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眠い目をこすりながら歓声の上がる窓の外を見下ろすと、恒例の朝の訓練をしている青騎士が何人も倒れているのが見えた。軍の中でも統率力、戦闘力ともに上位に位置する青騎士がそうやすやすと倒されるわけがなく、この事態の異常さに目を見開いてよく見てみると青騎士の真ん中にはぽっかりと穴が開いており、その真ん中に一人、凛とした空気をまとって立っている。それが誰かなどという愚問はフリックの頭には浮かぶはずがない。そこに居るのは間違いなくファロンだからだ。
 訓練の手伝いをする約束を数日前にしていたから、今朝がきっとその約束の日なのだろう。歓声はおそらく訓練に気づいて見物に出てきた他の隊の兵士なのだろう、みな、興味津々と言った風情で青騎士の周りを取り囲んでいて、かなりの数になっている。その輪が一部だけ欠けているところがあり、そこは団長であるマイクが腕組みをして実戦の訓練を眺めている。
 ここからではよく表情は読み取れないが、おそらく苦い顔をしているのだろう。
 統率力を誇る青騎士たちもファロンの前には形無しである。
 じりじりと間合いを詰めた青騎士が互いに目配せをして突入のタイミングを図っているが、ファロンは、合図をした瞬間を気がそれたと見なして遠慮なしに襲い掛かる。
 優雅に、だけど一閃、棍を一薙ぎすると、またばたばたと何人かが倒れていった。
 赤騎士だったらどうにかなるのか、いや、おそらくこの城内ではどのグループもファロンに叶うわけはない。
 数分後にはファロン一人が広場に立っており、ため息をついたマイクがみんなを起こして回っている。
 そこまで見てから、俺は朝食をとりに行く支度を始めた。
 
 シーアン城に逗留しているファロンは、今回は宿星ではないからと頑として部屋を貰うことを拒んでいる。それならば、いっそのこと俺の部屋に寝泊りすればいいものを、律儀に宿屋をとってそこで生活をしている。
 この戦いが終わって、戦後処理がある程度片付いたら正式に届けを出して夫婦になろうと思っているのに、それでも別に寝泊りする辺りがファロンらしいといえばファロンらしい。
 そう思いながら食事を取りに降りていくと、先ほどの歓声に起こされたのか、いつもはこんなに朝早くから来ていないようなメンバーまで食事に来ていた。
 「おはようございます。」
 そんな中に、訓練からあがってきたばかりのファロンが元気に顔をだす。
 続いて苦い顔のマイクがファロンの後ろから入ってきた。
 「朝から元気なことだね、ファロン。」
 眠そうなシーナにいわれてファロンは小さく肩をすくめた。
 「ちょっと派手にやりすぎちゃった?」
 その受け答えに、俺はなんだかひっかかりを覚えた。
 「ちょっと?…そんなもんじゃないだろう?かなりだよ、かなり。」
 「ごめんなさい、でも、遠慮なくって言われたから、つい、ね。」
 そうして苦笑して、ぺろりと小さく舌を出して笑う。
 「それにしても青騎士があんなに難なくやられるとはね。…もう少し、うちの戦力の増強を図ったほうがいいのかなぁ?」
 いつもは誰かが起こさないとココには来ないシェイも苦笑しながら言う。
 「…ファロンがおかしいんだよ。」
 シーナの言葉にファロンは笑って、目の前にあるトーストをかじった。
 
 「………。」
 夕方、俺はなんだか釈然としないまま、レオナの店で飲んでいた。
 朝の訓練を終えたファロンはそのまま、シェイにさらわれて1日中つきあっている。
 シェイは軍主という立場について、きっとファロンとゆっくりと話したいこともあるのだろう。ナナミのことがあったから今は少しでも誰か頼りたいのかもしれない。気持ちはわからないでもないから、ファロンが自ら望んで付き合うのならばかまわないと思う。
 今のシェイの気持ちを一番理解できるのはファロンかもしれないから。
