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迎賓館を出立して、ファロンとの約束通りマクドール家に伺うと、昨日の麗しい正装はどこへやら、いつもと同じ服装で食事をしているファロンに見えることができた。「ああ、ごめん、少し寝過ごして…。」
 などといいながら、急いで残ったパンを口に入れると急いで何度か噛んでから紅茶と一緒に飲み干した。
 横ではグレミオ殿が嬉しそうにというよりも、不気味なほどにやけながら後片付けをしている。何かいいことでもあったのだろうか、というよりも、絶対に何かいいことがあったに違いない。
 「市街を案内してくるよ。昼には戻るから。」
 ファロンがグレミオ殿にそう言い置くと、彼は片付けていた手を止めてファロンに聞き返す。
 「起こしておきましょうか?」
 「一人で起きてくるから大丈夫だよ。」
 「承知しました。」
 謎のやり取りをしてからファロンは食堂を出た。
 「どなたかいらしているのですか?」
 外へ出た後に気になって尋ねてみると、ファロンはうん、と頷く。
 お客様が来ているのにそちらを放り出して、お付き合いをして頂いてよかったのだろうかと頭の中で考えた。
 昨日の舞踏会にはトラン共和国のあちこちから色々な人物が招待されてきていた。だからその中の誰かがマクドール家に泊まったとしても不思議ではない。そして、マクドール家に泊まったというぐらいだから、その誰かとはトラン共和国でかなりの地位を持つ人間であることは想像に難くなかった。
 そんな人物をさしおいて、たかが買い物(というとナナミ殿には非常に失礼になるが)付き合ってもらってもよかったのだろうかと逡巡する。確かに、昨日の舞踏会ではナナミ殿は賓客であることには違いないが、物見遊山であるのは明白で。
 「お客様の相手をしなくてもよろしいのですか?」
 「大丈夫だよ、そんな気遣いは無用の相手だから。」
 そういってから、くす、と小さく笑う。
 「やっぱりカミューは鋭いねぇ。」
 などと、本当に感心したように言われ、話をはぐらかされてしまった。
 誰が来ているのか、ということをさらに突っ込んで聞くわけにもいかず、そのまま引いたが何故かそのことが気にかかる。
 夕べの舞踏会は建国記念ではあるけれど、ファロンの婿探しという目的も兼ねていた。けれど、結局、ファロンは私とマイク以外のものとは踊らず、トランの人間も無理にファロンを誘うようなことはしなかった。
 何か、ファロンを誘わない暗黙の了解がそこに流れているようではあったけれど、誰もがそのことに対して口を噤んでいたので、さしもの私もその内容を窺い知ることはできずに、なんとももやもやした気持ちを抱いていたのだ。
 そんな舞踏会が行われた晩に、当の本人であるファロンの家に宿泊する人物が一体誰なのか、気にならないわけがない。
 ファロンが先ほど気遣い無用と言ったことからその人物がかなり親しいことを示している。
 一瞬、トラン解放軍でも一緒に戦ったという元赤月帝国の将軍やレパント大統領と言った人物を思い浮かべたが、彼らは皆グレッグミンスターに家がある。ファロンの家に泊まることなどない。
 ナナミ殿と前を歩くファロンの後姿はいつもとまったく変わらず、モデルもかくやというほどの綺麗な姿勢で歩いている。それは長年、武道で培ったものなのだろう。その軽やかな後姿を見ながらその誰かを考えていた。
 
