側にいるだけで〜3〜

 

桜ヶ丘中央病院は噂にはよく聞いていた。同じ仲間の高見沢が勤めている病院で、表向きは産婦人科、しかし、特殊な治療を施す病院であると聞いている。中に入ると薄暗いロビーにはいつも龍麻と行動を共にしている真神の4人が立っていた。誰もが悲しみにくれた表情で、僕を見ると、さらにその悲しみの色を深くし、目を伏せた。僕はまっすぐに蓬莱寺のもとにいく。
「どういうことだっ、何があったっ!?」
思わず、蓬莱寺の襟を締め上げる。
「柳生が…龍麻を斬った。」
苦しそうに蓬莱寺が呟く。
「如月、離せ。蓬莱寺が…。」
醍醐に言われてはっと気づき、慌てて蓬莱寺を締め上げていた手を離す。ごほごほとむせながら彼は話し始めた。
「俺たちは、新宿中央公園にいたんだ。そこで、この騒ぎの首謀者、柳生に会った。そして…。」
蓬莱寺は言葉を詰まらせた。
「龍麻があっさりと斬られるほど、強かったというのか?」
言葉が続かないことにいらただしく思ってこちらから補足して聞いてみる。
「そうじゃないわ。」
答えたのは美里だった。
「反撃をしなかったの。…龍麻は、彼が刀を振り上げても、動こうとさえしなかった。」
美貌を悲しみに歪めた菩薩眼の少女は蓬莱寺の代わりに説明を始める。
「泣きそうな顔で、ううん、違うわね。…悲しそうに、微笑んだままで、まるで彼に斬られるのを待っていたかのように。」
「何故…。」
のどがひりひりとする。目がくらむ。
「わからないわ。でも、とても優しい目で、じっと彼を見つめて、それで。」
「黙って、斬られたと言うのかっ!」
こくりと美里がうなづいた。
「どうして、誰も助けなかったっ!どうして、誰もっ、龍麻はっ…。」
自分でも逆上しているとわかっている。醍醐の襟をつかんでゆすぶった。がくがくと、僕のなすがままに醍醐が揺さぶられている。
「すまない…。」
沈痛な表情で醍醐が呟いた。
「かばえばよかったと、思う…。」
震える声を絞り出した醍醐にはっと我に返る。違う、みんなが悪かったのではない。頭ではそれがわかっていても感情がおいつかない。
「龍麻は…。」
「今、集中治療室なの。…運んだときには出血がひどくて。傷は深くて内臓まで達していて、まだ予断を許さないって…。」
内臓まで?美里の言葉に身震いをする。内臓まで達する傷、それはすなわち死に近いことを示している。
龍麻が…死ぬ?
不意に背中に寒気を感じる。柔らかな気をまとった龍麻の笑顔。縁側で微笑みながら庭にある木々を、花々を愛でていた少女の、その命がなくなるというのか?暖かな微笑み。自分に向けられたそれは、まるで死んでいたかのような僕の人生に彩りを与えてくれたのに。その彼女が死んでしまうなど、そんなことがあっていいはずがない。
「僕の…。」
膝から力が抜ける。がくりと僕はその場に座り込んだ。
「持っていくなら、僕の命を持っていってくれ…。」
白いリノリウムの床が滲んでかすむ。ぼろぼろと、人前だというのに涙がとめどもなく溢れてきた。
脳裏にはフラッシュバックのように龍麻の表情が次から次へと思い出される。どれも生気に満ち溢れた、まるで光のような顔。
「龍麻…龍麻…龍麻…。」
守れなかった。玄武でありながら、守るべき黄龍を守れずに、どうして僕はこんなところでのうのうと生きていられるんだろう。どうして、僕は守らなかった?彼女が狙われていることを知っていたのに、何をしていたんだ?どうして、僕は…。
「如月くん…。」
「僕は、どうして守れなかった…?」
「自分を責めてはだめよ?」
菩薩眼の少女が心配して言うが、それさえも耳に入らない。
「わかっていたのにっ…狙われていると、知っていたのにっ…どうしてっ…!」
力任せに床を拳で叩く。後悔してもしきれない。僕の愚かさが龍麻をこんな目にあわせてしまった。自分の未熟さを呪っても呪いきれない。僕が、僕が、僕がっ…。
「随分と賑やかだね。」
太い声が急に耳に下りてきて顔を上げると、僕の前にはでっぷりとした巨体を窮屈そうな白衣に包んだ女が立っていた。後ろには高見沢を従えている。
「おや、新顔だね。」
僕の顔を見るなり、いひひひひと好色そうな顔で笑う。
「センセ!ひーちゃんはっ!?」
桜井くんの言葉で、この巨体が龍麻の医師だということがわかる。
「できるだけはやってみた。なんとか、命はとりとめたが…いかんせん、重傷すぎた。気の消耗も激しい。しばらくは…。」
「助かるんですかっ!?」
僕はその医師に食いつくように聞いた。
「わしを誰だと思っている。…あの傷じゃ他はどうなるかはわからぬが…。命だけは助かる。」
「龍麻に、あわせてくださいっ!」
ちらりと医師が僕を品定めするように下から上へとねめまわす。
「センセー、如月さんはぁ、ひーちゃんの仲間なのぉ。」
巨体の陰から高見沢が甘い声で医師に話をする。それでもしばらくは僕をじろじろと無遠慮な視線で眺めていたが、やがてくるりと向きを変えた。
「ふん…。今は結界が張ってある…自力で入れるものなら勝手にしろ。」
そう言って、医師は巨体をゆすりながら医局のほうに消えていった。
「病室はぁ、こっちよぉ。」
高見沢が病室まで案内してくれる。個室のそこには、目には見えないけれど強力な結界が施してあり、邪な者の進入を防いでいる。
ドアノブに手を掛けると、それはするりと開いた。
中に入るとカーテンで覆われたベッドに青白い顔をした龍麻が横たわっている。わずかに上下する胸がかろうじて龍麻がまだ生きているということを教えてくれる。酸素マスクをつけた姿は痛々しく、枕もとの機械からは絶えずこぽこぽという酸素を作り出す音がし、呼吸をするたびにシューシューという空気音も聞こえる。掛け布団から出してある右腕には点滴がささっており、傍らには3本もの点滴用のパックがぶら下がっていた。ぽとり、ぽとりと規則的に落ちていく液体はゆっくりと龍麻の命をつなぎとめようとその体の中に染み込んでいく。
ベッドの傍らにある椅子に腰掛けて、そっと龍麻の手を取ってみた。わずかにぬくもりの残るそれは力なく、おとなしく僕の手の中に収まる。
こんなに小さな手で。僕は愕然とした。こうして改めて龍麻の手をとるのは初めてだった。思ったよりも遥かに華奢な手で、戦ってきたのか。ほっそりと、黄龍甲などよりプラチナの指輪が似合う手で、何人もの敵と戦い、あの大ダメージを与えるような技を繰り出していたなどとても信じられない。この手で己の宿命と戦い、東京を守ろうとしていたのだ。辛くないはずがない。
いつも笑っていた。誰かが怪我をすると心配して飛んできた。一緒に涙し、笑い、怒り、あんまりにも当たり前にそうしていたから気づかなかったのだ。彼女は普通の女性なのだということに。
「すまない…龍麻。」
その小さな手をぎゅっと握り締めた。
僕の気を全部あげてもいい。命など、君が助かるのならいくらでも差し出そう。だから、龍麻、目をあけて、もう一度笑ってくれ。もう一度、僕を見て。僕のことを嫌いでもいい、もう一度起き上がって、翡翠なんか嫌いだと、そう言ってくれ。僕は龍麻さえ元通りになってくれれば他には何もいらない。顔を見たくないのなら、姿を見せまい。気を感じるのも嫌なら側にもよるまい。ただ君を守りたい。全ての悲しみ、辛さから守りたい。


