HOME河川上流中流の土砂流下と堆積の規則性を考える

河川上流中流と海岸を回復させるための新たな工事方法

>コンクリート護岸に自然の岸辺を取り戻す工事方法(3)写真

河川上流中流と海岸を回復させるための
                 新たな工事方法



2019年8月16日一部変更、2017年7月7日掲載

「コンクリート護岸に自然の岸辺を取り戻す工事方法(3)写真」

新たな工事方法の可能性とその効果を、実際の渓流に見る
 以下では、新たな工事方法と同様の或いは似通った構造が、自然の渓流でも生じている事を、(A)ポイントと、(B)ポイントの2つの例の写真を掲示して説明します。 (A)は自然の岸壁の箇所での例です。(B)はコンクリート護岸の箇所で生じている例です。
 (A)(B)いずれの場所も静岡市郊外にある安倍川支流の上流部です。もし可能でしたら、現場の状況を実際に確認されることをお勧めします。
  なお、これらの写真はいずれも2017年に撮影したものですから、その後に様子が変わっている可能性がある事をご承知ください。

写真例の場所を示す地図

(A)ポイント1、自然の岸壁の箇所での実例

(a)岩壁の前に形成された石や岩による土砂堆積列
 以下の写真は、静岡市の郊外にある安倍川の支流(西河内川)で撮影したものです。 ここは水の流れが大きく蛇行した場所で、屈曲した水流の外側に接する山裾が侵食されて岩壁になっています。 水の流れは、ほぼ北に向かって流れて来て岩壁に突き当たり、東に流れ、やがて岩壁を離れて南に向かって流れます。 ですから、ここでの水流は山や岸壁が消失しない限り岸壁に沿って流れるしかないのです。
 この場所には、流れの岸壁側に2か所の石と岩の堆積列があります。注目すべきは、それら岩壁脇の石と岩の堆積とその周囲の流れです。
 写真は2017年5月に撮影したもので、それぞれの画像の名称は、撮影時の順番を示すものでそれ以上の意味はありません。 写真をクリックすると大きな画像が表示されます。

(b)小規模な石と岩の堆積列

左側、SN_075.JPG、 この写真は、連なる岩壁を下流側から写したものです。中央の右側に小規模な石と岩の堆積列があり、その下流側は小さな淵です。
右側、SN_076.JPG、 中央にあるのが小規模な石と岩の堆積列で、その下流側は岩壁による淵です。


左側、SN_077.JPG、 小規模な石と岩の堆積列の全景です。写真の中央にある水筒の大きさは、20×7cmです。
右側、SN_078.JPG、 石と岩の堆積列と淵を少し上流側から写しました。

 最初の写真で注目して頂きたいのは、付近の流れや岸辺の形状とそれらの場所の石や岩の大きさです。 渓流では、淵の終端は、それらの場所を形成する石や岩の大きさが淵の開始部に比べて小さくなり、水流の幅も広がるのが普通です。 この場所の右岸ではそれを明瞭に見ることが出来ます。
 右岸の周囲では、人の頭大かそれより大きい位の石や岩が最も大きなもので、その数も多くありません。 右岸側のほとんどの石や岩は人の頭大よりも小さなものです。これは水中であっても岸辺であっても同じ様子です。また、水の流れとその岸辺は浅いU字型になっています。
 岩壁側の岸にある小規模な石と岩の堆積列は長さが3~4m位です。淵の最も深い所は1m位で、堆積列の前の水流の幅は9m位で、最も深い所で膝までの深さです。
 石と岩の堆積列の前の水中には石や岩が幾つもあり、その場所は少し波立っています。石と岩の堆積列とそれらの前面の石や岩の中には、人の頭の大きさよりも大きいものが幾つもあります。
 石と岩の堆積列の前面にある石や岩の川底は、上流側にも下流側にも広がっていますが、下流側では岩壁側に向かって深くなり淵の底に続いています。
 上流側でも、上流の淵に向かって川底が少しづつ深くなっています。上流側の淵の深さは下流側の小さな淵よりも深いものです。 この淵の上流側に規模の大きな石と岩の堆積列があります。

(c)規模の大きな石と岩の堆積列

左側、SN_081.JPG、 ほぼ中央の奥にあるのが、この場所で最も注目する石と岩の堆積列です。
右側、SN_082.JPG、 石と岩の堆積列の対岸(右岸)の様子。


