バナーの山道は中央にフリック殿、その後ろにファロンという陣形で、左右に私たちが、私の後ろにナナミ殿を配置して進むことになった。
流水の紋章をファロンとナナミ殿が持っているので楽に越えられるだろうと予想していたのだが、それはナナミ殿の意外な申し出により様相が変わってしまった。
「どうしてもレベル上げをしたいの!」
確かに、このパーティーの中ではナナミ殿のレベルは著しく低く、ファロンとフリック殿がいなければ正直きついところだが、それでもナナミ殿が現在前線に出ることはごく少ないことから急いでレベル上げをする必要はないと思われた。
しかし、珍しく彼女は頑として譲らず、前に進もうとはしない。
何か思うことがあっての発言だろうが、正直、危険を伴うし、時間もかかるので賛成しかねていた。
どうしたら彼女を傷つけず、すぐにバナーに向かうことができるだろうか。そう考えていた私の耳に飛び込んできたのはファロンの声だった。
「いいんじゃない?好きなだけすれば?」
「しかし…。」
マイクは反対のようで、ファロンに苦い表情を見せている。
「本人がしたいっていってるんだ。…協力してやろう。」
「シェイ殿が心配なさいます。」
そういいながらマイクは助け船を求めてフリック殿に視線を移すが、困ったような顔はひとつも見せずに即答する。
「徹夜で行軍でも構わんぜ。…本人も、このパーティーのリーダーであるファロンも許可しているんだ。」
「しかし、明日には戻ることに…。」
「ラダトで早馬でも借りれば大丈夫だろう。それでいいな?ナナミ?」
「うん。」
自分の意見が通ったナナミ殿は嬉しそうに弾むように頷いた。
「予定時刻には遅れると、使いを出せばいい。」
ファロンの言葉に、一体誰が使いとしてこのパーティーから先行するのだと、メンツを見る。選考できるのはファロンとフリック殿しかいない。しかし、どちらが抜けるにせよ正直な話、少しばかり心もとなくなる。
「それでは誰が…?」
ファロンはうん、と頷いてから視線を斜め上のほうに移す。
「いるんだろう?降りてきて。」
大きな声でファロンが叫んだかと思うと、途端に前方の木がさわさわ小さく揺れて、そこから男が一人、降りてくる。
「ロッカクの者だね?見覚えがある。」
「は。」
男はファロンの前に恭しく膝まづいた。
「昨日もバナーから国境までわざわざの護衛、すまないね。…それで今日はひとつ頼まれてもらいたい。」
「なんなりと。」
「カスミちゃんに伝言を頼みたいんだ。ナナミ殿のレベル上げをしていくから到着が少し遅れる旨、シェイとシュウにそう伝えて欲しい、と。」
「は。」
「ああ、でもシュウは疑うかな…。そうだな、これを。」
そういってファロンは首にかかっている二つの鎖を襟から引き出して、そのうちのひとつ、昨日のパーティーでもつけていた青い石がついたネックレスをはずす。
正直に言って、昨日の麗しいドレスには不釣合いな細工のそれは、どこにでもあるような、露天商でも扱っていそうなもので、ファロンの伝言の証としては少し、いやかなり貧弱に見える。
「これをカスミちゃんに渡してくれ。」
「…預からせていただきます。」
「頼んだよ。」
「は。命に代えても。」
そういって男はひゅんと木の上に飛びのり、まるでムササビか何かのように木立の間を縫って消えていった。
「あのネックレスは…類似品が多いのではありませんか?」
ふと気になってファロンに尋ねると、ファロンはくす、と小さく笑う。
「ああ、そうだろうね。」
「では、あれだけでファロン本人からの伝言の証拠になりえるのでしょうか?」
「そうかもしれないね。」
ファロンは微笑したままうなづいた。
「でも、あれが今の状態を表すには一番効果的なんだよ。…カスミちゃん、いやビクトールもすぐにわかるさ。」
ファロンは楽しそうに笑うと、バナーに向かう山道に入っていった。
結局、徹夜でナナミ殿のレベル上げに付き合い、おかげで自分達も随分とレベルをあげることができた。しかし、さすがに疲労困憊し、シーアン城に着くが早いかとりあえず食事を済ませ、シュウ殿に報告をし、手続きのなにやかにやを終わらせてようやく休息がとれるようになった私とマイクはそのまま風呂に向かった。
徹夜の行軍で埃まみれで汗まみれになった体を早くどうにかしたかったのだ。
「おっ、ご両人!」
先に入っていたのはビクトール殿とシェイ殿で、私達の姿をみるとこっちだとばかりに大きく手を振った。
「ごめんねー?ナナミが迷惑かけちゃったみたいで。」
申し訳なさそうにシェイ殿が謝るのに、慌ててマイクが首を振る。
「俺達もレベル、随分と上げることができましたから、結果オーライですよ。」
「それならいいんだけど。…最近のナナミ、言い出したら聞かないときがあるからさ。」
困った、というようにため息をついたその様子は随分と大人びた印象をうけ、シェイ殿とナナミ殿、どちらが年上かわからない。
「ファロンにもフリック殿にも迷惑かけちゃったし。」
