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そこまで思い出してから傍らでうつぶせに寝転んで鼻歌交じりにぱたぱたと足を動かしながら雑誌を読んでる龍麻を見ながら考える。龍麻と出会ってからもうすぐ9ヶ月が過ぎようとしている。染井吉野の花が散りかける頃に出会った彼女は、見る見るうちに強くなり、そして東京を護った。けれども、彼女自身、さほど大それたコトをやったという自覚はなく、ただなるようになったと、そう言い切るところも好きだった。ある意味、これが本当の無なのかも知れない。僕は龍麻に出会ってから、僕がいかに東京を護ること、飛水流の使命に固執していたかが分かったし、玄武の力も、その存在にもどれだけ執着していたかを思い知らされた。
 「自分の身に降りかかってきた火の粉をはらっただけ。」
 彼女は柳生との戦いについてそんなことを言っている。自分の宿星をあるがままに受け入れ、それと戦い、ついでに東京を護った、そんな風に言うのは照れ隠しもあるかもしれないが、でも、彼女らしく自然体で力みのない様子だと思う。それは無。使命にも宿星にも執着せずに、ただ前に進む。もしかしたら、僕は飛水流であることにプライドを持ちすぎて、玄武であることに意義を感じすぎてそんな簡単なことさえも分かっていなかったのかもしれない。実際、僕に無を教え込もうとしたお爺様もその辺が分かっていたかどうか、今になると首を傾げるのだが。
 僕らが住むこの街だから、害すものには立ち向かう。
 最近、僕は飛水流云々よりもそう思うようになってきた。これも龍麻と出会ったから起こった変化だと思う。
 
 
 冬休み最後の日。龍麻が和菓子を片付けに来てくれていた。貰い物が山のようにあるけど、僕は少ししか食べないし、うちに遊びにくる面子を考えても大量にこれを始末してくれるのは龍麻しかない。そう思って夕べのうちに呼んでおいたのだ。
 彼女は嬉しそうに山となっているお菓子を手にとると美味しそうに食べ始める。
 そうこうしているうちに今日のマージャンに呼んでいた壬生も来て一緒に食べ始める。壬生も意外に甘いものが好きらしくて、自分ですすんでケーキやクッキーなどを作るのだそうだ。普段の、あの冷たい表情は最近は少し和らいできたものの、それでも壬生がお菓子を食べている姿はどうにも似合わない。
 笑いをこらえるために無理やり話題を作り出そうとした結果、これからの進路の話に落ち着いた。
 「で、龍麻はどうするんだい?」
 僕が尋ねるときょとんとした顔で龍麻が僕を見つめ返す。
 「進路だよ。」-
 どうやらお菓子に夢中で僕と壬生の会話など聞いてなかったらしい。
 「あー、進路、ねぇ。」
 彼女ははぁと大げさにため息をつき、うーんと考える仕草をする。
 「そぉだなぁ、どうしよっかなー。」
 3年のこの時期になってその発言は僕には多少信じられないものがあった。
 「まさか、まだ決まってない?」
 「うん、それどころじゃなかったしなー。」
 確かにそうだろうけど。でも、どうする気なんだろう。
 「翡翠は?やっぱ骨董品店店主?」
 逆に聞かれて僕はうなづいた。
 「まぁね。これしかやることがないし、これがやりたいし。もう少し詳しく勉強するために大学に行こうと思っているけど。」
 僕は最近になってこの店をとても大事に思うようになってきた。魔人たちのランドマーク。それもいいんじゃないかと思う。この店にはマージャンのメンツである壬生や村雨、蓬莱寺をはじめ、本当にみんなよく集うから。昔だったら絶対に集会所になるのは嫌だったと思うが、今はそれもいいと思うようになってきた。
 「紅葉は?」
 「教師。拳武館からは離れられないからね。」
 壬生の言葉に彼が拳武館だったことを再認識した。暗殺組のトップであるが故に一生拳武館からは逃れられない。
 「でも、他の職業につく人もいるんでしょ?」
 その質問に壬生は首を僅かに左右に振った。
 「僕はダメなんだ。」
 「なんで?」
 「僕は重要な事件に関わりすぎたし、それに館長には随分世話になってしまったからね。今更拳武館以外にいけないだろう?」
 彼もそれを当然のこととして受け止めているはずだったが、何か、僕の中で引っかかった。今更、というのは納得していないということなのだろうか。
