グフッ、と淡河は血を吐いた。 「まさか、あなたが私をはめようとは……思いま…せんでした」 喉を押さえながら、淡河は顔を上げた。苦しげなその顔に、しかし何故か不敵な笑みが浮かんでいる。 「波豆の血筋が、今は私一人であることが、あなたのその手を汚させたのですか。邑楽よ、後悔しますよ。確かに波豆が消滅すると、夢見では邑楽に勝てる者がいなくなります。しかし、あなたはその道を選ぶのに、手を結んだ相手を間違えましたね。当麻は決して邑楽のためにはなりません。邑楽ともあろう方が、何故、当麻などという邪道と手を結んだのですか」 淡河の視線の先に、一人の若い女が立っていた。 「当麻を邪道と言いますか。では、正道とはいったい何なのです?」 青ざめた顔で淡河を見つめているのは、5代邑楽の綴喜であった。青ざめているのは、自分が淡河を手に掛けたことと、手を結んだとはいえ、当麻を全面的に信頼出来ないことが判っているせいであった。だが、それを打ち消すように、綴喜は淡河を見つめ続けた。 すでに賽は振られたのだ。 淡河は首を振った。 「綴喜殿、私は今日ここで果てることを夢に見ました。そして、私に引導を渡すのがあなたであることも……」 淡河の言葉に綴喜は思わず一歩下がった。 「そして、邑楽よ、波豆は夢見としては頂点にいます。その《力》に比例して……。波豆に次ぐのは、確かに邑楽です。ですが、波豆には及びません。邑楽よ、夢見の《力》を過信しましたね。確かにあなたの《力》は、私でさえ一目置くほどです。ですが、あなたは5代邑楽となるには早過ぎました。綴喜殿、《力》だけで我らが存在するのではありませんよ」 淡河は膝をガクッと折ったが、綴喜に向けられた顔には、終始微笑みが浮かんでいた。 「当麻にどのように言いくるめられたのか判りませんが、目の前の欲に目が眩みましたか。あなたは邑楽を継いだばかりで、まだ考えが若過ぎます。あなたのその軽率な行動が、邑楽の子孫たちにとって、《宿命》という名の枷となるでしょう」 再び淡河は激しく血を吐いた。その命が消えるのは、もうまもなくであった。 「もう時間がありませんね。5代邑楽よ、私には妹がいます。先代波豆の父は、彼女が生まれてすぐに養女に出しました。ですから、彼女は波豆のことを何も知りません。しかし、私が死んだら、彼女が波豆を継ぐことになるでしょう。だが、彼女が波豆を名乗ることはありません。目覚めるのは、それが可能となってから……。何代も時を経てからです。その時の邑楽はあなたを恨むでしょうか」 淡河は微笑んだ。 「淡河殿、そんなことはさせません。波豆はここで滅びるのです。永遠に消滅するのです」 綴喜は淡河を抱き締めた。抜け出そうとする記憶をそうすることによって掴まえようとしたのだった。 「無駄ですよ、綴喜殿。私を止めるのは……」 淡河の言葉は消え入るように小さくなった。ハッと綴喜は淡河を見た。淡河はすでにその命を終えていた。 「淡河殿……」 綴喜は淡河の言う通り、波豆の記憶を掴まえることが出来なかった。そして、不安が頭をもたげた。 「そんなことはない、そんなことはない」 自分に言い聞かせるように、綴喜は呟いた。そして幾分気分が晴れた。 「波豆よ、何代時を過ごしても、邑楽は滅びはしません」 綴喜は、不安がわだかまる胸を抑えて、きっぱりと言った。
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