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「崇ちゃん、何故、教室にいないのよ。探しちゃったわ、あたし。もしかして、あたしから逃げていたの」
特上の美青年である朝霞は、それこそ突然に、崇の目の前に現れた。
「いい加減、そのおネエ言葉を止めろよ。それとも、本当にその気があるんじゃないだろうな。まさか、入学式の時も、本気で……。そう言えば、一度、保健室で僕についていてくれたことがあったな。まさか、あの時に何かした……」
疑わしそうな目つきで、崇は朝霞を見上げた。朝霞はクスッと笑って、
「崇ちゃんって、鈍いんだから」
と言った。崇は顔色を変えると、
「朝霞、まさか、僕の貞操を奪ったのか」
と叫んだ。朝霞がきょとん、と崇を見た。他の学生たちの目も一斉に崇を見つめる。崇はハッと気づいたが、もう後の祭りだった。
(墓穴……)
崇は思わず目眩がしてきた。ふらっと倒れかかる崇を、すっと朝霞が抱き留めた。それに気づいて、崇はハッと気を取り直した。パッと離れる崇に、朝霞は哀しげに首を振って、
「信用ないんだな。冗談に決まっているだろ。僕は、意識のない時に無理矢理奪うようなことは、質じゃないんだ」
と言った。崇はなおも疑わしげに朝霞を見たが、
「まあ、信じるよ。じゃあ、僕の質問に答えて欲しい」
と言った。
「何でも質問してください。僕に答えられることだったら、何なりと答えましょう」
「じゃあ朝霞、君の名前は何だ。朝霞は名字なのか、名前なのか。何故、みんな朝霞としか呼ばないのか」
朝霞の表情が奇妙なものに変わった。
「あ、本鈴だ。次は、数学の米ちゃんではないか。急がないとうるさいからなあ。じゃね、崇ちゃん」
「朝霞、僕の質問は」
崇の怒った声に、朝霞は手を振って、自分のクラスに戻っていった。
「放課後に絶対、聞いてやる」
崇の確固たる信念は、授業が終わって速攻で帰宅した朝霞によって、もろくも砕かれてしまった。
「こういう時は、クラブで鬱憤を晴らすしかないか」
と呟いたが、弓道は格闘技などと違って、己相手の武道であった。心を静めるのには役立つかもしれないが、鬱憤を晴らす、ということには、ほど遠いかもしれない。それでも、一射、二射と打つうちに少しは心が落ち着いてきた。
(そういえば、朝霞の家はどこなんだろう。確か、学生会室に名簿があったよな)
それに気づくと、崇はクラブを早退して学生会室に向かった。
カチャと開けると、副会長の麻績がいた。
「あ、霧島先輩、いたんですか」
まずいな、という顔で崇は部屋に入った。
「布城くん、どうしたんですか。今日は学生会の活動はない日ですけどね」
崇は気まずそうに麻績から目を逸らしたが、ハッと気づいて、
「霧島先輩は、朝霞と初等部からの付き合いですよね」
と言った。
「それは少し違います。僕は、中等部からの付き合いです。それが、何か」
麻績は面白そうに言った。
「あ、あの、朝霞の名前が気になって……。朝霞にさっき聞いたら、逃げられてしまって。それで、朝霞の家を訪ねてみようかと、思って…」
崇は麻績の顔色が少し変わったのに気づいた。何か、殺気? のような気がした。
「あの、霧島先輩……」
それは気のせいだったようだ。麻績はにこっと笑って、
「朝霞の家ですか。僕も行ったことはありません。きっと名簿を見ても、載っていませんよ。僕も見たことがありますから。学生名簿を」
と言った。崇は麻績が自分の考えていたことを当てたのでギョッとしたが、すぐに判るのが当たり前だと思った。
「何故、載っていないのですか」
「さあ」
麻績は首を振った。
「朝霞自身に聞かなければ、知りようがないでしょう。きっと、君になら教えてくれるのではありませんか。あなたは、会長のお気に入りですから」
「それは、どういう意味ですか。それは……」
麻績は口元に笑いを浮かべて、何も言わなかった。
崇は、麻績のことを考えてみた。霧島麻績、陬生学園高等部二年A組、学生会副会長。中等部から学生会の一員になる。成績は、学年でトップクラスであった。実家は、日舞の家元で、自身も名取であった。その関係で、華道、茶道などにも手を染めて、女性としての嗜み、と言われているものを、ほとんど手に入れていた。ただし、自身が男性であることを除いては。髪を長く伸ばさなければならないため、後ろで一本の三つ編みにしているのが、よく似合っていた。朝霞は特上の美青年だが、麻績も綺麗な顔をしていた。
「霧島先輩って、綺麗なんですね」
崇が麻績を観察していた間、麻績は、自分の机について何か書き物をしていたが、崇の言葉に驚いて顔を上げた。
「あ、すみません。えっと、綺麗だな、というのは、本音なんですけど。でも、別に変な意味はないんですけど。えっと……」
崇はバカなことを口にした、と戸惑いながら、何と弁解したものか、と悩んでいた。
「ありがとう」
と麻績が言った。え、と崇が麻績を見つめる。
「君が、悪い意味でそれを言ったわけではないことは判ります。だから、それに対して、ありがとう、とお礼を言ったのです」
「はあ」
「僕は実家の性質上、このような容姿に生まれたことが、当たり前として生きてきましたから。だから、そう言われることが、逆に新鮮だったのです」
麻績が崇の惚けたような顔を見て笑った。
「だから、朝霞に会った時は、かなり僕のプライドが傷つきましたよ。これは、朝霞には内緒ですけどね」
ニッと笑って、麻績は言った。
「もう、帰ります。朝霞には明日にでも……。霧島先輩、さようなら」
「布城くん、さようなら」
崇は麻績が、案外話しやすい人だったことを知って嬉しくなった。
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