10月の中旬に入って、いよいよ忙しくなってきた。
文化の日に執り行われる文化祭の実行委員になっていた僕は、橘さんの依頼で宣伝用の看板を1枚仕上げなければならなかったのだ。
仕事柄、絵を書くのはそれほど苦手ではない。
みんなとの共同作業でやる大看板と、一人でやる小看板のどちらがいいかと尋ねられ、無論小看板を選択した。長年、人に馴染まなかった自分がそうすぐに人に馴染むような仕事が出来るわけがない。いや、正確に言うと出来ないわけはないが、気が進まなかったのだ。
店番をしながら看板の下書きをしていると、高見沢君が来店する。昨日、旧校舎潜りをした際に、新しい白衣を強請って、買ってもらえることになっていたのだった。
「これがそうだよ。」
用意しておいた白衣を高見沢君に渡す。
「これはね、天使の白衣といって、装備すると追加効果として祝福の効果がある。」
「へぇー。すごぉい。」
感心したように高見沢君は僕の手元の白衣を覗き込んだ。
「サイズは、いま君が使っているのと同じだから大丈夫だと思う。」
「ありがとぉ。」
きちんと畳んで袋にしまうと、高見沢君は嬉しそうに微笑んで受け取った。大事そうに胸に抱きしめたまま、彼女は僕をじぃっと見つめる。
「あのねぇ、如月くぅん、少し、お話していいかなぁ?」
なんだろう?僕はうなづいて座敷に上がるように促した。お茶とお菓子を出すと、可愛らしい声で『いただきまぁす』と言ってから口をつける。
「で、なんだい、お話って。」
「えーとね、如月くんはぁ、幽霊とか大丈夫かなぁ?」
急に言われて眉をひそめる。
「醍醐くんとかはぁ、苦手だからぁ、醍醐君にはそういう話はなるべくしないようにってダーリンから言われてるのぉ。如月くんは大丈夫ぅ?」
幽霊の話?一体何のことだろうと、話の内容に予測がつかないままうなづいた。
「よかったぁ。」
にこ、と甘く微笑んで彼女は話を切り出した。
「あのねぇ、如月くんの後ろ、おかあさんがいるのぉ。」
ぎくっとして慌てて振り返るが、そこには縁側の廊下に出る障子しかない。
「見えるぅ?」
「いや…。」
「そっかー。あのねぇ、でも、いるんだよぉ。如月くんによく似た、すっごい美人の人なのぉ。」
もう一度振り返るが、確かにそこには誰もいない。
でも、彼女のそういう能力が本物であることは前前から聞いていたし、何よりもそれにより改心(?)した藤咲君が強力な証言者となっていた。
「それでね、おかあさんが、ごめんねってずうっと泣いてるの。」
泣いている?
三度、後ろを振り返る。
「どうして…?」
掠れる声で聞き返すと、高見沢君は泣きそうな顔で続ける。
「お母さんが護ってあげられなくってごめんね、って。それから全てをあなたに押し付けた形になってしまってごめんなさいって。」
僕はその言葉に沈黙した。別に、そのことで母さんを恨んだことはない。寿命が短かったのだから、不可抗力というものだ。母さんのせいではないだろう。
「それでね、もう、鬼道衆はいないでしょぉ?ここから先はもう無理しないでいいよって言ってるよぉ?」
もらい泣き、なのだろうか、高見沢君の目に一杯の涙が浮かんでいる。僕も、こうして女の子らしく可愛く泣けたらもっと楽だったのに。ぼんやりと彼女を見ながらそんなことを考えていた。
「それでね。もう飛水流や家にこだわらなくていいから、普通の女の子の幸せを追いかけなさいってぇ。」
その瞬間、僕は本当に凍りついた。
「な、何を…。」
うろたえて高見沢君に聞き返す。
「如月くん、女の子なんだっておかあさん言ってるよぉ?」
きょとんと、どうして僕が驚いているかが分からないように、彼女は小首を傾げている。
「だからね、もう、いいんだって。女の子に戻って、ちゃんと好きな人と結ばれて、幸せになりなさいって。如月の家は、なくなってもいいって言ってるよぉ?」
何を言い訳しても繕えないようで、諦めて大きくため息をついた。
「それだけ、かな?」
「うん。でもね、本当に幸せになって欲しいって、言ってる。」
いまさら、幸せになれなんて、どうかしているよ母さん。
「声、聞きたい?」
高見沢君に尋ねられゆっくり首を振る。
「いや。いい。…ありがとう、でも、このことは誰にも…。」
言いかけた僕に高見沢君の顔がにわかに曇る。
「ごめんねぇ、一人だけ知ってるの。」
すまなさそうに、綺麗に整えられた眉を寄せて彼女が言う。おおかた藤咲君あたりに喋ったのだろうか。
「藤咲君かい?じゃあ、僕の方からも言うけど、君からも厳重に内密にしてくれるように言っておいてくれるかい?」
頼んだ言葉に彼女はふるふるとふわふわの巻き毛を揺らしてかぶりをふる。
「そうじゃないの。亜里沙ちゃんじゃなくって、ダーリンなのぉ。」
なんだって?
