事例1

しくきた助手が能力的に学生にって不満であり(たとえば、使用する材料についての満足な知識がなく、また、知識がないことも自覚していないため学生に質問されると平気で間違いを教えるなど)、かつ、指導者として無責任であった(実験スケジュールをいっしょにたてておいて、一方的に自分はどこかへいってしまうなど)ため、学生達は自分達の将来について悩んだ。


解決:
 一人は大学院への進学をあきらめて自力で就職、一人は、急遽博士課程を他大学に変更したが当然準備期間がたりず浪人。一人は、博士課程に在学しつづけることをいさぎよしとせず、悩んだ結果、中退・就職の道を選んだ。

 学生の一人は、問題を指摘してその教員と対峙しようと考えたのだが、残念ながらその年は教授の出張が多く、タイミングを掴めなかった。その問題教員が上の人間、下の人間を前にした時の裏表のあまりの乖離に直接対話する意欲はなくなり、証人として上司のいるところでしかいえない、と考えていたのである。

 こういう場合、立場の強弱という構造的問題は大きい。特に、目上に対しての態度と目下に対しての態度とに極端な差があるような人間が相手の場合(この事例はまさにそうだったのだが)、学生の立場から苦情や要望を出してもそもそもその言い分を信用してもらえないということが起きる。学生の言葉を聞くのは他の教員であり、他の教員にとっては当該問題教員は実に丁寧で礼儀正しく有能な存在に見えているからである。学生の言葉は信用されず、学生は「悪意ある嘘つき」と扱われる。教員は、学生よりも同僚との関係のほうが大切だからだ。結局、学生が自衛するためにはその状況にひたすら耐えるか、自分の人生の進路を変更するしかなくなる。

 さらにたちの悪いことに、たとえ事実関係があきらかになったとしても、教員同志のかばいあいという実に日本のむら社会的な悪しき慣習によって学生の言い分はうちすてられ、場合によっては「そんなことをやっているとキミの将来にさしさわりがでるぞ」という恐喝まで受けるはめになる場合すらある。

 学生と教員という関係から独立した、相談の窓口、大学という環境の枠からある程度自由な中立仲裁組織が必要なのである。でなければ、学生は一方的に搾取されるままただ消えていくしかないのだから。