左側、SN_085.JPG、 石と岩の堆積列の後端から前方を写しました。
右側、SN_087.JPG、 石と岩の堆積列の上流側です。


左側、SN_089.JPG、 石と岩の堆積列の下流側です。
右側、SN_091.JPG、 石と岩の堆積列の中央部の様子です。

左側、SN_096.JPG、 対岸から見た石と岩の堆積列の全景です。
右側、SN_097.JPG、 対岸から見た石と岩の堆積列の下流部の様子です。


左側、SN_098.JPG、 対岸から見た石と岩の堆積列の上流部の様子です。
右側、SN_103.JPG、 石と岩の堆積列の上流側の対岸(右岸)の岸辺です。

 この場所にある石と岩の堆積列の長さは約20m、奥行きは約10m、その前の水流の幅は約9mで、最も深い所で膝までの深さです。 また、写真の所々で写っている水筒の大きさは20×7cmです。
 規模の大きな石と岩の堆積列の対岸(右岸)には石や岩が多く、またその石や岩の大きさは先の終端部のそれらより大きなものです。
 この、石と岩の堆積列の前面でも、水中の石や岩の堆積は下流側と上流側に向かって拡大しています。 下流側では、水中の石や岩の堆積の端は流れを斜めに横断して、淵との境で波立ち白く見えます。
 堆積列の前面の水中の堆積はそのほとんどが石や岩であり、その堆積は右岸岸辺の石や岩の堆積と繋がっています。 また上流側では、水中の石や岩の大きさを少しづつ小さくしながら次の淵に向かっています。

(d)石と岩の堆積列の組成
 石と岩の堆積列のほぼ中央に極めて大きな岩が2つあります。2つの岩は、その全体が露出してはいないので実際の大きさは不明ですが、 この付近の流れや岸辺ではほかに見る事の出来ない大きさです。
 この2つの大きな岩が堆積列の上部にあることとその形状を考えれば、2つの大きな岩は堆積列の形成の途中で上部から崩落した来たと見るべきでしょう。 或いは、崩落土砂の量は多かったが、その後、そのほとんどが流下してしまい、2つの大岩が上部に取り残されたのかも知れません。
 2つある特別大きな岩がその周囲にある岩や石よりも、岩が持つそれぞれの角がさほど丸まっていない事にご注意下さい。 このことは、2つの大きな岩が水流に接する機会が少ないことを表していると考えます。
 もしも、この2つの特別大きな岩だけで岩壁の前に横たわっていたとしたら、そこに出来る淵は岩壁だけであるよりも深く大きくなっていることでしょう。 そのことを考えると、石や岩の堆積列の下部の見えない部分には、2つの特別大きな岩に近い大きさの石や岩が幾つか堆積していると考えられるのです。
 地下の部分であり、見えない部分ですから推測でしかありませんが、それらの石や岩は、やはり岸壁の上部から落下してきたのでしょう。 そして、それらの周囲に流下して来た石や岩が堆積して現在の姿になったと考えられます。 岩壁の前であるのにも拘らず、水流によっても容易に流下して行かない石や岩が幾つかあったから、その周囲にその他の石や岩或いは土砂が堆積したのです。
 2つの特別大きな岩以外の石や岩のほとんどは角が取れています。また、石や岩の堆積列の表面にあるのは大きな石や岩だけでなく、小さな石や岩や小さな土砂もあります。 これらの石や岩やその他の土砂は、水流によって上流から流下して来て堆積したものです。

(e)石と岩の堆積列の形状
 この場所の石と岩の堆積を堆積列と呼んでいるのには訳があります。仮に、この土砂堆積の全てが岸壁上部の土砂崩れのみによって形成されていたとするなら、 岩壁に近い場所ほど高い位置に石や岩が堆積していたはずです。実際、堆積列の前端側はその形状ですが、後端側は違います。
 後端側では堆積列の最も高い箇所が前を流れる水流の近くにあります。そして、その奥にある岩壁の直前に石や岩の堆積は全くなく、そこには淵の水面が続いています。
 つまり、石と岩の堆積列は、水流に対する岩壁の窪み部に堆積し形成されているのですが、窪み部の全てを埋め尽くすことのない形状をしているのです。 堆積列はその下流側では、下流にある淵の少し対岸側に向かう岬の形になっています。これと同じ傾向は、下流側の小規模な石と岩の堆積列においても見ることが出来ます。
 何故このような現象が生じているのか、現状では解らないのですが、その形は霞堤の形状に似ていると考えています。