僕の心臓はそこで止まるかと思うくらいに凍りついた。
よりによって一番知られたくない人に知られてしまった。
本当だったら高見沢君を怒鳴り倒すところだが、あまりにもショックで、呆然としてしまった。
「どうして、彼に…。」
からからになって、しわがれた喉からようやく掠れたような声を絞り出す。目の前の高見沢君は小首を傾げて、人差し指を口にあてて『うーん』と考えてからにこっと微笑む。
「そーゆー大事なことダーリンが知らないとぉ、あとで何かあったときに、ダーリンってば自分を責めてすっごーく落ち込んじゃうから。」
その言葉に3ヶ月ほど前の、傷ついた彼の姿を思い出した。確かにそうかもしれないから、高見沢君を責める気にはならなかった。
「そうか…。」
ため息混じりに呟くと、彼女は落胆した僕を気遣って続ける。
「でもね、安心してね?ダーリンもぉ、舞子にィ、絶対に誰にも言うなって言ったからぁ、これはダーリンと舞子とぉ、如月くんの秘密。ね?」
一番隠しておきたかった相手にばれてしまったのだから、今更秘密も何もないもんだが、と思ったが、とりあえずうなづいておいた。
やめよう。別に誰が悪いわけではない。
僕がうなづいたのに安心したのか、高見沢君は白衣の礼を言って、大事そうに抱えて帰っていった。その後姿を見送り、彼女の姿が見えなくなると同時に速攻で店を閉める。
外からは誰もいないように見せかけて。
そうして、僕の気も絶って家に篭もる。
彼のことだから、女だと分かったら絶対に来る。男性には俺様的なところのある彼は、あれで女性には優しいから今までに行った非礼の数々を絶対に謝りに来ると確信していた。
今までのこと、謝って欲しくなんかなかった。
謝られたら、今までのこと全てがやはり冗談だったんだと、裏付けられてしまうから。
それに、今は彼に会いたくなかった。もう、これ以上このことで考え込むのも、失望するのもイヤだった。疲れ果てていたのだ。
何も見たくない、何も聞きたくない、何も考えたくない。
ひたすら気配を消して息を潜めて家の中に閉じこもっていた。
小さい頃から、物心もつかない頃から玄武として、如月家の跡取として、飛水流を継ぐものとして育てられてきた。
やがて出会うはずの黄龍の器との関わり、玄武の使命、飛水流の矜持。そして、この血を絶やさぬようにと、何度も何度も、念入りに呪文のように繰り返されてきた教え。
そうして、僕が完成した。
己の幸せなど考えるなと散々教えられてきて、今更如月家は潰れても構わない、幸せになれなど。どうかしている。
夢見る心は麻痺している。女の子らしい仕草も、心遣いも、優しさも何もない僕が、今更どうして女の子の幸せなど掴めるか。
きっと幸せになんかなれない。
僕の幸せが、僕の望む人によってもたらされるものならば、なおさらのこと。
きっと一生彼以外を望まない。
だけど、彼は他の人を見ているから。
あとは誰が相手だって同じことだ。血の存続のために誰かと寝て、子を産む。
もし、家を捨てて、如月の血を絶やしたとしても。結局は子をなすかなさないかだけの違いで、どっちにしろ僕が望む幸せではないのだから。
どうせ、幸せになれないのなら、如月の家を護っていく方がまだマシだろう?だから、この家は、この血はちゃんと続けるよ。それだけしか、僕には出来ないのだから。
ねぇ、母さん。それでも、本当は幸せになりたかったんだよ?
