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久しぶりに何の心配もない、穏やかな睡眠を貪っていたのに、けたたましいほどに鳴る携帯電話の呼び出し音に、僕は無理やり眠りの渕から首根っこをひきずって連れ戻され、些か、いや、かなり気分を害していた。携帯電話のディスプレイには『俺様』という傲慢な文字と、ソラでも言える忌々しい電話番号が表示されている。
 このまま電話、壁に投げつけてやろうか。
 一瞬、そんな考えが頭の中をよぎるけど、そうしたらそうしたで後が面倒になるのは重々承知しているので仕方なく電話に出る。
 「もしもし。」
 「おせーよ、バカ。」
 出ていきなり名前も名乗らずに罵倒の言葉かい?
 僕は額に浮き出る血管を隠そうともせずにそのまま不機嫌に返答する。
 「龍麻。君は朝っぱらから喧嘩を売るために電話してくるのかい?」
 「おまえみたいにヒマじゃねぇんだよ。すぐに如月んちに食い物持って来い。」
 有無を言わさぬ口調でそれだけを言って電話を切ろうとするのに、慌てて僕はその理由を尋ねる。
 「んだよ、察しが悪いなぁ。今日は4時から如月んちで打ち上げやるってメール流しただろうが。もう忘れてんのかよ?」
 そうだった。寝過ごしたかと思って僕は机の上にあるデジタル時計に目をやると8時45分と緑の文字が表示している。いくらなんでも打ち上げまでにはまだ早すぎる。
 「4時まで一体何時間あると思ってる?」
 「ばーか。小学生じゃあるまいし。俺が言いたいのは、料理、如月一人じゃ大変だからちったぁ手伝えって言うんだよ。…たく、頭のめぐりの悪い…。」
 さげすむ視線が電話の向こうから見えそうな口調で言って彼はぶつりと回線を切断する。
 昨日、上野寛永寺での最終決戦を勝利で飾り、無事厄介な星から開放された龍麻。
 なんとか勝ち抜けた、ではなく勝って当然な彼は、自分の彼女である如月さんの家に向かう車に同乗して帰宅した。それから小一時間ほど後、仲間になったメンバー全員宛てに打ち上げの開催時刻と場所がメールで流れてきたのだ。
 やれやれ。
 僕は出かける支度をしながらため息をついた。
 龍麻が報告に行かないから僕は寛永寺からの帰りがけに館長に報告に行ったのだ。それから病院の母のところに寄って戻ってきたのは夜の9時近く。その後、家の片付け物をして、寝たのは2時過ぎだというのに。
 それでも、龍麻の舎弟という身分が自分でもイヤになるくらい染み付いていて、憮然としながらも出かける支度をしている僕がいる。
 龍麻のあの口調は、とっても失礼で、本当に腹立たしいと、最初は思った。思ったけど、何時の間にか慣らされて、ぶつぶつ言いながらも結局言うとおりにしてしまう。
 なんだかんだ言いながらも、龍麻のことを憎みきれなくて、それどころか、あの尊大な態度でさえ、微笑ましく思うときさえある。とんでもない奴と表裏一体になったもんだと、そう思いながら、だけど結構それに喜んでいる自分がおかしくてたまらなかった。
 僕が人殺しでも、龍麻は関係ないと言い放った。要は僕の魂なのだと。僕のどこが龍麻に気にいられたのか分からないけど、僕の魂(と彼は言う)を気にいったからそれでいいのだと、他はただ単なる状況でしかないから関係ないというのが彼の持論である。
 龍麻は僕が気にいったというのはおべんちゃらでも何でもなく、それが証拠に新参者にも関わらず昨日の最終決戦にもしっかり呼ばれた。龍麻のあの性格上、自分が必要だと思う人間でなければ自分の側におかないというのは明らかだから、昨日の決戦に呼ばれたこと自体、僕は多少は役に立っているのだろう。
 誰かに必要とされている、認めてもらう。それがとても嬉しいことだとわかったのは龍麻のおかげだった。
 だから、あの不条理な電話の呼び出しにさえ応じてしまうんだろう。
 
 支度をした後、バイクで如月さんの家に向かう。途中、開店早々のスーパーに寄って買い物をしていくと丁度到着したのは10時30分だった。
 いつものように庭にバイクを置かせてもらって、勝手口の方から如月さんの家に入る。あのマメな如月さんのこと、もうきっと料理でも始めているのだろうと思ったが、意外にもお勝手には誰もいなかった。火を使っていた形跡さえないのに訝りながら居間の方に行くと龍麻が携帯で誰かに電話をかけているのが聞こえる。
