店に着くと今日は確かに如月の気配がある。だけど、何かおかしい。気がいつもより微弱だ。
俺は表から入ろうとしたが、遠巻きに女の子が何人か俺の様子を伺っているのが分かって、急いで路地に入って裏木戸に回った。昔の建物だから頑丈な鍵らしき鍵などついていず、手をいれて簡単に外せるようなかんぬきがついているだけである。如月自身も結界が張ってあるためわざわざ鍵をかけていない。俺は玄武の結界を解くと敷地に入って、裏口から引き戸を開けて家の中に入った。
「お邪魔しまーす。…如月、いるかぁ?」
大きな声を張り上げてみるものの返事はない。だけど、確かに微弱だけど如月の気配があるのだ。
靴を脱いであがりこんで、磨かれた廊下を進むとやがて襖がわずかに開いて、明かりが漏れている部屋がある。店の続きの座敷と、お勝手とトイレより奥には入ったことがなかったから分からないが、そこがきっと如月の部屋なのだろう。
「如月、いる?」
外から声をかけて僅かな隙間から中を伺うと、真っ先に目に飛び込んできたのは白い細い手がこちらに向かって出ている。ついで、その腕の付け根の方に視線を動かすと、濃紺の浴衣の袖が見え、肩の上に真っ白な、生気のない顔が乗っていた。涼やかな目元は閉じられ、いつもはほんのりと紅い唇でさえも今は土気色で、僅かに開かれ、苦しげに浅い息を繰り返している。そうして、全身を見ると、布団の上に寝ているのではなく、倒れている、といった感じであった。
「如月っ!?」
僅かに開いていた襖を乱暴に開け放ち、駆け寄って如月を抱き起こすと、体がひどく熱い。ぐったりとして、浅くつく息も熱く、早い。体を揺り動かしても目を覚ます様子はなかった。
掛け布団が少しめくれていたところをみると、起き上がって何かをしようとして倒れたのだろう。とりあえず布団に如月を戻してから俺はタオルを探して、お勝手で水に浸して如月の額に乗せてやる。
だけど、ものの5分もしないうちにタオルは生暖かくなる。こんなんじゃ追いつかない。俺はそう思いながらタオルをもう一度水に浸し、如月の額に乗せてから、お勝手に戻ってきた。冷蔵庫を開けて氷を取り出すと、塩と一緒にビニールに入れて簡易氷嚢を作ってから、額にあててあるタオルの上にさらに置く。
そこまでしてしばらく様子をみるが、徐々にさっきまで苦しそうだった息がようやく落ち着いてきた。ほっとしながら、俺はしげしげと如月を見つめる。
着ていた浴衣は柄からも、仕立てからも明らかに女物。抱き上げたときに思いのほか軽かったのと、柔らかな感触も確かに女性のもの。…やっぱりなぁ…なんで気付かなかっただろう?
自分のうかつさが悔やまれる。
とりあえず反省は後にして、目が覚めたときのためにお粥でも作ってやろうとまたお勝手に入る。久しぶりに自分でお米を研ぎながら、俺はいかにずっと如月に甘えていたかを痛感した。
ほんと、しょうがないなぁ。一人で苦笑して、お釜にセットしてそれから買い物に出ていった。
夕方に遅くになってから、来た時はかなり高かった熱もかなり引いて、呼吸も普通に戻ってきていた。
「う…ん…。」
小さい呻き声で如月の首が動く。覗き込むと、如月の首がゆっくりと巡ってタオルの上にあった氷の袋が落ちた。
「み、ず…。」
呟くように言った声に俺は枕もとにあったイオン飲料を差し出した。ぼんやりとしていた如月の目の焦点が急に合う。
「きゃあっ!」
なんともいえない、可愛らしい悲鳴とともにがば、と如月が跳ね起きる。
「なっ、なんでっ…ここにっ。」
「あ、ごめん。…でも、倒れてたから…。」
よく考えてみると女性の寝室に俺がいるってのもかなり失礼で。謝ろうとした瞬間に如月がぼろぼろと涙を零し始める。
「きっ…きさらぎっ!?」
すると、如月は布団をかぶって丸まってしまった。
やっぱり、目が覚めていきなり俺がいたらショックかもしれない。俺だってやっぱり男だし。
如月が平静を取り戻すのをしばらく待ったが、一向に布団からでてくる気配はない。
「あの…さ。お粥、炊いたから。腹減ったら、食べて。それから枕もと、イオン飲料と薬あるから。」
目も覚めたし、もういいだろう。謝るどころじゃないみたいだし、また後日改めよう。そう思って立ち上がった。
「あ、それから橘さんが心配してた。看板、どうなったか連絡くれって。…それだけ。」
それで帰ろうとすると微かに布団の中から呼び止める声がする。
「なに?」
「…見たのか?」
布団の中から小さな声。
「なにを?」
「…女だって…こと。」
泣き出しそうなくぐもった声で、如月が聞く。
「うん…でも舞子から聞いてたし。」
「そうだな…。」
俺は如月の側に戻って座り込む。少し落ち着いたようだから、とりあえず、先に謝っておこうと口を開いた。
「ごめんな。…俺、男だとばっかり思っていたから、すげー、一杯失礼なことした。」
「いや…いい。気に、してない。」
小さく返事が返ってきて、俺は少しだけほっとした。それからしばしの沈黙がある。
「…騙してて…すまない。」
布団の中からしゃくりあげるような声がした。
一番傷ついているのは自分だろうに、それなのに俺を気遣って謝った如月に、さらに愛しさが募る。
「気にしてない。むしろ、女の子ってわかって、ほっとした。」
