側にいるだけで〜1〜
確かに自分は変わったのだと思う。 文化祭の実行委員なんてやるとは思わなかったし、女生徒にはまだ戸惑ってしまうが、話し掛けてくる級友達がそれほどうるさくは感じられなくなった。口数が少ない男。以前の氷の男から周囲の評価も人間的になったようだった。 どうして急に変わったのかと聞かれたら、おそらく、それは彼女のせいに違いない。春の初めに桜の花とともに訪れた運命の人。 小さな頃より祖父から何度も何度もくり返し聞かされた自分の宿命と、その宿命という配置の上に、いつかめぐり会う自分が守るべき大事な存在。それが女性だったなんて思いもしなかった。それまでは時折、その宿命が煩わしいと思うことがあったのでさえ、すっかりと忘れてしまうようになったのも今年の春からだった。 見た瞬間に彼女がそうなのだとすぐにわかった。まるで天女が羽衣をまとっているように、黄金のオーラをその身から上らせて、柔らかく回りを包んでいく。まっすぐに、自分を捕らえる強い瞳。それは深く、自分の骨の髄まで入り込んで自分という人間の成り立ちから何もかも全てを見透かされそうなほど。宿命に惑う僕を笑うでもなく、また重過ぎる自分のものに悲嘆するでもなく、それをあるがままに受け入れ、強くしなやかに立ち向かう姿。いつからそれに惹かれたのか覚えていないけれど、その姿は頑なだった自分の心を和らげて行った。 その証拠に、僕は学校に朝からいる。 以前ならば出席日数を勘定して、ぎりぎりで卒業できるように極力学校に来ないようにしていたのが、朝からこうして自発的に学校に来るようになった。自分にしては劇的な変化だなと少しおかしくも思う。 「如月〜。」 席につくとクラスの男が駆け寄ってきた。 「何だい?」 「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」 切り出したのは、クラスでも随分と賑やかな、そう、例えるなら蓬莱寺のような奴であった。こういうのはどこの学校にも一人はいるようだ。 「如月、真神に友達いたよな?」 「ああ、何人か。それがどうか?」 「あのさ、よく美里葵とつるんでいる女、知ってるか?」 新宿真神学園の美里葵は王蘭でも有名である。品行方正、成績優秀、容姿端麗。三拍子揃った高嶺の花としてその噂は23区の男子生徒の間でも評判だ。その、美里葵と行動を共にしている女性といえば、2人の姿が脳裏に浮かぶ。一人は元気のいい、茶色の髪の弓道部部長、そしてもう一人も元気のいい、この僕に劇的変化を与えた、いや僕だけではないが、回りをひきつけずにはおかない、不思議な存在。 「二人いるが。」 「おっ、やっぱり知ってるのか。」 彼は嬉しそうに顔を綻ばせた。 「その、黒髪の方。背は少し高めの。」 やはり彼女だ。途端に一人に絞られる。 「龍麻のことかな?」 「たつまっていうのか。変わった苗字だな。」 彼が誤解していることにすぐに気づき訂正する。 「ああ、苗字は緋勇で名前が龍麻だが、彼女がどうかしたかい?」 「如月、彼女と知り合いか?」 「多少は。」 そう、多少。僕が彼女について知っていることなんか、ほんの少しのことなのだろう。名前や血液型やクセや趣味。そんな通り一辺倒のことしか知らない。本当はその瞳が誰を見て、何を考えているかを知りたいのに。 「いや、彼女かわいいじゃん。この間、新宿で見かけたんだけど今度、ナンパしようかなと思ってさ。彼がいるかどうかとか、知ってる?」 ナンパだと?如月は途端に自分の機嫌が悪くなっていくのを感じた。 「特定の人はいないようだが。」 「お、ラッキー。」 「しかし。彼女は一筋縄では行かない。」 僕の口から出た忠告に彼はきょとんとした顔をする。するりと自分の口をついて出た言葉に自分でも驚いてしまう。けれど、止まらない。いや、余計なコトは言っても仕方ないのに、と胸の中では思っていても、彼が手を引きたくなるような情報ばかりを頭の中で探している自分がいる。 