理由〜2〜

 

翌日、僕と龍麻は一緒に出かける約束をしていた。
僕が以前に言った、龍麻と普通のデートがしたいという願いを叶えてくれるというのだ。
女の子にはもてたけど、実際にデートなんてしたことがないから、どこへ行っていいか全くわからず、今日の行動はすべて龍麻におまかせということにして昼すぎに揃って家を出る。
昨日、みんなに買ってもらった服や靴を身に付けてまずは表参道へ連れていかれた。
このあたりには懇意にしている骨董品店も多く、道などはよく知っているけれど、普段は得意先周りや同業者回りしかしたことがないからデートで入るような店は全くわからずに、きょろきょろとおのぼりさんよろしくあちこちに視線を巡らせていた。
「翡翠、転ぶぞ?」
龍麻が笑うけど、本当に何もわからなくって、普段よく来ている町がこんなにいろいろな店があるなんて新鮮な驚きだった。
「骨董通りとかにはよく来ていたんだけど…。」
「こういう店には目もくれなかっただろ?」
龍麻の言葉にこくりとうなづいた。
得意先にまっすぐに向かい、用件が終わったらただちに家に帰るか、懇意の同業者に寄ったりするだけだったから。
いわゆる、普通の高校生が寄るような可愛い雑貨屋とか、ブティックとか、アクセサリー屋などは僕とは今まで全くの無縁であったばかりか、道のそこここに並ぶ洒落たレストランやカフェなんかもまるきり別世界で、僕は一体どこへ寄ったらいいかわからない。
「ほら、あれなんてどうだ?ちょっとアンティークっぽいだろ?」
龍麻が指差したのは古着屋の店先にディスプレイされていた細かいレースのストールで、いまどき珍しい総レース。デザインも少し古めで落ち着いた感じが昭和を思い起こさせる。
「うん、綺麗だね。ああいう落ち着いたのはいいね。」
「買おうか?」
急に言われて僕はぶんぶんと首をふる。
「いっ…いいよっ。別に。」
「なんで?気に入ったんだろう?」
「べ、別に欲しいってわけじゃない。」
僕は慌ててそういうと、また歩き出す。
表参道はいつでも人が多くて、今日もどこから集まってきたのかいろんな国のいろんな人が歩いていく。通り沿いにある店に入っていく人もあれば、出てくる人、覗くだけの人、僕はさまざまに動き回る人々を見ながら龍麻に尋ねてみた。
「普通、デートって、どういう店によるの?」
「さぁなぁ。俺もあんま、デートとかしたことないし。」
意外な言葉に思わず隣をゆっくりとした歩調で進む龍麻の顔を見つめる。
女の子にはもてそうだから(事実、もてる)デートとかはしょっちゅうしているんだろうと思っていた。
「だって龍麻、もてるでしょ?」
「俺は誰とでもデートするような暇人じゃないよ。」
にこ、と笑ってまた前を向き直って歩き出す。
「少なくとも、俺は自分からデートしたいって思ったの、翡翠だけだし。」
「どうして?」
僕はつい、きつい口調になってしまって自分でもびっくりしていた。
「どうしてって…好きだから、だろ?」
それでも平然と答える龍麻に、僕はなんだか無性に腹がたってきた。
昨日の藤咲くんたちとの会話が頭の中に蘇る。
『どうやっておとしたの?』
『どこが好きなんだって?』
僕だってそんなのわからない。
「僕に、そんな価値はないよ。」
搾り出したように、掠れた声で反駁すると、隣を歩いていた龍麻は驚いたように一瞬だけ瞠目し、それから困ったような顔になる。
「価値って…翡翠…。」
龍麻の呟きに僕は首を振る。
「僕は、…そこまで君に好かれるような価値がない。龍麻が、一体僕のどこを好きでいるかもわからないし。…確かにね、僕は女の子にはもてた。…だけど、それは男としての僕であって女性の僕ではない。…女性として…僕は何にも価値がない。」
そこまで言ってから、僕は龍麻の顔がひどく怒ったような顔になってるのに気がついた。
「翡翠…。」
低い、怒気を含んだ声が僕を呼ぶ。
びく、と僕は思わず肩を震わせ、それに龍麻は気づいたのかすぐにいつものような優しげな笑顔を浮かべて僕の手を掴んだ。
「ちょっと休憩、しよ?」
そう言って僕に有無を言わせず、半ば引きずるようにして近くのカフェに入ると、通りの見える席に落ち着いて、とりあえずの注文を済ませる。
きっと怒られる、とびくびくしていた僕の思惑とは裏腹に龍麻はぼんやりと通りを行く人々を見ている。口は真一文字に引き結んでいて僕はひどくその無言の時間が怖いのに、自分からは何も言い出すことができず、ただおろおろとしながらぼんやりと通りを眺めている龍麻を見ていた。
やがて、ほわほわと白い湯気の立つカフェオレが運ばれてきて、僕はそれに口をつける。
「あのさ…。」
それを一口飲んでから龍麻はようやく声を出す。
「価値がない、なんて簡単に言うなよ。」
ぼそりと、龍麻はそう言ってからもう一度カフェオレに口をつける。
こく。と喉仏が上下して、それからまた話し始める。
