1月7日。僕は如月さんの家に手伝いにやってきていた。
新学期を明日に控え、龍麻は今日如月さんの家に引越しすることになり、その手伝いに来ていたのだ。
「これで全部かい?」
「ああ。」
新宿の、館長の持ち物であるマンションを引き払い、龍麻の荷物を車に乗せてやってきた。もともと荷物は少なく、いくらかの着替えと、学校の勉強道具、それに本がダンボールに1箱、それから洗剤等の生活雑貨のみだったので、ワゴンタイプの車1台に軽く乗ってしまう程度で、午前中にその作業も終わろうとしていた。
昼を少し回った頃、如月さんが外出から戻ってくる。
「おかえり、どうだった?」
心配そうな顔を見せる龍麻に如月さんは柔らかく微笑んで答える。
「無事に済んだよ。」
如月さんは朝から王蘭学院の編入試験を受けに学校に行っていた。どうやら編入試験には合格したようで、これで晴れて明日から女性として学校に通うことができる。念願が叶った如月さんは嬉しそうに制服の準備をしていた。
荷物を全て片付け終わり、簡単に昼食を取り、食休みをしていると意外な人物がこの家を訪れた。
「御門さん…。」
僕は不機嫌そうに顔をしかめている御門さんと、その後ろに常に従っている芙蓉さん、そして僕は初対面だったけど車椅子であることから秋月さんと目される人物の3人を前に少し驚いていた。
「よう、御門。」
龍麻は御門さんたちの来訪に驚くようでもなく、居間に3人を通す。
「ここに来るって聞いたから、ついてきちゃった。如月さんや龍麻さんにお祝いも言いたかったし。」
秋月さんはにこにこと微笑みながらそう言った。邪気のない、素直な人なんだと僕はその笑顔から人柄を推察する。
「今、お茶を淹れるね。」
立ち上がりかけた如月さんを、御門さんは引き止める。
「それより。先に用件を済ませてしまいましょう。」
不機嫌そうに言う御門さんに龍麻は苦笑しながらうなづいて如月さんに言って奥の部屋に案内させる。龍麻は行きがけに僕を振り返ってお茶を淹れるように指示して廊下の奥に消えていった。
後に残った僕は龍麻の指示どおり、勝手知ったる他人の家とばかりにお茶を淹れて居間に残る二人に出す。
「恐れ入ります。」
芙蓉さんはいつものとおり表情を変えずに軽く会釈をし、秋月さんは嬉しそうに微笑んで僕に礼を言う。
「はじめまして、ですよね。」
秋月さんは少し首を傾げて、僕に尋ねる。
「はい。…壬生紅葉といいます。」
考えてみれば、僕はこの1ヶ月間にどれだけ名前を名乗っただろう。今まであまりしなかった分を一気にこの1ヶ月でしたような錯覚さえおきるほどだ。これも龍麻と行動をともにしたからだろう。
「僕は秋月マサキといいます。」
秋月マサキ。
僕はその名前にすばやく反応する。
星見の能力者を代々輩出する秋月家の当主。その能力を狙っている人物は数知れず、それを陰陽師の東の頭領である御門さんが悉く退けているのは裏世界では有名な話であった。
これが、秋月家当主。僕は思ったよりも柔和な印象に少なからず驚いていた。
「ふふふ、村雨から壬生さんのお話は伺っています。」
さもおかしそうに秋月さんが浮かべた笑顔と、情報の発信者が村雨さんであることから僕はロクでもない人物に祭り上げられていることを覚悟する。
「村雨さん、か。…ロクでもないことを言われている気がしますね。」
僕のつぶやきに秋月さんはくすくすと笑い、次に悪戯っぽい笑顔で僕を見る。
「龍麻さんの式神だって、村雨は言っていました。」
その言葉に秋月さんの隣に控えていた芙蓉さんが僅かに顔を緩ませる。
依りによって式神とは。
僕はそれでもその言葉を否定できない自分の現状に小さくため息をつく。
「僕に芙蓉がついているように、如月さんには壬生さんがいらっしゃると、村雨が言っていました。」
「…別に、僕は如月さんの世話してるわけではない…と思う…けど…。」
でも、それも完全に否定できない。考えてみれば、僕は如月さんの家にいる確率がかなり高いのだ。
式神と舎弟ではどっちがまともなんだろう?