「君は、目黒の鎧扇寺を知ってるかい?」 「ああ。空手がつよいトコだな。」 「彼女はそこの空手部の主将を倒したことがある。」 「う…そ。」 疑ってかかっている彼にさらに続ける。 「それから、彼女と同じ真神のレスリング部の醍醐。」 「あ、ああ。あの、ガタイのいい?」 醍醐もかなり有名な人間で、本人はプロレスの方に進みたいのだそうだが、アマレスの関係者が放っておかないほどの逸材である。しかも、高校生離れしたその体格はどこにいても目立つらしく、新宿をうろついているような人間は必ず知っている人物なのだった。 「彼も勝負して完敗だったらしい。これは醍醐本人から直接聞いた。」 「マ、マジ?」 こくりとうなづいてみせる。 「古武道の達人…らしいよ。実際に僕も彼女にたかっていたチンピラをすごい勢いで蹴散らしていたのを見たことがあるしね。」 「でもよぉ。ただの女だろ?」 ただの女。そういう彼女を侮辱するような台詞に少しいらつく。 「そう思うのならナンパでもなんでもするといいよ。」 「紹介してくれよ。」 「ゴメンだね。僕は彼女を敵には回したくない。」 「ちぇ…。」 彼は肩をすくめると自分の席に戻っていく。 いらつく気持ちを宥めようと、大きなため息をついて体内の澱んだ空気を吐き出す。 醍醐や蓬莱寺、それに壬生や雨紋といった連中が側についている彼女のこと。男性を選ぶ目はあるだろうから、ああいう手合のナンパに簡単にかかるとは思えない。そんな単純なことにさえ気づかなくなるほど、彼女のことだと逆上してしまう。 おかしい。 何者にも執着してはいけなかったはずなのに。気づくとこんなにも彼女を気にしている自分がいる。それは玄武としての宿命だろうか。もし、彼女が黄龍じゃなかったとしたら。 それでも良かった。いや、そのほうが良かったかもしれない。玄武と黄龍なんて、宿命ではなく、ただの男として彼女を守りたかった。笑顔に隠された寂しさを、強さに隠された脆さを、我慢などさせないようにしてやりたかった。 しかし、彼女は僕がそんなことを考えているとは思わないだろう。ただ、骨董屋の主と客。東京を守るのに一緒に戦っている仲間。それでもいい。側にいて彼女を守ることができるのならば。 その日の午後。授業が終わると早々に帰ってしまった。朝一番の話でなんだか気分が悪い。確か、進路指導で呼ばれていたようだったが、そんなのはかまわない。自分の進路を他人に相談しても仕方が無いし、別段進路について悩んでいるわけではない。ましてや希望の進路に進むために何をすればいいかがわからないわけではないのだから。 店先を掃除して、陳列してある品物を磨いているところへ、今日も龍麻がやってきた。 「翡翠、いる?」 ご機嫌なようで、声が弾んでいる。顔を上げて彼女を見ると、にこにこと微笑んで、なんだか大きな紙袋をかかえて立っていた。後ろを見ると、今日は誰も連れがいないようだ。 「やぁ、いらっしゃい。」 彼女の姿を見るだけですうっと自分の気持ちが明るくなるのがわかる。 「寒くなってきたよねー。」 店の戸を閉めて中に入ると、そう言いながら彼女はなにやら袋をがさがさとやり始める。 「暖かいお茶でも入れてこよう。」 「ありがとう。」 待ってましたといわんばかりに微笑む顔に、紅くなった自分の顔を隠すように台所のほうをすぐに向く。自分に笑顔を向けてくれることが嬉しくて。誰にだって向ける笑顔だけれど、今は自分にだけなんだと思うと嬉しい。 とっておきの玉露を出すと丁寧にお茶をいれる。彼女のためだけに用意しておいたお茶菓子を出すと店の続きの部屋に持っていく。 「はい、どうぞ。」 「ありがとう。」 彼女専用の桜色の湯飲みとお茶菓子を出す。専用の湯飲みは、もともとは店の商品だった。うっかり彼女が割ってしまって、弁償すると言って聞かなかったが、それなら接ぎに出して買い取ってもらうということにして彼女に安く譲ったのだ。そして、それはそのままこの店におき、彼女専用となっている。