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月刊プレイボーイ99年11月号
巻頭特集「ヨーロッパの21世紀を予言する」

21世紀も旧ユーゴは「ヨーロッパの火薬庫」なのか?
「ユーゴの最良のシナリオ、最悪のシナリオ」

    千田 善

 コソボはユーゴ解体の震源地だった

 今年三月末から七十八日間にわたりNATOが空爆を実行し、国際政治の焦点のひとつになったコソボ問題は、ひとことでいえば、セルビア人とアルバニア人の「領土争い」である。お互いに「コソボは自分たちのもの」と対抗しあっている。
 コソボは新ユーゴ・セルビア共和国に属するが、人口の九割近くはアルバニア人だ。セルビア人は新ユーゴの人口の七割近くをしめるが、コソボでは一割に満たない少数派である。しかし、歴史的には13〜14世紀に栄えた中世セルビア王国の首都が置かれるなど、コソボは「セルビア人の魂の故郷」であり、「聖地」である。
 ミロシェビッチ政権が八九年以来コソボに警察支配をしき、アルバニア人を弾圧してきたことによって、少なくともここ十年間、コソボのセルビア人とアルバニア人は同じアパートに住んでいても挨拶も交わさないような緊張関係にあった。言葉もセルビア語とアルバニア語はまったく異なる。コソボはこの点が、多民族の共存の伝統がある程度根付いていたボスニアとは事情が違う。
 筆者はユーゴに暮らしていた当時、冬季五輪が開かれたサラエボの東西文明が入り交じった雰囲気が好きで、何度も訪れた。そこに暮らす友人の一家は、夫がクロアチア人、妻がセルビア人、仲良しの隣人はムスリム人(イスラム教徒)という具合で、「多民族共存」の見本のようだった。夫妻の子どもたちは「ユーゴスラビア人」である(そのように登録するよう奨励された)。ボスニアの主要三民族は、宗教的な背景が異なるだけで、話す言葉はまったく同じ。外見もまったく同じで、筆者のような「よそ者」だけでなく、現地の人にも区別がつかない。ボスニアの人々は、クリスマスやバイラム(断食明けなどの祭日)にお互いを招待しあいながら、日常的には民族の違いを意識しないで生活するようになっていた。
 しかし、民族主義がのさばり、いったん戦争がはじまると、異民族撲滅を意味する「民族浄化」など、三民族が共存していたボスニアで、もっとも多くの犠牲者(死者二十数万人、難民二百数十万人)を出した。この点に、民族主義の恐ろしさがある。
 旧ユーゴの場合、故チトー大統領によって封印されていた「民族主義という妖怪」が墓場から復活したのは、コソボが最初だった。つまり、ユーゴ紛争の震源地はコソボだった。クロアチアやボスニアに戦火を飛び火させ、十数年を経て出発点に紛争の焦点が回帰してきたのだ。
 その発端を作ったのは、大いなる野心家のミロシェビッチ現新ユーゴ大統領である。
