和泉は、ふっと顔を上げた。築山の側の石橋の上で鯉に餌をやっていた手を止めた。
「誰か、私を呼んだ?」
 呟くような和泉の言葉に、庭木の陰から、
「いいえ、お呼びしておりません」
 と答が返った。
「そう」
 と和泉は言うと、再び池に目を落とした。一瞬、水面が静まって己の顔が映る。
 次の瞬間、和泉は涙を流していた。自分でも理由が判らなかった。
「和泉様、いかがなされました?」
 先程の声が、心配そうに聞いた。
「何でもないわ」
 和泉はそう言うと、石橋を下り始めた。
 波豆家の淡河の実妹である和泉は、ここ本埜家の跡取りとして育っていた。父親にあたる大海だけは、和泉の素性を知っていたが、母親である綾瀬と和泉自身は、それを知らなかった。
 そして、波豆家のことなど何も知らず、和泉は養子を貰い、子供を生んでいく。だが、淡河が死んだ時点で、和泉は波豆を受け継いだのだ。そして、その因子を子に、孫に受け継がせていった。


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