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疲れがたまっていたせいか、目覚めるとすっかりと日が昇っていて、慌てて朝食をとってチェックアウトをしてレナンカンプの町を目指す。疲れがたまっていたせいか、目覚めるとすっかりと日が昇っていて、慌てて朝食をとってチェックアウトをしてレナンカンプの町を目指す。さほどかからずに到着した彼の地はあの当時よりもさらに大きくなっていた。
 町の外からその外様を眺めながら、昔のことを思い出す。
 ここで、ファロンと出会った。
 まだ本当に若造だった自分。ただ、新参者というだけで、邪険にしていたことを思い返すと、顔から火が出そうになるけれど、それも自分の辿ってきた道だったから。
 「…どこから…入るかな…。」
 別に普通にしてればいいのかもしれないが、やはりこの町で、今、ここにいることがばれるといろんな意味でまずいこともあるだろう。
 ここはひとつ、抜け道を利用するしかないか、と思いながら町の裏手に回りこむ。
 丁度、下水溝が地下から出てくるところ。
 トラン解放軍の昔のアジトがあったところには、いくつかの抜け道があった。そのひとつが今、俺が立っている町の裏手の下水門だ。
 あの忌まわしい日。
 急襲を受けた俺達はちりぢりになって、そして俺はここから脱出した。ただ、彼女がここにいなかったことを単純に幸福だと思っていた。その後、ここであんな悲劇が起こるなんて予想もせず。
 当分の間、辛くなるからここに来れないだろうとそのときは思っていたけれど、こうしてきてしまえば何のことはない。
 むしろ、明日は彼女の命日であることからも、ここに来ることができてよかったのかもしれない。トラン解放戦争が終わってから一度もここを訪れず、彼女のことを思い出しては見ても、ここで彼女に花を手向けることや、菩提を弔うことさえ怠っていたのだから丁度良い機会である。花はないが、ここで菩提を弔うことぐらいはできる。
 この心境も、ファロンがいるからかもしれない。
 人は忘れることのできる生き物だ。
 それがいいことなのか悪いことなのか分からないが、実際に今、あれだけ衝撃を受けたオデッサのことを冷静に考えられる自分がいる。
 無論、今でもあのことは後悔しているし、もし助けられるものなら助けたい。大事にも思っている。
 だけど、その大事の方向性が違ってきたのだ。純粋にオデッサは尊敬の念を向けられる。いつでも俺の目標となる人なのだ。だけどファロンはそうじゃない。目標ではない、やはり守るべきもの、なのだ。
 当時使用していた合鍵は愛剣オデッサ++の鞘についている。あのことを忘れないためにそうしていたのが役に立つとは思わなかった。だめもとでそっと鍵を差し込むとそれはまだ使用できた。そのことに驚きながら暗い通路に入ると、見慣れた、そして懐かしい地下道が目の前に開ける。
 かつん、かつんと足音を響かせながら通路を歩いていく。右に折れたり、左に折れたり、当時の記憶を辿りながら進むと、やがて控え室のような小さな道具置き場があり、そのさらに奥、丁度宿屋からの出入り口に近いところにある司令室代わりに使っていた広間に出た。
 久しぶりに訪れてみると、随分と狭いところであった。
 ここで、作戦を練り、目標を立て、理想を語り…。
 トランの新しい時代の為に戦っていた。
 今でも場所が変わっただけで、そのことに変わりはないし、デュナンのためにしっかりしなくてはとも思うのだけれど、時々どこかさめている自分がいることに驚くことがある。
 無論、自分の国ではないから、といってしまえばそこまでだろうが、ファロンがいない、ということも理由のひとつではないかとも最近思っている。
 背中を安心して預けられる人間がいて、その人と戦えることの幸せ。これが知らず知らずのうちに俺の心を熱くさせるときがある。