 「他に何かやりたいことでもあったのかい?」
 僕が尋ねると壬生はその表情を僅かに曇らせて、少し手を止める。
 「そうですね。…医者になりたかった、かな。」
 ややあってからぽそりと呟いて、すぐに取り繕うように少しだけ明るい表情を作って言う。
 「まぁ、なるにはお金がかかるし、無理ですけどね。それに教師だってなんだって、生活していければいいんです。」
 医者、確か壬生には長いこと入院している母がいる。そのために、だろうか。確かに彼は理数系が得意らしいけれど。でも、それもきっと叶うまい。拳武館からはそうやすやすと逃れられないのだろうから。
 「龍麻は、小さい頃の夢とかないのかい?」
 進路の決まっていない龍麻に聞いてみると、龍麻は何事かを深く考えていたようではっとして顔を上げる。
 「あ、うーん、そうだなぁ。」
 首を傾げて考える仕草が可愛らしい。何か思いついたようで、悪戯っぽく目が微笑む。
 「やっぱり、女の子だし。オーソドックスにお嫁さんになりたかったかなぁ?」
 「随分と可愛らしい夢だね。」
 「そりゃ、ね。」
 「それなら、僕のところに嫁にくるといいよ。いつでも歓迎するよ?」
 頬を上気させたその笑顔があまりにも可愛らしくって、僕は冗談半分、本気半分でそう言ってみた。
 その瞬間、龍麻がびっくりしたように目を見開いて固まる。
 「少し古いいい回しだけど、家付きだし、車はまだないけどそのうちに買うつもりだし、家族は他にない。いい条件だと思うけど、どう?」
 だけど、半分まざった冗談を察知したのか龍麻は苦笑しながら言う。
 「考えとくよ。」
 「そうかい?いい返事を待ってるよ?」
 もし龍麻が僕のところに来てくれるのなら、これほど嬉しいことはないが。そう思いながらふと隣を見ると、普段冷静な壬生も固まったままだった。
 
 
 おそらく、僕が龍麻に玄武以上の思いを持っていることを彼女は知っている。知っているからこそ必要以上に僕には甘えてこないし、本心を言うこともない。それは僕に余計な期待を抱かせないためであろう。だから、今の時点で龍麻は僕をそういう対象として見ていないことがよく分かる。
 だからこそ、僕は龍麻が何を見て、何を考えて、何をしようとしているかやっきになって分かろうとしている。そうして、少しでも彼女の助けになればと思っているのに。
 今の時点では一緒の学校にいる蓬莱寺や醍醐よりも僕の方が龍麻を分かっていて、そして龍麻に信頼されている自信はある。だけど、それはあくまで友達としてだけであって、そこにはそれ以上の特別な感情など存在しない。
 そのうちに。僕はずっとそう思っていた。だから龍麻に無理に僕のことを意識させようなんて思わなかったが、そうも言っていられない状況になってきた。
 それは、龍麻は壬生に興味を持っている、ということが分かったからだった。それは対の存在であるということではなく、龍麻自身が壬生紅葉という男に興味を持っているのである。まだそれが好きという感情からなのかどうかわからない。そして壬生も龍麻のことを好きなのだろう。
 そう思うとどうしようもないほどに僕は焦る。
 あの冷静な壬生が、僕の冗談半分のプロポーズに固まっていた。それに、最近気付いたが、壬生はマージャンの席に龍麻がいると、その普段のポーカーフェイスはどこへいったかというほど感情が顔に出る。だから龍麻がいると、壬生は少々負ける(それでも大敗しないで済んでいるのは蓬莱寺のおかげであるが)。普段は冷静で無表情な壬生は龍麻がいると微笑むし、口数も増えるのだ。
 だから、僕はあせるのだ。龍麻が完全に壬生に傾いてしまわないうちに捕まえなくてはと。
 
 
 11日。僕は龍麻を呼ぶためにお汁粉を作った。
 「へぇ、教師ねぇ。」
 お汁粉を食べながら龍麻が決めた進路を聞いていた。つい3日前には進路はぜんぜん決まっていなかったのに、どうしてこう短期間に一生のことを決めることが出来るのだろう。即断、即決。龍麻らしいといえば龍麻らしいけど。
 …それとも、そう決意させるほどの何かがあったとか。僕はさりげなくその決定要因を探ろうとしていた。
 「龍麻なら、合うかもしれないね。…美里くんもだったね。同じ大学?」