 「ま、お互いにけなげな彼女もつと大変だよな。」
 明るく、いかにもおかしそうに龍麻が笑って言うのが聞こえた。
 けなげな彼女。確かに、そうかもしれない。あの龍麻と付き合って、散々如月さんは龍麻に振り回されている。食事の支度はもちろんのこと、龍麻が真神の旧校舎で荒稼ぎしてきたアイテムを文句一つ言わずに買い取ったり、果てはみんなの装備品の配達までやっている。商売だからと如月さんは言うけど、蓬莱寺や醍醐に渡すものなどは自分で持っていたほうがいいはずなのに。
 僕が居間に入ると龍麻が電話をしながら振り向いた。
 「ああ、じゃあ、7日午後に頼もうかな。悪いね、忙しいのに。」
 龍麻はにやにやと笑いながら電話の相手に言う。
 その笑顔に僕は思わず凍りついた。龍麻のその笑顔にはろくなことがないと、僕の経験が警鐘を鳴らしているのだ。
 また誰かが龍麻の謀略の餌食になったのだろう。さっき、けなげな彼女を持つとっていっていたから相手は男であることが予想できた。
 「じゃ、そんときに。よろしく。」
 龍麻はそう言って携帯を切り、僕のほうに向き直る。
 「遅かったな。」
 じろりと僕を一瞥して龍麻は携帯を胸ポケットにしまいながら言う。
 「如月さんは?」
 僕はむっとしながらも、この家の主の姿がどこにも見当たらないことを思い出して尋ねてみる。
 「ああ、王蘭の校長ンとこ。」
 「校長…?何かあったのかい?」
 龍麻はテーブルに広げていた新聞をばさばさと畳んで居間のあたりを片付け始めながら答えた。
 「如月、転校の手続きと転入試験の手続き。」
 「え?」
 言っている意味がわからなくって首を傾げてしまった。転校って、如月さん、どこかに引越しでもするんだろうか?この店はどうするのだろう。
 訳がわからないでいる僕を、おかしそうに龍麻は笑いながらその意味不明の言葉の説明をしてくれる。
 「如月、3学期から女として王蘭学院に通うことにしたんだよ。」
 「えっ!?」
 今度は本当に驚いた。
 如月さんが女性であるということは仲間内でも一部の人間しか知らない秘密である。それを、一体どうして、しかもあと3ヶ月で卒業というこの時期にばらすようなことをするんだろう。僕はその意図するところがわからなくて余計に考え込む。
 「あと3ヶ月もすれば卒業じゃないですか。何をいまさら。」
 そういう僕にくくっと龍麻はおかしそうに笑った。
 「3ヶ月も、だろ。」
 「でも2年半以上も男としてやってきたのに?」
 「これまでの年数なんか関係ないさ。…これから何をしたいか、だろ?」
 「つまり、如月さんは、卒業まで男として通せないほどの危急の事情があったと、そういうことですか?」
 「危急、ってのは大げさだけどな。」
 くすくすと龍麻が笑う。
 「如月は、俺とデートしたいんだってさ。」
 嬉しそうに笑った龍麻のその言葉に、僕は一瞬あっけにとられて、それからしばらく言葉を失ってしまった。
 「デート…?」
 「そう。デート。」
 「…って、別に、男として通っていたって、休日に行けばいいじゃないですか。」
 「行けると思うか?」
 逆に龍麻に尋ねられ僕は考え込む。そうだった。如月さんは都内でも5本の指に入る美少年として有名で、そんな人がスカートをはいて龍麻とデートなんかしていたら、たとえどんな言い訳をしてもとんでもない噂になるのは間違いない。
 「…無理…ですね。」
 「だろ?」
 「でも、あと3ヶ月ですよ?」
 そう言った僕に、龍麻は急に真剣な顔をして言う。
 「たとえば。王蘭学院の文化祭とか同窓会。あいつ、男のまま卒業しちまったら顔を出すことも出来ないんだぜ?王蘭学院のイベントは全てナシ。高校の思い出は全部なかったことになる。…昔の如月だったらさ、それも別に構わないって言っただろうけど、友達っていえる人間が出来て、それも寂しくなったんだろう。…それに大学だって、男として卒業して女として大学に通うのなら複雑な手順を踏まなくてはいけなくなるだろう?」
 あっと、僕は息を飲んだ。そうか、このまま男として通うということは、高校生活の全てを捨てることになる。
 「今日、打ち上げのときにみんなにも如月から打ち明けるって言うから。」
 そうして、にや、と龍麻が笑う。やな予感。僕は思わず身構えた。
 「そんときに、婚約したことも言おうと思って。」
 え?