 ビクトールだって、背中を預けるには足る人物だが、あいつもSレンジの人間だから背中を預ける、というわけにはいかない。
 シェイだって信頼していないわけではない、だが、やはりファロンなのだ。
 俺の後ろは永遠に。
 ようやく再会できて、そしてどうにか告白して、結婚を申し込んだ。これからは自分がファロンを守る。そのためにも俺の後ろはファロンのものなのに。肝心の彼女が側にいない。
 一体、どこへ行っているのだろう。
 ぼんやりと流れる下水を眺めながらそんなことを考えていると、不意に空気が流れ出し、どこかのドアが開いたのに気づいた。
 まずい。
 知り合いであろうともなかろうとも、ここに俺がいることを知られてはならない。
 とっさにそう思い、足音を立てないようにつま先だけで歩いて、小さな道具置き場に身を隠す。
 かつん、かつんという足音が俺のいる方とは反対側からして、だんだんこちらに近くなってくる。
 やがて、俺のいる道具置き場のすぐ手前の広いところ辺りで足音は止まった。
 そのまま、しばらく静寂が広がる。
 一体、何をしているのだろう。
 確か、この下水道はトラン共和国の管理下に置かれ、むやみやたらに一般人が入ることはできないと聞いている。ただし、年に一度、オデッサの命日に何人かの物好きな一般人と、レパントやら将軍どもがここを訪れると聞いた。
 そういえば、命日は明日だから、こんな時分にここを訪れるのは元トラン解放軍の人間だろう。
 ならばなおさら見つかるわけにはいかない。
 俺はそのままじっと、息を殺してその人物が去るのを待った。
 やがて、ぱしゃり、という水音が聞こえた。
 何かを下水に流したのだろうか。それがこちらに流れてきて、百合の花束であることをすぐに知る。
 供養の時間は長く、そのままその人物はしばらくそこを動かない。
 やがて、わずかだが、たまにしゃくりあげるような音が聞こえてきて、その声が女であることを示していた。
 そして、その声に聞き覚えがある。
 そう悟った瞬間だった。
 「…私が…死ねば…よかった…。」
 その呟きに、俺は心臓が凍りついた。
 そして、思いっきり頭をハンマーで殴られたような心地がしたのだ。
 頭の中がぐるぐるする。同時に体もすくんでしまって、どんなモンスターにさえもひるんだことなどなかったのに、たった一言で体が動かなくなる。
 どうして、そんなことを?死にたかった?
 そこから先の思考へ進めない。
 落ち着けばいいのに、頭がうまく回らない。
 ひどい眩暈がして、そこにたち続けることが難しくなってくる。
 よろりと、自分でも意識をせずによろめくと、思わず足がふらついてかつんと足音をたててしまった。
 「誰!?」
 しまった!と後悔してももう遅く、ファロンはざっと身構えて、怪しいものであれば容赦なく倒すような殺気をまとって構えに入った。
 「俺、だ。」
 仕方なく、道具置き場から出て行けば、ファロンは大きな目を丸くする。
 「フリック…。」
 そうしてファロンは丸くした目をすぐに細め、構えもといて、無理に笑顔を作ってみせる。
 「…あ、ごめん。…邪魔しちゃった、かな…?」
 「いや…。」
 「…出てるから、ゆっくりしていって…。」
 そういって踵を返してそのまま宿屋へと続く階段を上りかける。
 「ファロン!」
 慌てて追いかけて腕を捕まえると、すぐに大人しく足を止めるが、顔はこちらを見ようとはしない。
 「…ファロン…?」
 無言で、そのまま振り返ろうともせずにそのままでいる。
 まるで息を殺して、じっと、何かを待っているように。
 「…どうしたんだ…?」
 「なんでもない。」
 そうしてようやく顔を上げてこちらを見る。
 「…上で待ってるから。…久しぶり、なんでしょう?」
 そうして笑顔を作ってみせる。
 「いや、もういいんだ。…それよりも、体は大丈夫なのか?」
 「ん、平気。」
 そうして、今度はゆっくりと宿屋へと通じる階段を上がっていく。
