そのまま夏になって、やがて秋が訪れる。僕は、龍麻がいなくなったショックからやはり立ち直れずに、空虚な心を抱えたまま生活をしていた。そう、まるで抜け殻のように、笑うこともなく、怒ることもなく、ただ悪戯に日を重ねていた。
目の前の色彩は全て失われたような、味気ない日々。もっとも、龍麻に会うまではこのような日々を送っていたのだということを思い出しもした。一度、光に満ち溢れた世界を知ってしまったがために、この世界はたまらなく辛い。ただ、龍麻というピースが欠けただけでこんなになってしまう自分が情けなくって、そして同時に、どんなに龍麻が自分にとって大事だったかということを痛感した。
「ちーす。如月サン。」
さすがに半袖でいるには辛くなってきた10月の中頃に、金髪の槍の名手が店を訪れた。
「ああ。雨紋か。」
「久しぶりッス。こないだのライブ、来なかったからどうしたのかなと思って、寄ってみたんスよ。」
僕よりも年下のこの男は、どういうわけか僕になついている(とみんなが言っている)。蓬莱寺、村雨がいなくなりマージャンがここで行われなくなってからは、彼が一番よく店にやってくる。そして、槍の手入れだの、ライブのチケットだのとさまざまな話をしていく。僕は、最初ひどくうっとおしかったのだが、次第に慣らされてきて、何時の間にかこの年下の男のバンドのライブにでかけるようになっていた。
「ああ、悪かったな。用事があってね。」
「なぁんだ。そうスか。いや、結構集まったのに、如月サン、いないんで残念だねって言ってたんスよ。」
「そうか。」
「藤咲サンとか、高見沢サンとか。ああ、龍麻サンも珍しくきてくれたんスよ。」
「龍麻が?」
龍麻という名前に反応してしまう自分が情けない。
「なんでも、高見沢サンに連れられてきたらしくって。久しぶりに会ったら、少し痩せて、スタイル良くって、メチャクチャいい女になってて、オレ、焦っちゃいましたよ。」
雨紋は龍麻の自称弟分と言っている。弟、ということは龍麻を恋愛対象ではなく、自分の近しい目上として慕っていたからであった。よくそれで劉とどっちが本当の弟分かと、くだらない言い争いを繰り広げては龍麻にゲンコを貰っていた。
「で。龍麻は何か?」
「あ、いや何にも。」
「そうか。」
とりあえず、龍麻は元気でいるらしい。痩せたとは、大丈夫だろうか。もともとそんなに余分な脂肪がついている方ではなかったのに。また何か、無理をしているのではないだろうか。龍麻はなんでも自分で抱え込むから、辛い想いをしているのではないか。途端に心配になる。
「ま、用事だったら仕方ないスね。…病気とかじゃないから安心しました。」
「ああ、心配かけてすまないね。」
「いえ。それじゃあ、次のライブが決まったらまたチケットもってきますから。今度は来てくださいよ。」
「ああ。そうするよ。」
そう言って雨紋が出て行った。
思いもかけず、龍麻の話を聞けて嬉しい反面、辛くもあった。会いたい。龍麻に会って声を聞きたい。そう思った瞬間に僕は立ち上がっていた。
何度か龍麻の住むマンションに来たことがあった。中に入ったことはないけれど、戸口まで行った事がある。随分と久しぶりに来て、マンションを見上げると、龍麻の部屋のあったところの感じが違っている。
慌てて郵便受けを見てみると、龍麻が住んでいた部屋には、全く違う名前が入っていた。
「龍麻…?」
どういうことだ?エレベーター脇にある管理人室に行って見ると、暇そうにしている老人がテレビを見ながらタバコを吸っていた。
「緋勇さんね、1ヶ月前に引っ越しましたよ。」
「引っ越した?どこへ越したか、知りませんか?」
「さぁねぇ。どこへ越したもんだかねぇ。」
老人は眼鏡をずり上げてちらりと僕を見る。
「あんたは?」
「友達です…最近、連絡がとれないので寄ってみたんですが。」
「ま、そのうちに用事ができりゃ連絡してくるだろうよ。」
そう言って老人はまたテレビの方を向いてしまった。
マンションを出ながら携帯電話から龍麻の携帯に電話を掛けてみる。すると無機質な女性の声で、その携帯電話が現在使われていないことを告げた。
「一体、どこに行ってしまったんだ?」
誰か、龍麻の行方を知っているだろうか?