女の子として、好きな人の隣にいたかったんだ。好きだって思ってもらいたかったんだ。
全て、叶わないことだけど。
それから彼は毎日店を訪れた。
僕は忍者の末裔で気を隠すのが業であるから、聡い彼にも中にいることが知られることはなかった。しばらく店の前にいて、また去っていく。
遠ざかってく彼の気に、ほっと安堵の息を漏らしてからそっと庭に出る。
書きあがって外で絵の具を乾かしていた文化祭の看板を取り込むためだった。
外は今にも雨が落ちてきそうな重い空模様で、庭に出していた看板を取り込んでからぼんやりと空を見上げる。
それはまるで今の自分を象徴するような天気。
嘆息しながらゆっくりと視線を濃い灰色に翳った庭に戻す。
女であることを知られてしまい、彼から隠れるようにして過ごし始めてから5日が経った。
考えまいとしても、やはりいろいろと考えこんでしまう。
護るべき黄龍にそんな感情を抱いてはいけないとわかっていたのに、すぐ側に菩薩眼の少女がいるのも分かっているのに、それでもなお、その思いは止められなかった。
それどころか。
彼を落ち込ませた亡き少女に嫉妬をし、常に側にいる菩薩眼の少女にもきっと嫉妬をしていた。彼の前では女でもない自分は適わないと分かっているのに、分かっているからこそ、嫉妬をしていたのだ。
それだけではない。
今から思うと、菩薩眼の少女だけではなく、元気な弓道部の少女にも、オカルトの求道者にも、果ては燃えるブン屋魂を持つ少女達にも同じ学校に通っているというだけで、おそらく微かな嫉妬をしていたに違いない。彼女たちの着ている、白いセーラー服がとてもうらやましかったのだから。
それだけじゃない。
一緒に戦ってきた仲間の、女の子にさえ嫉妬をしていた。
妖艶なるムチ使いも、天使の微笑を持つ看護婦も。双子の巫女姫たちも、朱鳥の化身の小さな女の子にさえ、女として、異性として彼に関われることをとてもうらやましく思っていたのだ。
なんて醜い。
おぞましくなるほどの醜い嫉妬の感情が自分の中にあったことに驚いてしまう。自分はいつからそんなに醜悪な女に成り下がってしまったのだろう。
再び空を見上げると、丁度ぽつりぽつりと冷たい雫が毀れ始め、見る間にそれは激しくなり、この時期にしては珍しく強い雨となる。次から次へと落ちてくる雨粒を受けながら僕は飛沫に煙る庭にぼんやりと立ち尽くす。
このまま、全て流れてしまえばいい。
この醜い感情も。最初で最後の甘やかな思いも、全て綺麗さっぱりと洗い流されて、もとの、すっきりとした淀みのない自分に戻りたかった。
でも、知ってしまったから。
人を好きになることの嬉しさも、悲しさも。
もう、元には戻れない。
ざぁざぁと激しくなる雨音が耳につく。それは自分の愚かさと醜さを激しく攻め立てているように聞こえた。
ぼんやりとした頭で視線を机の上の時計に向ければ昼前だった。
おととい、長い時間雨に打たれてた所為で、最もその前からの寝不足やなんやかやで、結局風邪を引いてしまい、昨日、久しぶりに学校を休んだ。
それほど体調は悪くはなかったが、なんとなく億劫で、しかも雨に紛れて大泣きをしたために目が腫れていて、そのせいもあって学校に行く気がしなかったのだ。
そして、1日中、久しぶりに古文書やら何やらを時間も忘れるほどに読み耽っていたのだけど、ちゃんと養生しなかったのが悪かったのか、今朝になってから気だるさは一層増して、立ち上がるのさえやっとの状況になっていた。
どうせ今日は最初っから休むつもりだった。
