ヤバイ感情〜1〜

 

強くなりたい。
それだけが今の俺の願い。
自分が全部の人間を救えるわけじゃない。そんなことは分かっているけれど、自分が強くなることで死ななくてもいい人間がいるのなら、少しでも強くなってできるだけの人間を死なせないようにしたい。
別にいい格好がしたいわけじゃない。
強いて言うなら自分のため。もう目の前で人が死ぬところなんて見たくはないから。助けることが出来なくって、力が及ばなくってみすみす見殺しにしてしまうようなことを2度としたくなかったから。何よりもこんな思いを二度と味わいたくなかったから。
ごめんな、紗夜ちゃん。
目を閉じると、まだ紗夜ちゃんの悲しそうな笑顔が浮かんでくる。
だけど、ただぼんやりと後悔して泣きべそをかいている暇があったら少しでも強くなれるように。俺は一人で旧校舎に潜っていた。
「チッ、薬、なくなっちまった。」
用意してきたアイテムの袋の中を探しまくったが、使い切ってしまったようで、もうこれ以上を諦めて上に戻ることにした。自力で治療ができないわけではないが、もうこの辺りだと、それだけでは追いつかないほどである。
みんなに言えば、きっと喜んで旧校舎ぐらい付き合ってくれることだろう。だけど、そんな気分じゃない。一人になりたい。それが今の正直な俺の気持ちだった。
地上に出るとどんよりとした鈍い明るさに包まれる。時計を見るとまだ夕方と呼ぶには少し早い。
「まだ時間あるか…。骨董屋、あいてるかな…。」
地下で得たアイテムもかなりある。それを売って薬を買おう。そう思って俺は梅雨の曇天の下、あの骨董屋に足を向けた。

「やぁ、いらっしゃい。」
店の奥では同じ年だという店主がぴんと背筋を伸ばして筆で何やら書いている。その手を止めて、俺が入っていくと不思議そうな顔で出迎えた。
「一人なんだね。」
別に理由を問うでもなく、何の気なしにそう言って俺の持ってきた品物の検分にかかる。薄く笑ってからぼんやりと彼の慣れた手つきを眺めていた。
「何か、買うかい?」
不意に尋ねられてはっと我に返る。
「…ああ。」
必要な薬の名前と数を彼に伝える。薬の入った棚から注文どおりの品物を取り出す姿を見ながらまたぼんやりとしてしまう。あとどれくらい強くなればいい?あとどれくらい眠れない夜を過ごせばいい…?
「これで全部かい?」
涼やかな彼の声に再び我に返る。
「あ、ああ。」
「では、買い取った品物との差額、4万2千円だ。」
そう言ってから骨董屋は現金にするか、小切手にするかと尋ねてきたが、再びぼんやりとしていた俺は返事をしないでぽつぽつと雨の雫が落ちてきた店の外を眺めていた。店主は返事がないのを訝り、そして俺の視線の先、店の外に視線を移す。
「ああ、雨だね。傘は持ってるかい?」
尋ねられて、そういえば学校に置いたままにしてきたことを思い出した。
「いや…大丈夫だよ…。これくらいなら。」
「よかったら少し止むまで雨宿りしていくといい。」
かけられた言葉に俺はひどく驚いた顔をしていた。
「薬は雨に濡らすわけには行かないからね。湿気もよくない。」
そう言って店主は立ち上がって店の続きの座敷に上がる。
「お茶ぐらいは出そう。あがりたまえ。」
どうしようか、一瞬逡巡したが、次第に強くなる雨脚に店主の好意に甘えることにした。靴を脱いで座敷に上がると畳のいい香が香ってくる。店には何度も来ているが、上がったのはじめてだった。
部屋にはよく磨かれた整理箪笥が置かれていた。黒光りしているそれはかなりの年代モノだってすぐにわかる。