 夕食後、シェイは用事があるはずだから、そろそろファロンが開放されるのではとここで待っているのだが、一向にファロンは現れない。宿屋に直接戻ってしまったのだろうかと思いながらジョッキを一気に煽り、代わりを頼む。最近雇われたらしい女が新しいジョッキを俺の前に置いた。
 「よぉ。」
 後ろから不意に声をかけられて、それが誰かなんてことは振り向かなくてもわかる。
 「なんだ、ファロンはシェイにとられたまんまか?」
 「ああ。……そろそろ戻ってくるはずなんだが。」
 「そうか…。」
 そう言って、ビクトールは俺の前に座るととりあえずのジョッキを傾ける。
 「…なぁ、フリック…。」
 珍しく、言いづらそうに名前を呼ぶビクトールに、自分の予想は間違いではなかったと確信を持つ。
 「なんか、あったのか?」
 聞きたいのは俺のほうだった。
 怪我の療養を口実に急遽トラン共和国に戻ってしまったのをなんとか引き戻して以来、何か、様子がおかしい。
 傷が痛むのかと心配をしてみたが、朝の訓練の様子を見ている限りではなんともないようだし、傷がなんらかの影響を与えているとは到底考えにくい。
 以前から訓練には協力的だったし、世話になる以上は自分も手助けを、とばかりに仕事を選ばずに働いていたからおかしくはないのだけれど、何かがひっかかる。
 「…なんだろう…。」
 ビクトールもその辺りは同じようで、ううむと唸ってからジョッキをもう一度傾ける。
 「おや、先にいらしていたんですね。」
 再び、声をかけられて、視線を上にめぐらせると、そこには赤青の騎士団長が困った表情で立っていて。
 「丁度良かった。伺いたいことがあったんです。」
 王子様然とした笑顔でカミュはテーブルについて、それから俺とビクトールを交互に見る。
 「ファロンのことなんですが…。」
 なるほど、やはりおかしいと思っているのは俺達だけではなかったらしい。
 この城に来て、ファロンが親しくしているのは、シェイは別格として、俺達や、カスミといったトラン解放軍からの付き合いのメンツを除くと、このマチルダの両団長、そして軍師二人が一番仲がいい。シエラともそれなりに話しているようだが、やはりこの4人に絞られる。
 「…様子がおかしい、か?」
 「ええ。」
 カミュが頷くと隣に座ったマイクロトフが立派な眉を寄せて、眉間にしわを刻んで話し始める。
 「…快活すぎる、とでもいうんでしょうか…?ファロンは、もう少し、こう…。」
 マイクロトフは彼なりに、必死で言葉を選びながら感じた違和感をあらわそうとしている。しかし、うまい言葉が見つからなかったらしく、カミュに手助けしてくれるように目配せをした。
 「…私達はファロンと知り合ってからさほど経っていませんが、あれは彼女の本来の性格なのでしょうか?それとも…。」
 カミュは言葉を選ぶようにして、言いよどむ。彼らしくない物言いに、俺やビクトールへの気遣いを感じながら出てこない言葉の先を促す。
 「…それとも?」
 「無理をしている、というか…彼女の本来の性質ではないような気がするのです。」
 その言葉に俺もビクトールもううむとひとつ唸る。
 「そうだな、ファロンではないな、確かに。」
 ビクトールはうん、と頷いてから俺を見る。
 どう思う?と言外に尋ねられ、俺は今朝の違和感を思い出しながら言葉にしてみた。
 「…ファロンは戦いのこと以外は、もう少し控えめだろう?…それに、訓練だって、確かに手は抜かないだろうが、少なくとも、マイクが倒れた部下を起こして回るよりも早く、自分で起こしているだろう。」
 「ああ、そうか、そうだな…。」
 俺の表現にビクトールが少し納得したように頷く。
 「なんつーか…、少し明るすぎる、な。…それと、勝気っていうか、その、無邪気っていうか…。」
 「才気煥発っていうところですかね?」
 カミュの言葉に、俺もビクトールも同時に『それだっ!』と叫んでいた。
 「でも、どうして、そんな風に?」
 続くカミュの言葉に、俺は黙り込んだ。
 一体、何があっただろうか?