 八七年当時、旧ユーゴ最大の共和国であるセルビアの共産党(正式には共産主義者同盟)議長だったミロシェビッチは、自分を昇格させてくれた恩人・親友を宮廷クーデタで更迭して権力を握ると、「コソボ自治州の人口の多数を占めるアルバニア系住民によって、州内では少数派のセルビア系住民が迫害されている」と決めつけ、自治権の縮小に着手した。アルバニア人の抗議デモは実力で弾圧し、八九年夏には州政府と議会を解散させるなど、事実上、自治州を廃止し、セルビアによる警察支配体制を完成させた。
 ミロシェビッチ個人は元ベオグラード銀行頭取、国際経済が専門で、実際にはコソボなどどうでもよかった。セルビア民族主義を鼓舞することで経済活動を活性化させ、改革を進める狙いがあった、と筆者は見ている。当時はソ連のゴルバチョフ政権の登場で「社会主義の改革」がブームだったし、ECの市場統合が秒読み段階で、「21世紀行きの欧州特急に乗り遅れたくない」という焦りが生んだ強硬策だったともいえる。
 しかし理由はどうあれ、コソボの弾圧に対しアルバニア人はもちろん、セルビア以外の共和国から猛烈な反発がまき起こり、各地で様々な民族主義が広がった。「ユーゴがセルビア主導の中央集権国家になるのでは」と恐れるスロベニアではアルバニア人との連帯集会が開かれ、その後、独立運動が加速した。
 八〇年代後半の旧ユーゴは、年率二七〇〇%のインフレなど深刻な経済危機の最中で、国民の経済的不満が民族主義に流れ込んだという見方もできる。ちょうどそのころ、ベルリンの壁崩壊など「東欧の激動」が起こり、旧ユーゴでも一党独裁の放棄と自由選挙実施が決ったが、乱立した新政党の政策は実現不可能な経済改革ではなく、「だれがもっとも民族主義的か」を競うようなものだった。つまり「小型ミロシェビッチ」のコピー政党ばかりが新たに結成されたのである。その結果、すべての共和国で民族主義政権が誕生し、連邦政府は機能マヒに陥っていく。
 民族主義は自然発生的に激化するものではない。旧ユーゴの「内戦」にも、数年間にわたる「準備期間」があった。とりわけ、テレビの全国共通チャンネルが存在しないもとで、各共和国の国営放送がさかんに他民族への敵意をあおるなどマスコミの責任は大きかった。そうした御用マスコミをあやつっていたのはミロシェビッチを初めとする民族主義政治家である。最初は権力の座につくため、ついで権力を維持するため、民族主義をあおり、ついでに私腹も肥やした旧ユーゴの政治家たち。その責任はあまりに大きい。
 これに加えて、ヨーロッパやアメリカが自分の利益やメンツを優先し、旧ユーゴの紛争の火に油を注ぐような「介入」を繰り返し、紛争を防ぐどころか、長期化・大規模化の原因をつくり出した責任も指摘しておく必要があるだろう。
 ミロシェビッチは八九年の「東欧の激動」も、ボスニアなどの戦争も乗り切ってきたが、どうやら出発点の「コソボ」が、彼のキャリアの終着点になるかもしれない。