 僕は龍麻の爆弾発言に固まってしまった。
 婚約だって?龍麻と如月さんが?
 「いつ…?」
 「昨日。」
 「龍麻のご両親には…ちゃんと?」
 「昨日ね。」
 「館長は?」
 「昨日のうちに言っといた。…幸せにってさ。」
 甘い、甘すぎますよ、館長っ!
 僕は心の中で叫んでいた。
 「急…すぎやしないかい?」
 「別に、構わないだろ?誰に迷惑かけるでもなし。…まぁ、オマエはオレの舎弟でもあるし、表裏だし、あの鳴瀧のじじいの愛弟子だから信頼してるし、オマエ自身も信用するに足ると思うから、みんなより先に言っとくけどな。」
 その発言に僕は意外な一面を見た。普段館長のことをじじいだのなんだのと言う割にはちゃんと尊敬をしているらしい。館長の弟子だから僕を信頼するということは、館長を信頼して信用しているということなのだろう。
 そういえば、僕とあったばかりの頃、館長の呼び方を失礼だと注意したらこれでも親愛の情が篭もっていると言い返されたことを思い出した。
 「そーゆーわけで。如月は昼頃に戻ってくるから、料理、頼むわ。」
 「龍麻は?」
 「オレ?ちょっと、そこまで用事を足しに。悪いケド、留守番もヨロシク。1時頃に戻ってくる。」
 そう言って龍麻はひらひらと手を振って出て行ってしまった。
 信頼してるし、信用してる、か。
 僕はやけに素直だった龍麻の言葉を思い出してくすくすと笑っていた。
 
 龍麻が言うように昼頃に如月さんは戻ってきて、僕を見つけて驚愕していた。まさかこんな早くから駆り出されているとは思っても見なかったらしい。
 同時に龍麻がいないのにも驚いて、すまなさそうに謝り、昼ご飯をご馳走してくれた。
 如月さんは今日の打ち上げに出す料理のメニューに困っていたらしく、僕が早目にきてくれて助かったと、嬉しそうに笑っていた。そして台所を覗いて、僕が下準備をしていたサンドイッチとかケーキに、きっとみんなが、特に女の子が喜ぶだろうと賛成してくれた。
 龍麻は何やら誰かの運転する車に大荷物を乗せて1時過ぎに戻ってきて、そのまま会場セッティングを一人で行っていた。如月さんの家の居間と隣の部屋をぶち抜いて、蔵からテーブルをいくつか引っ張り出して30名弱が座れる席を作りあげる。
 座布団の絶対数が足りないと、如月さんが嘆いていたが、龍麻が持ち帰った大荷物のほとんどが座布団であったことに驚き、また感謝もしていた。
 普段動かないけどやるときにはやるもんだ。
 僕はそう思いながら料理の手を動かす。
 「…壬生。…僕、今日、みんなに女だってことを言おうと思う。」
 如月さんは鶏肉の松風焼きを切り分けながら不意に言う。
 「…龍麻から、午前中に聞きました。」
 「…そうか。」
 切り分けた料理をそれぞれの皿に盛って、また口を開く。
 「じゃあ、…婚約したことも。」
 「ええ。…吃驚しましたけど。」
 如月さんは困ったように微笑んで、それから次の料理の支度に入る。
 「…僕のわがままなんだ。…女に戻りたいって、僕のわがままで、この家が無用心になるのを心配して同居するために、そこまでしてくれたんだ。」
 なるほど、龍麻らしい。
 普段僕とか蓬莱寺に対しては鬼のようなことを言う龍麻も如月さんにはめっぽう甘い。確かに、この家に女一人ではいかにも無用心で、侵入しようとする人間は今まで以上に出てくるかもしれない。
 無論、そんなのは如月さん一人で充分に排除できるし、何よりもこの家には玄武の結界があるから一般人では侵入もできないだろう。だけど、常に危険にさらされるのは違いなく、精神的にもかなり疲弊するに違いない。龍麻の、そんな気遣いはまさに如月さんにとっては嬉しい申し出だろう。
 「おめでとうございます。…婚約祝い、何かしないとですね。」