何日、そこにそうしていたか定かではない。ただ、朝がきて、夜がきて、何度かそれを繰り返したことはわかっていた。
その時は突然にきた。
握り締めていた手がぴくりと、わずかではあるが、かすかに動いたのだ。
「龍麻!?」
慌てて呼びかけるとぴくぴくっと龍麻のまぶたが震える。そうして、まるでスローモーションのようにゆっくりと、眠り姫が目覚めを迎えたときのように、静かにそのまぶたを開いた。
久しぶりに開かれた瞳はしばらくぼんやりとしていたが、ゆっくりと焦点を合わせるように瞳に力が戻ってくる。
「龍麻…?」
おそるおそる声をかけてみると、辛いのか、ゆるい動きで首をめぐらせこちらの方をみた。
「ひ…すい…?」
僕がわかる。まだ、僕は君の記憶に残っていることを許されるらしい。そう思っただけで、嬉しかった。
「気が…ついたのか?」
「うん…。紗代ちゃんが…。」
まるでうわごとのように、龍麻がつぶやく。
「紗代ちゃん?」
「うん。紗代ちゃんが戻してくれたんだ。…まだ、やることが残っているから。」
そう言って龍麻はふぅとため息をついた。
「私、どうなったんだろう?」
「逆袈裟に斬られて、桜ヶ丘に運ばれたんだ。」
「そっか。」
龍麻は斬られたときのことを思い出したようだった。
「柳生の寂しくて、悲しくて、辛い気持ちが流れてきたら…動けなかったよ。」
えへっと龍麻が笑う。
「でも、いけないんだよね。だから、いけないことはいけないっていわなくちゃ。」
龍麻は強い決意を秘めた澄んだ目でそう言った。その強さに、僕は見とれていて、多分すごく間抜けな顔をしていたのだろう。くすっと、龍麻の小さな笑いが聞こえてはっとする。
「翡翠は、ずっと側にいてくれたんだね?」
龍麻の言葉にこくりとうなづいた。
「ずっと、手が暖かかった。長い夢を見ている間、どうしてだか、いつも手が暖かくて、安心してて。」
苦しいのか、少し息をついた。
「翡翠だったんだね。」
にっこりと、嬉しそうに微笑んだ顔に涙が毀れてきた。
「無精ひげ、生えてる。」
「あ…。」
僕は慌ててあごのあたりをさすった。確かに、生えている。ざらりとした感触が手に残る。
「ありがとう、翡翠。」
握っていた手に、わずかに力がこめられて、ふわりと彼女が笑った。
「先生を、呼んでくるよ。」
再び泣きそうになるのを我慢しながら僕は廊下に出た。
戻ってきた。彼女が戻ってきた。それだけで、もう何もいらない。
再び彼女から立ち上る黄金の気は前にも増して清冽で、くらむほどのまばゆい輝きをもっていて。それが君の無事を示している。
この先は何があっても君を守ろう。どんな苦しみからも悲しみからも君を守ろう。玄武ではなく、如月翡翠として。それだけでもかまわない。君の側にいることが許されるのならば、それ以上は望まないから。