 俺はつい最近のことを思い起こそうとする。
 「…トランから戻ってきてからだよな。…あれって。」
 「フリックさん、トランで何かありましたか?」
 しかし、思い当たる節は一切なく、俺はゆっくりと首を振る。
 「いや、何も…。」
 「トランでは、どんな様子でしたか?」
 「ファロンと会えたのは、戻ってくる前日だったからなぁ…。どっかに出かけてて、あえなくって、レナンカンプまで迎えにいった。」
 「レナンカンプ?」
 ビクトールの眉がぴくりと動く。
 「そら、また、随分おまえにしちゃ、珍しいところに…。」
 ビクトールはあそこで昔、何が起こったのかを知っているから、俺があの町に行ったことが意外とでも言うような表情をしている。俺だって、ファロンのことがなかったら行くことはなかっただろう。
 自ら進んでいくには、まだ傷も充分には癒えていない。
 「ファロンがあそこにいるからって、クレオが…。」
 「レナンカンプって、もしかして、あのレナンカンプですか?」
 マイクロトフはトラン解放運動の資料や本を読んでいるらしく、あの町の名前を知っているようで、瞠目した。
 「ああ、トランにレナンカンプはあそこだけさ。…知ってるのか?」
 「ええ。…あの事件があったところですね。」
 「…そういえば、…この間、丁度…。」
 カミュもどうやら顛末を知っているらしく、思い出したように呟いた。
 「ああ。…そうだったようだな。…俺が行った時には前日だったか。」
 「ファロンも?」
 「丁度、地下通路で会った。」
 俺の返事にカミュが難しい顔で考え込む。
 「…それは…一緒に入ったのではなく?」
 「ああ、たまたま俺が先に来てて、ファロンがあとから…。」
 「それですね。」
 カミュの言葉に俺もビクトールもマイクも首を傾げる。
 「…ファロンを迎えに行ったつもりが、誤解されたのではないですか?」
 「何の誤解だ?」
 「…戦争中なのに、弔いにきたと。」
 「まさか…。」
 「…太刀は『オデッサ』ですからね。…それに、フリックさんは今でもオデッサさんをとても尊敬してらっしゃるでしょう?」
 「そんなの、当たり前だ。」
 「…そんな偉大な前の彼女に勝てるわけがないと思ったら、大体3つのパターンのうちのどれかを選ぶと思います。1つめは拗ねる。2つめは無視する。3つめは努力する。ファロンはどのタイプでしょうね?」
 「…3の努力する、だな。」
 ビクトールの答えにマイクも同感だとばかりに頷く。
 「失礼ですが、オデッサさんという方はどんな方でしたか?もしかしたら、才気煥発、そのくせ無邪気だったり、明るい方ではなかったでしたか?」
 その言葉に俺は黙り込む。
 そう、確かに、カミュの言う通りなのだ。自分の才能を決して隠すようなことはしなかった。進んで自分の能力を自慢するわけでもないが、自分の才能を発揮してこそあの戦いに勝ち目があると、そう信じて疑わなかったからそれを隠すようなことはしていなかった。そして頭がいいくせに、変なところで無邪気で、明るくて。
 俺の沈黙を肯定ととったカミュは肩をすくめて見せる。
 「…誤解を解くなら早いうちがいいと思いますよ。」
 俺の頭の中にはマクドール邸でのファロンがフラッシュバックのように蘇った。ファロンと呼ぶたびに、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしていた。
 ああ、俺はまた泣かせてしまったのだ。そんなつもりじゃなかったのに。
 まだジョッキに酒を残したまんま、急いで席を立った。
 まっすぐ宿に戻っているだろうと辺りをつけて、そのまま宿に駆け込んでファロンの部屋を開けると、中には誰もいず、まだ戻ってきていないように見える。
 シェイはとっくに夕食を取っているはずだから、もう一緒には居ないはず。だとしたら。
 ファロンのよりそうなところをざっと考えてみる。
 図書館はもう閉まっている。劇場は行っていないと思う。釣堀も、がけ上りももうやっていない。
 そうして消去法で消していくと最後に一箇所だけ残ったところがあった。
 俺は踵を返してその場所に急ぐ。
 城のはずれの木立の下。
 ファロンのお気に入りの場所。何回かそこで二人で過ごした、俺にとって、城内で一番好きな場所になりつつあるところだった。
 
 
 
 
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