城の外れは松明もなくて、ただただ暗い。
城壁をわずかに照らす明かりが少しだけ漏れていて、それだけがようやく回りを暗黒からほんの少しだけ救い上げてくれている。
そうして、ゆっくりと木立に近づくと、ぼんやりと座り込むファロンの姿を見つけた。
「ファロン……。」
びく、と一瞬だけ肩が震えたように見えたのは気のせいだろうか?
それでもすぐさま振り向いてにっこりと明るい笑顔を見せる。
「よくここがわかったね?」
「ああ。」
やはり、違う。
これはファロンじゃない。俺の愛した大事なファロンじゃない。
これは、確かにオデッサのまねをしたファロンであった。
「…どうしたの…?」
不思議そうに首を傾げるファロンの瞳の奥に不安の影がよぎる。
「…ファロン…。」
俺はゆっくりと手を伸ばして、ファロンの細い体を抱きしめた。華奢な体はすっぽりと俺の腕の中に入り、抗う様子もなくただじっとしている。
「…俺は、ファロンが好きだよ。」
どういったら、この気持ちが上手に伝わるのだろう。
どれだけ大事に思っているか、心配しているか、愛しているか。
それはオデッサではなく、ファロンへの気持ち。
腰にオデッサを佩いたまま伝えても、ちゃんと理解してもらえるのだろうか。
「昔は、確かにオデッサの恋人だった。」
その言葉に、わずかに腕の中のファロンが身じろいだ。
その動きを押さえつけるように俺はさらに力を込めてファロンの体を抱く。ここで逃げられたくはない。誤解されたまま離してしまいたくない。
「でも、もうオデッサはいない。…運命だと思う。あの時は酷く悲しかったし、今でも、思い出すし、大事にも思うし、尊敬もしているけれど、。」
ファロンはもう動くのをやめて、じっと息を殺すように、身動きひとつしない。ちゃんと聞いてくれているのか、俯いているから表情は見えない。
「…今は、ファロンが好きだ。…心変わりをしたと言う人も居るだろう。だけど、それでも、俺はファロンのことが…。」
「…もう、いいんだ。」
ファロンのかすれた声が俺の胸元から聞こえた。そうして、ぐい、と力いっぱい俺の胸を両手で押して腕の中から出ようと体を離す。そうして俯いた顔を上げて、にっこりと笑って見せた。
「…フリックが、好きといってくれたから。…それだけでいい。」
だけど、笑って見せた顔の瞳は夜目にもふちが赤く、わずかだけれど悲しげに細められて、口元だけで笑うファロンはなんだか泣いているように見えた。
俺の腕の中から抜け出て、なんでもなかったように立ち上がって服に付いた草などをはたく。
「よくないっ!」
俺はファロンの腕をつかんで体を引き寄せる。それに抵抗して、胸に手を突っ張って逃れようとするけれど、こちらの力のほうが当然強いから、ファロンは逃れることができずにいる。
「なんで、泣くんだ?」
「泣いてなんか、ない。」
「…でも泣きそうだ。」
まだきちんとは誤解が解けていないのだろう。俺は何を言ったら気持ちがきちんと伝えられる?