 この場所の石と岩の堆積列は、その中央部が水流に向かって少し張り出しています。張り出しと言ってもその箇所がきれいに描かれた形で張り出しているのではありません。 様々な大きさの石や岩がてんでんに堆積して 、あるものは水中からその頭を出し、あるものは浅い水中に並び、ほとんど不規則な形状の岸辺を形成して、 全体として張り出した形状になっているのです。
 この張り出しは水中の石や岩に連続していますから、堆積列の直前の水流は比較的浅くなっています。ですから、堆積列の前の流心は流れのほぼ中央にあります。 この形状は下流側にある堆積列の場合と少し異なっています。
 下流側の堆積列では、石や岩が水流に対してほぼ一列に並び、それらの石や岩はその場では比較的大きな石や岩が多いのですから、堆積列の直前の水流は浅くはありません。 したがって、その流心も堆積列の近くにあります。

(f)石と岩の堆積列を形成した土砂の流下
 石と岩の堆積列の表面にある石や岩やその他の土砂が流下して来た増水時には、現在の水位よりもはるかに高い位置にまで水位が上昇していました。 その水流の中で大小様々な大きさの土砂は一緒になって流下していました。
 その時に土砂が流下していた深さは、現在の石と岩の堆積列と同じか、それより高い位置であったはずです。 もちろん、その時には流れの岩壁側だけで無く流れの中央も右岸側も同じように大量の土砂が流下していたのです。 流下する大量の水量の中であっても、流下する土砂はその底近くを流下しているのであり、大きな石や岩であるほどにその傾向が強いと考えられます。
 土砂をそのように大量に流下させる規模の大きな増水は、私の不確かな記憶によれば、50数年以上前の増水であった可能性が考えられるのです。 あるいはそれ以前の増水であったのかも知れないのですが。

 たまたま私は、50数年以上前にこの河川で規模の大きな増水があった事を記憶しています。その時、この場所より下流にある橋が流されました。
 その頃小学生だった私は、先生や級友達と共に木の仮橋を恐る恐る渡った記憶が確かにあるのです。仮設の橋の板の間から見える急流は既に透明でしたが、 大きな岩の間やその上の流れは幼い私を驚かせるには充分でした。その時は小学生でしたから、その時の増水がどれほどの規模であったのか、 どれほどの土砂が流下したのか知る由もありませんが、橋を流下させてしまうほどの増水がその後も度々あったとは考え難いのです。
 成人してからは、魚釣りのために度々この河川を訪れています。魚釣りに訪れるようになってから大量の土砂が流下するほどの増水は無かったように思います。 ですから、私が小学生から成人するまでの間に土砂を大量に流下させる規模の増水があった可能性を除けば、 石と岩の堆積列の現在の姿の元は、50数年前にあったか或いはそれ以上の昔にあった事になります。

 これらは全て、私個人の不確かな記憶による推測に過ぎません。しかし、河川の様々な状況を考察する時には 、極めて長い期間のこともその対象としなければならない事を強く思っています。

(g)石と岩の堆積列の過去と未来
 石と岩の堆積列の現在の姿は、50数年前の大増水によってその原型が形成された可能性があります。大増水の後には、石と岩の堆積列の表面には小さな土砂も数多く堆積していたはずです。 もちろん、付近の川床は石や岩の堆積列と同じであるかそれより高い位置にあったでしょう。
 川床に堆積した土砂の多くや、石や岩の上に堆積した土砂の多くは、何度もの降雨や小規模な増水によって次第に流下して行きました。 また、石と岩の堆積列の表面にある石や岩の中には、以前あった石や岩と入れ替わったり新たに堆積しているものもあるでしょう。
 河川にある土砂は、大きなものほど流れ難く小さなものほど流れやすいのです。石と岩の堆積列でも同じ事が継続して発生していました。 ですから、堆積列の姿が50数年前の大増水だけにに由来すると考えるのは間違いです。それ以前の事象が関連している可能性も大きいのです。 また、50数年前の大増水以後の変遷も考える必要もあります。河川の姿は常に変化し続けています。
 これらの事から考えれば石と岩の堆積列の今後も想像できます。
 堆積列の現在の姿の元を形成した大増水よりも小さな規模の増水があったならば、堆積列はその姿を多少変えるかもしれませんが、継続して現在の場所に存在し続けるでしょう。 また、大増水よりも規模が大きな増水であったならば、堆積列はその姿を大きく変えるか、もしかすると無くなってしまうのかもしれません。

(h)岩壁の最初にある淵

左側、SN_106.JPG、 流れが最初に岸壁に突き当たる場所に出来た淵です。
右側、SN_114.JPG、 淵の流れ込みの写真。岩壁側に岩の崩壊があります。崩壊した石や岩が岸辺と周囲に堆積しています。