ふと目を移せば、庭がある。かなり大きそうな庭で、ここからは端っこが見えているだけだが、それだけでもよく手入れが行き届いている。
家も庭もきちんと整理されていて、だけどそれが嫌味にならない空間。骨董品屋というせいだろうか、神経を逆なでするような煌煌たる輝きのものはなく、不思議と穏やかな空気がそこに満ちていた。
「君、甘いものは大丈夫かい?」
何時の間にか背後に立っていた彼に飛び上がりそうなほど驚いた。
「あっ…ああ。」
「そうか。」
彼はお茶とともに僕の前に水羊羹を差し出す。
「頂きものだが。」
「あ、ありがとう。」
「いや、構わないよ。僕も丁度休憩しようと思っていたところだ。」
そう言ってから店主は向かいに座ってなにやら書付を眺めながらお茶を飲む。俺はまたぼんやりとその様子を眺めていた。
「どこか具合でも悪いのかい?今日は随分とぼんやりしているようだが。」
急に言われてまたはっとして彼を見ると、不思議そうに小首を傾げてこちらを見ている。
「あ、いや…ちょっと…。」
疲れていて、と言いかけて口をつぐむ。そんなこと、別に言ったって仕方がない。
疲れてるのなんか、家に帰って寝れば直ること。そんなこと、いちいち彼に言ったところでどうにもならない。
そこまで頭の中で考えてからふと思い直す。寝れば、直るのだろうか。
紗夜ちゃんの事件があってから数日。体はへとへとに疲れているはずなのに、眠りはいっこうに訪れない。多分、精神的にかなり疲れているんだと思う。春からこの方、変な事件に立て続けに巻き込まれただけでなく、ワケのわかんない奴らが東京を支配しようとしているって言うし。それだけでも不安定な精神状態になりそうなところへ今度の一件があって、かなりへこんでいるのは間違いない。
大体、なんでこんな変な目にばっかりあうんだろう。この力があるからだろうか?フツーの人間もこんな目にあうんだろうか?
「なぁ、…目の前で、自分の知ってるヤツに死なれたこと、あるか?」
何気なしに聞いてみた。
「まだ、ない。」
短く明瞭な答えが返ってくる。
まぁ、普通はそうなんだろうな。
そう思いながらもう一度彼を見るとその先を聞きたがるわけでもなく、そのままお茶を飲んでいた。
俺の話を聞かないわけではなく、かといって聞くわけでもないその様子にしばらく考えていたが、独り言のようにぽつりぽつりと話し始めた。
「ついこの間、知り合いの女の子が目の前で死んだんだ。…別に、俺のせいだっていうわけじゃないけどさ。…いや、やっぱり俺のせいなのかな。」
そこまで言ってからちらりと彼を見ると、穏やかな表情を浮かべて俺を見ている。
紗夜ちゃんが俺をかばって傷ついた。だけど、それは致命傷にはならず、炎の中に、壊れちゃったマッドサイエンティストなにーちゃんと残ったのが彼女の最期だった。
「でさ。もっと俺が、…もっといろんな意味で強ければ助けられたかもしれないんだ。」
たとえば、俺が簡単に囚われることなどなかったら。紗夜ちゃんが俺をかばおうとするのを防げたら。あの炎の中、彼女だけを無理に引きずってでも連れ戻せたら。彼女に生きたいという希望を持たせる事ができたなら。
「その子のこと…好きだったのか?」
聞かれて改めて考える。彼女のことをどう思っていたのだろう。
もっと早く会いたかったと彼女は言っていた。俺に会ったことで、彼女が希望を持つことが出来たかもしれないと思うのなら、彼女は俺に対して良い印象を抱いていたのだろう。
でも俺は?
