この日、奈半利に最初の接触を行ったのは、朝熊たちであった。行縢神社に残ったのは、克雅、神室と宍道、三刀屋の四人であった。朝熊は神室のRV4を借りて、車で高千穂の中心部に向かっていた。朝熊は断ったのだが、神室が自分から言いだしたのであった。高千穂駅まで何の障害もなかった。高千穂鉄道は、昨日の双海の爆破でしばらく不通であった。駅前に朝熊は車を止める。車を乗り捨てるつもりであった。このまま乗っていると、最初に攻撃を受けるのは、この車なのだ。それを朝熊は忍びないと思った。神室がこのRV4をどれだけ大切にしているかは、車に触れてみれば判る。だから、朝熊はその思いを大切にしたかったのだ。
「倭」
 と言って、朝熊は車から下りた。フロントガラスにちょっと触れて、朝熊は車から離れた。駐車場でもないところで止めて、駐禁を取られるのも神室に対して申し訳ない。だから、目隠しをしたのであった。それほどに効力はない。だが、一日ぐらいなら持つ。その程度であった。
「まだ何も感じないな」
 倭が朝熊の隣を歩きながら小さく呟いた。何の結界にも触れない。まだ、奈半利の王国には入っていないのだ。朝熊は地図を拡げる。頭の中に入ってはいるが確実ではない。やはり、神社だろうかと、朝熊は高千穂神社を指さす。その指をすうっと動かして、天岩戸神社を指す。倭がその動きをジッと見ていた。
「朝熊、これは近くから行ってみるしかないな。結界に触れないことには、奈半利の位置が掴めないし、歩き回っていれば、向こうから挨拶をしに来るかもしれないぞ」
 朝熊の迷いに、倭が答を出した。朝熊は地図をたたむ。二人が目指したのは、駅の南にある高千穂神社であった。鳥居をくぐっても何の違和感も感じない。朝熊にも倭にもそれを感じないというのは、ここは奈半利ではないのだ。二人はそう判断したが、念入りに神社の境内を歩き回った。
「ここは奈半利に近いけど、奈半利ではないな。でも、影響されて空気が悪いぞ」
 すべて調べ終わって、倭が朝熊に言った。
「出雲たちがこれを知ったら、目くじらを立てるだろうな」
 倭が冗談めかして言う。出雲の王祖に《力》を与えた神、それは大国主尊であった。彼は天神ではなく、国神なのだ。天国で生まれたのは、三神の内の二人。出雲の神は高千穂に天神が降り立ってから生まれたのだ。だから、出雲と他の二つの一族との、高千穂に対する感情の入れ方はかなり違う。そう考えると、奈半利が高千穂に国を築いたのはちゃんとした意味があるのだ。絶対に判らない隠れ蓑のようであり、そこにいるのが当たり前な場所でもあった。
「倭、浄化していこう」
 朝熊の言葉に、倭は何故、という顔をした。それをする必要があるのか、それに《力》を割く必要があるのか。
「倭、お前がやるんだ」
 え、と倭は朝熊を見上げた。
「使い方は教えたが、実際に使ったわけではない。それをここで試してみるんだよ、倭。でなければ、大事な時に出来ないかもしれないだろ」
 朝熊の言っていることは正論だ、と倭は思った。だったら、昨日で何故いけなかったのか。双海をあの時に攻撃していれば、確実に始末することが出来た。失敗したとしても、それで別に構わなかったのではないか。倭はそれが気になる。朝熊が倭の頭の上に手を置いた。
「倭、双海を始末しなかったのが、そんなに気に入らないか」
「ああ、気に入らない」
 倭は頭の上の朝熊の手を払った。
「何故、それがいけないんだ。私には《力》があるんだろ。それを使えないなんて、朝熊があんなにやられても何も出来ないなんて、もう一度あったら、私は朝熊の言うことなんて聞かないからね。朝熊がいくら止めても、私は《力》を使うから。聞いてる? 朝熊。これは絶対に譲れないから。あんな約束しなければよかった」
 朝熊がニッと笑った。
「倭、大丈夫、それは二度とないから。だから、お前は私との約束を守って私が使えと言う時に、使えばいいんだ。後は、私を信頼しておいてくれ。それとも、私は倭の信頼に応えられないのか」
 倭が朝熊を睨んで、そしてそっぽを向いた。
「朝熊はずるいよ。そんな言い方をされると、私は朝熊の言うことを聞くことしか出来ないじゃないか。朝熊はいつもずるい。私がお前を信頼していないわけないじゃないか」
 朝熊が倭の視界に入らないところで、表情を変えた。
(倭を苦しめているのは、私だ。今までも、これからも、ずっと。それを、私は倭のためと思っていて、実は倭のためでなくて、自分しか倭を守れないと、自分を弁護して、褒めて、倭のことなど、実は何も考えていないのではないか。私は自分が可愛いだけなのか)
 朝熊の表情が倭の視線が戻る前に元通りになる。
「朝熊、浄化しよう。私たちにも大切なところだからな、ここは」
 倭の体を青藍の《気》が包み込む。朝熊はその強さと美しさにうっとりする自分に気づいた。青藍の《気》を受けて、倭はますます美しかった。倭が右手を高く上に掲げて、ぐるりと動かした。青藍の光が、高千穂神社を包み込んだ。瞬く間に神社の輝きが変わる。普通の人間には判らないが、朝熊には見える。奈半利の影響でくすんでいた神社が、倭の青藍の《気》を受けて、輝きを取り戻したのだ。倭が朝熊をどうだ、という顔で見た。朝熊が頷くと、倭は安心した顔でにっこり笑った。
 結界を張っているわけではないから、ここは行縢神社とは違い、奈半利の目には映る。別にそれは朝熊には構わなかった。結界を張れば、その分《力》を消耗する。それほどの意味はここにはなかった。山も滝もここにはない。結界の張り辛い場所なのだ。宍道たちを呼ぶことも難しかった。
 二人は鳥居から外に出た。
「倭、よくやったな」
 朝熊の言葉に倭は、
「うん」
 と頷いた。
「合格点?」
 倭の問いに、朝熊は、
「そうだな」
 と笑った。
「素直じゃないよ、朝熊」
 倭の言葉に朝熊が倭のほうを向く。
「嬉しそうな顔、してるだろ」
 そう言って倭は笑った。朝熊もそれに応えた。だが、心の中は暗い。
(《力》の使い方を教えたと言って、すべてを教えていない。一番大切なことを。それを教える時が、お前にとってこなければいいのに、なあ、倭。でもそれはきっと来る。私がお前を裏切ってしまう時が……)
 朝熊の心のうちは誰にも見えない。倭に見せるはずがない。朝熊自身も見たくなかった。


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