて有効なのだが、終身雇用をいいことに業績をなにもださずに何十年も助手の安穏とした生活にあぐらをかいてやりたいほうだいというこういった人間にまで「自治のメンバー」の立場が平等に認められてしまっているところに問題がある。この教室では一時休職していた一名を除けば、この助手が助手としての最長老(本稿執筆の時点で52歳)、現状のまますすめば定年まで状態はかわらないと予測される。

 教育についてはどんなに無能であっても、研究者としての実績があるのならばまだそれなりに大学における存在理由はあったのだが、実際には査読誌に公表された筆頭著者論文は一本、それも大学院時代のもの、しかなく、典型的な「公務員問題」の体現者でもある。事実、以前にもその「大学に来ても弁当をたべて帰るだけ」という態度が問題視され、大学院生会から「弁当助手」と批判されたこともあるのだが、その時でさえ、批判内容に対する自覚も反省もなく、「だれがこんなけしからんことを」という「犯人探し」をしただけであった。最近はインターネットに御執心のようで、「インターネットにいる知り合いからなら自分のことは評価されるんだ」が口癖である。


 それにしても、深夜に女子学生を一人研究室によびつけるなど、そもそも人として許される行為ではない。そして、そのような行為が結果としてであれ「許されている」のが今の大学の実態といえよう。この問題は学内、教室内では公開された出来事であることから、もし、彼が本人の希望の通りに昇進できたとすれば、それは東京都立大学という組織そのものが「そういう人間」を教員として積極的に認めたことになるわけだが、とりあえず、現在のところそのような話もないのが幸いである。ただ「公務員問題」として考えるならば、問題ある人物を「昇進させない」という消極的な対策しかとれないということ自体、大学は教育機関としての役割をはたす力のないことを示している。犯罪でも犯さない限り、一端就任してしまえば定年まで保証されている、という現体制は、こういう問題教員にとっては天国であろう。学生にとっては授業料を払ってわざわざ冒涜されるにくるようなもので、到底納得できるものではないのだけれど。