渋谷でぶつかって知り合って、そして何回か偶然を装って出会って。それが仕組まれたことだと知っても、俺は別に彼女を憎む気持ちはない。では好きか、と聞かれたら、女の子としては嫌いじゃないけど、執着するほど好きでもない。
「好きか、嫌いか、と聞かれたら…たぶん好きなほうに入ると思う。」
テーブルの木目を見ながら呟くように答えた。
「でも、それは恋愛感情じゃない。たぶん、顔見知りとして、嫌悪感を抱くかどうかというのなら抱かない。それぐらいなんだと思う。」
そんなだけの繋がりでも、彼女の裏側にあるものを知ってしまったから。悲しい思いと辛い思いだけで彩られた人生。それが彼女達に世の中に対する絶望を教えた。両親に死に別れ、親戚の家で育てられた、それがその引き金だというのなら。
「俺、ホントの両親いないんだ。」
ぴく、と店主がわずかに動く気配がした。
「でもさ養父母は優しかったし、俺の後見人も厳しいけどいい人だと思うしさ。…兄弟はいないけど養父母の子、俺からみれば従兄弟はいたんだ。だからよくわかんねぇけどさ。」
乾いてきた口中を潤すためにお茶を飲む。もう、少し冷めかけていて、飲むには丁度いい温度になっていた。
一歩間違えば俺だって紗夜ちゃんみたいになっていたのだろうか。両親は俺が生まれてまもなく相次いで死に、親戚の家で育てられた。俺と紗夜ちゃんと何が違ったのだろう。
「たとえ兄弟でもよ、それが自分のたった一人の兄弟でも、間違っていることは間違ってると、言わなきゃだめだよな。どんなにそいつに苦労かけてても、世話になってても、間違いは間違いだと、正せないと、それが本当にそいつを大事にすることなんだと俺は思うよ。」
こんな話をしてもきっと店主はなんのことか分からないだろうが、それでも黙って俺の話を聞いている。
「俺さ、どうしてそのことを教えてやれなかったんだろう。ちゃんと俺が教えてやれば、もっとどうにかなったかもしれないって思うとさ。自分が歯がゆくなるんだよ。」
生まれてこの方、こんなに自分が思ってることを人に喋るのは初めてかもしれない。自分自身で戸惑いながらも、話し始めた言葉を止めることは最早できなかった。
「俺、もー、誰も知ってるやつ死なせたくない。…もしも、この先、そーゆーコトになったらさ、俺、土下座してでもそいつを止めようって思う。」
そこまで話して向かいに座る店主を見ると、表情も崩さずにまっすぐに俺を見つめていた。心の中にあったことを喋ってしまって少し気が楽になって、情けない笑顔を浮かべると店主もニコと唇の端を僅かにあげる。
「んでさ、ガラにもなくへこんだ俺をさ、みんなが一生懸命に慰めてくれようとすんだよな。みんな優しくてさ。」
おれはふぅとため息をついた。
「元気を出せとか、おまえのせいじゃないとか、泣いてもいいとか。すげー、俺に気遣ってくれんのがわかって、ありがたいんだけどさ。却って気ィつかっちゃってさ。」
みんなが慰めてくれるほどしっかりしなきゃという思いが強くなって、へこんでるのに無理に明るくするしかなかった。みんなが望む答えを、俺は探り出し、自分の無意識に答えてしまう自分がいた。そんな自分にも俺は疲れてて、嫌気が差していたのだ。
「疲れた…かな。」
呟いたとたんにぽろっと涙が毀れた。やばい。とっさに思ったけど涙がじわりと目にたまってぱたぱたっと制服の膝に毀れていく。
慌ててハンカチを出して涙を拭うが、今度は鼻水が垂れてきそうになって困っていると店主がすぅっと席を立って整理棚の上にあったティッシュボックスと、部屋の隅にあったゴミ箱を俺の側に置く。
「使うといい。僕は少し奥で片付け物があるから、ちょっと席を外すよ。」
そう言って襖を開けて部屋を出て行ってしまった。
きっと、気を使ってくれたのだろう。俺が、泣いているのを見ないように。
俺は店主の心遣いを感謝しながら遠慮なくティッシュを使わせてもらうことにした。
