ご意見・ご感想はこちらからどうぞ。


当寺は、大村藩の菩提寺として藩内に重きをなしておりましたので、日蓮大聖人の御真筆四点や中正護師の一尊四士像等を初めとして貴重な美術品、仏像が格護されております。境内に隣接する大村家墓碑群は規模の大きさに於て全国にも比例を見ないもので、長崎県は昭和三九年六月十九日これらを県の有形文化財に指定しました。
この墓碑群の中で十六代純伊公と十九代喜前公とを祀る霊廟はその中心を為すものであります。
純伊公は文明六年(1474年)有馬貴純の為に大村を追われ、玄海の孤島加々良島に潜む事七年、再び旧領を奪回された方で、御太宗と呼び習はしています。
此に対して喜前公は御中祖と呼ばれ、元和二年(1616年)八月八日、四十八歳でその波瀾に富んだ生涯を閉じました。
 此の時その後を追うて殉死した藩士西太郎左エ門と朝鮮人秀山の墓が今も尚その廟の前に向き合って立っております。
珠に秀山は朝鮮から喜前公を慕うて来た陶工で、波佐見焼の祖と云われております。

2/5