誰が一番知っていそうか考えてみた。一番かたいところでは美里葵。そして桜井小蒔。もしかしたら壬生が知っているかもしれない。彼の恩師で師匠でもある拳武館の館長は龍麻の後見人でもあるのだから。まさか後見人が龍麻の居所を知らないわけがないが、壬生までが知っているかどうかは定かではない。
どちらかというと、僕は今、壬生にはあまり会いたくなかった。
龍麻を独り占めしているのは壬生であり、僕との契約を解消した今、龍麻の実質的な彼氏というのは壬生であったからだ。その壬生に会うのは正直言って辛い。
「まずは、美里くんだな。」
なるべく壬生は避けよう。僕は美里葵に電話をした。
慌しいままに季節は巡り、年が明けた。
結局、誰も龍麻の居所はわからなかった。ただ、美里葵と桜井小蒔の二人には『しばらく修行に出るから東京を離れる。』とだけ言い残していたようだった。学校も休学届が出ていた。劉や蓬莱寺と合流したのではないかという噂があったが、それも蓬莱寺からの便りの冒頭に龍麻が元気でいるかどうかという文面があったことからあっさりと否定された。日本にいるのか、海外へ出てしまったのか、誰も知らない。
拳武館の館長は龍麻の行方を知っているようであったが、壬生が聞いても『教える必要はない』と突っぱねられ、何も情報は得られなかった。その時に始めて知ったのだが、壬生は龍麻と既に別れていたようだった。壬生自身が言っていたし、その言葉には嘘はなかったようで、現在は彼の恋人として他の女性が隣にいる。
まさか、龍麻が失恋で失踪したか?一瞬、そう考えたものの、壬生が言うにはふられたのは自分の方で、龍麻はてっきり僕と一緒にいるものだと、彼はそう思っていた。
龍麻のいない東京はつまらない。
そう言っていたのは藤咲だったか、雪乃だったか。それはみな同じだったようで、誰もが口に出さなくてもそれぞれに龍麻を心配し、そして早く東京に戻ることを願っていたのであった。みんなの願いの拠り所となったのは、彼女は『しばらく』という言葉を使っており、それは暗にそのうちに、いつか東京に舞い戻ってくることを示唆していたことだった。戻ってきたら、彼女のことだからきっと誰かには連絡を入れるだろう。それだけを頼りに、みんな連絡がとれるように申し合わせた。
龍麻。一体、どこへ消えてしまったんだ?
紫暮などは修行だから、きっともっと強くなって帰ってくると喜んでいたようだが、本当に修行なのかどうか、僕にはそれさえも疑わしかった。
本当に戻ってくるのだろうか。
彼女と別れてから半年も経つのに、いまだに思い切れず、未練を残している自分。自分でもひどく滑稽で、どうかしていると思う。けれど、彼女を忘れることなどできない。もう二度と誰かを大切に思うことなどできないほどに深く彼女を思ってた。彼女の全てが頭から離れずにいる。いっそのこと嫌いだと言ってくれれば諦めもついたのに。僕はため息をついて薄ら寒い部屋を振り返る。
最後に交わした彼女との会話が脳裏によみがえる。
「ごめんなさい、私…。」
「ダメなの、まだ…。」
「翡翠も、元気でね。」
あ、れ?
そのときに、急に僕の頭は何かを訴えかけた。何かおかしい。引っ掛かりを感じる。違和感が急に膨らんできた。よくよくあの場面を思い出して考えてみる。
「まだ…?」
僕はそこでようやくおかしな言葉の存在に気が付いたのだった。
「まだ…?どういうことだ?まだ、だめ?何かあるのか?」
独り言を呟きながら、最近になかったような速度で頭を働かせる。まだ、というのは何か条件が満たされていない、そういうことか?ではいつか、条件が満たされる時が来るのだろうか?条件はなんだ?僕か?彼女か?
賭けてみよう。
僕の時間の最後の一瞬まで彼女を待ってみよう。どうせ、こんな気持ちのままで他の誰かを好きになることなんてできないのだから。少しでも可能性があるならば。
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