俺は、本当は放っておいて欲しかった。自分でゆっくりと悲しさを消化する時間が欲しかっただけなんだ。流れる涙と鼻水を拭いながら、ようやく俺は悲しさをかみ締めた。
俺と紗夜ちゃんの違いなんてきっとほんの少しだけで。同じような境遇でもっと辛い目にあってきたのに、幸せにもなれずに死んじゃった紗夜ちゃんに何をしてやれる?謝れるものなら三途の川渡って謝りに行きたい位だ。どうして、ちゃんと紗夜ちゃんと話をしなかったんだろう。もっと話ができていたらこんなことにはならなかったのに。
もう二度とこんなことにならないように。誰かを喪う事のないように。もっと強く、強く、強く。
少し落ち着いてきて顔を上げると外の雨は小止みになっていた。骨董屋はまだ奥にいる。
なんで、何度かしかあったことのないやつにこんなこと喋ったんだろう。俺は垂れそうになった鼻水をティッシュでかみながら考える。
先を促すでもなく、話を真剣に聞くでもなく、かといって聞かないわけでもなく、ただ、俺が好きなように喋るのをただじぃっと聞いている。慰めもせず、放っておいてくれる。
俺が一番誰かにして欲しかったこと。
いいヤツだよなぁ。
最初に店にきたときの素っ気無さが全部許せる気になってくる。
もしも、あいつが紗夜ちゃんみたいなことになったら、俺は命張ってでも助けよう。
密かにそう心に誓った。
俺の鼻水が止まる頃にはすっかりと雨も上がって、店主も奥から戻ってきた。
「わりぃな、ご馳走になっただけじゃなく、愚痴っぽいこと言っちゃって。」
すっかりと雨が上がり、雲の切れ間から斜めに傾いた日差しが時折さすようになった。店先で俺は店主に頭を下げる。
「かまわないよ。」
さらりと店主は返事をして俺の買った薬を入れた袋を渡してくれる。
「…おかげで、すっきりした。…なんとなく、元気なった気がするよ。…サンキュな。」
店主はにこ、と綺麗な顔を穏やかに綻ばせた。


「まだそんなこといってんのかよっ!」
京一の怒声が飛ぶ。
青山霊園で、地下に下りようとしていた俺たちにかけられた声。その主は、紛れもなく、あの美形の骨董品屋の店主。聞けば徳川家に仕える忍の一族の末裔で、この件は彼が片付けなければならない、自分にはその義務があると言い張っているのだ。
前回、芝プールで会ったときも同じようなことを言って、プールに戻ろうとした俺たちを止めたのだった。
「義務とやらを果たす前に、死んじまったら意味がねーんだよっ!」
京一が真剣に怒っている。
怒鳴っているのはいつも小蒔とのじゃれあいで聞いているが、これほどまでに真剣に怒鳴っているのは初めてだ。
この間の紗夜ちゃんの事件が俺だけでなく、京一や美里にも影響を与えたのだろう。
しかし、見かけによらず頑固な骨董屋は首を縦に振らない。美里はどうしたものかと困惑した顔でこちらに目線でなんとか説得してくれと訴えかけているし、小蒔もなんとか引きとめようとしている。醍醐も、食い下がろうとしているが、頑固な骨董屋の前に為す術もない。
やれやれ。俺はこの間の密かな誓いを決行しなければならないようだな。
小さくため息をついてから睨み合いを続ける京一と彼の間に入る。
「あのさ、義務だって言うけど、じゃあ、その義務を果たして何の権利が得られるんだ?」
俺が不意に発した質問に、骨董屋は返答に詰まる。
「義務と権利はセットだよ。こんなこと、中学でも習うよな?じゃあさ、お前が義務を行った代わりに一体何の権利を得ることが出来るんだ?」
「そ、それは…。」
骨董屋は口篭もって、そして俯いた。
「お前が得るはずのものを俺たちが手伝うことで邪魔をするなら無論、ここは引く。だけどさ、話を聞いていると、得られるものは、忍者のプライドだけじゃないか。なるほど、そのプライドは大切かもしれない。だけどな、そのためだけに、お前がどうにかなっちまったら本末転倒だ。無事に終わらせてこそのプライドだろう?違うか?」
