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 STOP, NATO STRIKES! NOW!!

サピオ(4月28日付)
 攻撃すればするほど クリントン米大統領が追い込まれ、
  ミロシェビッチ・ユーゴ大統領が笑う理由

  ==新聞やテレビではわからない「ユーゴ空爆」の読み方==

     千田 善

(記事タイトルは編集部がつけたものです)

 コソボ問題に端を発したNATO軍の空爆は、ベオグラード市街地への巡航ミサイル攻撃などユーゴ全土に拡大されているが、冷静に観察すると、被害を受けているはずのセルビア側の意気が上がり、それに比べて西側の混迷、困惑が目立つ。クリントン大統領はあくまで、空爆続行を強調し、責任はすべてミロシェビッチ・ユーゴ大統領にあるなどと強弁しているが、「NATOは勝てない。少なくとも、ミロシェビッチ政権はそう簡単には負けない」との見方が広がっている。
 四〇〇機を越える戦闘機・爆撃機、一〇〇発以上の巡航ミサイル「トマホーク」など、ユーゴへのNATO空爆は湾岸戦争に匹敵する規模になった。攻撃目標も、当初の軍事施設などから、一般の橋や工場など民生施設にまで拡大された。しかし、「コソボ紛争の解決」という目標に関しては、ほとんどなんの進展も見られない。
 逆に空爆開始後、難民がコソボの人口の三分の一に当たる七〇万人以上に急増し、隣接するアルバニア本国やマケドニアなどに大挙して流入し、受け入れ国だけでなく、国連の緒方貞子・難民高等弁務官までが「われわれの手に終えなくなりつつある」と悲鳴をあげる緊急事態になっている。
 背景には、「NATOが空爆しているのだから、俺たちが少々手荒なことをしても当然」とばかりに、ユーゴ軍と治安部隊が武装組織「コソボ解放軍」の壊滅作戦をすすめながら、アルバニア系住民数十万人を追放する組織的な「民族浄化」がある。一部にはNATO空爆を避けるために避難する例も報告されているが、いずれにしろ、ボスニア戦争でも経験していない規模・速度で拡大する難民危機に、「何のための空爆か」とNATO諸国内部からも批判が吹き出している。
 コソボ自治州は、旧ユーゴスラビアの中では経済的にもっとも貧しい地域で、人口の九割近くをアルバニア人が占める。しかし歴史的には、十四世紀に中世セルビア帝国の首都が置かれ、現在も由緒あるセルビア正教の修道院がある「セルビア民族の聖地」だ。日本ならば奈良や出雲あたりか。セルビア人の心情としては、手放すことができない。
 八七年以降、こうした民族意識を利用して台頭したのが現ユーゴ大統領のミロシェビッチだった。ミロシェビッチはセルビア共和国の実権を握り、自治州政府・議会を実力で解散させるなど、アルバニア系住民の自治権を剥奪した。抗議運動も武力弾圧し、死者百数十人を出したが、セルビア民族主義者からは英雄として歓迎された。
 この強硬政策が旧ユーゴ各地で反発を呼び、スロベニアやクロアチアの独立、ボスニアの悲惨な戦争につながる。コソボ紛争は旧ユーゴの解体の「震源地」でもあった。紛争が十数年を経て、出発点に戻ってきたのだ。
 アルバニア系住民は九〇年に、「コソボ共和国」の樹立やセルビアからの独立を宣言した。セルビア側は独立運動を武力弾圧し、警察支配をしいてきたが、アルバニア系の地下政府との二重権力状態が続いてきた。
 昨年初めに武力衝突が激化したため、アメリカやロシアなどが仲介に乗り出し、今年二月からフランスのランブイエで交渉がおこなわれた。その結果、自治権の大幅な拡大、五年間の暫定統治、停戦監視部隊としてNATO軍が駐留、などの調停案をアルバニア人側は受け入れたが、セルビア(ユーゴ)側が拒否。これを理由にNATOが空爆に踏み切った経過は、新聞などでも報道された。