考え込む僕の前で秋月さんはさらに言葉を続ける。
「龍麻さんは壬生さんをとても信頼なさっているんでしょう?龍麻さん、信頼できない人間は側に置かないって言ってましたから。」
僕はその言葉に思わず秋月さんを見つめ返す。
「龍麻さん、ああいう性格だから自分のやることに口出されるのが嫌いなんですよ。蓬莱寺さんも如月さんも、壬生さんも、自分のやることには口を出さないで、それどころか自分の動きやすいようにサポートしてくれるから、一緒にいて楽なんだって言ってましたよ。」
それって、口を出すだけ無駄だって、僕も如月さんも蓬莱寺も分かっているだけの話なんじゃないか?内心、そう思ったが僕はそれを口に出さずにいた。
「龍麻さんを信頼してくれる人間だから、自分も信頼してるって。信頼できるから側に置いておくんだって。」
信頼。僕は改めて龍麻が他人にそういうことを話していることに驚き、そしてくすぐったい気分になった。
今なら龍麻のあの王様気質も全部許せるような気になる。
顔が緩みそうになるのを必死で堪えているところに御門さんが戻ってくる。
「終わったの?」
秋月さんの問いに御門さんは軽くうなづいた。
「ええ。今、衣装をつけていますよ。」
御門さんが座ってから、僕はお茶をだす。
じろりと、不機嫌そうに御門さんはそれを一瞥して、次に僕を真っ直ぐに見据える。
「壬生さんは、龍麻さんになんと言われたのですか?」
僕は最初、その質問の意味がわからなくて、え?と聞き返した。
すると彼は蔑むように僕を見て、それからああと一人で納得したようにうなづく。
「君は、気付いていないのですね?彼に呪いをかけられたことに。」
なんのことだ?僕が首を傾げる様子にさらに御門さんはおかしそうに笑って言葉を続ける。
「龍麻さんは、先日の打ち上げのとき、呪いをかけたのですよ。」
呪い?僕は思い当たることがなくて考え込む。
「龍麻さんと如月さんの婚約。…あれは、あの場にいた人間ならば如月さんが龍麻さんに婚約をして欲しいと願ったように思えましたね。」
「ああ。そのことか…。」
僕はそのからくりについてはとうに気付いているので軽くうなづいて、それから彼の言わんとすることを先に言う。
「あれは、そう見せかけただけだろう?本当は如月さんが女に戻らなくても、そうしたに違いないよ。」
「なるほど。さすがに表裏だけはありますね。そこまではわかっていましたか。」
冷ややかに言う彼の『そこだけは』という言葉にひっかかって、僕は再び首を傾げる。
「それだけじゃなかったのかい?」
「ええ。彼は、あの場で決して誰も如月さんに手を出さないよう呪いをかけたんですよ。」
御門さんは不機嫌そうにそう言い放った。
「婚約した、ということ以外に?」
「それで大概の人間は手を出すのをやめるでしょう。でも、龍麻さんはその中でも特に如月さんに近い人間にはさらに呪いを強化した。…呪いをかけられたのは3人と、私はそう思っています。」
「3人?」
「蓬莱寺、村雨、もう一人はあなたですよ。」
僕?僕は何かされただろうか?
そのときのことをざっと考えるが、とくに思い当たる節はない。
「蓬莱寺には、『未来永劫、相棒はおまえだけ』という言葉。彼はあれでも義に厚く、友を尊ぶ人間です。その彼が、大事な相棒の婚約者に手を出すはずがない。相棒という言葉を居並ぶ仲間全員の前で使うことにより、呪いの効力はさらに強化される。龍麻さんはそこまで考えて、言霊を使って彼に呪いをかけたのです。」
なるほど。僕は御門さんの言葉にうなづいた。確かに、あの話の流れでいきなり相棒の話は少し変だった。
「じゃあ、村雨さんは?」
「あれは、私がまんまと乗せられたのです。」
御門さんはうってかわって苦虫を噛み潰したような顔になった。
「あのとき、私はしつこく食い下がる村雨に言ったでしょう?『あれだけ一緒に遊んでいて女と気付かなかった村雨も悪いのですよ。』」
そういえば、確かにそう言っていた。
「あれは村雨にとって、如月さんに対しての敗北勧告に他ならないのですよ。そして、村雨のあの性格です。一人の女性をしつこく、みっともなくつけまわすようなマネはしない。もし、村雨がそれでも如月さんのところにいったとしましょう。でも、如月さんの側には龍麻さんがいる。そして、如月さん自身にも隙はない、つまり村雨には勝ち目はないのですよ。彼は勝ち目のない勝負はしないですからね。」
ああ、確かにそうだろう。それに、いくら村雨さんの強運でも龍麻に叶わないことは実証済みである。