 僕の言葉に如月さんは少し照れたように微笑んだ。
 「ありがとう。…気持だけで十分だよ。それに、壬生にはいつも迷惑をかけてしまっているから、逆に何かお礼をしなければならないぐらいだ。」
 「僕は少なくとも如月さんに迷惑をかけられた覚えはありませんよ。龍麻にはすっごくありますけど。」
 そう言うと、如月さんはおかしそうに声をあげて笑った。
 3時少し前に、美里さんと桜井さん、醍醐くんが手伝いをするといって早目に来てくれた。僕と如月さんの作った料理に感嘆の声を上げながらそれらを席のほうに運んでいってくれたり、コップやお箸や取り皿を並べていってくれたので思いのほか早く支度が済みそうだ。
 龍麻は美里さんたちと会場セッティングを交代すると、今度は飲み物を冷やすために蔵から金盥を2つほど引っ張り出してきて、風呂場に持ち込むとそこに水をため、ジュースやお茶のペットボトルを放り込んでいた。何しろ人数が人数だけにお勝手にある冷蔵庫だけでは飲料を冷やすのに間に合わない。それらの細かい雑用を済ますと集まり始めた仲間達と居間で談笑している。
 ようやく全部の支度を終えた僕と如月さんは安堵の息をつきながら会場に入っていった。まだ全員は揃っておらず、僕らは間に合ったことにほっとして一番お勝手に近いところに座り込む。
 「すごいねー、おいしそう♪」
 並んだ料理に目を輝かせているのは桜井君で、どれから食べようかなどと織部姉妹とうきうきしながら話している。
 4時を少し過ぎた頃、全員が揃って打ち上げの開始となった。
 「みんな1年間ご苦労さん。今日は、無事、柳生をぶちのめした打ち上げだから自由にやって。」
 簡単すぎる龍麻の挨拶と、醍醐君の生真面目な乾杯の音頭で打ち上げは始まった。
 さすがに高校生、食べ盛りの人間が30名弱も集まるとあれだけ沢山用意した料理や飲み物がどんどん消えていく。
 ひとしきり飲み食いをし、お腹が多少膨れてくると、それぞれ思い出話に花が咲く。
 そうしてみんながわいわいと騒がしく話をしている間にそっと如月さんが席を立つ。目立たぬように続いて龍麻も席を立ち、奥のほうへ消えていった。
 これから如月さんは一世一代の報告をみんなにするつもりなのだろう。
 僕は紫暮さんと話しながらそんなことを考えていた。
 
 龍麻が消えてから30分ほどで龍麻がなぜか和服を着て戻ってきた。その突然の登場にみんな驚いて、続いてわぁっと声があがる。
 「すっごぉい。よく似合う〜。」
 高見沢さんが感心したように褒めちぎる。
 「でも、なんで和服なンすか?」
 雨紋の質問に、龍麻はうんとうなづいてこほんと咳払いを一つする。
 「みんなに翡翠から話があるんだ。悪いけど、聞いてやってくれるかな?」
 龍麻の声にざわざわとしていた座敷は一瞬で静まり返る。それは肯定の意を含む静けさだった。
 「翡翠。いいぞ。」
 龍麻の声とともに、からりと襖が開いて、廊下から同じく和服姿の如月さんが姿をあらわした。しかし、いつものような男性の和服ではなく、黒地に銀と青で雪の結晶の模様がかかれている振袖を着ていたのだった。
 その姿に一同、唖然とし、一瞬座敷は水を打ったように静まり返る。
 そうしてしばらくのちに、一番最初に口を開いたのは村雨さんだった。
 「よぉ、なんの罰ゲームだい?」
 そう思うのも無理はない。
 「つーか、似合いすぎ、よねぇ…?」
 隣に座っていた高見沢さんに同意を求めるように藤咲さんが呟いた。
 如月さんは龍麻の隣に座るとぴたりと畳に手をついた。
 「みんな、本当に申し訳ない。」
 そう言ってまずは深深と頭を畳につけるくらいまで下げる。2,3秒そのままでいてから顔を上げるとそこに居並んだ仲間達をゆっくりと見回して、それからもう一度口を開く。
