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「ごめんくださいませ。」それは夏の暑い盛りの頃。
 夏休み中の龍麻はアルバイト兼勉強にいつものようにここ、如月骨董品店にいた。店の続きの座敷で休み中の課題となっている西洋美術の流れを頭に入れているときに店先から女性の声が聞こえてくる。
 「はーい。」
 奥で作業をしている如月の代わりに応対に出て行くと、店先には美貌の式、芙蓉が立っていた。
 「わー、久しぶり。元気だった?」
 式に元気もなにもないものだが、いつも龍麻はまるで人間に接するように芙蓉に話し掛ける。それが芙蓉は龍麻を気に入っている理由の一つでもあるのだが、本人はあまり意識せずにやっているらしい。
 「ご主人様もご健勝でいらっしゃって何よりでございます、安堵いたしました。」
 以前よりも柔らかな、感情のこもった物言いに龍麻はにこと微笑む。
 「それだけが取柄なんだもの。…芙蓉も相変わらずで良かった。」
 「ありがとう存じます。」
 良かったといわれ、芙蓉は少しだけ嬉しい気持ちになる。どんなことにせよこの女性に誉めてもらうのは芙蓉にとって大変に嬉しいことである。
 「そういえば、最近、浜離宮に行ってないや。マサキくん…ううん、薫さんや晴ちゃんはどうしてる?」
 「晴明様は相変わらずでございます。薫様はようやく大役を降りることができ、普通に暮らすことが出来るようになりまして、今は女性らしく毎日過ごされておいでです。」
 龍麻が柳生を倒したのとほぼ同じ頃、空に現れていた禍々しい凶星もその姿をかき消すようにしてなくなってしまい、全てはその呪いであったかのように、動かなかったマサキ、いや、薫の足も動き始め、そして何よりも眠っていた本当の征希が目覚めたのだ。あまりに長い時間そうしていたためにすぐに全てが元の
    通りに戻ることはできなかったが、薫は兄の本復に従い徐々にその生活を元通りにしていくことが出来た。
 「それはよかった。」
 「全てはご主人様のおかげ。ありがとう存じます。」
 そう言って芙蓉が深深と頭を下げようとするのを龍麻が慌ててさえぎる。
 「ち、違うよ。自分にかかってきた火の粉を振り払っただけなんだから。そんな感謝されるようなことしてないって。」
 「ご主人様はそのおつもりでも、結果として薫様、征希様をもお助けいただいたことになります。」
 「参ったなぁ…もう。」
 芙蓉はあの熾烈を極めた最終決戦を残った龍麻が以前と変わらぬ人間であることに少なからず驚いていた。あれだけの偉業を成し遂げながらなんら変わることのない人間を今まで見たことがなかったから。
 それに晴明の話では渦王須の中にあった龍脈の力は、彼が暴走した挙句龍麻たちによって倒されたのと同時にかなりの力が龍麻の中に入り込んだという。それを受け止め、暴走することなく
    (といっても決戦直後に倒れたが)己の体の中で浄化した力に驚くのと同時に、龍脈の力を得て黄龍となったに違いないのに、欲を出すことなく、ただの、普通の年頃の女性となんら変わることのない生活を送っていることに驚く。
 だからこそ、彼女は渦王須を倒すことが出来たのかもしれない。
 いや、たったひとつ。彼女に欲があるとするなら、それは誰よりも愛しい如月の側にずっといること、なのかもしれないが。
 「んで。今日はどうしたの?」
 不思議そうに首を少し傾げて。そういった動作のひとつひとつが可愛いらしくて、邪気がない。だからこそ村雨も御門も彼女に協力したのだと芙蓉も納得がいく。
 「今日は晴明様より如月様宛てに手紙を言付かって参りました。如月様、ご在宅でしょうか?」
 「うん、ちょっと待って。」
 龍麻はそう言って店の奥のほうに向かって大声を張り上げる。
 「ひーすーいー!芙蓉がきてるよー!」
 「今いくー。」
 かすかな声が奥から戻ってくる。その様子をみて、芙蓉はなんだかほほえましくなった。
 「何?」
 龍麻に聞かれて、自分が微笑んでいたのだと気が付く。
 「いえ。…こうしておりますと、なにやらご主人様は如月様の奥方様のようでございますね。」
 そう言われて龍麻の顔が真っ赤になる。
 「な、何を言うのっ。」
 「いえ、ただ、そんな気がしました。」
 怒ったように大声を出した龍麻に返事をしながら芙蓉は不思議な顔をしている。
 「ご主人様は如月様がお好きなのでしょう?」