 「…フリックがいるなんて知らなかった。」
 「ああ、昔の鍵を使ったからな。」
 そうしてファロンは宿屋の部屋に戻ると眩しそうに目を細めて、ふうっと息をつく。
 まだ体の調子が悪いのかもしれない。
 「そ、か…。道理で宿の人間も知らなかったはずだ。」
 そういってファロンは部屋から出て行く。
 「あ、れ…?フリック殿!?」
 宿屋の人間が驚く顔をしているのに、ファロンはしっと人差し指を口の前にあてて秘密にしておくようにとのサインをしてから入らせてもらった礼をして宿屋を後にする。
 「…ファロンは?これからどうするんだ?」
 「家に戻るよ。」
 「…俺もついていってかまわないか?」
 「ええ。」
 そうしてファロンは歩き出す。
 その後姿は、昔を思い起こさせる。
 同時にあのときの、辛い最中でもまっすぐに背筋を伸ばして、戦い、味方を増やしていた彼女の姿を思い出す。
 自分のできる限りをしてやったつもりでいた。
 彼女を守りきったと思っていた。
 だけど、彼女の心に染み付いた死を、拭うことができていなかった。
 そのことが酷くショックで、自分が救ったつもりがまったくそうでなかったことを再認識させられて一気に自信がなくなっていく。
 俺は、彼女に何をしてやれるのだろうか?
 何をしてやってきたのだろう。
 どうすれば救えるのだろうか?
 
 
 その夜、遅くにマクドール家につくと、クレオとグレミオは俺の同行を予測していたらしく、きちんと夕食が用意されていた。
 夕食を取り、暖かい風呂で疲れを取ると、俺に用意された部屋はなく、ファロンの部屋に寝泊りをすることになっていた。
 「…ファロン…。」
 とはいっても、ファロンの部屋にベッドが二つあるとか、そういうことではなく、ひとつベッドだけ。つまり、これは。
 「…夫婦、だからな。」
 まだ、きちんと入籍していなくとも、だ。
 ファロンはその言葉にまた悲しそうに口元だけで微笑んでいる。
 「…嫌、か?」
 すべてを諦めたような表情が、俺と一緒なのが嫌なのかと思ってしまう。
 「ううん…。」
 でも目は必死で否定をするから、そうではないことにほっとしながらもその表情の理由が気にかかる。
 「なんで、悲しそうなんだ?」
 そう尋ねると、目を見開いてふるふると頭を振る。
 「そんなこと、ない。」
 「………俺じゃ、頼りにならないか…?」
 その言葉にファロンは思い切り首を振り、ついでくしゃりと表情を歪ませる。
 「俺、さ。…看病しようって、思ってた、…俺のせいだからな、だから、ちゃんと看病して、側にいて、ファロンを…。」
 幸せにしたいって、そう思っていたんだ。
 「…俺、どうすればいいんだろう。」
 もう分からなくなってしまった。ファロンを幸せにしたいだけなのに、笑ってて欲しいだけなのに。少しでもその辛さが和らげることができるならと思っていたのに。
 「…名前、を。」
 ファロンの呟きに俺は顔を上げる。
 「名前、呼んで、…。」
 名前?
 俺は急に何を言い出すのだろうと、訝りながらも名前を呼んでみる。
 「ファロン?」
 「……っ…。」
 きゅっと唇を噛み締めると、ぽろりと涙がこぼれてくる。
 「ファロン!?」
 ぎゅうっと目を閉じると、さらに涙がぽろぽろとこぼれてきて、俺は慌てて指先でファロンの涙を拭うけれど。
 あとからあとからこぼれてくる涙は一向に止まらずに、硬くした体を震わせて、声を上げないまま、唇を噛み締めて、ただただ涙を零し続けるファロンがとても悲しくて、切なくて、愛しくて。
 小さな体を抱きしめると、そのままゆっくりと背中をなでながら何度も何度も彼女の名前を、彼女が眠りに付くまで呼び続けた。
 泣きつかれて眠った顔を見ながら、彼女の心の中にある闇の深さを思い知った気がした。
 
 
 
 
 
 
 END
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