 サラエボではじまった20世紀がコソボで終わる

 20世紀は、二度の世界大戦をはじめとする大規模な戦争がおこなわれ、それまでの時代に比べてはるかに多くの犠牲者を出した。そのため「20世紀は戦争の世紀」といわれるが、そうした文脈からいえば、「20世紀はサラエボではじまった」ともいえるだろう。一九一四年六月、サラエボでオーストリア・ハンガリー帝国皇太子フランツ・フェルディナンドが暗殺され、第一次大戦が勃発した「サラエボ事件」は有名なエピソードだ。旧ユーゴは「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていた。
 この第一次大戦で、当時のヨーロッパの三つの超大国があいついで崩壊した。ハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー)、オスマン帝国(オスマン・トルコ)、そしてロシア帝国である。ハプスブルクとオスマン両帝国の支配地域には、ユーゴ(王国)やチェコスロバキアなどの新興国家が建国され、「ベルサイユ体制」が20世紀前半の欧州の基本的枠組みとなった。
 歴史の節目ごとに紛争の発火点となってきた旧ユーゴ。20世紀初頭に生まれた旧ユーゴは、21世紀を待つことなく解体した。その20世紀はどうやら、コソボで終わろうとしている。
 三月末から二カ月半、新ユーゴ全土を攻撃目標にしたNATO(北大西洋条約機構)軍の空爆ーーといっても、戦闘機など軍用機の七割は米軍機で(一〇五五機中、七三〇機)、実態はアメリカによるユーゴ空爆だったーーは、コソボや旧ユーゴ地域だけでなく、少なくとも来世紀初頭まで尾を引く「後遺症」を残すだろう。空爆を発端にしたヨーロッパ内部や米欧関係のきしみ、米ロ、米中関係の悪化などがあるが、ここでは、中国大使館「誤爆」の例を見てみよう。
 空爆を命じたクリントン大統領は初め、新ユーゴのミロシェビッチ政権は数日間で屈服すると高をくくっていた。その事実は、空爆終了後に大統領みずから告白している。ところがミロシェビッチが折れず、空爆は予想外に長引いた。そのため、攻撃目標を増やすことになり、役目が畑違いのCIA(米中央情報部)にまで広げられた。そして、ベオグラードの「武器調達庁」という戦略的にはさほど重要ではない建物がリストにつけ加えられた。
 CIAはこの種の任務は初めてだった。だからというわけではないだろうが、リストアップされた建物はこともあろうに中国大使館だった。ミサイル四発による「正確な誤爆」の後の、中国国内での激しい反米・半NATOデモなどは記憶に新しい。アメリカ側は、地図作成上のミスが三重四重に重なったと説明したが、中国政府は信じていない。アメリカは、中国に対する多額の賠償金ばかりか、中国のWTO加盟や貿易問題をめぐる米中関係悪化や、中国とロシアの接近など、地球規模の国際政治上の枠組みが揺らぐという代償を払わされることになった。
 もう一つ、21世紀を考える上で重要なことは、コソボ空爆をきっかけに、国連が決定的に地盤沈下してしまったことである。NATO(とくにアメリカ)は国連を迂回する作戦で、NATOだけの決定で空爆に踏み切った。空爆前に安保理は開かれず、アナン事務総長は弱々しく不満を表明しただけだった。
 湾岸戦争当時、ブッシュ大統領が形式だけとはいえ、国連安保理決議を待ってイラク軍を攻撃したことから見れば根本的な変化である。そのくせにNATOは空爆後、コソボの復興や難民帰還は自分の仕事ではないと国連に押しつけた。最近では「(治安回復などの)取り組みが遅れている」(コーエン米国防長官)と非難する一方、地上軍部隊や文民警官を計画の半分しか派遣していない。
 国連は(少なくともその権威は)いまや瀕死の重態だ。20世紀の二度の世界大戦の教訓から生まれた国連は、21世紀初めには消滅してしまうのだろうか。

 ユーゴ紛争とヨーロッパーー最良のシナリオ、最悪のシナリオ

 コソボや旧ユーゴをめぐり、思わぬ形で波紋を広げている事態の本当の深刻さは、少なくとも数年たたないとはっきり見えてこないのかもしれない。まるで中身を知らない重い荷物を背負わされ、ただ21世紀という目的地に向かって進めと命令されているようだ。
 確実にいえることは、ユーゴ紛争は今回のコソボ空爆で終わりではないということだ。NATO側の和平案では三年後に、コソボの地位について見直しをおこなうことになっている。当面はNATOをはじめとする国際治安部隊(KFOR)が駐留し、アルバニア人に「広範な自治権を与える」ことでは合意しているが、将来像については棚上げ、白紙同然なのだ。「見直し」となれば当然、アルバニア人側は分離独立を要求し、新ユーゴ/セルビア側は何としても阻止しようとするだろう。話は結局、振り出しに戻ってしまう。また新たな武力衝突が再燃する可能性がある。