 「僕は…この通り、本当は女なんだ。…今まで騙していて本当にすまなかった。」
 そうしてもう一度深深と頭を下げた。
 「な…なんだよ…冗談だろ?」
 蓬莱寺が口をぱくぱくさせながらようやくそんなことを言う。
 そう、誰だって俄かには信じがたいかもしれない。僕だって信じられなかった。
 「如月サン、悪い冗談ッスヨ?」
 如月さんに一番懐いていた雨紋も呆然としてつぶやいた。
 「確かに女装しても綺麗だけどねぇ…。」
 本郷さんもしかめっ面でつぶやくと両隣に座っていた黒崎も紅井もうなづいた。
 「女性だというのは本当のことですよ。」
 ざわつきの中に悠然として言い放ったのは御門さん。僅かに微笑んだ口元を隠していた扇をぱちりと閉じて呆然としているみんなに言い放つ。
 「生まれたときから、確かに女でしたよ。…私は、彼女と小さい頃に何度も会っていますから。」
 「御門。オマエ、知ってたのか?」
 不機嫌そうに村雨が御門に言うと、彼は揶揄するように眉を上げてしれっとして言う。
 「おや、村雨。あれだけ一緒にマージャンをしていたのに気が付いていなかったのですか?私はもうとっくに気づいているものと思ってあえて何も言いませんでしたが。」
 「…チッ…。」
 御門に言い負かされて不機嫌そうに村雨が舌打ちをする。
 「でも…どうして…。」
 不思議そうに織部姉妹が首を傾げる。
 「…僕は…小さい頃から玄武の能力者として育てられてきて、黄龍を、ひいては黄龍の器を護るものとして教えられてきたんだ。…その黄龍を護るのに、女の身のままでは護れないと、お爺様に。」
 「つまり、いつか現れるだろう黄龍の器、つまりは俺のために男の格好をさせられてたってわけ。」
 如月さんのあとを引き取って龍麻が続ける。
 「でもさ、もう戦いがおわって、翡翠も男の格好をしている意味はない。だから、女に戻る。それだけだ。」
 龍麻は誰にも有無を言わせない口調で言ってからみんなをぐるりと見回した。
 「こいつも悪気があってのことじゃない。だから、みんな許してやってくれ。俺からも頼む。」
 そう言って龍麻はみんなに向かって頭を下げた。
 僕はそれに驚いてしまった。
 あの龍麻が頭を下げるなんて。僕は信じられない光景を目の当たりにしていた。王様気質の割にはそれが最上策であるならば頭でもなんでも簡単に下げてしまう。普段の態度が態度だけに龍麻がここまで大人しく、しかも素直に頭を下げて反論する人間なんていようはずがなかった。
 「そりゃ…別になぁ…。オレたちが怒るようなことじゃないし。」
 最初にそう言ったのは雪乃さん。
 「骨董屋は骨董屋だよな。」
 と隣に座っていた妹に同意を求めると、雛乃さんも微笑んでうなづいた。
 「そうですね。如月さんは女性でも男性でも私達の大事な仲間ですもの。これから同じ女性としていろいろお付き合いの幅が広がりそうで、楽しみです。」
 にこりと、穏やかな微笑を浮かべて言われて、如月さんも龍麻もほっとしたような顔になる。
 「サンキュ、雪乃、雛乃。」
 思ったとおりの答えを返した姉妹に龍麻はにこ、と自分の容貌をフルに生かした微笑を向けた。
 「いいえ、お礼を言われるようなことでは…。」
 「そうだよ。」
 恥ずかしそうに織部姉妹が龍麻からの礼に首を振る。
 「確かに、そうだな。如月が男でも女でも、一緒に戦った仲間だ。それに龍麻を助けるためというなら別に怒りはせんよ。」
 醍醐さんの言葉に僕の隣にいた紫暮さんも大きくうなづいた。
 みんな、ただ驚いただけで、如月さんはほっとして、小さく安堵の息をもらす。