骨董屋は返事をしなかった。ただ、俯いたままでいて、忍び刀を握った手に力が入りすぎて白くなっている。
「それに、あいつら、結構強かったぜ。お前がどれくらいの力の持ち主かは知らないが、あの頭数、一人でってのは無理がある。」
しばらくの沈黙があったが、それでも彼は何かを吹っ切るように首を横に振る。
「やはり、僕一人で行くよ。これが君たちのためでもある。」
くぉのー、頑固モノ!目の前を怒りの熱風が吹き荒れる。この間の恩がなかったら絶対に俺は一発ぶん殴っているところだった。だけど、ようやく思いとどまり、最後の手段に出ることにした。
「如月ッ!」
行きかけた彼の名前を叫ぶ。彼が振り返ったのを確認してから、俺は地面に正座をして手をついた。
「頼むッ!このとおり、土下座でもなんでもするっ!だから、一緒にいこうっ!」
ヤツには、この土下座の意味がわかるはず。俺は額を地面に擦りつけるようにして頭を伏せる。もし、これでも聞かなかったら、後は殴り倒すぐらいしか手はねぇ。そんなことを考えているとふわりと俺の右腕を引っ張る感触がした。頭を上げると、骨董屋がひどく恥ずかしそうな顔で俺の腕を引っ張って立たせようとしているのだ。
「わかったから…そんな真似はやめてくれ。」
そう言って顔はそっぽ向けたままぐいっと俺の腕をひっぱりあげようとする。その仕草が、王蘭のプリンスの異名にそぐわなくって、きっと彼に言ったら怒られるだろうけど、可愛くてついつい微笑んでしまう。
とりあえず、彼を止めることに成功したようだ。
俺はほっとして立ち上がると服についた土を払って、照れたようで表情が定まらない彼に向かって笑いかけた。
「サンキュ。」
すると苦虫を噛み潰したように彼の顔が歪む。
「…全く…。ホントに土下座するなんて…。」
呆れたように言う彼に俺はにんまりと笑って言ってやる。
「いつでも、俺は本気だぜ?」
そういうと、彼は美形な顔を綻ばせた。


結局、水岐とかいう詩人と、水角という鬼道衆の一人を倒し、なんとか地下から這い出てきた。その場限りの協力だったはずの骨董屋は、ヤツの義務と俺たちの目的が同じであることから仲間になった。頑固者で素っ気無い忍者は仲間になってみると案外気のいいヤツだった。
「仲間である以上、おまえの武器も装備品もこっちもち。その方が俺たちもお前も互いにいいだろう?」
「ああ、そうだね。僕もビタ一文まけないからね。こっちも商売だし、馴れ合いはいい結果をうまない。」
「同感だ。」
如月と俺との間にこんなやり取りがあったのは仲間になった直後の話。戦闘で得た一切のお金の管理を任されている俺と、武器やアイテムの調達先である如月との間の約束。
おかげで彼は京一から守銭奴と呼ばれているが、本人は気にもしていないようなので放っておいてある。
俺としてはこの如月の考え方はもっともだと思うし、逆に店の経営者としてのポリシーも感じられて好感が持てる。
それに、青山霊園で地下に一人で行くと言い張ったのも、おそらく自分の戦いに人を巻き込んで危ない目にあわせたくなかったからだろう。
真面目で、責任感の強いやつなんだよなぁ。それを表に出すのが恥ずかしいので素っ気無いふりをしている。如月のそういうところが分かり始めて、俺は前よりも如月が気に入っていた。
そして翌日から彼の店、如月骨董品店は俺の憩いの場所になった。別にクラブ活動をしているわけでも、生徒会役員でもない俺は、暇が出来るとここまで通って茶を飲んで、たまに商品の整理を手伝って、まぁ、ここで宿題とかもしちゃっていた。
「零しているぞ。」
はたと気付くと、食べていた煮物の汁がテーブルに垂れていて、それを指摘される。
「おかーさんみたい。」