 *最良のシナリオ

 それでも、もっとも楽観的なシナリオを描くならば、時間はかかるが、コソボやボスニアで多民族が平和に共存していく道がないわけではない。
 そのためには、新たな国境線の引き直しではなく、国境そのものが意味を持たなくなるような状態になることが必要だ。
 この地域は民族が入り交じって住んでおり、どのように国境を引こうとも、国境の向こう側に「少数民族」が生まれてしまう。旧ユーゴの紛争は、連邦解体にともなう国境線の引き直しの機会に、できるだけ多くの領土を獲得しようとしたために武力紛争に発展した。それを避けるためには、国境をいじるのではなく、国境を越えて自由に行き来ができるようにする。現在の「ユーロ圏内」ではパスポート検査が事実上廃止され、仕事であれ観光であれ、国境を意識することなく自由に移動できるが、旧ユーゴ地域もその状態に近づける。
 さらに、地域毎の経済格差を縮小し、どこに住んでいてもあまり変わりなく豊かな生活ができる状態になれば、いうことはない。「豊かな生活」というのが大事で、これまでのように「どこに住んでいてもあまりかわりばえのしない貧しい生活」では、紛争の種が尽きない。前提条件として、人権の保障も大切な点だ。
 理論的には、旧ユーゴから分裂した各共和国が、アルバニア本国やブルガリアなどの周辺諸国とともに、EUのすすめる「統合ヨーロッパ」に参加していくことになる。セルビアに住もうが、コソボ、あるいはアルバニア、ボスニアに住もうが、EUのパスポートか身分証明書だけで自由に親戚や友人に会いに行ける。もちろん、ドイツなどに出稼ぎに行かなくともいい。教会や修道院、歴史的文化財は保護され、どの民族でも自由に参拝したり、見学できるーーそういう社会だ。
 しかし、現実問題としては、EU加盟の基準を満たしそうなのは、すでに準加盟しているスロベニアだけで、ほかの共和国は現在のEU内最貧国のギリシャやポルトガルよりもはるかに経済水準が低く、加盟すれば確実にEUのお荷物となることがわかっている。EU側が一致して、安全保障上の必要コストとして旧ユーゴ各国の市場の安定や経済保護のために莫大な支出をおこなう(難民救援や空爆などの費用を考えれば、高すぎることはないと筆者は思うが)ことで合意すれば可能だが、向こう数年程度のスパンでは、可能性はゼロに近いだろう。

 *最悪のシナリオ

 これに対して、最悪のシナリオを考えるのは、残念ながら、非常に簡単だ。
 三年後、コソボの地位の見直しがはじまると、それが武力衝突に発展する。NATO(アメリカ)は「もう、自分たちで勝手に殺し合いでもしろ」とKFORを撤退させてしまう。セルビア側にはギリシャ、アルバニア人側にはトルコと、歴史的に関係の深い国が支援する。ギリシャ、トルコ両国はNATO加盟国だが、犬猿の仲だ。この両国のエーゲ海をはさんでの武力衝突が激化し、NATOそのものが機能マヒに陥る。ついでロシアがギリシャを支援し、続いて中国もセルビア支持を表明。トルコにはアラブ諸国、やや遅れてアメリカが支持に回り、東地中海で米ロ代理戦争がはじまる‥‥と、第三次世界大戦の可能性も排除できないほど、この地域の対立の構図は入り組んでいる。
 極端な予想を別にしても、ギリシャとトルコの衝突の危険は今でも小さくない。実際、アメリカのスコウクロフト元大統領補佐官は、NATOが空爆に踏み切った最大の理由として、(1)放置すればNATOの存在意義が問われる(2)NATO加盟国のギリシャとトルコの衝突など周辺に飛び火する危険が高い、ということを指摘している。いわば、NATOの存続そのものを救うための空爆だったというわけだ。
 アルバニア本国などがセルビアにたいして攻撃をしかける可能性もないわけではないが、今回単独でNATOに立ち向かった新ユーゴを別にすれば、大国の支援がバックになければ大胆な作戦は取れないだろう。
 狭い地域で小さな民族どうしが小競り合いを繰り返し、それに大国が肩入れをすることで世界大戦まで起こした「実績」があるのが、旧ユーゴを含むバルカン半島だ。しばしば「バルカン化」との表現が使われるが、21世紀にまた紛争が激化するかどうかは、ヨーロッパや米ロなどの国際環境に大きく左右されるだろう。
  * * *
 実際には最良と最悪のシナリオの中間あたりで、何とか武力衝突再燃だけは避ける形で、対症療法的な方策がとられることになる。まずは難民の帰還や、破壊された住宅・工場などの再建をはじめとした復興が急がれる。とくに、雪が降り始める十月末までに、仮設住宅整備などどれだけの応急処置が取れるかは、たんに次の冬の準備だけでなく、紛争再燃防止という中期的な展望からも大きな意味を持つ。餓死者や凍死者がでれば、次の春には必ず、武力衝突が繰り返される。まずは「今そこにある危機」の対処が優先だ。21世紀のことを考えるのは、それからでも遅くない。
(終わり)


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