「あんま、言いたくなかったんだけど。」
そう言ってから、またこくりと一口カフェオレを飲む。
「俺…正月に翡翠も見たとおり、養父母に育てられた。小さい頃から俺はあの人たちの本当の子供じゃないって知っていたから、子供心にもちょっと遠慮してて、あんまり甘えることをしなかったんだ。」
龍麻の視線は僕ではなく、通りのほうに向けられたままで、まるで独り言を呟くように話し出す。
「それに、相手が自分に何を求めているか、探るのがうまくなっていて。子供心にもお世話になっている養父母に少しでも気に入られるようにって、自分でも無意識にいい子になってたんだよな。…ある意味、なんとも可愛くない子供だったわけでさ。」
龍麻はそう言ってもう一度喉を潤した。
「負けず嫌いの性格も災いしたんだろうな。俺は勉強も運動もわりとできるほうだったから、たいていのことはできたし、こっぴどく怒られることもなく、ひどく落ち込んだりすることもなくこのトシまで来てさ。…それであの紗夜ちゃんの事件のときに、初めて俺はへこんだってわけだ。」
龍麻はふぅとため息をついて、随分と長くなってしまった前髪をうっとうしそうにかきあげる。
「あんとき、正直、俺はどうしていいかわかんなくってさ。…それで初めて考えてみて、自分の周りには素直に自分をさらけ出せる人間がいないって気付いたわけだ。」
自嘲的に笑う龍麻の顔が悲しそうで。
いつも快活で、周りのみんなを従えている龍麻からは想像できない顔だった。
「…ま、そんときにおまえの店に行って、ちょっと愚痴を聞いてもらってさ。なんだかひどく俺は落ち着いちゃったわけだ。…おまえは俺にああしろ、こうしろとは言わない。黙って俺の話を聞いて、俺の気の済むようにさせてくれる。…俺に期待をしないって言うのかな。」
龍麻は頬杖をついて少しだけ笑っていた。
「すごく楽で。…居心地がよくって。…でも、俺のことを一切構わないのかといえば、そうじゃなくって、俺のして欲しいようにしてくれて。そんなのは翡翠だけで。…だから、俺は翡翠に惚れちゃったんだ。」
そういう龍麻の顔は少しだけ赤くて。僕はそんな龍麻を始めてみたからただただびっくりしていた。
「だからさ、価値がないなんて悲しいことは言うなよ。…翡翠は俺にとって充分に価値がある。それこそ一生を賭してもいいぐらいの、な?」
それはおそらく、僕が見た中でも一番の笑顔で。
普段、長い前髪に隠れている目は、さっき龍麻が髪をかきあげたからはっきりと見えている。いつもは意志の強い瞳が今は穏やかに微笑んでいて、僕は、見ただけで泣きそうなほど龍麻のことを好きだって自覚させられた。
「俺にとっての女らしさってのは、俺みたいなふらふらした男のことを黙って見守ってくれる強さだと思うよ。こればっかりは他のヤツらじゃだめなんだ。元男だからこそ、わかることってあるだろう?」
龍麻はそう言って悪戯っぽく笑った。
全く、どうして龍麻はいつでも僕の考えていることがわかってしまうのだろう。
いつだって、僕の願いを叶えてくれて、欲しい言葉をくれて、わかってくれるのは龍麻のほうなのに。
「昨日さ、亜里沙がつまんないこと聞いたから、きっと気を悪くしてるんだろうなって思ってさ。」
その言葉に昨日の龍麻の言葉を僕は思い出した。
「…おまえのどこに惚れたか、これでわかっただろ?…それに、全部ってのは嘘じゃない。まぁ、その答えも却下されたから、あとは宿星ぐらいしか答えようがなくってなぁ。」
ぽりぽりと龍麻は頬をかきながら答えて、やっぱり龍麻は僕の大好きな、そして僕を大好きでいてくれる龍麻であると改めて思った。
「亜里沙は、婚約したからよっぽどのことがあったんじゃないかって勘繰ったみたいだけどさ。婚約云々は毎日少しでも長く一緒にいるための方便で俺にとっちゃ別に大した意味じゃないし。別にこのまま結婚しちまっても良かったんだけど。…さすがに、いきなりそっちの親に無断で婿に入ることもできなくってなぁ。」
そう言ってのけた龍麻の顔は真剣で、僕は思わず真っ赤になってしまった。
「龍麻。」
「んー?」
照れくさいのか、龍麻は通りのほうを向いたまま声だけで返事をする。
「…ありがとう。」
「ばーか。」
楽しそうに笑って、龍麻はカフェオレを飲み干して席を立つ。僕も慌てて飲み干すと口元を拭う。
伝票を持っていった龍麻のあとを慌てて追って外に出るとカフェオレで少しだけ暖まったものの外はやっぱり寒い。
「ほら。」
龍麻が楽しそうに笑いながら肘を曲げてみせたのに気付いて、少し照れながらそっと龍麻の腕に自分の腕を絡めると、寒かった気温は急速に暖かくなったような気がした。




                                       END

 

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