おそらく何を言っても、きっと頑なに閉ざしてしまったファロンの心を開くのは容易ではない。
それでも。わかってもらわなければ。
「開放戦争のときにも言った。…オデッサになる必要はない。」
驚いた表情を浮かべるファロンの唇をふさぐと、ファロンはさらに驚いて顔を背けようとするけれど、俺はそれを許さずに貪り、息が続かなくなるほど吸う。
苦しくなって、開放すると、ぜいぜいと肩をせわしなく上下させ、息を整えようとしている。
「こほっ…ごほ、ごほ。」
むせるファロンを抱きしめて、少し落ち着くように背中をなでる。
ファロンは慌てて逃げようともがいて、それでも俺は離さずにしっかりと体を抱きしめた。
「ずっと、一緒にいよう。…春も夏も、秋も冬も。…側にいて、名前を呼んで、毎日、毎日、一緒に笑って、泣いて、怒って、喜んで。オデッサじゃない、ファロンと一緒にいたいんだ。」
「…そんな資格なんて、ない…。」
ファロンは酷く悲しそうに、呟いた。
「資格って…?」
「それは、私のものじゃない…。だから…。」
「ファロン?」
「ここは、オデッサさんのものだから。…だから、私は、ここにいれない。…私が、フリックの、幸せを、奪ったからっ…。」
ファロンが俺の幸せを奪ったなんて、考えたこともない。オデッサがいなくなって、悲しくてファロンに八つ当たりじみたことをしたこともあったが、幸せを奪ったなどといった覚えはなかった。
どうして、こんなことを言い出したのだろう。
ふと、地下通路でのファロンの言葉が頭の中に蘇る。
『私が死ねばよかった』
そういえば、俺はオデッサの最後がどんな風だったか詳しく聞いたことはなかった。ビクトールから子供をかばって斬られたという話は聞いていたし、ファロンが最後に託された青のイヤリングも見たけれど、具体的な話を聞いたことがなかったのを思い出した。
もしかして、何かあったのだろうか?
ファロンが、オデッサのなくなる原因だったのだろうか。
「ファロン…オデッサの最期を看取ってくれたんだよな?」
「…うん…。」
「オデッサは、お前になんていったんだ?」
ファロンは少し逡巡してから俯いたままでぼそぼそとらしくない口調で話し始めた。
「……子供を放っておけなかった。…軍師としては失格だと…、……軍師よりも…女であることを選んでしまったと…。」
語尾は涙声になっていて、顔はあげないままでいるから、おそらく泣いているのだろう。
「それで、これを、フリックにって。」
そうして、ファロンは俺の太刀の鞘についている青い石をさした。これはオデッサがファロンを通じて俺に残したもの。最後に残された、たったひとつのもの。
明るく無邪気なところがあり、人よりはかなり聡明な彼女は冷徹になりきれず、だから軍師にもあまり向かなかった。それを自分でも分かっていたから、兄であるマッシュを再三に渡って呼ぼうとしていたのだ。
彼女が彼女である限り、そして戦いの最中に身をおいている限り、いつかは起こってもおかしくはなかった。ファロンのせいなどではない。それをいうなら、俺だって彼女を守ってやれなかった。俺だけではない、ビクトールだって。
だから、ファロンがそんなに気に病む必要はないのに。
「…ファロンのせいじゃないだろ。…ビクトールだって、あの場所にいたんだ。…誰もがオデッサを守れたし、また守れなかった。…ファロンだけが気にすることじゃない。…紋章云々の話は、結果論だ。」
「でもっ!」
「…女を選んだのは、オデッサの選択だ。ファロンの責任じゃないさ。…それに、俺の幸せは、もう、オデッサとは違うところにあるから。」
そういえるようになるまで苦しくなかったといえば嘘だ。
だけど、もう、いい。
「俺が、レナンカンプにいたのは別の理由なんだ。」
するとファロンが驚いたように顔を上げる。
「…な……に…?」
「…ファロンがトランに戻ってしまったから。…慌てて後を追い掛けて、家まで行ったらクレオに明日ならレナンカンプにいるってきいたから。」
「クレオ…?」
「…ああ。…だからレナンカンプにいった。…まさか戦争中の俺がのこのことレナンカンプを大手を振って歩くわけにも行かないから、だから地下の鍵を使っていたんだ。…オデッサの命日が近かったのは本当に偶然なんだ。」
「……うそ…。」
「本当だよ。…おれはあれ以来、初めてあそこに足を踏み入れた。…もっといやな気持ちがすると思っていたが、割と平静で居られたよ。…あとはファロンが来て、知っての通りだ。」
そうして俺はもう一度ファロンを抱きなおす。
「…だからさ。ここはファロンの場所だから。…心配することなんてなんにもないんだよ。」
だけどファロンはゆっくりと首を振る。
「…私は、一人でも大丈夫だ。…今までも、これからも。」
そのまま、ファロンは俺の腕の中から抜け出ると、逃げるように闇の中に消えてしまい、そして、その後、宿屋へも戻らなくなってしまった。
END
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