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「諸見、今何と言った。出ていくと……」
「そう、出ていくのです。今日限り」
 諸見はスッと立ち上がった。短く刈り込まれた黒髪、僅かに鳶色がかった瞳。
「つまり、お別れですよ、お父さん」
 少し顔を強張らせて諸見は言った。粃の顔色が変わる。
「何を馬鹿なことを。お前はわしの後継者だ。当麻の名も《力》も、どちらも継がせるために育ててきた。わしは、お前に期待しておるし、お前もそれを望んでいるだろう。何が不満なんだ。13代当麻を継ぐのはお前しかいないのだぞ。世界をすべてその手の上に乗せることが出来るというのに」
 粃は諸見の腕を掴んだ。
「私には必要ありませんよ。私は当麻を継ぎたいと思ったことはありません。当麻家は香散見に継がせたらいかがですか。まだ小さいが、香散見ならばあなたも認めるほどの《力》があるでしょう」
「確かに香散見は、お前には及ばないものの《力》がある。だが、香散見は女だ。寒河家の跡継ぎも女。寒河家の血筋を入れるためには、当麻は男でなければならないのだ。芳宜は話にもならぬ。諸見、それでも行くと言うつもりか」
 諸見は自分の腕を掴んでいる粃の手をやんわりと触った。
「お父さん、あなたは当麻家から離れられないのですね。私はそれが嫌なのです。返せるものならこの《力》さえあなたにお返ししたいのです。私は当麻家に生まれ、ずっとあなたの思う通りに生きてきました。だが、それを当たり前と思えなくなったのです。そのきっかけについてはあなたには言えません。お父さん、今まで育てて下さったご恩は忘れませんが、私は普通に生きたいのです。私はただの当麻諸見として生きたいのです」
「あつっ」
 と叫んで粃は諸見から手を離した。
「お父さん、当麻家から離れられないのなら、いっそ香散見との子供でも作ったらどうですか」
 諸見が吐き捨てるように言った。粃の瞳が微妙に揺れた。それを見て諸見はグッと拳を握り締めた。
「諸見、寒河家の跡継ぎの《力》は判らぬ。わしはお前が一人でも当麻を大きく出来る《力》を持っていることで、寒河家の跡継ぎの因子だけでも当麻に受け継がそうと思っていたのだ。芳宜の《力》は微々たるものだ。当麻を継げるのは、お前しかいない。寒河家の跡継ぎが気に入らないのなら、それはかなり惜しいが他を探そう。それとも、お前と香散見との子供を作るか」
 粃は手をさすりながらそう言った。諸見はもうそれ以上聞きたくなくて背を向けた。
「あなたは、本当に当麻としてしか生きられないのですね。私はそれが哀しいと思います。あなたが、私に父親として接してくれていたならば、私は当麻家を出ていくことなどなかったかもしれません。でも、あなたは今のあなた以外の何者でもなく、私は当麻家の枷から逃げることを決めました。お父さん、もうあなたとは絶対に打ち解けることはないでしょう。お願いです。忘れてください、諸見という人間を。初めからいないものと忘れてください。追いかけてこないでくださいね。私は、お父さんに対したくないのです。私はそんなあなたでも、父親としてしか見ることが出来ません。私にもっと強さがあれば、きっと、お父さん、あなたを殺してでも、新しい当麻家を築いたでしょうに。私には足りないものがたくさんあったが、一番欲しかったのは、あなたの愛情でした。そんなあなたでも、私はお父さん、好きだったんですよ」
 諸見は粃から遠去かりながら言った。
「諸見、お前は当麻家の者だ。普通の暮らしは出来ぬぞ。そして、お前は当麻を知り過ぎている。後悔するぞ、諸見。それがどんな意味を持つのか言わずとも判るだろう」
 振り返りもせず遠去かる諸見の背に、粃はそう投げかけた。


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