 グレッグミンスターでの彼女はまるで一般市民のような振る舞いをしていた。
 首都の誰もがファロンがファロンであるということに気がつかない。
 いや、正確には気づいてはいるのだろうが、あえてそのまま普通に振舞っているといったところだろうか。
 グレッグミンスターは故郷であるから顔見知りも多いはずだが、久しぶりに戻ってきた彼女に対して誰も懐かしそうに声をかけたりすることがない。無論、戻ってきてから何日かグレッグミンスターに滞在した後でシーアン城に来たのだから、その間にみんな挨拶をしたり話をしたりということは考えられる。しかし、彼女はトラン共和国を打ち立てる礎となった人だ。この扱いはあまりに不自然ではないだろうか。
 そんなことを考えながら私とマイクはかわいらしい雑貨屋の前で女性陣の、というよりもナナミ殿の買い物を待っていた。
 さすがにピンク色や、ファンシーなものが溢れる可愛い雑貨屋に入るのには気が引けた。正直な話し、私は入れないこともないが、マイクが断固拒否したのだ。
 マイクの気持ちはわからないでもない。
 ちらりと店内をのぞくと、嬉しそうにはしゃいでるナナミ殿と苦笑しているファロンの姿が目に入る。その表情からもきっと彼女もこういうところは苦手なのだろうということがすぐに推察できた。皇帝の信頼厚い将軍の娘、次期将軍ということから随分小さい頃から厳しく育てられたというから、普通の女性とはやはり好みが違うのだろう。女性が好むようなこういった雑貨屋はあまり馴染まないとみえる。
 そうした教育の賜物だろうか、ファロンはトラン解放軍ではかなり立派なリーダーぶりを発揮していたと昨日の舞踏会で知った。シェイ殿と同じ15歳でリーダーとなり、コボルトやエルフをも従えて戦ってきた彼女は並々ならぬ尊敬を受けているということはすぐにわかった。
 しかし、それだけではない。
 将軍達は娘のように心配し、軍の部下達は再会を喜び、解放軍で生活面を担当していたものたちは健康を心配し。
 誰もが敬っているけれど、決して目上ということではなく、大事な大事な一人娘、とか友達、姉妹、あるいは孫といったような、そんな感じであった。
 そして、このグレッグミンスターの市民もまた、決してファロンを見かけても祭り上げたり、過度な英雄視をするわけではなく、会釈をしたり、挨拶を少し交わす程度に留まっていた。
 「不思議だと思わないか、マイク。」
 「何がだ?」
 「ファロンはトランでは英雄とされている、なのにみんなファロンを取り囲むわけではなく、普通に接している。」
 「…うむ。…そうだな。」
 マイクも気づいていたのか、すぐに返答をする。
 「政庁舎にファロンの服が飾ってあっただろう、あれほど英雄扱いをしているのに、俺も不思議に思っていたところだ。」
 「ああ。」
 「それは私がお答えしましょう。」
 不意に後ろからした声に、驚いて振り向くと、そこには先日シーアン城にファロンを迎えに来たうちの1人、グレンシール殿が何人かの部下を連れて立っていた。
 「これは、グレンシール殿。」
 「おはようございます。ナナミ殿のお付き合いですか?」
 食えない微笑で尋ねられてこちらもにっこりと微笑んで返す。
 「ええ。こちらの店には女性の気に入るものがあるようでして。」
 「そうですか。」
 そういってちらりと彼も店内を見た。相変わらずはしゃぐナナミ殿と、その隣でネックレスのようなものを手にとっているファロンが並んで話している。
 「ファロン殿がトラン共和国を出奔なされてから少し立った頃、ある話が持ち上がりましてね。」
 グレンシール殿が少しだけ面白くなさそうな顔をする。
 「トランを出奔なされたのは酷い心労が原因だからで、その心労を癒すために旅に出たと。その心労を少しでも軽くするために、ファロン殿がいつ戻ってきても決して騒がないよう、以前と同じように接するようにしようと。」
 「ははあ、なるほど。」
 マイクが頷きながら聞いている。
 「今はさほどでもないようですが、確かに最終決戦後のファロン殿は気の毒なほどに憔悴しておられた。あの戦争で親友をなくし、たった一人の肉親であったテオ様を亡くし、一時は親代わりであったグレミオ殿もなくしていたのですから。それに。」
 グレンシール殿は何かをいいかけて、いや、と首を振る。
 「まぁ、そんなところですよ。…ファロン殿に普通に接しているのはトラン共和国の人間のファロン殿に対する感謝と敬愛の印なんですよ。」
 と、また笑顔で続ける。
 「すばらしい話ですね。」
 「ええ。ファロン殿はそういう敬愛と感謝を受けるに値する方なのですよ。」
 と何故か彼が誇らしげに胸を張る。
 「そのようですね。シーアン城でもあっという間に人気者になってしまったほどですからね。さぞかし、解放軍当時からも人気があったのでしょう?」
 「それは、もちろんのことですよ。」
 「…では、なぜ昨日、皆さんはファロンと踊らなかったのですか?」
 その質問にグレンシール殿の表情が一瞬だけ固まった。
 「それは…。」
 もごもごと何をか口中で言いかけて、言葉を飲み込んだ。
 そしてもう一度、今度ははっきりした口調で返す。
 「ファロン殿は軍主であった方。私達の誰よりも身分の高い方なのです。」
 「………。」
 「ああ、少し無駄話が過ぎたようですね。市街のパトロール中ですのでこれで失礼します。」
 そういって、にこやかな笑顔を浮かべたまま挨拶をし、足早に去っていった。
 「なぁ、マイク。今の答え、どう思う?」
 「理屈にあわんな。」
 「そうだな。」
 「ファロンは身分の上下などに頓着するような狭小な人間ではない。」
 マイクでさえ、今の不自然さに気がつくほどの嘘をついてまで踊らなかった理由を考えたかったのだが、そこで丁度買い物を終えた二人が店から出てきてしまった。
 自分としては先ほどのグレンシール殿の不自然さをもっと突っ込んでみたかったのだが仕方がない。朝から謎は増えるばかりで一向に解決されないまま、諦めてマクドール家に戻ることにした。
 
