ボタン〜1〜

 

「あっ、ありがとうございますっ…大事にしますっ。」
ようやくそれだけ言って、頭を下げて、自己記録を更新しちゃいそうな速さで廊下を駆け抜け、自分の教室に戻る。こみあげた涙は袖で乱暴に拭い、そのまま一目散に教室に飛び込み、入るが早いか近くの机に倒れこむようにしてもたれ、その後一気に力が抜けてへなへなと床に座り込んでしまった。
「どうだった!?」
「…も、貰った…。」
待っていてくれた友達に返事をし、右手を掲げ、ゆっくりと、固く握り締めていた掌を開いてみると、そこには小さな袖のボタンが1つ。
「…最初、誰にも上げる気はないって…言われた…。」
荒い息の下からそういうと、友達は納得したようにうなづいた。
「…壬生先輩らしいよね。…でも、すごいよ、貰えたなんて。」
明るく言う友達に私はぶんぶんと首を振る。
「…ち、…違うの…くれたのは…あの人…。」
「え?」
「…館長先生の…後継ぎ…。」
「…きてたんだ…。」
「…あの人が…これ…引きちぎってくれたんだ…。」
綺麗な顔立ち、白いセーラー服のスカートからすんなりと伸びる足、何よりも強い眼差し。全部私にはないもの。
「…まだ、彼女だって…決まったわけじゃないじゃない。」
慰めてくれようとする友達の言葉は随分と遠くに聞こえた。

私が初めて壬生先輩を見たのは適当に決めて入部したクラブの部屋でだった。
地元の拳武館高校は規律正しい高校と専らの評判で、父兄にも受けがいい。ウチから近かったので、これなら始業ぎりぎりまで寝ていられるだろうという安易な思惑から受験し入学したが、それは甘い考えであったことがすぐにわかった。規律正しい、ということは厳しいということで、昔かたぎのその教育方針に閉口するときもある。
生徒は全員強制で何かの部活動をしなければならず、さほど運動が得意ではない私は幽霊部員になっても文句の出なさそうな文科系のクラブを選んで入ることにした。
文芸部は自分で詩作をしなくてはいけないし、園芸部は夏休み中も登校しなければならない、茶道部は外部からお茶の先生を招いているのでその月謝が高かったし、華道部も同様。演劇部はコンクールに出るため毎日活動とか言っていたし、吹奏楽部も毎日練習。残るは手芸部ぐらいだった。
私が入部希望者だと知ると、当時部長をしていた先輩はひどく喜んで迎えてくれた。2年生の教室を使った部活動はお世辞にも盛んだと言えず、新入部員も私の他にちらほら、いやはっきり言って自分を入れてもたったの3名。これでよく部としてやっていけるものだと私は密かに心配もしたのだった。
「…あら、まだ全員集まっていないのね。」
部長はそこに集まった面々を眺めてそう呟くと、仕方がないとでもいいたげな顔をして続きを話し始める。
手芸部は主に秋に行われる文化祭に出展する作品を作るのに活動の重点を置いているらしい。その他に個人の判断で紡績会社の主催するコンクールに出品することもあるらしいが過去の結果はそれほど芳しくもないらしい。
顧問の先生は生活科の先生で、あまり熱心に指導するわけではないようだ。活動は週に2回、先輩方はほとんど作品は家で作っているようで、本当に幽霊部員になっちゃっても分からないような部であった。
「これが去年の作品なの。」
そう言って見せてくれたのはセーターだの、マフラーだのありきたりの作品ばかり。
しかし、その中でひとつだけ、群を抜いて凄いものがあった。
「これ…凄い…。」
それは白い繊細なレース編みで作られたカーディガン。複雑な模様があちこちに入り、本当にどうしたらこんなものが人の手でできるんだろうというほど美しい。そういえばこんなレースを横浜辺りの店で見たことがある。高級な店で買ってきましたと言っても分からないほどのその出来栄えは高校生が作ったと思えない代物だった。
「ああ、それね。」
くすくすと部長が意味ありげに笑う。
「…それ、男の子が作ったのよ。」
「ええ!?」
信じられない。私はもう一度まじまじとそのレースのカーディガンを眺める。
これほどまで繊細な模様を男の人が作ったなどとは到底信じられない。
しかし。私はもう一度部室をぐるりと見回した。
部屋の中にいるのは女性の先輩ばかり。一体、どういうことだろうと聞こうとした瞬間だった。
教室のドアががらりと開いて、長身の、道着姿の男の人がそこにたっていた。
無表情であるけれど、かなりかっこいい部類に入る彼はすまなさそうに一瞬だけ眉をひそめた。
「いらっしゃい。…ああ、そういえば、今日は館長先生がいないんだったわね。あっちの面倒を見ていたのね?」
その人は部長の言葉にこくりと頷いてから部屋に入ってくる。
「これ、お願いします。」
低い声でぶっきらぼうに言って彼は部長に大き目の袋を渡してぺこりと頭を下げる。
「はい。確かに預かりました。…頑張ってね。」
彼は無表情のままもう一度うなづくと踵を返して部屋を出て行った。
部長他、先輩方はそんな彼を目線だけで見送ると早速彼から預かった袋を開ける。
「…まぁ…今度も凄いわね。」
部長はそう呟いてから、その中身をこちらに向けて広げて見せた。
それはまるで水墨画。中国あたりの水墨画を毛糸で編んで作ってある。
細い糸で細かく編んであって、白と黒の他、いろいろなトーンのグレーを使っており、まさにそれ自体が芸術品であるかのようだった。
手芸ってこんなこともできるんだと感心しながら見ていると、部長は私たち新入生の呆けたような顔を見てくすくすと笑う。
「…彼があのレースのカーディガンの作者なの。」
「ええっ!?」
その場にいた新入生は全員驚いた。誰がどうみてもそういうこと一切しないような人間に見えるからだ。
「壬生紅葉くん。…部活は手芸部に在籍しているのだけど、彼、拳武館の道場の師範代なの。」
部長は驚く私たちに微笑みながら説明してくれる。
「館長先生の愛弟子でね。…今日、館長先生がいらっしゃらないから代わりに道場の方でやっている部の面倒を見ているの。」
「…師範代…。」
それがすごい強いのだということは武道オンチの私にさえわかる。…私は手元のカーディガンをまじまじと見た。
猛者である彼がこれを。どうにも接点が見つからないそれらのものを前に私は頭を捻るばかりであった。