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 しかし、今回の空爆は、セルビア側だけが悪者にされている不公平さに目をつぶったとしても、きわめて異常なものだ。
 例えば、(1)国連安保理にはからずNATOが単独で決定したという点。(2)まず経済制裁が発動され、その効果がない場合に武力制裁、という通常のプロセスがいっさい省略された点。(3)最後通告がない、いきなりの空爆、しかも工場や橋など民間施設や、人口密集地のベオグラード中心街を含む全土空爆という点。さらに(4)問題解決にほとんど効果がない点、(5)空爆後のプランがはっきりしていない点、などなど、一般に報じられている「NATO結成史上初の主権国家に対する武力行使」にとどまらない、異常事態のオンパレードなのだ。
 安保理を無視したことについては、ロシアや中国が批判している。コソボ問題がきっかけで「新冷戦」に発展する危険もある。いったいNATOとアメリカが、こうまでして空爆に踏み切った背景には、どのような事情があるのだろうか。
 ひとつは、冷戦終結によって、アメリカが唯一のスーパーパワーとなった奢りがある。アメリカには「世界の保安官」になる能力も意志もないが、九五年秋のボスニア和平合意を「空爆で達成した」と錯覚し、「空爆すれば何とかなる」という単純で愚かな教訓を導いたように見える。実際には、今回の主役でもあるミロシェビッチ大統領を悪役から「キーパーソン」へとにわかに仕立て上げ、その合意を取り付けることで、なんとかボスニア和平が実現したのだが、そうしたご都合主義はすぐに忘れてしまったらしい。
 もうひとつは、冷戦終結という同じコインの裏返しなのだが、本来の存在意義をなくしたNATOがコソボ問題で何もしなければ、「NATO無用論」が噴出しかねないという焦りがある。コソボ紛争が激化・拡大した場合、ギリシャとトルコというNATO加盟国同士が衝突し、NATOが空中分解しかねないという危機感も根強くある。
 湾岸戦争でのクウェートと異なり、コソボには油田資源などのアメリカの死活的利益はない。それでも空爆に踏み切ったのは、コソボのアルバニア人を救うためというよりは、NATOの存続そのものを救うためだ。九五年のボスニアも、同じNATOの「お家の事情」からの空爆だった。
 NATOがなくなれば、ヨーロッパの安保体制の機軸はフランスとドイツを中心にした西欧同盟(WEU)に移り、アメリカの影響力は著しく低下する。アメリカにとっては、何としてもそれを避けるため、つまりNATOを存続させるため、何らかの行動に出る必要があったのだ。
 こうした事情から、今回の空爆は「しぶしぶ」実行に移されたものだ。事実、空爆直前のブリュッセルのNATO本部は、攻撃準備に沸くどころか、沈痛で重苦しい雰囲気に包まれていた。ぎりぎりの対ミロシェビッチ説得工作の不調で一番がっかりした顔を見せたのは、ソラナNATO事務総長だった。
 ここへ来て、NATOは深刻なジレンマにさらされている。ひとつは空爆をいつ、どのような名目で中止するか、もうひとつは、空爆後にいったい何をしたらいいのか、プランが立たないことである。
 NATOとしては、むりやり地上戦に突入して、コソボを軍事的に制圧する作戦は、予想される犠牲の大きさからいって、一番採用したくないオプションだ。アメリカなどの国内世論からいっても、ミロシェビッチ政権が受け入れを表明しない段階での地上部隊の投入は「ベトナム化」につながるため、まず考えられないだろう。
 逆に、ミロシェビッチの立場からは、「負けた」といわなければ、いつまでも負けないことになる。万が一、NATOが地上戦を挑んでくれば、ゲリラ戦、パルティザン戦争を戦えばいい。第二次大戦では同じやり方でナチスにも勝った。
 セルビア人にとっては、空爆開始でコソボ紛争の意味が質的に変わった。本来は、南部のコソボ自治州について、独立容認か自治権拡大かなどをめぐって紛糾していたはずの問題が、「侵略(空爆のこと)を許すのか否か」という単純明快な論点に切り替わった(答えはもちろん、侵略反対だ)。
 アルバニア人との戦いは、彼らはコソボでは多数であり、勝つにはやっかいな戦争だ。しかしNATOとの戦争では、負けなければいい。現地時間三月二十四日午後八時に開始された空爆で、初めは一部にパニックが起きたが、いまでは、クリントンごときに負けるわけがない、負けるわけにはいかないと、セルビア人の圧倒的多数が感じている。
 ほんの数カ月前には政権基盤が揺らいでいた「独裁者」ミロシェビッチ大統領への支持が空爆開始後、否応なしに強まっているのは皮肉なことだ。
 米軍が世界に誇るハイテク技術を駆使したステルス(見えない=レーダーに写らない)戦闘機は、20ミリ機関砲という「ローテク」兵器で落とされたようだ。まぐれ当たりに違いないが、セルビア側の士気は高まった。アメリカ兵を三人も捕虜にしたことも手伝って、戦局はユーゴスラビアに有利に動いている。(4月5日執筆)


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