18回目の誕生日は風邪で寝て過ごすことになってしまった。風邪でなくても今日は家から出ることは適わないだろうからどうでもいいのだけど。
どうせ家にいるのなら今日はちゃんと養生しよう。
そう決めて、布団を顎下までしっかりと掛けてふぅと息をつく。
一人きりの家の中は静かで、店にある大きな柱時計がぼーんぼーんという音を響かせていた。
広い家の中でずうっと一人で暮らしてきたから、病気になると途端にその不便さを実感する。咳き込むほどの軽い風邪ならともかくも、関節がだるくなったり、熱が出たりするような動けなくなる風邪だと特に不便だと思う。
こういうときのために式の研究を本格的に始めたほうがいいかもしれない。
熱に浮かされ、ぼんやりとした頭の片隅でつらつらと思う。
誰かがいてくれるといいのになぁと、自分勝手なことを考えているとぽんっと頭の中に現れるのは彼の顔。自分で思い浮かべておきながらあまりに都合のいい想像に恥ずかしくて真っ赤になり、続いてまだ未練が残る自分の心に嫌気が差して落ち込んだ。
ほんと、しつこいよなぁ…。
たとえ女のなりをしていたとしてもこんな性格じゃ元から好かれるわけがない。こっそりと自嘲の笑みを浮かべ、そして際限なく落ち込みそうな予感に、気分転換のため、少しお茶でも飲もうかと布団から起き上がった。
くらり。
急に目の前が回る。あんまり食べていないせいだろうか?それとも寝すぎたせいだろうか?どちらにしても大したことはないだろう。そうタカをくくってそのまま立ち上がろうとした。
ぐらーり。
急に世界の上下が分からなくなり、そして意識はそこで途切れた。
喉が張り付くような痛さで目が覚めた。喉が渇いた。
今朝のような気だるげな感じはなくなったが、まだ少し調子が戻らない。首が凝ってて、ちょっと動かすと頭の上から何かがずるりと滑り落ちる感触がある。なんだろう?
独り言のように、しわがれた声で「みず」と呟いて、起き上がって水を飲もうとすると、急に目の前にコップに入った飲料が差し出された。ありがとう、とうっかり礼を言いそうになって、ようやくその異常に気がついた。
「きゃあっ!」
思わず悲鳴をあげ、がばっと一気に起き上がると、布団の傍らにはにこにこと微笑む彼が座ってる。
「なっ、なんでっ…ここにっ。」
無意識に出た言葉に、彼は困ったようにぽりぽりと頭を掻いて答える。
「あ、ごめん。…でも、倒れてたから…。」
どうしてここにいるかの答えになっていないが、もう僕にはその答えさえ耳に入っていない。起き上がった自分の格好は明らかに女性で、もう、どんな言い訳も通用しない状態だった。
完全にばれてしまった。
そう思うのと同時に、ぼろぼろと涙が毀れる。
「きっ…きさらぎっ!?」
急に泣き出した僕に驚いた彼が名前を呼んだが、速攻で布団をかぶってしまった。
どうして。どうして見られてしまったんだろう。
ばれてしまった。完全に、もう言い訳できない。この姿を見られていなければまだ誤魔化しようがあったかもしれないのに、もうこれで全てが終わりだ。
僕はただ、泣き続けた。
どうして泣いているのか自分でもよく分からない。悔しかったのか、悲しかったのか、惨めだったのか、寂しかったのか。ただ、泣けてきて、布団に丸まったまま声を殺して泣いていた。
彼はずっと布団の傍らに座っていたようだったが、やがて動く気配がする。
「あの…さ。お粥、炊いたから。腹減ったら、食べて。それから枕もと、イオン飲料と薬あるから。」
そう言ってから立ち上がって帰るのか、部屋を出て行こうとする気配。