ちょっと口うるさいのがたまにキズだが、お茶菓子はうまいし、畳でごろごろできる。俺の住んでるマンション、フローリングでごろごろするには痛い。畳で育ったから畳のあるところに来るとほっとする。それに暑い時はなんといっても水の結界と和風建築が涼しさを醸し出してくれる。夏休みも終わって、9月に入ったけどまだまだ暑い日は続いている。
「おかーさん…。」
ショックだったように、凍り付いて如月は動かなくなった。
「いいじゃん、俺、おかーさん好き♪」
「マザコンか…。」
如月がため息をつく。
こんなやり取りをするようになるなんて最初の頃は夢にも思わなかった。何しろ、客に対してこんなんで商売になるのかっていうくらいに素っ気無い対応で、小蒔の話によると『アイスマン』なんてしょーもない渾名がついているらしかったから。
実際、付き合って見るとこれほど面白いやつはいない。
紗夜ちゃんのことがあった後、俺の話を黙って聞いていたのに、本当はすげー世話焼きで、腹減ったなんて言おうものなら食事だって食べさせてくれる。
実際、如月の料理はうまい。
それこそおふくろの味。和食が好きらしく、いつもご馳走になるのは和食ばかり。俺の養父母の家も和食がほとんどだったから、すげー嬉しい。
「如月〜、この煮物、うまい。」
今日はごぼうと牛肉の煮物。昨日の残りだといって出してくれたが、これがまた絶品で、誉めると、如月の顔が少し赤くなる。
「そ、そうか。…ありがとう。」
恥ずかしそうに、如月は笑った。
そうなんだ。如月は誉めたり、何かしてもらった御礼を言うと、とても恥ずかしそうに、だけど、嬉しそうに笑う。要は照れてるんだ。その反応が可愛いから、ついつい、俺はなんでもないことでもお礼を言ったり誉めたりしてしまう。
「俺、如月のトコに婿に来ようかなー?」
ご飯を食べながら言うと、向かいでやっぱり同じようにご飯を食べていた如月の顔が一瞬にして真っ赤になって、それから凍る。
きた、きたッ、この反応。
俺はおかしくって、笑い出しそうになるのを我慢していた。
「ばっ…馬鹿なコト、言うなっ!」
やっぱ、可愛い。
「ダメ?」
「だっ…だめに…決まってる…。」
目を白黒させながら動揺を隠そうとしている如月がおかしくて、可愛くて。
こいつ、めちゃくちゃ女にもてるくせにどういうわけかかなり純情。このテの冗談は間違いなく驚くし、怒るし。だから余計にからかいがいがあるんだけど。
いや、でもこれは半分本気。婿っていうか、一緒に暮らしたら面白そう。ずっと長い間、一緒にいても平気なやつ。
たとえば、お互いに話すことがなくって、別の事をしていても気持が安らぐ相手。
「なぁんだ、残念。」
笑いながら俺はお茶を手に取る。
「ごめんください。如月君いますか?」
店先のほうから綺麗な声が響く。俺はお客だろうかと思って店先を覗くと一人の女の子が立っていた。眼鏡をかけた、いかにも秀才といった感じの子。
「ああ。橘くん、いらっしゃい。」
俺の後ろから如月が返事をし、応対に出て行く。どうやら知り合いの子らしい。ココに遊びに来るようになってから如月の知り合いの女の子に会うのは初めてだった。
「急に訪ねたりしてごめんなさい。出直しましょうか?」
彼女は座敷にいる俺を見てすまなさそうな顔をして如月に謝っていた。今時珍しい、気遣いのできる子らしい。
「いや、かまわないよ。タダ飯食らいだ、気にすることはない。あがって待っているといい。今、冷たいお茶をもってこよう。」
そう言って奥のお勝手に消えていく。彼女はどうしようかと考えているようだったので、俺は手招きをしてあがるように促し、ついで座布団を置いて彼女が座る場所を作った。まぁ、タダ飯食らいだからこのぐらいのことはしておかないと本当に店を叩き出されかねない。
「ありがとうございます。」
はきはきとした淀みない口調で礼を言われる。きっとちゃんとした躾を受けている人なのだろう。
「如月君の、お友達ですか?」
彼女は不思議そうに俺を見ながら、やっぱりはっきりとした口調で尋ねた。