 昼食をマクドール家でご馳走になる予定だった私達を出迎えたのは意外な人物だった。
 「フリック殿っ!?」
 先ほどの、客というのは何を隠そう、我がデュナン軍の幹部でもあるフリック殿だった。
 冷静になって考えてみれば、一番ここにいるための条件を兼ね備えている人間であり、しかし同時にここに最もいる可能性が少ない人間でもあった。だからこそ誰がここに泊まっているかを考えるときにすっかりと彼の可能性が抜け落ちてしまっていたのだ。
 ファロンの家に泊まるというのは解放軍でも特に近しい人間で、しかもグレッグミンスターに家がない人。フリック殿は解放軍副リーダーでトランの出身ではあるが地方出身者で、戦後すぐにデュナン地方にきてしまったために、ここ、グレッグミンスターに家はない。
 それにしてもなぜデュナン軍の主戦力であるフリック殿がここまで出向いてきたかが不思議だった。
 今、戦線はハイランド国内の動揺が激しく、それを抑えるのにジョウイ・ブライトはやっきになっているようで、しばらく目立った大きな戦闘もなく非常に安定しているため、出歩けないわけではない。が、フリック殿はシェイ殿にもシュウ殿にも信頼厚く、頼りにされている。事実、二人の腕前は私達をはるかに陵駕するものであるから、何かあったときに一番の活躍をするのはビクトール殿とフリック殿の二人なのだ。
 それほどの人物をわざわざここまで動かすとはよっぽどのことがあったのだろうかと一瞬身構えたが、彼がここに来た理由はそんなにたいしたことではなく。
 「シェイが絶対にファロンをつれて帰るように、とさ。それに、3人、ファロンがいたとしても4人の道中になってしまっていささか物騒だからな、手助けだ。」
 なるほど、確かにフリック殿がいてくれれば随分と山道を通るのに楽になる。
 それはそれでありがたいのだが、それならばビクトール殿でも構わないではないか、という考えが一瞬頭をよぎる。
 「いつこちらに?」
 「夕べだよ。宿が空いてないっていうからここに世話になった。」
 「お一人で?」
 「ああ、まぁな。」
 あの山道をよく一人で抜けてきたものだと少し感心する。それも随分とレベルが高いフリック殿ならではのことだろう。
 確かに現在の私とマイク、ナナミ殿ではバナーの山道は手に余る。
 ファロンがいれば楽だが、私達だけでは確かにファロンを再びシーアン城に連れ戻すには役不足で。
 朝食兼昼食を取りながらファロンと話すフリック殿を見ているとそのことが酷く悔しく思えた。
 
 
 
 
 
 
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