 「3学期から女として学校に通うことにしたんだ。…しばらくの間、違和感とかあるかもしれないけど…よろしく頼む。」
 如月さんはそう告げて再び頭を下げる。その様子を龍麻は微笑んで見つめ、それからまた視線をみんなの方に戻した。
 「京一。」
 急に名前を呼ばれた蓬莱寺はきょとんとした顔で龍麻を見る。
 「だから、俺の相棒は未来永劫、おまえだけだ。わかったか?」
 龍麻の、爽やかな営業用の笑顔でそんなことを言われた蓬莱寺は、照れくさそうに鼻の頭を掻きながら返事をする。
 「もっと、早く言ってくれればよかったのによ。女だってわかってりゃ、もう少し、それなりに気遣いしたんだぜ?」
 蓬莱寺は今まで龍麻を挟んで如月さんに対抗意識を燃やしていたのはどこへやら、嬉しそうににやついている。龍麻が自分を一生、いや、もし生まれ変わりがあるとするならばその先まで含めて相棒として認めてくれたことに蓬莱寺は多少なりとも照れくさかったに違いない。
 そして、確かに女装(この場合、女装という言葉が正しいかどうか不明)した如月さんはとても綺麗で、龍麻がほれるのも無理はないと改めて思う。
 僕だって如月さんが龍麻の彼女でなければちょっとは気になったかもしれない。
 蓬莱寺の如月さんを労わる発言に、龍麻はにこにこと微笑んでゆっくりとみんなを見回した。
 「それでさ。そのことを踏まえた上で、今度はオレからみんなに報告。」
 みんなを陥落した人懐こい微笑を浮かべたまま、龍麻は威儀を正して背筋を伸ばして再び咳払いをする。
 今度は一体なんだろうと、全員が龍麻を凝視した。
 「俺、昨日、如月と婚約したんだ。」
 今度こそ、その場にいた全員が瞬間冷凍になった。
 如月さんが女性だと知っていた高見沢さんも御門さんも、さすがにそこまでは予想もしていなかったらしく、見事に凍り付いていた。
 龍麻はといえば、してやったりという表情を浮かべおかしそうにみんなを見回している。
 僕は龍麻を好きだったと思える何人かの女性の表情を盗み見た。みんな顔が引きつって、顔色も蒼白、唇が僅かに震えている人もいる。
 「こ、こ、婚約って…。」
 どもりながらも、一番最初に復活したのは雨紋だった。
 「いずれ結婚するつもり。近いうちに新宿のマンション引き払ってここに越してくるんだ。」
 あっけらかんと、明るく言い放つ龍麻に村雨さんのブーイングが飛んでくる。
 「先生、随分と卑怯じゃないか。…女だってこと今の今まで内緒にしておいて、公表直前にとっとと自分のモノにしちまったってわけかい?」
 「俺たち、結構前から付き合ってたけど?」
 龍麻がとぼけるのに、村雨さんはひるまずにさらに言い募る。
 「女です、付き合ってます、婚約しましたじゃあ、卑怯って言われても無理はないだろう?」
 「違う!」
 村雨の言葉に如月さんが首を振る。
 「…僕が…龍麻に…わがままいったんだ。…女の子に戻りたいって。…僕は…これ以上みんなを騙すのも、男のふりをしているのも辛かった。…だから…。」
 如月さんは柳眉を悲しげに寄せて俯き、龍麻がそれをかばうように、優しく宥めるように如月さんの肩を叩く。
 「この店は有名だし、敷地も広い、蔵もある。いくら玄武の結界があるって言ってもおそらくこのご時世、いろんなヤツがここのモノを狙ってくるだろう。しかもここにいるのは女性一人だって分かったら尚更だろ?無論、如月一人で護っていけるだけの力はある。だけど、毎日そんな危険にさらされる生活をするのは、いくらなんでも辛いだろう?男一人いるだけでも違うはずだぜ?」
 確かに龍麻の言うとおり、いろんな誰かに狙われるような生活をするのは辛いだろう。いくら忍びとしての訓練を受けているといっても、男でいたときよりもこれからのほうがもっと標的になりやすいから。