 「ううん。葵は私立。私は東京教育大学受ける。」
 ということは、美里君あたりが原因ではないらしい。単なる気まぐれだろうか。
 「国立か。」
 「お金ないしねー。」
 お代わりの支度をしながら龍麻の経済状態を思いだす。事故でなくなった養父母の保険金で龍麻は暮らしている。それも、決して余裕があるわけではない。確かに私立よりも国立を選んだほうが賢明だろう。東京教育大学か。僕は内心、ほくそえんだ。
 「で、専攻は?」
 「歴史。一番、得意科目だし。」
 「そうか、じゃあ、共通一次を受けるんだ?」
 「うん。去年のうち、念のため願書を出しといてよかったよ。…で、翡翠は?どこ受けるの?」
 龍麻の質問に僕はわざとおどけて言ってみる。
 「そうだな、僕も龍麻と一緒にするかな?」
 「ひーすーいーっ。」
 そういうと案の定、龍麻は怒る。
 「僕は美術の勉強ができればいいんだ。もともと骨董屋としての腕は悪くはないはずなんだけどね、まぁ後学のために、かな?あそこなら確か、芸術専攻があっただろう?」
 「あるけどさ。ちゃんと自分の将来を考えなきゃだめだよ。」
 「考えてるさ。あそこはキュレーターにもなれる教育課程があるしね。」
 「キュレーターになるんだったら東京美術大学の方がいいでしょう?」
 「あそこはまずいんだ。祖父の知人がかなりいて、余計なことつつかれたくない。」
 そうなのだ。本当ならば東京美術大学に行くのが一番いい。うちからも近いし、美術専門だから。しかし、教授陣には祖父の知人がごまんといて、あれこれ言われるのは面倒だったのだ。
 もちろん、僕は最初から東京教育大学にいくつもりだった。キュレーターになるための教育課程を設けている学校はさほど多くない。国立であれば美術大学か、教育大学かしかないし、私立であれば2,3校ほどしかない。しかも私立はすべて学校が遠いので選択肢としては教育大学しか残されていなかったのだ。
 まぁ、教員免除がついてきてもいいだろう。そのぐらいの話である。
 進路といえば。僕はふと壬生を思い出した。
 「そういえば、壬生が医学部受けてみるって言ってたな。」
 僕が何気なくもらした一言にぴくりと龍麻が反応する。ビンゴ。原因は壬生だろうか。もう少し様子を探ろうと、僕は龍麻の様子に注意しながら壬生の話を続ける。
 「急に学外への就職が許可されたようでね。壬生も驚いていたようだったけど、とりあえず、一次試験を受けて成績がよければ二次で医学部に行くことも考えるって。」
 「へぇ。よかったじゃない。医者になりたかったんでしょ?」
 声色は動揺を隠そうとしているのがありありと浮かぶ。やはり教師になりたいなどと言い出したのは壬生が原因なのか。しかし、その当の本人である壬生は医学部にいくかもしれないというのに、本当に教師になるのだろうか。
 「でも、なんで龍麻は急に教師に?」
 目を覗き込むように、探ってみる。
 「マリア先生、助けられなかったから。」
 龍麻がぽつりと漏らした言葉に僕は最終決戦前の悲しい戦いを思い出した。最終決戦を控えた龍麻は担任であったマリア先生に呼び出され、不本意な戦いをしたのだった。マリア先生と僕は面識がなかったが、それでもいつも龍麻から「うちのガッコにはもったいないくらいの妖艶な美女」と聞かされ、その他の話からも龍麻が随分とその先生に懐いていたのを知っている。口には出さなかったが、彼女自身にとってあの戦いはそれなりにショックを受けていたようだった。けれども、蓬莱寺の話によるとその後、桜ヶ丘に運ばれたが完治しないまま退院してしまったという。もう先はないと、自分でもわかっていたのだろう。最後を看取っていないということが、幸か不幸か龍麻のショックを和らげていた。
 「そうか、それで…ね。」
 僕はそのまま納得したふりをしたが釈然としないものを腹に抱えていた。マリア先生の一件は確かに多少のショックを彼女にもたらしたであろうが、だからそれが教師になるということに結びつくわけではないだろう。そのことが本当なら、先日尋ねたときに既に決めててもおかしくはないし、悩んでいた風でもないのだから。