自分専用の湯のみがあることで、彼女はこの店でゆっくりとしてくれるようになり、また、頻繁に尋ねてくれるようにもなったのだ。安くした甲斐があったと思う。 「で、今日はどうしたんだい?」 「これなんだけどさ。」 そう言って机の上に置いたのは彼女が普段使用している武具だった。 「ここ、壊れそうなんだよね。修繕できるかな?」 「どれ。」 その武具はいわゆる量産モノではなく、めったに入手できない貴重品だった。真神学園の真・旧校舎の地下最下層で拾ったもので、おそらく以後手に入れるのは難しいものである。 「ああ、これなら大丈夫だよ。」 「良かった。これ、壊れちゃ困るんだよね。」 「すぐにでも…といいたいところだけど、残念ながら明日になるかな。」 「そんなに早くできるの?」 「ああ。ないと困るだろう?」 「でも、翡翠に無理させるんじゃないかなぁ?」 「平気だよ。」 「そう?…じゃあ、頼むね。」 「ああ、確かに。武具の予備は何かもっているのかい?」 「あ、いや。」 「それじゃあ、うちのを持っていくといい。ちょっと待っててくれるかな。今、蔵から持ってくるから。」 「あ、いいよぉ、春日甲あたりで。」 「いや、そういうわけにはいかないよ。まだ事件は終わっていないんだから。」 龍麻が前に使用していたのと同じ武具がうちの蔵にしまってあるはずだった。まだ一連の騒ぎは収まってはいず、龍麻は危険にさらされているといっても過言ではない。そんなときに愛用の武具がないのは心もとないし、威力が格段に下がるものでは何かあったときに困るのだ。僕は蔵の鍵を出すと庭に降りて蔵のほうへ向かった。前に龍麻が使用していたものは僕が買い取ったが損傷が激しく、僕には直せないで、専門の職人に出している。しばらく前に入手したものを貸し出すほうがいいだろう。今は、とにかく油断をしてはいけない時期なのだから。埃臭い蔵を探って目当てのものを探し出す。整理はしてあるものの、最近は在庫がかなりあるので取り出すのに少し苦労する。奥のほうからようやく取り出すとすぐに店のほうに戻っていった。 「お待たせ。…あれ?橘さん?」 店の続きの部屋に僕と同じ学校の制服を着た女性が座っているのに気が付いた。どうやら、僕が蔵に行っている間に橘さんがきていたらしい。龍麻のはす向かいに座って、ぼくの姿を見つけるとにっこりと微笑む。 「如月君、今日、進路指導だったでしょ?」 「ああ。」 「先生、怒っていたわよ。」 「そうか?」 おかまいなしに話し始める橘に、適当に返事を返しながら小脇に抱えてきた箱の埃をぬぐってふたをあける。中には間違いなく目当てのものが入っている。 「これでどうかな?龍麻?」 「あ、うん。ありがと。」 「こっちは明日、夕方にはあがるようにしておくから、また学校帰りにでも取りに来るといい。」 「ごめんね、手間かけさせちゃって。」 「かまわないよ。僕としてもこれには興味があるからね。」 ちょんちょんと龍麻のもってきたモノをつつくようにして笑う。 「悪いけど頼むね。それじゃ、私、帰るから。」 「え?もう?」 「うん。今日は、ちょっと用事もあるしね。」 そう言って彼女は止めるまもなく店から出て行った。まるで、それは逃げ出したかのように。不審に思いながら、彼女が座っていたところをみると、お茶菓子にも手はついていず。一体、どうしたのだろう。 「如月君?」 橘の声にはっと我に返る。 「あ、ああ、すまない。何の話だったかな?」 「進路指導の話よ。」 「そうだったね。」 少し怒ったような表情の橘に謝りながら、彼女のいいつかってきた話を聞いた。けれども頭の半分は龍麻のことが気にかかっている。好物の芋羊羹に手を出さないなんて、どこか具合でも悪いのだろうか。どんなに具合が悪くってもそれだけは食べる。前にそう言っていたというのに。 「まぁ、明日聞いてみることにするか。」 僕は龍麻の残していった黄龍甲を見ながら悠長なことを考えていた。 |