 「別にさ、婚約までしなくてもただ同棲すればいいかもしれない。だけど、商売してるから、他人から男を連れ込んでって言われたら信用も下がる恐れだってあるだろう?だからちゃんと手順を踏んでおこうと思ったんだ。」
 神妙に龍麻が言うと隣で如月さんが耳まで顔を朱に染めている。
 「そんなの方便だぜ。」
 不服そうに言って引こうとしない村雨さんの横から御門さんは冷たい視線を送り、口元を扇で隠しながらキツイ一言を村雨さんに浴びせた。
 「あれだけ一緒に遊んでいて女と気付かなかった村雨も悪いのですよ。」
 その言葉に村雨さんは苦虫を噛み潰したような表情になって黙り込んでしまった。
 「ほんとは付き合っていること、みんなにちゃんと言うつもりだったんだけどさ、如月が男として活動している以上言えなかったんだよ。」
 そう言う龍麻の顔は、すまなさそうにしているけれど、不敵な笑みが僅かに毀れている。そしてその笑顔から僕は事の真意がようやく理解できた。
 如月さん、あなた、騙されてますよ?
 無論、龍麻は如月さんが大事で、好きであることは疑う余地もないし、婚約してしまうほど惚れているのも事実。
 だけど、僕はそれにからくりを見つけてしまった。
 村雨さんの言う通り、龍麻は女だって公表する直前に如月さんを自分のものにして誰にも手出しができないようにブロックしてしまったのだ。
 女装した如月さんがこれほどの美人だとは(予想はできるが)誰も考えても見なかったことで、この姿を見たら絶対にちょっかいをかけようとする人間が出てくる。龍麻はそうした人間に対して手を打ったのだ。
 勿論、如月さんが龍麻のことをとても好きで、浮気はしないと龍麻も自信を持っていることだろう。だけど、そうした如月さんの意思に関わらず手出しする輩はいるのである。例えば、今の村雨さんみたいに。
 如月さんは自分のわがままのために龍麻が婚約までしてくれたと思っていて、今まで以上に深い感謝と愛情の念を龍麻に向けるだろう。だけど如月さんが女性に戻りたいと言わなくても龍麻はきっとそうしたに違いないと僕は踏んでいる。それは早ければ早いほど、既成事実としての効果も高い。如月さんが女に戻りたいと言い出したのが龍麻の思惑よりも遥かに早かったのは誤算だったが、それさえもいい方向にもっていく。
 なんていう機略。
 自分のためであるのに、いかにも如月さんのために見せかけて余計に惚れさせておいて、ついでに他人からのちょっかいをも牽制してしまうなど、龍麻がいかにも考え付きそうなことだった。
 「おめでとうございます、緋勇先輩っ!」
 素直に祝いの言葉を口にしたのは霧島だった。一部に流れるこの剣呑な雰囲気に気付いていないようだ。というよりも、すっかり龍麻の仕組んだわざとらしい美談に騙されている。そんな彼の単純なおぼっちゃんさに多少うんざりとする。
 「ありがとう。」
 龍麻はにっこりと、不気味なほどににっこりと霧島に微笑み返す。
 「僕、これからも遊びに来ていいですか?先輩にはまだまだ教わりたいこと、沢山あるんです。」
 邪気のない素直な微笑で龍麻に言うと、龍麻はゆっくりと、大きくうなづいた。
 「ああ、遠慮しないでくるといい。」
 霧島の素直な喜びに、戸惑っていた仲間達がようやく我に帰って口々に祝いの言葉を述べ始める。
 みんな、騙されるな!僕は心の中で叫び、みんなの祝辞を受けて嬉しそうに笑っている龍麻の顔にちらりと視線を向ける。
 龍麻はにやりと、あの不敵な微笑で僕に笑い返し、またすぐにみんなを魅了したあの爽やかに見える笑顔を振り撒いていた。
 
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