 龍麻は僕に理由を隠している。教師になると決めたきっかけを隠している。何か、人に知られたくない理由でもあるのだろうか。現時点で口を閉ざしている龍麻に無理に聞いたところで余計に口を閉ざすに違いない。僕は龍麻の口が緩むまでしばらく経過を見守ることにした。
 
 
 それからしばらくの間、龍麻はうちに来なかった。その間、学校にはちゃんと出席していたようだが、付き合いが悪くなったと蓬莱寺がマージャンのときにぼやいていた。いつもは蓬莱寺や桜井くんとともにラーメンを食べて帰るのが日課だったのに、3学期に入ってからというもの一度も一緒に帰ったことがないという。いつも急いで一人で先に下校してしまい、美里君や桜井君が誘ってもすまなそうに謝って帰ってしまうのだという。どこへ行っているのかと蓬莱寺が一度質問したときに『塾だよ、塾!』と言っていたようだが、絶対に嘘だと彼は断言した。才媛で名高い美里君とはるほどの頭脳の持ち主がいまさら塾もないだろうと蓬莱寺はあきれていた。確かに、龍麻の成績ならば東京教育大学はそれほど難関ではない。毎日必死に勉強しなければいけないほどではないのだ。そのときにマージャンに同席している壬生も何も心当たりはないようで、かえってその話を興味深く聞いていた。壬生は3学期に入ってから一度も龍麻と会っていないという。勿論、彼自身も受験勉強や仕事に明け暮れているせいだが。
 久しぶりに龍麻がうちにやってきたのは2月も近くになってからだった。それも遊びに来たのではなく、黄龍甲の修理に訪れたのだ。ひどく疲れた顔をして、明らかに何かをしている。お茶を飲んでいる最中も普段だったら一気に食べてしまう量の羊羹を半分残したままぼーっとしている。
 「大丈夫かい?」
 尋ねるとびくりとして僕を見た。僕が近づいた気配さえわからないほどに疲労しているのだろう。
 「あ、ごめん。」
 「なんだか、ひどく疲れてるようだね?」
 尋ねるとぎこちない笑顔を浮かべる。
 「うん、勉強が、ね。」
 口から漏れた言葉は明らかに嘘だった。どうやら素直に僕に話してくれる気はないようだ。いつもなら話したくないのならそのままに放っておくが、今回ばかりはこのやつれようとあちこちにある怪我が心配で、多少無理をしても聞き出そうと僕は決心した。
 「そんなにがつがつしなくったって、龍麻の成績なら大丈夫だろう?それに、このあざはなんだい?」
 いつも正座して座る龍麻が今日に限って足を投げ出して座っている。それはおそらくスネにある大きなあざが痛いのだろう。
 「あ、は。えーとぉ、ストレス発散でちょっと暴れたら、できちゃった。」
 少しおどけて笑顔さえ浮かべたのがかえってうそ臭い。ひとつひとつのあざはさほど濃くはないけれど、周りに直りかけて黄色くなったあざも点在していることからこれらのあざが一日で全て出来たわけでないことを物語っている。
 「一朝一夕にできたあざじゃないと思うけど?」
 僕の言葉にうっと詰まって、それからしぶしぶ彼女は言った。
 「うん、まぁ、その、稽古でね、できちゃったの。今、足技研究してて。」
 おそらくそうではないかと思っていたが。それにしても稽古にもほどがある。それに彼女はまだ肝心の「なぜ稽古をしているか」には触れていなかった。僕はそこまで彼女に信用がないだろうか。思わず長いため息がでてしまった。
 「龍麻は最近一体何をやっているんだい?」
 それでも尋ねずにはいられない。ゆっくりと、穏やかにいうけれど知らずに苛立ちが声に含まれてしまうのは僕の未熟さゆえ仕方のないことだった。
 「だから、足技の研究。」
 困ったように顔をしかめて龍麻が返答する。
 「どうして?もう戦う相手もいないのに?」
 僕が再度尋ねると龍麻が多少、ムキになって返答する。
 「もうちょっと強くなりたいなぁって思って。」
 「戦うのはあんまり好きじゃなかっただろう?」
 「戦うのと、強くなるのは別のことでしょ?」
 意地でも言いたくないようだ。こうなるとテコでも口を割らないのが龍麻である。そんなに僕に秘密にしたいことってなんだろう。いや、それよりも龍麻は僕に気を許していないことを実感してしまい酷く悲しい気分になった。
 「どうしても、僕に言うのは嫌なんだね?」
 「だから、稽古だって言ってるじゃない。」
 「わかったよ。君が稽古だって言うならそうなんだろう。」