左側、SN_117.JPG、右側、SN_131.JPG、 急な流れで淵へと流れ込む上流部です。右岸側にも石や岩が多く、河川敷は高い位置まで広がっています。

 この場所は、勢いよく流れ込んだ水流が岸壁に当たって出来た淵ですから、その大きさも大きく、深さも下流の淵よりは深いのです。 淵は深くて広いのですが、底にある大きな石や岩を除けばその底のほとんどは砂や小石です。
 淵の右岸の岸辺と河川敷には石や岩が数多くあり、その岸辺は少し急な斜面になって水中まで続いていますが 、深くなるほど石や岩は少なくなっています。 そして、淵の底近くではほとんど砂や小石ばかりになっています。これらのことは、石と岩の堆積列の前面の流れと比較すればその差が歴然としています。
 岸壁の崩壊による石や岩が淵の入り口の岸辺に堆積しています。その周囲にある石や岩もその角が尖ったままのものが多いのです。 ですから、それらの石や岩も崩壊によって出来た岩なのでしょう。

(i)自然に形成された石と岩の堆積列と新たな工事方法
 連続した岩壁の前にある石と岩の土砂堆積列は、自然が偶然に形成したものです。石と岩の堆積列がなければ 、この場所は岩壁の前で連続するありふれた淵になっていたでしょう。 そのような淵は各地の渓流の屈曲部で多く見ることが出来ます。
 しかし、通常なら連続した淵になってしまう岩壁の前であっても、容易に流下しない石と岩の堆積列が出来れば、その場所に淵が形成されないだけでなく、 その堆積列の周囲にも石や岩を多く堆積させます。 そして、流れの方向も変化させるのです。現実の河川でこのような出来事が発生している事を考えれば、杭を用いた護岸の方法が実際に有効であることは間違いがないと言えます。
 つまり、石や岩を容易に流下させてしまうコンクリート護岸であっても、その岸辺に杭を埋設して石や岩をその場所にとどめる事が出来れば、 護岸の岸辺とその周囲に自然の石や岩の堆積を形成させ、同時に、水流の方向も変えることが出来るのです。 言い換えると、杭の埋設によって石や岩を堆積させれば、その場所の川床の侵食を防ぐだけでなく、護岸の岸辺から強い水流を遠ざけて自然の岸辺を形成出来るのです。
 この場所は、たまたま私の居住地の近郊で見出した実例です。同じような例が各地に多くあるとは思いませんが、似通った例はきっと何処かにあるはずです。 もしかすると、この現場以上に解り易い例も発見できるかもしれません。皆様のお近くの渓流を良く観察されることを強く勧めます。


(B)ポイント2、コンクリート護岸の箇所での実例

 以下で紹介する場所での状況は(A)よりもさらに稀な実例かも知れません。
石や岩の多い場所のコンクリート護岸では、その周囲から石や岩を流下させてしまうことが普通です。 ですから、護岸の直前に石や岩が堆積して水流を護岸から離れて迂回させている例は、特にそれが護岸の屈曲部であることは、私にとって全くの新発見というべきものでした。
 もっとも、これは私の知見が足りないだけかもしれません。魚釣りに夢中になっていたので、他の場所での同様の例を見過ごしていた可能性は否定できないのです。

(a)コンクリート護岸の概要
 これらの写真は、(A)と同じ河川のさらに上流で、2017年6月に撮影したものです。
ここは水の流れが緩やかに屈曲している場所で、屈曲する水流の外側に沿ってコンクリート護岸が建設されています。 コンクリート護岸の上部には重要な県道が走っているので、この護岸はどうしても設置しなければならなかった状況であったと考えられます。 また、この箇所には。県道上部からの崩壊土砂が道路に落下するのを防ぎ、土砂を河川敷へと導くための小さなトンネルも設置されています。
 この河川は上流であるため石や岩が多く、特にこの付近では、容易に流下しないような特別大きな岩も多い印象があります。
 コンクリート護岸は、全長がおおよそ140m内外であり、その中間部分で緩やかに屈曲してその部分以外はほぼ直線になっています。 その上流端と下流端は直接水流に接することなく河川敷の土砂やコンクリートに埋もれています。その長さは上流端と下流端でそれぞれ20m内外です。
 この護岸中央の屈曲部の始まり部分からその終わり部分にかけて石や岩による土砂堆積があり、水流はその場所を迂回して護岸から離れています。 ですから、護岸と水流の状況は以下のようです。
 護岸の上流部では護岸に沿って浅い淵が形成されています。それに続いて石や岩の堆積による水流の迂回があり、水流が護岸に戻った場所からは深くて細長い淵が形成されています。 その淵の淵尻から水流は方向を変えて護岸を離れます。迂回した水流が護岸の前に戻った箇所とその下流部付近の侵食が最も進んでいます。