「ねぇねぇ、壬生先輩見ていこうよ。」
同じ手芸部で知り合った友達に誘われ、道場に向かう。
あの美貌、身長、もてないはずはなく、道場の壁には女の子がずらりと幾重にも並んで見ている。そのほとんどが壬生先輩のファンである。
ようやく開いた場所に潜り込んで人の頭の間から中の道場を覗くと、壬生先輩は下級生の男子相手に稽古をつけているところであり、かかっていった下級生をいともたやすく退け、汗ひとつかいていない。
「次。」
あの無表情さも健在で、抑揚のない、抑えられた声で次の相手にかかってくるよう促した。そうして何人も何人も文字通りその長い脚で悉くを蹴散らして涼しい顔で立っている。やがて壬生先輩の周りには倒された下級生達の山ができた。
「まだまだ鍛錬がたりないね。」
一礼してから伸びている下級生達に向かって冷たい口調でそう呟くと館長先生の元に戻っていく。そのクールな言動に壁に張り付いている女の子達は私も含めてメロメロになっていた。
「かっこいい…。」
それはそこにいた女の子達の共通の呟き。
「クールよねぇ…。」
壬生先輩は決して笑わない。
1年生だけでなく、上級生も笑った顔を見たことがないという。
「今日はここまで。解散。」
館長先生の言葉に、道場内にいる人たちが一斉に礼をして、それから壁面にある自分の名前の札を裏返してから散っていく。壬生先輩も自分の札を裏返すと館長先生にぺこりと頭を下げてから道場をあとにした。
「壬生先輩って、かなり冷たいらしいよ。」
帰り道、同じ手芸部の友達は上級生から仕入れてきた壬生先輩の情報を教えてくれた。
「なんでも、去年、同じ学年の人が何人も告ったらしいんだけど、全部、『そんなヒマはない』って一言で断ったんだって。」
壬生先輩は綺麗な顔立ちをしている。どっちかっていうと、温和な感じではなく、冷たい感じのする人なので、そんな顔でそんなことを言われたときの辛さは想像に難くない。
だから人気があるのにファンクラブや親衛隊みたいな組織ができないでいるに違いない。そんなの作ろうものなら、きっとあの冷たい、射すような視線で『ふんっ』と鼻で笑われるに違いないからだ。
「女嫌いってわけじゃないんだよねぇ…?」
「女、というよりも人間嫌いなのかもね。…クラスでも誰かとじゃれてたりなんか決してしないって。」
友達の言葉になんとなく納得してしまった。確かに、壬生先輩って、そういうの嫌いっぽい。
「…壬生先輩、…彼女とか作る気はないのかなぁ…?」
ぼそりと呟くと、友達は笑いながら手を振る。
「ないでしょう。あれだけもてるのに、いまだ彼女いないんだもん。」
「やっぱり、憧れているのが関の山なのかなぁ…?」
着替えを終えて校門へ向かう壬生先輩の後姿を遠くから見送りながらひとりごちた。

 

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