宥めるように亀の甲のように丸まった布団のふくらみをぽんぽんと優しくたたいてやる。
「どう…して?」
「そりゃ、自分がホモじゃないってわかったから。」
その言葉に少しの間返事はなく、言ってしまった手前、俺はどうしようかと考えていた。随分経ってからまた小さな声が聞こえてくる。
「どういう意味…?」
「如月がスキだっていう意味。」
するとがばっと布団が押しのけられて、びっくりした顔の如月が出てきた。泣いていたみたいで目と鼻が真っ赤になっている。その顔を見ながら俺はああ、やっぱり女だと改めて思った。目元も口元も女性の柔らかさがある。
「…嘘だ…だって、美里さんが…いるじゃないか…。」
震える声で搾り出すように如月は呟いた。目にはじんわりと涙が浮かんでいる。
「美里?…なんで?」
急に思っても見なかった美里の名前を出されて、驚いて首を傾げる。
「プレゼント、あげてたし。」
ぼそぼそと呟くが、俯いた拍子に如月の目から溜まった涙がぽろぽろと毀れ落ちていく。
「そりゃ、友達だし。誕生日だって分かってればみんなにあげてるぜ?雨紋だって、ミサちゃんにだってあげたもん。」
そう言ってから、あ、と俺は思い出す。
「ちょっと待ってて。」
如月に言い置いて、俺は慌てて店の方に行って、指輪をひとつ持って戻ってくる。
「如月、今日が誕生日なんだってな。知らなかったからさ、なんも用意してなくって。」
そういってから如月の手をとって、薬指に指輪をはめた。名前と同じ、緑色の石のついた指輪。
「あ…。」
如月が驚いて、それからすぐに照れた顔をしてじっとそれを見つめている。
「女の子に贈り物するの苦手なんだよね。何贈ったらいいかわかんないし。でも、ひとつだけ決めてることがあんだよね。」
如月は首を傾げて俺の話を聞いている。
「どんなに強請られても、指輪は本当に好きな子だけにあげようって。」
だから、如月には指輪を贈るのが一番だと、単純に思った。他のどんなものよりも、指輪を贈りたかった。白い細い指先に合う緑の石の指輪。
でも、如月は悲しそうに目を伏せて、うなだれて話し始める。
「…僕は…可愛くない…。身長だって、すごく大きいし…いつも男の格好してるし…性格だって…、みんなみたいに明るい…普通の女の子じゃない…。僕は…君に…好きになってもらえるような…ところがない…。」
如月はぽろぽろと涙を零しながら、肩を震わせている。
「だから…冗談や、遊びなら…放っておいてくれ…。」
やっぱり真面目なんだ。そんなところも大好きだけど。俺は密かに苦笑した。
「俺さ、身長183センチなんだけど?10センチくらい差がありゃ充分だろ?まぁ、なんで男の格好してるかわかんないけどさ、まぁ、それなりの事情があるんだろうし。…しょうがないじゃん。…お前が男の格好してても惚れちゃったんだから。」
それでもまだ如月は俯いていた。
「俺は、本当に如月が好きだよ?…前にここに婿に来たいっていったのも、本気だし。」
するとびっくりした顔で如月は俺を見た。
「ま、如月が嫌なら仕方ないけどね。」
言っちゃった。俺はなんだかほっとしたような気持ちだった。ずうっと心の中で思っていたことをちゃんといえた。答えはどうであれ、自分の偽らない、正直な気持ち。
如月はじぃっと俺を見て、それから少し俯き加減で何かを考えるようにしてから、再び顔をあげた。
「僕は…高いよ?」
赤い唇から出た言葉。
「いくら?」
ほんと、高そう。内心、俺はびくびくしてた。1兆とかって言われたらどうしよう。
「僕は…この家を、如月の血を護っていかなくちゃいけないんだ。…だから、付き合うにはそれ相応の覚悟を決めてもらわないと。」
普通のサラリーマンの生涯賃金よりも高かったらどうしよう。やばい仕事やるとかしかねぇか?俺の脳裏をいろんな高収入の仕事が浮かんでくる。
「うん。頑張るよ。」
如月のためならそれもいいか。俺は馬鹿面下げてうなづいた。
「君の一生を、僕に払ってもらわないと。」
一生?
俺はてっきり金額を言われるものだと思っていたのに、全然違う答えに戸惑っていた。
「…僕は…君が嫌だと言うまで…側にいたいよ…。…ううん、君が…僕のことを嫌いになっても…きっと、ずっと…好きでいる。」
恥ずかしそうに、そう呟いた顔は真っ赤で。それが照れてなのか、熱の所為なのかはわからない。でも、とりあえずオッケーの返事らしい。
「俺の一生なら安いもんだ。」
俺は簡単に請け負った。そんなもんで如月が俺の側にいてくれるなら確かに安いものである。
それでようやく如月が嬉しそうに笑った。その顔は本当に綺麗で、今更ながら見惚れちゃったりして。
「とりあえず16万8千円。」
ぼーっと呆けてた俺に悪戯っぽく笑いながら如月が言う。
「え?」
「この指輪の代金。」
俺はさーっと血の気が引いた。まさか、この指輪、そんな高いなんて。
「マジ?」
「マジ。」
「ぶ、分割払い…でいい?」
「利息とるからね。」
ああ、やっぱりしっかりしている。俺は思い切りうなだれてしまった。ああ、一人で旧校舎に潜らなきゃ。何階まで行けばいいだろう?
俺はその前に山ほど太清神丹を買っていかなきゃと考えを巡らしていた。
END |