左側、SNB_002.JPG、 コンクリート護岸の下流端です。大きな石や岩が多くあります。
右側、SNB_003.JPG、 コンクリート護岸の下流側から中央部付近を写しました。


左側、SNB_004.JPG、 中央にあるのはコンクリート塊です。この上流箇所には護岸下部に張り出した棚がありません。 ですから、棚の崩壊した部分が残った棚に接して流れずにいるのだと考えられます。コンクリート塊から淵への流れ込みまでは、約25mです。
右側、SNB_006.JPG、 左の写真(SNB_004.JPG)の上流側です。水流の幅は狭くなり、水深はより深くなっています。棚の下も侵食されています。


左側、SNB_007.JPG、 水流が護岸を離れ迂回している箇所の対岸。陰になっていますが、覆いかぶさる木々の下に護岸があります。
右側、SNB_012.JPG、 迂回した水流が、護岸のほぼ正面に向かって流れ込んでいます。白い泡が落差の箇所です。ここでは、棚の下が深く侵食されてその底には石や岩もあります。


左側、SNB_017.JPG、 石や岩の堆積箇所の下流側。右下の白い泡は淵への流れ込みの段差です。水流は全てが護岸を離れているのではなく、浅い水流が護岸に沿って流れています。 石や岩の堆積箇所でも護岸の棚はむき出しになっていますが、水流が深くなっている事はありません。
右側、SNB_018.JPG、 左の写真(SNB_017.JPG)の少し上流部です。特別大きな岩はありませんが、比較的大きめな石や岩が幾つかあります。石や岩の堆積箇所の長さはおおよそ24m位です。


左側、SNB_019.JPG、 石や岩の堆積箇所の開始部。最初から水流を迂回させているのでありませんが、中央部右側の石や岩は水流を弱めています。
右側、SNB_020.JPG、 上流側の淵の終端部。石や岩が淵の終了を示しています。この上流側の淵が穏やかで平坦であるのは、下流側の石や岩が土砂の流下をとどめているからです。


左側、SNB_021.JPG、 護岸に沿って流れる水流。その底に石や岩はほとんど無く、平坦な流れが上流になるほど深くなっています。また、岸辺も同じく大きな石や岩はありません。 中央奥の段差はコンクリートの塊によるもので、段差の落ち込み箇所は深くなっています。
右側、SNB_015.JPG、 コンクリート護岸の上流端から下流側を写しました。上端部の上流側には人為的に積まれた大きな岩が幾つかあり、その多くが苔むしています。

(b)石や岩による土砂堆積の成因
 コンクリート護岸の風化具合から推測すると、このコンクリート護岸は随分以前に建設されたものと考えられます。 護岸下部の棚状の構造は、建設時に護岸の最下部付近に流し込まれたコンクリートだと考えられるので、それらがむき出しの現状は、周囲の川床の低下がかなり進んでいることを明らかにしています。
 さらに、幾つかの理由により、護岸の上流部分の淵の箇所の護岸は、それに接続する下流部の護岸よりも後で建設されたのではないかと考えています。
 この場所に何故に石や岩による土砂堆積が生じたのか、それが問題です。既に幾度も説明していますように、岸辺の岸壁やコンクリート護岸の前の土砂は容易に流下してしまうのが普通です。
 写真で見るように問題の箇所の石や岩の大きさはそれほど大きなものではありません。この護岸の周囲にはそれらよりも余程大きな石や岩が幾つもあります。 ですから、この石や岩の堆積が岸辺の表面に見るだけの石や岩の構造であったならば、少し大きな増水によって容易に流下してしまうでしょう。
 また、石や岩の堆積の脇にあるコンクリート護岸の棚がむき出しになっていることから考えれば、この石や岩の堆積がコンクリート護岸の建設当時から存在していたと考えるのは困難です。 建設当時からあったならば、護岸の底の棚がむき出しになることは無かったでしょう。
 この石や岩の堆積は、コンクリート護岸が建設された後、その底の侵食が進行した後に形成されたと考えられます。
 そして、その堆積の底には増水時であっても容易に流下しない大きさの石や岩が幾つかあるのでしょう。この場所に写真で見るような石や岩の堆積があることの理由はそれ以外には考えられません。