「ああ、一応な。君は、如月の彼女?」
「橘さんは僕のクラスの委員長だよ。邪推はやめたまえ。」
いつの間に後ろにいたのか、上から不機嫌そうな如月の声が降ってくる。本当に、忍者だけあって、注意していないと何時の間にか後ろにいたりするからなかなか侮れない。
お盆から涼しそうなガラスの器に入れた麦茶を彼女の前に出してから如月は定位置に座る。
「俺、邪魔?」
奥にでも引っ込もうかと尋ねたら如月は軽く首を振る。
「いや、構わないよ。余計な茶々いれなければね。」
しっかりと釘を刺されて、俺は黙ることにした。
話の内容は文化祭の看板の1枚を如月に頼むということと、それに関するスケジュール、出来上がってきた下絵の色チェックだった。そのほかにも如月は正面玄関に立てかける「私立王蘭学院高等学校文化祭」という筆書のも請け負ったようで、こちらの紙の大きさと書体も相談していた。
てきぱきと説明をする彼女はさすがにクラス委員というべき手際である。同じ委員でも穏やかな笑顔で周りを動かす美里と随分と感じもやり方も違うんだなぁと感心しながら見ていた。
小一時間ほどで大体の用件は片付いたようだった。
「如月〜、なんか甘いもんない〜?」
話が終わったのを見計らって声をかけてみる。
「まだこれ以上食べる気かい?」
如月は驚いた顔をしてまじまじと俺をみる。俺って、育ち盛りだからすぐに腹が減るんだよ。それに甘いもの、スキだし。
「甘いモンは別腹〜。」
「女の子じゃあるまいし。…橘さんも一緒に食べていくといい。」
呆れた顔をしながらも如月は白玉があったとかいいながらお勝手に消えていく。
「如月って、学校でもあんな感じ?」
横で如月の様子をくすくすと笑っていた彼女に尋ねると、少し首を傾げてから答える。
「あんまり、喋らないんです。…こんな軽口も言うんだってわかってびっくりしました。」
なるほど。俺はヤツの学校での姿が想像できる気がした。
多分、いっつもむっつりとして、そこがまたクールでいいのよねぇなんて誤解されて女の子に騒がれているに違いない。
「最近、少し変わって…前よりも話すようになったし、ちょっとだけ笑うようにもなったんだけど…。」
ふと橘は何かを思いついたように目を見開く。
「如月君、いつもあんな感じなんですか?」
急に聞かれて今度は俺のほうが考え込む。
「だいたい、ね。」
「そっちのほうが意外です。」
「そう?」
「ええ。…あんまり人に関わりたくないようだし。正直言って、友達なんかいないんじゃないかってこの前まで思っていたし。」
それは否定しないけど。俺だって、つい最近仲良くなったんだし。
そう思いながら俺はふと、醍醐や雨紋の言ってたことを思い出した。
「この前まで…って。ああ、そうか。どっかで聞いた名前だと思ったら、君、もしかして、この前戦闘に巻き込まれちゃったっていう…?」
すると苦笑しながら彼女がうなづいた。
「ええ。…ということは、あなたも如月君の仲間なんですか?」
「まあな。あ、そだ。俺ね、緋勇っていうの。緋勇龍麻。」
ポケットをごそごそして財布をだして中からネームカードを取り出した。ゲーセンとかで作れる簡易型のネームカード。誰かが仲間になる度にいちいち携帯の番号とか教えるのが面倒で、歌舞伎町で作ったのだ。
「よろしく。」
彼女は俺のカードを受け取ってにっこりと微笑んだ。
そうか、如月のクラスの人間ならヤツのこといろいろと知っているのだろう。俺は今、一番知りたいことを聞いてみた。
「なぁ、あいつ、彼女いるの?」
すると彼女はゆっくりと首を振る。
「いえ、知ってる限りでは特定の人はいないと思います。…あの、思い当たる節でも?」
逆に不安そうな顔で彼女が俺に聞き返す。
「いや、いたら面白いなぁと思って聞いたんだけど。」
「じゃあ、ホントにいないんですね。」
橘さんはちょっとほっとしたように呟く。
やっぱり、彼女も如月のことが好きなんだろうか?