 言い捨てた僕と龍麻が一瞬にらみ合いになる。言い張る龍麻の目に強い意志とともに悲しみも宿っているのがちらりと見えて、これ以上は聞かないでと、目が物語っていた。だからこそ僕はそれ以上を追求することが出来なくなった。元来、龍麻は秘密主義ではない。その龍麻がここまでしてしゃべらないというには何か重要なわけがあるのだろう。それ以前に、僕は龍麻の願いを断れない。
 「無理だけは、しないでくれ。」
 それだけしか言えなかった。体を壊すことのないように、龍麻の笑顔が消えることのないように。何も理由が分からない僕が心配できるのはそのくらいであった。
 「今日も、稽古なのかい?」
 「そうなの、もう少しで完成だから。」
 そう言って彼女は鞄を持つ。
 「…また、おいで。いつでも待ってるから。」
 そのうちに僕に言ってくれる時が来るのだろうか。淡い期待を抱いたけれど、龍麻の性格から考えて何かしらの決着がつくまではきっと僕に打ち明けてくれることなどないのだろう。
 「ありがと。」
 強情なところのある君にしてあげられることはどうしようもなくなったときの避難場所になる以外にはないけれど、それで龍麻が救われるのなら。僕は店先へ出て寒空の下、駅に向かって歩いていく龍麻の背中をずっと見送っていた。
 
 
 龍麻は何も言わなかったけれど、それでも僕はやはり彼女が何をしているのかが気になって仕方がなかった。
 頭の中で彼女が言った言葉を反芻してみる。
 足技の研究、強くなりたい、それから、もう少しで完成。
 足技というぐらいだから、当然のことながら壬生が関係しているのだろう。だいたい、壬生の師匠である鳴瀧館長は龍麻の師匠でもある。当然のことながら龍麻が通っているのは拳武館であって。
 でも、僕はどうしても腑に落ちなかった。
 拳武館に通っているのに、どうして龍麻と壬生が会っていないのだろう。蓬莱寺は3学期に入ってから龍麻が忙しくなったといっていた。おそらく3学期に入ってまもなく稽古をはじめたのだろう。しかし、壬生は3学期に入ってから一度も龍麻にあっていないという。拳武館に通っている龍麻がどうして一度も壬生と会わないのだろう。壬生は相変わらず裏稼業をしていて学校には自由登校になった今でも割と高い頻度で顔を出しているようだ。それなのに。龍麻の性格と、壬生への興味を考えれば稽古がてら壬生を呼び出したりなどのコンタクトをとってもおかしくないのに、どういうわけか壬生を無視している。これはあきらかに不自然だ。
 その不自然さを考えると、やはり今の龍麻の不安定な状況は壬生に少なからず起因するものであることは確かだった。教師になろうとした理由も、あざが絶えないほどの稽古の理由もおそらくは壬生に起因するのだろう。そして、僕の推測では壬生はその事実を知らない。
 僕が拳武館に忍び込んで龍麻が何をしているのか、本当の目的はなんなのかを調べるのは簡単なこと。龍麻が何をしようとしてあんなに自分を追い詰めているのか、どうしても知りたかった。
 だけど同時に知りたくない自分もいる。彼女は壬生が原因で不安定になっている。逆にいえば、龍麻をそこまで不安定にさせるほど、壬生は龍麻にとって大きな存在であるということだ。そして、もし僕が調べた結果が龍麻の心が壬生に傾いていることの決定的な証拠であった場合。僕はそうなることが怖かった。
 そう、龍麻が壬生に興味を持っている、そのことが既に龍麻の心が壬生に傾いていることの現れだということを僕はうすうす感づいているのだから。もともと龍麻はあんなに側にいる蓬莱寺や醍醐のことも良く知らない。あまり他人のプライバシーに立ち入らない主義なのだ。勿論、彼らが勝手に龍麻に喋ったことは記憶している。それは龍麻に信頼されていると自負してる僕にさえも同じことが言える。ただ、彼らの場合よりももう少しマシであるのは、茶飲み話の一環として互いのことを少し話すといった程度である。
 だから僕は壬生が龍麻の気持ちを知る前に、龍麻を自分のものにしてしまいたかった。
 でも、龍麻はおそらく僕には手に入らない。それもなんとなく予想できる事。もし、龍麻を手に入れることが出来るとするならば、それは龍麻がボロボロになって、自分ひとりでは立っていられなくなって僕を頼るときだろう。