 今度は
芙蓉が真面目な顔をして聞いてくる。
 「う…うん。」
 あまりの真面目さに龍麻も思わずうなづいてしまう。
 「なぜ、そのようにお怒りになるのでございますか?好きな方の奥方様のようだというのは嬉しいことではないのでしょうか?」
 芙蓉の言葉に思わず龍麻はうっとつまる。それは芙蓉の言うことが正論なのだが、彼女には恥ずかしいという感情はまだ芽生えてはいないらしい。
 「えーと、それはー。」
 「何が嬉しいって?」
 「ひゃあっ!」
 後ろからの声に思わず龍麻が飛び上がった。
 「ど、どうしたの?」
 あまりの龍麻の驚きように声をかけた如月のほうが驚いてしまう。
 「うっ、ううんっ、なんでもないっ!」
 慌てて龍麻が首を振るのに、ふうんと半分納得していないように返事をしてから如月は芙蓉のほうに向き直った。
 「久しぶりだね。」
 「ご無沙汰しております、如月様。」
 芙蓉は丁寧に頭を下げて挨拶をする。
 「晴明様より手紙を言付かってまいりました。」
 そういって、白い絹目の封筒を如月に差し出した。うなづきながら受け取った如月はその場でびりびりと封を開けて中の薄様の紙にかかれた内容をざっと一読する。中にはよほど重要なことがかかれていたらしく、如月の顔が驚いたようになったあとに憮然とした表情になって顔をあげた。
 「ありがとう。…確かに受け取りました。」
 「それから如月様に晴明様から伝言でございます。」
 「なんだい?」
 「これは貸しにしておきます、とのことです。それから、たまにはご主人様を浜離宮によこすようにと。」
 「…そのうちに。」
 不機嫌そうな顔で即答した如月に芙蓉は苦笑しながらも挨拶をし、二人の前を辞した。
 「晴ちゃんから、なんの手紙?」
 尋ねた龍麻に如月は店先にかかってるカレンダーをめくりながら答える。
 「ちょっと頼んでいたことがあってね。その返事だよ。」
 8月のところをめくりながら如月は何かを考え込んでいた。
 「どうしたの?」
 「お盆の頃に仕入れで京都まで行こうと思っているんだけど、日程をどうしようかと思ってね。」
 そう言われて龍麻は去年もこの店がお盆の頃はしまっていたのを思い出した。仕入れのために毎年修学旅行の少ない夏と冬の年2回、3日ぐらいずつ関西方面に出掛けているらしい。
 「また3日くらい?」
 「うーん…。」
 しばらく如月は考え込んでいる。
 「今年の冬は受験やなにやらで行けなかったからね。今度はもう少し長く行こうと思っているんだけど。」
 如月の言葉に龍麻の顔が心なしか曇ってしまう。
 「そう…だね。商品を仕入れないと商売にならないし。…じゃあ、その間、私は鳴瀧のおじ様のところにでも…。」
 「君も行くんだよ、龍麻?」
 如月の言葉に龍麻の目が驚きに最大限に見開かれる。その様子に如月はくすくすと笑いながらカレンダーを龍麻に見せた。
 「勉強、だからね。荷物持ちっていうことで。…できれば14日〜18日ぐらいまで行きたいのだけど、龍麻の都合はどうかな?」
 毎日如月の店に通うのが予定だから別になんていうこともない。そりゃあ、小蒔や葵と遊ぶ約束をしていたけれど、それはまた後日でもいいわけで。
 「だっ、大丈夫っ!」
 即座にそう叫んでしまった龍麻を、きっと葵も小蒔も誰も責めるなんてことはしないだろう。だって、今まで二人だけでどこかに泊りがけで出掛けるなんてこと自体、全くなかったのだから。
 「じゃあ、そのつもりで。…そうだな、毎日歩くから、当然ジーンズとかで来ることを薦めるよ。」
 如月はにこにこと上機嫌で龍麻に言う。
 「でも…今からじゃ、旅館とか取れないんじゃ…?」
 心配そうに言う龍麻に如月はああとうなづいた。
 「大文字の日をはさんでいるから混んでいるだろうけど、僕はいつ行ってもいいようなところを確保してあるから大丈夫だよ。」
 そう言いながら帳場にかけてあるカレンダーにマジックで仕入れと書き込んだ。
 「龍麻、京都は行ったことあるかな?」
 「修学旅行で。中学もだけど、去年も。」
 「それじゃあ、ちゃんとは見ていないだろう?」
 「そう。ゆっくりなんか見れなかった。」
 「じゃあ今回は観光も兼ねるかな。時間もあることだし。」
 そう言って翡翠は笑った。
 
 
 
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