僕はそこまで考えて手を回した龍麻の機略にうそ寒い気がした。
黙り込む僕に、御門さんは小さくため息をついてさらに続ける。
「しかし。私はわからないのですよ。…本当に龍麻さんが警戒すべきなのは蓬莱寺や村雨より、あなただと思います。…龍麻さんは一体、あなたに何を言ったんですか?」
それで僕はようやくこの難解なパズルのピースが全てはまったような気がした。
信頼、信用。
そう、龍麻が僕にかけた呪いは、それだった。
僕を信用して、信頼して、必要としてくれる。それが龍麻と表裏の、その間を裏切れない僕に対して龍麻がかけたとびきり強い呪いだったのだ。
やられたな。
僕はおかしくって仕方がなかった。呪いをかけるために僕に信頼している、信用していると口にした龍麻に、不思議と怒る気にはならなかった。
なぜならば、僕は分かっているから。本当に信頼していなければ、そんなことを例え嘘でも言うような人間ではないって事を僕はこの短い付き合いの中でとっくに承知していた。
「さぁ…僕には…なんだったんだろう?」
僕は御門さんの問いには答えずにとぼけてみせる。気付いていない振りをした方がいいと、僕の本能がそう言っていたのだ。
第一、あの御門さんが自分がうっかり乗せられた失敗談を何の目的もなしに言うはずがない。きっと、龍麻にちょっとした意趣返しをしようと思っているに違いない。僕はそんなつまらないことに巻き込まれるのはゴメンだった。
「御門―、出来たよー。」
奥から丁度良く龍麻の声がする。それから廊下を何人かで歩く音がして、障子が開くと、驚くことにはそこには龍麻と、如月さんが二人、立っていたのだった。
一体、これはどういうことだろう?
「どう?」
男性の如月さんがくるりと回ってみる。
「ああ、結構ですね。」
御門さんは相変わらず不機嫌なままで答える。
「これ…どういうこと?」
尋ねた僕に龍麻はにっこりと微笑んで答える。
「如月のフェイク。近所の人や学校のクラスメイトに疑われないようにするために御門の力を借りて作ったんだ。」
ソレはとてもよくできていて、僕でさえどっちがホンモノの如月さんなのか分からないほど。多分、今までの振る舞いを見て、女性の制服を着ているのがホンモノなんだと判断したぐらいだった。おそらく御門さんの術で作り出したものであろう。
如月さんは僕ら仲間には女で会ったことを告白したけれど、男として学校に通っていたことを他の、一般の生徒に告げる気はないらしい。僕もその方がいいと思う。あれほど人気のあった如月さんが実は女だったなんて、パニックになりかねない。
確かに、男であった如月さんと身長も体格もほとんど変わりがないことに不審を抱く人間がいないとも限らない。人に見えないように体型に補正をかけていたらしいけど、それにしても一番肝心な身長や、顔が同じではいくら双子だと言い訳をしたとしても疑われることは必至である。
疑われない一番いい方法は何か。それはもちろん、如月さんが同時に二人存在するところを多数に目撃させることが一番確実である。
それにしても、僕はひとつだけ腑に落ちないことがある。
二人の如月さんをみんなに見せるためフェイクを作ったというのは理解できるが、わざわざそれに御門さんが力を貸していることがどうも納得ができないでいた。
如月さんのフェイクを作ろうが作るまいが、如月さんが男の格好をしていたことが誰にばれようが、御門さんには全く関係のないことである。それなのに、わざわざ御門さんがここに足を運んでまで自分の力を貸すことが僕には理解できない。御門さんは自分に関わりのないことに自分の力を使うような人ではないからだ。
秋月さんが龍麻と如月さんにお祝いの言葉を述べ、贈り物をしているのをぼんやりと眺めながら僕はどうして御門さんが龍麻に力を貸したのかを考えていた。
「無事、大役を果たされて、本当に良かったですね。」
「大役、というほどのことでもないけれど…そうですね、少し、ほっとしたかな。」
照れくさそうに答える如月さんに龍麻が優しげな視線を投げかけている。
さっきのあの会話のあとだけに、この視線も実は芝居なんじゃないかって疑ってしまう。
「…なんにせよ…自分の好きな人と結婚できるって…羨ましいですよ。」
秋月さんが穏やかに微笑みながら如月さんに言うと、如月さんはさらに恥ずかしそうしている。
御門さんはというと、相変わらず不機嫌そうに黙ったまま秋月さんの隣に控えている。
どうしてこんなに不機嫌なのだろう。僕はそう思いながら如月さんと秋月さんのやり取りを聞いていた。