 二者択一。ボロボロの龍麻を手に入れるのか、それとも笑顔で壬生の隣にいる龍麻を見守るのか。
 
 
 「龍麻が、うちに?」
 僕の急な呼び出しに特段驚いた様子もなく、壬生はやってきた。僕のうちに丁度アイテムを買いに来るついでもあったのだと、彼はそう言って幾種類かの回復アイテムを買い求めた。その後で僕は彼にお茶をすすめ、とうとう切り出したのだ。
 「そうだよ。3学期に入ってからまもなくだ。気付かなかったのか?」
 「…ええ。…道場の方には僕も顔を出してますが龍麻とは……あ!」
 壬生は何かを思い当たったようだった。
 「まさか、第二道場…?」
 壬生の顔つきがみるみる険しくなっていく。
 「第二道場?」
 「…ええ。拳武館高校には道場が2つあるんですよ。…ひとつは第一道場。こちらが普通に道場と言ったときの場所なんですが、表向きの、普通の武道を教えているところです。そして、もうひとつ、第二道場…僕らのようなものが使っている道場。」
 僕らのようなもの、というのは、拳武館の裏の顔、暗殺に用いられる武道を修めるということを指しているのだろう。
 「もう少しで完成とも言っていた。」
 僕の言葉に壬生がさらに驚いた。
 「完成…まさか…?」
 壬生の顔がみるみる蒼白になっていく。
 「一体、龍麻は何をやってるんだ?壬生にはわかるのか?」
 僕の質問に壬生がはっと我に帰った。
 「まさか、とは思うのですが…龍麻、足技と言ってたんですね?」
 「ああ。」
 「…第二道場は僕の使う武道を教えているところ。…だから、龍麻は僕と同じ技を習得しているということです。…つまり、殺人拳を。」
 拳武館の暗殺拳。僕は嫌な予感がした。
 「去年、龍麻から館長が龍麻に拳武館をついで欲しいと希望していることを聞きました。まさか…僕が、急に学外への就職を許されたのは、僕の代わりに龍麻が…仕事を…?」
 壬生の漏らした言葉に僕と壬生が顔を見合わせる。
 「すいませんっ、帰りますっ!」
 そう言うなり壬生は表に飛び出していった。
 僕は壬生に出したお茶の器を片付けながらため息をついた。
 龍麻はやはり壬生のために自らの進路を変えたのだ。
 おそらく、この先もずっと仕事を続けていかなくてはいけない壬生のため。壬生が自分の仕事に良心の呵責を感じていることは龍麻はよく知っている。そして、それをなんとかしてやりたいと願っている。だからこそ、龍麻は自分が身代わりになることで壬生を仕事から解放してやろうと思ったに違いない。おそらくは母親の医療費がかかる壬生に、自分が仕事をしてそのお金をなんらかの形で壬生に行くように、おそらく館長である後見人のあの人を使って手配していたはずだ。そこまでしなければ壬生が仕事をやめないことを充分に分かっているから。
 全ては壬生のために。
 僕は店に戻ると招き猫を膝に載せ、ゆっくりと磨き始める。
 最初から僕の入り込む隙間などなかったのだ。あの、地下鉄のホームで彼らは既に惹かれあっていたのだろう。
 二者択一で僕の出した答えは笑顔で壬生の隣にいる龍麻を見守るということだった。
 ぼろぼろの龍麻など僕は見たくもない。
 そんな龍麻を見るぐらいなら、まだ誰かの隣で幸せそうに笑う龍麻のほうがマシである。彼女が彼女らしくしていられることが僕の何よりの喜びだから。
 周りから見たら、馬鹿みたいと思われるかもしれないがこれが僕なのだから仕方がない。
 それでも僕はまだ龍麻を諦める気はさらさらなかった。
 もし、龍麻が壬生と離れるようなことになったらそのときこそ僕が龍麻を受け止めようと思っていたから。
 それはいつのことになるか、来月かもしれないし、何十年先かもしれない。まぁ、いつだって構わない。僕はきっとずっと龍麻のことが好きだろうから。
 我ながら諦めの悪さには本当に感心する。
 いや、諦めが悪いのではない。ただ、僕は器用じゃないから、蓬莱寺みたいに街を歩いている幾多の不特定多数の女性のいいところを発見できるような能力を持っているわけではないのだ。それに歌でも言っている。蠍は一途なんだって。
 
 
 END
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