「あ、それから橘さんが心配してた。看板、どうなったか連絡くれって。…それだけ。」
思い出したようにそう付け足すと、今度こそ本当に出て行こうとして襖を開けた気配がした。
彼が帰ってしまう。
そう思うだけで絶望に近い感情が喉元まで競りあがってきて一杯に溢れかえる。
「あの…。」
僕は思わず呼び止めていた。
「なに?」
立ち止まった彼に、なんといっていいか分からずに、とりあえず事実の確認をすることにした。
「…見たのか?」
我ながらなんと愚かな質問だろう。
「なにを?」
言おうか言うまいか一瞬、逡巡したが最初に聞いてしまった手前、やめるわけにも行かず、愚かな問いを重ねてしまう。
「…女だって…こと。」
もういい。いっそのこと嫌われれてしまえばいいんだ。彼のことを騙してたり、愚かな感情を抱いていたりしたこと、全部分かってしまって、嫌われれば諦めがつく。
「うん…でも舞子から聞いてたし。」
「そうだな…。」
彼の気配が襖の側から戻ってきてすぐ横に来て座り込んだ。諦めるつもりで、なんて言うか言葉を探すけど、普段は割と回転がいいはずの頭はこんな時に限って動かない。全く役立たず。自分に自分で腹を立てていると、彼の方から声をかけてくる。
「ごめんな。…俺、男だとばっかり思っていたから、すげー、一杯失礼なことした。」
その言葉に、今までの色々なことは男だと思っていたから、からかったりじゃれたりするつもりで言ったのだということを改めて思い知らされる。
やっぱり、浅はかだった。友情と愛情をカンチガイしていたなんて。
「いや…いい。気に、してない。」
僕が悪いのだから。彼にはなんの罪もない。
僕が彼を騙して、彼は疑いもせず、ただ男だと信じていて、それでいろいろと言ってきたのだから。
だけど、悪意があって騙していたわけじゃない。…いや、そんなこと彼にとってはどうでもいいことだろうけれど。
「…騙してて…すまない。」
謝罪の言葉を口にすると、余計に辛くなって涙がまた毀れ始める。泣くまいと思っていても自然と涙が出てくるのだ。声をあげて泣いてしまいそうになるのを何とか抑えるが、全部は抑えきれずにしゃくりあげた。なんてみっともないのだろう。
もう二度と会えない。こんな醜態を晒して、彼に会わせる顔もない。
「気にしてない。むしろ、女の子ってわかって、ほっとした。」
だけど、布団の外から聞こえたのは意外な言葉だった。
同時にぽんぽんと、優しく、まるで母さんが子供をあやすような感じで布団をたたく感触がする。
女の子とわかってほっとした?女のほうが良かったということか?その意味することがわからなくて考え込んだ。
「どう…して?」
それでもやっぱり分からなくって、彼に問い掛けると、おどけたような明るい口調で答えがすぐさま返ってくる。
「そりゃ、自分がホモじゃないってわかったから。」
ホモじゃないってわかったから?ホモって言うと、いわゆる、サル目ヒト科ヒト属のことではなく、この場合はきっと男同士の恋愛とかをさして言っているんだよな?
僕はまた考え込んでしまった。
僕が女の子でよかったと思ったのは、ホモじゃないって分かったからで、逆にいうと、彼は男だと思っていて、自分がホモだって思っていたということか?
彼はホモだったのか?いや、でもホモじゃないってわかったっていったじゃないか。
混乱した頭で考え込んでも余計に混乱するだけで、もう一度尋ねることにした。
「どういう意味…?」
「如月がスキだっていう意味。」
即答。
そうか、僕が好きだったのか。
え?