 では、どうしてこの場所に増水でも容易に流下していかない大きさの石や岩が堆積したのでしょう。それが問題です。私は、その理由について3通りの可能性を考えました。
 1つは、上流部の護岸の建設時に排除された大きな石や岩が、既に侵食していた箇所に堆積した場合。 もう1つは、上部の県道に大きな落石が幾つかあり、それらが河川敷に向かって排除されて、護岸の前の深みに堆積した場合。 3つめは、護岸の建設後の土石流によって大きな石や岩が堆積した場合。
 これら3つの場合を想定するならば、コンクリート護岸の前であっても大きな石や岩が堆積することは充分に可能であったと考えています。 つまり、コンクリート護岸の前であっても容易に流下して行かない大きさの石や岩が幾つかあったから、その周囲に通常の増水時に流下して来る大きさの石や岩が堆積したと考えられるのです。 そして、周囲の状況から考えて、3番目の可能性が最も大きいのではないかと考えています。
 ここで、護岸の前の石や岩の堆積の形成原因を考えたのには訳があります。 曲線を描いて建設されたコンクリート護岸の途中に自然の石や岩が堆積する例は稀です。 例えば写真に示したように、何らかの突起があればその可能性も生じるかもしれませんが、そうでない限り石や岩が護岸の前に堆積し続けることは極めて困難です。 このことは、上流部に設置されたコンクリート護岸のほとんどの場合を見れば明らかです。
 ですから、稀だと考えられる状況を前にして、その成因を考えずにはいられなかったのです。

(c)石や岩の堆積の現状
 さて、問題は石や岩の堆積そのものの状況です。この場所の土砂堆積の高さは(A)と比べて高いものではありません。水流より頭を出している石や岩は多くありません。 土砂堆積の多くは水面下にあります。また、(A)のように列を形成しているとは言えません。この場所全体になんとなく広がっているだけです。 堆積した石や岩の中には大きな石や岩も見えますが、(A)の場合と異なり、特別大きな石や岩は見当たりません。護岸の周囲の河川敷にあるその他の石や岩の大きさと似かよった大きさに過ぎません。
 これらの石や岩の直ぐ外側にはコンクリートの壁があります。 上部に限って苔むしたコンクリート壁の様子から推測される、通常の増水の水位の高さを考慮すれば、この場所に堆積した石や岩が流下し易い状況であることは間違いがないでしょう。 少なくとも(A)の場合よりも、それらが流下する可能性が大きいことは間違いがありません。
 でも、容易に流れて行かない大きさの岩がその底にとどまり続けるならば、その上部の石や岩の堆積は入れ替わりながら、また堆積の形を変えながらも存続し続けるのです。 ですから、護岸の底の侵食が進むのを遅らせることが出来ています。そして、周囲の石や岩が過度に流下することも防いでいます。
 この場所の土砂堆積はそれらのことを示す良い例であると思います。

(d)石や岩の堆積によって明らかになったこと
 この(B)の場合で明らかなことは、たとえ屈曲するコンクリート護岸の前であったとしても、容易に流下して行かない石や岩を杭によって幾つかとどめ、流下して来る石や岩がその周囲に堆積すれば、 護岸を保護して同時に無用な土砂の流下を防ぐ事が出来ると言うことです。
 上述(A)及び(B)は、容易に流下しない大きさの岩が自然に堆積して、それによって新たな護岸が形成されている例です。 でも、実際の工事方法を考えた時には、周囲にある自然の石や岩を移動させて、それぞれの場所に杭と共に設置するのは容易な事ではないかもしれません。
 ですから現実的には、工事場所を定め、とどめるべき石や岩の大きさが判明したならば、それに類する大きさの人工的な石や岩を製造して設置する方法が効率的であるかも知れません。 或いは、設置する石や岩の大きさに類した石や岩だけでなく、それより少し小さな石や岩も同様に製造して設置する方法も考えられます。
 それらよりさらに小さな石や岩は、自然に流下してい来るのを待つか、或いは、それらだけは周囲の土砂を用いる方法が効率的でしょう。 これらの事情は、石や岩の大きさが大きくなる上流ほど該当する可能性が大きくなると考えられます。

HOME河川上流中流の土砂流下と堆積の規則性を考える

河川上流中流と海岸を回復させるための新たな工事方法

>コンクリート護岸に自然の岸辺を取り戻す工事方法(3)写真