「なんだか、女の子には全く興味ないみたいで…口の悪い人なんか如月はホモじゃないかとまで言ってるんです。」
そうか、やっぱりそうなるか。俺は笑いながらうなづいた。
「あー、やっぱりそういうことって言われるんだ。俺も、相棒が後くっついて回るから、下級生の女の子とかに『緋勇先輩ってホモ』とか言われてさー、結構ショックなんだよねぇ。」
はーっと大げさなほどに落ち込んで見せると、丁度そこへ如月が戻ってくる。
「あいにく、これぐらいしかないが。」
出してくれたのは白玉ぜんざい。よく冷やしてあっておいしそうだ。
「おまえんち、よく次から次へと食べ物が出てくるよなー。」
感心しながら如月に言うと憮然とした表情で如月が返す。
「出さないと君が大騒ぎするからだろう?全く、…食費ぐらい入れて欲しいもんだ。」
橘さんは横でそのやり取りに笑っている。
ぜんざいは甘すぎず、小豆もふっくらとして大変に美味い。多分、これは如月本人が煮たのであろう。昨日、買い物袋から小豆の袋がのぞいていた。
そういえば、小さい頃によく食べたなぁなんて懐かしく思いながら白玉を口に含むと、柔らかな食感が気持ちいい。ああ、幸せ。
「やっぱ、俺、如月と結婚しよーかなー。」
「なっ…。」
再び如月の顔が真っ赤になって絶句した。
「美人だし、料理うまいし、頭いいし、和服似合うし。モロ俺の好み。」
「ばっ…馬鹿なっ…。」
普段は冷静な如月がすっかりと取り乱している。
「如月だったらホモでもいいや。」
俺の愛の告白(?)に如月が耳まで真っ赤にしている。
すると、俺が如月をからかっているのが分かったようで、おかしそうに笑いながら橘さんが俺に言う。
「さっき、ホモって言われてショックだとか言ってませんでしたか?」
「如月はいいの。なんていうのかなあ…ほら、魂には性別がないじゃないか。」
すると橘さんはきょとんとした顔をし、その横で如月は酷く驚いた顔で、まん丸に見開いた目で俺を凝視していた。いや、そんなに見つめられると照れちゃうんだけど。
「真面目で、責任感強くて。…この年で、自分がやるべきことをわかってて、ポリシー持ってやってて。すげぇなって思うんだ。俺は、まだ何をどうしていいのかさえわかってないのに。」
「つまり、尊敬してると?」
橘さんの言葉にこくんとうなづいてから、でも少し考える。
「尊敬…そうだな、尊敬、なのかな?…いや、そんな大仰なんじゃなく、もっと身近な感じなんだけどさ。…とりあえず、如月の考え方とか性格とか好きなわけよ。要は魂。そーゆーのって性別関係ないじゃん?」
すると橘はああ、と合点がいったようでうなづいて、それから楽しそうに俺を見て笑う。
「ふふふ、緋勇さんって面白い。」
よく言われるけどあんまり自覚ない。俺より如月のほうがずぅっと面白い。
で、当の如月はというと、やっぱりいつものように真っ赤になって、本当に耳から首まで、茹蛸というよりも着色料ガンガンに入った酢だこといった具合に真っ赤になっている。
「だから、もう一杯おかわりね?」
あんまりに紅くなってて、それがおかしいやら、かわいそうなやらで、俺はそう言って器を彼に差し出した。すると無言で立ってお勝手に行く。後姿を見ながら俺は呟いた。
「やりすぎたかな?」
「あら?嘘だったんですか?」
「いや、マジだけど。あんまり誉めすぎると照れすぎておかしくなるからさ。」
くくくっと笑う俺に橘さんも微笑んだ。
「如月君も、きっと緋勇さんが好きなんですね。」
「いっつも苛めてるから嫌われてるかも。」
「そんなことないでしょう?…きっとね、如月君が変わったの、緋勇さんのおかげだと思うんです。」
彼女は確信したように断言した。俺は学校での如月なんて知らないから分からないけど、もしも、みんながよくなったというのならそれはそれでいいのだろう。そう納得したところに再び如月が戻ってくる。
「これでおしまいだ。もうお代わりはないからね。」
「サンキュ。」
俺は如月の呆れ顔と橘さんの微笑みを見ながら2杯目のぜんざいを口にした。


 

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