僕は慌ててがばっと跳ね起きた。急に起き上がったから頭がくらりとするけどそれどころじゃない。僕が好きだなんて、そんなことありえない。
目の前にいる彼は照れたように少しだけ頬を赤くして、でも最初に出あったときと同じように、優しげに微笑んで僕を見つめていた。
嘘を言っているようには見えないけれど、でもそれはきっと気遣って言っている嘘だと分かってるから。
そんな気使いなら辛いだけだから、いっそのこと嫌いだっていってくれたほうがまだマシなのに。
「…嘘だ…だって、美里さんが…いるじゃないか…。」
震える声で言った。彼女のために、かわいい花の模様のついた櫛を買っていったのは1ヶ月前。
絶対の一対の前には僕は立ち入ることもできないから。
「美里?…なんで?」
しかし、彼は怪訝そうに首を傾げて尋ねる。なんで美里君の名前が出るか納得いかないようだった。それが芝居なら、彼はとんでもない名優だ。
「プレゼント、あげてたし。」
ぼそぼそと言うと、ああと短くうなづく。
「そりゃ、友達だし。誕生日だって分かってればみんなにあげてるぜ?雨紋だって、ミサちゃんにだってあげたもん。」
心外だというように、彼は唇を尖らせて反論した。彼らの誕生日はうろ覚えだが、7月だったような気がするから、僕が仲間になってすぐか、もしかしたら仲間になる前かも知れない。
僕が知らなかっただけ、なのだろうか。
8月に誕生日を迎えた仲間を考えてみるけど、どうも思い当たる人がいない。9月も美里君だけで、他の仲間も誰もいないのだ。
「ちょっと待ってて。」
僕が考え込んでいる間に彼はそう言い置いて店のほうに行く。どうしたのだろうと思っていると、すぐに嬉しそうな顔で戻ってきて傍らに座り込んだ。
「如月、今日が誕生日なんだってな。知らなかったからさ、なんも用意してなくって。」
なんで知ってるんだろう。一度も誕生日を言った覚えはないのに。そう思っていると不意に手を取られ、何かをそっと指にくぐらせた。みると、僕の薬指に、翠玉の指輪がはまっていた。
「あ…。」
美里君たちが装備する指輪は、僕の指に収まって、骨董品らしく落ち着いた輝きを放っている。その指輪の意味を図りかねていた。薬指にする指輪は本来なら結婚指輪とかだけど。
いや、ただのプレゼントでこうしただけで、深い意味などないのだろう。
そうだとしても、例え僕の店の品物だとしても、彼が僕にしてくれたことが単純に嬉しかった。
「女の子に贈り物するの苦手なんだよね。何贈ったらいいかわかんないし。でも、ひとつだけ決めてることがあんだよね。」
指輪を凝視している僕に彼は照れ笑いしながら言う。
「どんなに強請られても、指輪は本当に好きな子だけにあげようって。」
本当に僕が好きなんだろうか?
どうして?
すぐ側に、絶対の一対の相手がいるじゃないか。
マドンナの名高い、聡明で美しい優しい彼女。誰もが憧れる彼女がいるのに、どうして僕なんかに。
きっとからかわれているのだろう。そうじゃないなら、同情されているのか。僕は、彼女に勝てるところなど何一つない。
「…僕は…可愛くない…。身長だって、すごく大きいし…いつも男の格好してるし…性格だって…、みんなみたいに明るい…普通の女の子じゃない…。僕は…君に…好きになってもらえるような…ところがない…。」
もっと可愛くなりたかった。こんなに頑迷で、しかも男の格好をしている大女なんて誰が好きになるだろうか。誰からも好かれるような、可愛い、優しい女の子になりたかったのに。
「だから…冗談や、遊びなら…放っておいてくれ…。」
もうこれ以上、悲しい思いを味わいたくないから。
本当に、彼のことが好きで、好きで、諦められないほど好きだから、こんな冗談は辛すぎる。
それにこの如月家を護っていかなければならない。だから、彼と付き合うなんて到底無理なことだから。
「俺さ、身長183センチなんだけど?10センチくらい差がありゃ充分だろ?まぁ、なんで男の格好してるかわかんないけどさ、まぁ、それなりの事情があるんだろうし。…しょうがないじゃん。…お前が男の格好してても惚れちゃったんだから。」
ため息混じりに、苦笑して言う彼の言葉に、まだ戸惑いを隠せないで俯いたままだった。
「俺は、本当に如月が好きだよ?…前にここに婿に来たいっていったのも、本気だし。」
え?