その日は何日も帰ってないことが龍麻に知れて、こっぴどく叱られ、強制送還されてしまった。それでも、幸せで、龍麻が自分の名を呼んでくれることが、自分に微笑んでくれることが嬉しくて眠れなかった。
翌日はクリスマスイブだった。僕は、身支度を整えるとまず学校に顔を出し、そして帰りにそのまま新宿に向かった。龍麻は今日の午後、退院だという。途中で少し寄り道をしてから、病院に向かうと、すっかりと支度の整った龍麻がみんなに囲まれていた。
「あ。翡翠。」
僕に気づくと、軽く手を上げてみせる。すっかりと復調したようだ。
「具合はどうだい?」
「うん、もうだいぶいい。」
僕は龍麻の荷物を持ってやる。
「いいよ、それぐらい自分でもてるよ。」
「だめだよ。」
このやりとりに周りにいたものが笑いをもらす。
「さてと。龍麻、無理はするんじゃねぇぞ。」
蓬莱寺がにやにやと笑いながら龍麻の頭をくしゃくしゃとなでた。
「じゃあ、帰るか。」
とりあえずは揃って駅のほうまで向かう。
「じゃあ、また明日な。」
「ああ。」
「バーイ!」
「さようなら。」
それぞれが別方向に散っていく。駅前には僕と龍麻だけが取り残されてしまった。
「このまま、まっすぐに帰るかい?よければ送っていこう。」
「翡翠は?」
「龍麻に付き合うことにするよ。」
「じゃあ、あっちに光の塔っていうのがあるって聞いたから、見に行かないか?」
思いもかけない誘いに驚いたが、それに従うことにした。しばらく歩くと、それは電飾きらびやかなツリーであることがわかった。龍麻はその下につくと、それをじぃっと見つめている。
「翡翠さ、こういうのが見れるのっていいよねぇ。」
ぽつりと龍麻が呟いた。
「別にキリスト教徒なわけじゃないけど、何かを祝ったりするのって、幸せだよね。」
そう言って僕の顔を見る。
「人と何かを喜び合うことができるのは、喜びが倍増する気がするよ。」
龍麻らしい考えだと思う。
「生きてて良かった。また、こうしていられるんだもの。とても嬉しい。」
龍麻はそう言って、いたずらっぽく笑った。
僕も嬉しいよ。君とこうしていられるから。心の中で呟いた。
「また、見られるといいね。」
「見られるよ。」
「へへっ、そうだね。また見にこようねっ!」
龍麻はふわりと、まるで羽でも生えているかのようにツリーの前から離れた。
「さぁ、帰ろうっと。翡翠、早くしないと置いていくよ〜っ!」
退院したてのはずなのに、龍麻は元気良く歩いていく。
僕はブレザーのポケットに入った龍麻へのプレゼントの箱を渡すタイミングを失ってしまって苦笑した。
まぁ、いいか。そのうちに、きっと、またこのツリーが見られたときに。
僕は慌てて龍麻の後を追いかけていった。


                                                END

 

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