「ファロンはそれぐらいじゃ怒りはしないさ。気にすんな。」
ビクトール殿の慰めに、それでもシェイ殿は眉間に寄せているしわをとることができない。
「でも…ラダトで一晩ゆっくり眠れるはずだったのに…徹夜させちゃったし…。」
曇った表情を晴らすかのようにビクトール殿は小さく首を振る。
「時間がかかるのは覚悟の上でナナミに付き合ったんだろうよ。でなきゃ、わざわざあんな大事なモン手放してまで伝令なんざ飛ばそうとも思わんだろうし。」
ビクトール殿の言葉に私達はおや、と首を傾げる。
「大事なモンって…?」
確か、渡していたのはどこにでもあるネックレス。
「ネックレス、でしたよね。…あれだけで本当にファロンからの伝言、というのが証明できるのですか?」
「ああ、まぁな。」
ビクトール殿は含み笑いをして、ざぁっとシェイ殿の体についた泡を流してやる。
「あれはトラン解放軍時代、フリックがファロンに贈ったものなんだよ。」
「フリック殿が?」
城内でも人気が高く、飾らない真面目な人柄から兵士だけでなく一般市民からも信頼も厚いフリック殿だが、マイク同様、女性の相手はどうにも苦手らしい。いや、マイクほどではないにしろ、贈り物などするような人には正直見えなかったので少し驚いてしまった。
「まー、なんだな。…あの頃のファロンは本当に酷い状態で。俺なんか、何もできなかったよ。もくもくとリーダーとしての仕事をこなして、みんなの話を聞いたり、仲間集めに奔走したり、さ。本当に寝る間も惜しんで動いていた。」
「真面目なんですね。」
マイクの言葉にビクトール殿はゆっくりとかぶりを振る。
「自分の父親を倒した後、だよ。…みんなに心配かけまいと、必死でリーダーの仕事をこなしていただけだ。体はくたくたなのに、良心の呵責で眠れない夜が続いていて、いつファロンが壊れるかってみんな心配してた。」
「…ファロン…辛かったんだ…。」
悲しそうに呟くシェイ殿に頷きながらビクトール殿は続ける。
「でもな、フリックだけがファロンを慰めることができたんだ。…フリックはその前に自分も最愛の女性をなくしていたからな、ファロンの気持ちはよくわかるんだろうし、それに、何よりあいつはファロンのことが好きだったから。周りでみている俺らがほほえましいくらいにファロンを支えてやってた。…信じられるか?あの、口下手が、だぜ?」
くくく、とビクトール殿が当時のことを思い出したのか、楽しそうに笑っていた。
「だから、あのネックレスはファロンの大事なものだし、それを預けるってことは暗にフリックも一緒だっていうことをさしている。ファロンからの使いには間違いないってことさ。…万が一、同じものをどっかで売っていてそれを買ってきたのだとしても、ずっと肌身離さずつけていたからあそこまで鎖が痛んでるわけはない。な?」
「なるほど。」
私はあのネックレスの意外な謂れを聞いて、ようやくいろんなことに納得ができた。
夕べ、ドレスに全くそぐわないあのネックレスをして舞踏会に出席した理由。そして誰も舞踏会でファロンを誘わなかった理由。
本人の意思であるかどうかは知らないが、あのネックレスはファロンの気持ちを実に雄弁に物語っていたのだ。フリック殿を愛していると。
だからこそ、あのネックレスの謂れを知っているトランの人はみなファロンをダンスに誘うこともしなかった。
この短期間にシーアン城に数多くのファンを作ったほどの人間が、舞踏会で相手に困るわけがない。だから、みんな知っていたのだ。
そういえば、グレンシール殿が言葉を濁していたのもそういうことかもしれない。彼はおそらくファロンを好きで、だからこそライバルであるフリック殿のことを認めたくないからあんな嘘を言ったのだろう。
ならば、当のフリック殿はどうなのだろう?
と考えたとき、不意に朝のファロンとグレミオ殿の会話が思い出された。
『起こして起きましょうか?』
『一人で起きてくるから大丈夫だよ。』
一瞬にして、フリック殿のトランへの帰郷の意味が理解できた。
フリック殿はマクドール家に泊まったのに違いないが、もっと正確に言うとファロンの部屋に泊まったのだ。
おりしも、ファロンの婿探し舞踏会の日。
偶然なんかではあるはずはない。
私達のお迎えというのは、方便に過ぎないのだろう。
ちらりとビクトール殿を見ると、彼はとても複雑な表情をしていて。
「今夜は祝杯、ですか?」
そう尋ねると、苦笑して頷いてみせる。
「それとヤケ酒な。」
「…ご一緒しましょう。」
「今日は大宴会になりそうだな。」
マイクはまだ理解できていないようだが、それでもヤケ酒という単語を聞いて慰めになればと思ったのか、一緒に付き合いましょうなどと請け負っている。参加資格が十分にあるのは幸せなのか不幸せなのか、それは難しい問題であった。
END
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