思わず驚いて顔を上げて彼を見た。恥ずかしそうに笑ってる彼と目が合う。
ここに婿に来るというのは、僕と結婚するということだってわかっているのだろうか。
「ま、如月が嫌なら仕方ないけどね。」
半ば自嘲気味に彼が言った言葉に呆然としていた。
ほんとに?本当に、あれは嘘じゃないの?信じていいのだろうか?男同志でからかった言葉じゃないんだろうか?
まだ、彼を好きでいてもいいんだろうか?
この思いは受け入れてもらえるんだろうか?
「僕は…高いよ?」
試しに脅した言葉にも、彼はにっこりと微笑んで尋ねる。
「いくら?」
「僕は…この家を、如月の血を護っていかなくちゃいけないんだ。…だから、付き合うにはそれ相応の覚悟を決めてもらわないと。」
これならきっと彼だって断るだろう。
僕は、人に関わるのが苦手だから、きっと人を好きになることなんてそうそうない。それに、おそらく彼以上に好きになれる人間なんてこれからも出現しないかもしれないから。恋愛とかに器用じゃない僕は遊びで付き合うことなんかできない。真剣に将来のことを考えた付き合いじゃないと、できないと思う。
それでも彼はにっこりと笑った。
「うん。頑張るよ。」
その返事にきゅーっと胸が苦しくなった。自分の中にあるこの思いを口にしてもいいんだろうか?
「君の一生を、僕に払ってもらわないと。」
震える唇でいうと彼はにこやかに微笑んだ。
その笑顔に背中を押されて、ずっと春から誰からも知られないように胸の奥に仕舞っておいた気持ちが口から毀れ出る。
「…僕は…君が嫌だと言うまで…側にいたいよ…。…ううん、君が…僕のことを嫌いになっても…きっと、ずっと…好きでいる。」
一生に一度の告白。
彼はふわりと微笑んでうなづいた。
「俺の一生なら安いもんだ。」
僕はそのときの彼の笑顔を一生忘れない。
この先にどんな大変なことがあったとしても、この笑顔を思い出せば耐えていける。
僕は、一生君を護るよ。
玄武ではなく、如月翡翠個人として。君には力は及ばないけど、どんなことでも、君が僕の力を必要とする限り、君に従う。
でも、その前に。
僕はにっこりと彼に微笑んだ。
「とりあえず、16万8千円。」
「え?」
何を言われているか気付かないようで、彼はきょとんとした顔で僕を見た。
「この指輪の代金。」
すると、彼の顔からさーっと一気に血の気が引いていく。
どうやら、この指輪の金額を知らなかったらしい。美里君は旧校舎で入手した鷹目石の指輪をずっと愛用しているし、裏密君はやはり旧校舎で拾ったソロモンの指輪を愛用しているので、ここのところ指輪など買ったことがなかったから、まさかこんなにするなんて思わなかったのだろう。
「マジ?」
「マジ。」
ひくっと彼の顔が引きつる。
「ぶ、分割払い…でいい?」
「利息取るからね。」
がっくりとうなだれる彼を見ながら、僕は笑いを隠せなかった。
声をあげて笑う僕を、彼は驚いた顔をして見て、そして一緒に笑った。
今はまだ、全部言えないけれど、いつかきっと打ち明けるから。玄武としての使命も、それだけでは抑え切れない気持ちも。
僕はそれまで全力で彼を守り抜くことをそっと心に誓った。
そして女に生まれたことを、初めて僕は感謝した。
END
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