それから小一時間、秋月さんは楽しそうに龍麻と如月さんの仲を冷やかしたり、羨ましがったりしてから帰って行った。
「さーて。それじゃあ、ご近所に挨拶に行って来るか。」
龍麻は伸びをしてから如月さんと、店の中に立っているフェイクの如月さんに声をかけた。
「おまえ、夕食の支度しといて。」
龍麻は僕にそう言い残すといつの間に準備したのか挨拶用のタオルが沢山入った紙袋を持って、如月さんたちを連れて出て行った。
後に残された僕はやれやれとため息をつきながらお茶碗やお茶菓子を片付けて台所に入る。
それにしても。
秋月さんがもっと傲慢な人だと、勝手に思い描いていた僕はいささか拍子抜けをしてしまった。あんな特異な能力を持ち、それがゆえに命さえ狙われるような人はかなり性格的にも捻じ曲がって当然といえば当然なのに、当の本人はそんなことは全く関係ないような、穏やかな人当たりのいい人だった。
そう、丁度、如月さんのような、そんな性格であったのには本当にびっくりした。
あれ?待てよ。
僕は頭の中で何か違和感が走るのを感じた。
そうだ。なぜ気付かなかったのだろう。
僕は数日前、打ち上げ前に龍麻がどこかへかけていた電話を思い出した。
『ま、お互いにけなげな彼女もつと大変だよな。』
『ああ、じゃあ、7日午後に頼もうかな。悪いね、忙しいのに。』
あれは、御門さんへの電話だったに違いない。
じゃあ、御門さんの彼女って?
僕は瞬時に一つの仮説を頭の中に思い描いていた。
もしも、秋月さんが女性だとしたら。
ありえない話ではない。というのも、拳武館の情報では秋月家当主には妹がいる。なぜかその妹はここ数年、人前にはでていない。もしも、秋月家当主であるマサキが死亡、もしくは公に出てこれない理由があり、その代役を妹がやっているとするならば。
まず、龍麻が言ってた御門さんの彼女はマサキさんということになる。龍麻が電話で言っていたじゃないか。お互い、けなげな彼女を持つとって。龍麻の彼女である如月さんは龍麻を護るために男装をしてまで玄武の使命を全うした。お互いというならマサキさんも同じような行動をとっていることになる。つまり、男装をして何かを護っている。
そして、それは誰にも知られてはいけない秘密。
龍麻はその秘密をどうにかして知ってしまって、それをネタに御門さんに如月さんのフェイクを作る協力を要請したのではないか。
とすると、今日、御門さんが始終不機嫌だった理由もわかりそうなものだった。
それに、さっき、龍麻が如月さんに近い僕ら3人に呪いをかけたと御門さんが言っていたが、如月さんに近いという点では小さい頃から知人である御門さんが誰よりも如月さんに近い場所にいるはずだ。それなのに龍麻が御門さんに呪いをかけなかったというのは御門さんは如月さんにちょっかいを出す心配が全くないという確信からに違いない。
秋月さんがわざわざお祝いをしに来たのも、如月さんが自分と同じような境遇であり、それを全うしての幸せだと知っているからではなかったのか。
秋月さんは、さっき、如月さんに言っていたではないか。
『…なんにせよ…自分の好きな人と結婚できるって…羨ましいですよ。』
そのときは、秋月家の当主ともなれば政略結婚でもさせられるのか思っていたけど、本当は男装している限り、彼である御門さんとの結婚が望めないからに違いない。
それから、村雨さんが秋月さんに言った言葉もそれを裏付けている。秋月さんに芙蓉さんがついているように、如月さんには僕がついている、と。芙蓉さんは御門さんの式神で、自分の彼女に自分の式神をつけている。僕は村雨さんによると龍麻の式神らしいから、同じように彼女である如月さんに僕をつけている。
そう考えると、全ての疑問が解決する。
やれやれ、御門さんもとんだ人間と係わり合いになってしまいましたね。
僕は始終苦虫を噛み潰したような不機嫌な顔でいた御門さんにほんの少しだけ同情する。それとともに、あの御門さんさえ手玉にとってしまう龍麻の機略に感嘆せざるを得ない。どんな状況でも、それを自分の有利に持っていってしまう頭脳、判断力、行動力。希代の陰陽師さえ叶わない実力はまさに黄龍の器に相応しいだろう。
やれやれ。今更ながら、本当にとんでもない人間と表裏になってしまったものだ。
僕はひとつ大きなため息をついた。
僕は、この先、本当に龍麻の式神になってしまうかもしれない。
そんな現実味のない恐怖とおかしさを抱きながら。
END
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