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朝熊から魚梁瀬を倒したことを聞いた朝霞は、すぐに麻績に会いにいった。朝熊には止めたほうがいいと言われたのだが、朝霞は押し通したのであった。
麻績は稽古の真っ最中だったので、朝霞はそれが終わるまで待つことにした。麻績の踊りを見るのはこれが始めてではない。だが、今日ほどそれに恐怖、という感覚がふさわしいと思ったことはなかった。踊っている麻績が、ではなく、見ている朝霞が、であった。殺気を感じるほどに、麻績の神経が研ぎ澄まされていた。それを朝霞は気づいたのだ。そして、麻績にとって遥がどれほどに大切な人かということにも。
やがて稽古が終わって、麻績は、
「着替えてきますから」
と言って稽古場を出ていった。朝霞は思わずふうっと吐息を落とした。そして、緊張していた体を解していた。
「朝霞、部屋へどうぞ」
着替えた麻績が朝霞を呼びにきて、朝霞は麻績の部屋に行った。
「珍しいですね」
確かに朝霞が麻績のところに来るのはあまり多いことではない。朝霞は、
「そうだな」
と言った後、部屋の中をぐるっと見渡した。八畳の和室に文机と和箪笥と本立て、それだけしかなかった。きちんと整理された部屋の中は、麻績の性格を現しているようだ、と朝霞は思った。
「麻績」
「はい」
朝霞は麻績にハタ、と見つめられて、さてどうしよう、と思った。魚梁瀬が死んだことを知らせにきたのだが、どういう風に言ったらいいのか、考えてはいたのだが、いざとなると巧い言葉が見つからない。だからまともに言ってしまった。
「魚梁瀬は死んだ」
麻績はその言葉を聞いて、朝霞を見つめて、面に何も感情を現さないまま、しばらく無言だった。朝霞は息も出来なかった。朝熊が止めたほうがいい、と言っていた忠告に従えばよかった、と後悔していた。
「朝霞が?」
麻績の感情を込めない低い声が、朝霞の心に突き刺さった。朝霞はぎこちなく首を振る。
「麻績、柚木野さんのことを心配しているのなら、それは大丈夫だよ。柚木野さんは僕たちが守っているし、それ以上に、彼女に誰も何も出来ないんだ。彼女が傷つくことはない」
麻績の表情が始めて動いた。朝霞はホッと息を落とした。
「朝霞、それはどういう意味なんですか」
「言葉通りの意味さ。柚木野さんにはどんな《力》も干渉しない」
それが本当にそうなのか、朝霞たちは確信を得たわけではない。だが、朝霞ははっきりとそう言った。麻績にとってそれを聞くことは必要なことだと思ったからだ。
「朝霞は知っていたんですか、それを」
「知ったのは、今日さ。ほら、カフェテラスに僕たちが集まっていただろ。あの時だ」
麻績がジッと朝霞をまた見つめた。朝霞は何かまずいことを言ったかな、と思った。
「あの後、朝霞は学生会室に戻ってきて、僕に何も言わなかったですね。それは何故ですか」
「それは……」
と朝霞は言葉に詰まった。それを止められたのは朝熊に、であったが、それに同意したのは朝霞なのだ。もちろん、その意味もよく理解した上でのことであった。
「僕を囮に使ったのですね」
ずばりと言われて、朝霞は頷いて肯定するしかなかった。麻績はしばらく冷たい眼差しで朝霞を見つめていた。朝霞は冷や汗をかいている。そう、この男としては珍しく。そして、麻績にしても冷やかな表情をするのは、珍しいことなのだ。
「朝霞」
と麻績が言って、フッと笑った。
「これは、僕の今までのあなたへの接し方に対するお返しですか」
そう言ってクスクスと笑った。その表情に、いつもと同じ麻績を見つけて、朝霞ははあっと大きく溜め息をついた。
「少しは肝が冷えましたか、朝霞」
朝霞は麻績を睨んだ。だがその中には笑いの要素が多く含まれている。朝霞は頭を下げた。
「麻績、すまなかった」
「いいんですよ、朝霞。僕はあなたの下僕ですよ」
クスクス笑いながら麻績は言った。何を冗談、という顔で朝霞は麻績を見たが、実際には口に出さなかった。
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